1.11
這う這うの体で、再びハイパーアリーナのホールに入る。
先ほどまで大勢いた観客も、クラン同士の抗争という緊急事態でほとんどが脱出してしまったらしい。一部、傀儡として操られていた観客たちが、軒並みビーとレアにぶっ倒されて今でも床に伏せている。
客席を照らす明かりはすべて落ちているものの、ステージ照明だけが煌々と輝いていて、その中央に二人の男が対峙している。時折、衝突。鈍い音が会場に響き渡る。
マーとギル。クランとして、個人として、武蔵最強の座をかけて争う国内屈指の対戦カードだ。
「やってるよ」
「うん」
俺とビー、レアの三人はホールの床にへたりこむ。
眼前には、想像通り、いや想像以上の異次元の戦いが繰り広げられている。ボロボロに傷ついた俺たちは、あのハイレベルな戦いに加勢できるはずもなく、ただ遠巻きから眺めるだけだ。
「ギル、キミは確かに強い。だけど、決定的に間違っている」
「御託はいいですから、早く私を倒して御覧なさい」
猛攻を仕掛けているのはマーだ。殴る蹴るというごくごく基本的な攻撃だが、異様な超高速と破壊力が合わさっている。一般人ならほとんど視認できないだろうし、チーターでも目で追うのがやっとだ。
ギルはさすが武蔵最強というべきか、その超高速についてきており、マーが矢継ぎ早に繰り出す連撃を九割がた捌いている。しかし一割ほどはもらっていて、それがダメージを蓄積させていく。ギルは攻撃を捌く傍らで、時折カウンター気味の手刀を繰り出しているが、すべて空振りに終わっている。
マーがじりじりとギルの体力を削っている。このままいけばマーの勝ちだ。
「やっぱすごい、マーさんは」
ビーが感心しきって言う。
「いやあ、全力のマーがこれほどとは。俺らだってそこそこのチーターだと思っていたけど、怪我してなくても助太刀さえできないかも。ただ、あの攻撃をほとんど凌いでいるギルも、やっぱハンパじゃない。さすがはランク一位」
「けどマーさんが押してるし。勝つでしょ」
「たぶんね」
俺とビーは、二人のバトルを眺めてぼんやりとした感想を伝え合う。二人とも話すのがせいぜいで、身体に力が入らないのだ。もはや格闘イベントを観に来た客と何も変わらない。無言でステージを見つめるレアも、俺らに比べれば傷は浅そうだが、あの戦いに加担するのは不可能だろう。そもそものところ、仮に無傷だったとしても、役に立てるかどうかあやしい。それくらいのレベルだ。
壇上の二人は何度も衝突し、ステージ上を所狭しと動き回りながら攻防を続ける。押されているはずのギルは、それでも不敵な笑みを絶やさない。薄目からチラチラと覗く真っ白な瞳から、邪悪な印象を受けた。
「ようやく合点がいった。あなた、マーさんですね。シャークスマイルの創設者の」
「だったら何だ」
「いえいえ。手合わせできて光栄です。一度お目にかかりたいと思っていたんですよ。何しろ、知る人ぞ知る有名人ですから。一部界隈からは真の最強チーターと呼び声高いそうで」
「ふざけるな」
マーはいつになく激昂している。相手のふざけた会話につきあわず、猛攻を続ける。一気に押し切って、ギルを潰すつもりだろう。
「今は私がランク一位になって、形だけ最強ということになってはいますが。真の一位であるあなたに比べれば、実力は遥かに及ばないのではないか。そんな疑念が、どうしてもぬぐえなかった。こうして実際相まみえることで、ようやく確信が持てました。私の中で結論が出たのです。どんな結論だと思われますか?」
「だまれ」
押されているはずのギルが妙に饒舌だ。
マーは相手の話術にはのらず、目にも止まらぬラッシュを仕掛ける。ギルはそのほとんどを躱し、いなし、防ぐが、やはりいくつかの被弾は避けられない。被弾したところからは鮮血が吹き出ているから、けっして無傷ではない。このまま続ければ必ず倒せるはずだ。
にもかかわらず、ギルは余裕の態度を崩さない。不気味だ、この上なく。
「この状態を見れば明らかなように、あなたは一対一ならば私を凌ぐ実力をお持ちのようだ。はたして真の一位という評判は正しかった。ときにマーさん。あなた、私の異名をご存知ですか」
「知ってる。傀儡子っていうんだろ。それが気に食わないから、わざわざ僕が来たんじゃないか」
「おっしゃる意味がわかりませんが。異名に関しては、その通りです。私のチートは傀儡子といって、気絶した人間を意のままに操ることができます。まるで人形のように。仮にその人間が意識を取り戻した後であっても、一度気絶した際に糸を繋げておけば、いつでも。人数に制限はありません。これが種明かしです。ご理解いただけましたか?」
「何が? ああ、わかった。さっきの件を言っているのか」
「さきほど、会場の観客たちが一斉にあなたがたを襲ったのは、そのチートによるものです」
「知ってるよ。その前に、入場口で一般人を殴ってたのはその準備だろう」
「ご明察です」
「胸糞悪いんだよ。大勢の人を巻き込むチートなんて」
なるほど、そういうことか。
確かマーは、開催前に、クサビの連中が一般客を入場時に襲っているところに出くわしたと言っていた。それはきっと、一般客を気絶させてギルの操り人形にした後、入場させていたのだろう。つまり、先ほどの悪趣味な演出はギルのチートによるもので、その仕込みをしている最中に、偶然マーたちが居合わせたのだ。
思えば、シンディが操られたときもそうだった。あの日、本部ビルを訪れた彼女の様子は平常時と変わらなかった。あれもやはり、事前に彼女はクサビグループに襲われて、気絶させられて、ギルに糸を繋げられていたのだろう。
その後、彼女は回復し、通常通りシャークスマイルの本部ビルにやってきた。だが、すでに糸はつながっているから、決定的な瞬間に再び操り人形にされて、親友であるレアを襲ってしまったのだ。あの悪夢のからくりが判明した。
傀儡子ギル。気絶状態の人間に不可視の糸を括りつけて、任意のタイミングで操ることができるチートの持ち主。詳しいことはわからないが、破格のチートであることは疑いない。
しかも、個人としても、マーには及ばないながらも最強クラスの力を持っている。まったく、厄介極まりない相手だ。
「話の続きですがね、マーさん。私があなたに一対一で勝てないのは事実ですが、それでもやりようはあります。せっかくの最強と戦う機会ですから、私もチートの出し惜しみはしませんので。こちらが事前に仕込んだ傀儡を使わせてもらいます」
ギルはくいっと指を持ち上げるジェスチャーをする。
すると、ステージ袖から大男が現れて、高速タックルでマーの身体にしがみつく。どこかで見たことがある風体だと思えば、カツヲだ。すでに意識を取り戻していたのか。いや、今もまだ白目を剥いている。 いまだに意識は戻っていないが、ギルのチートからすればそれでも構わないのか。意識があろうとなかろうと、あらかじめギルの糸で繋がっていさえすれば、無理やりにでも操ることができる、と。
傀儡が操っている個人の本来の力を発揮できるのだとすると、まずいぞ。カツヲはチーターで編成された親衛隊の一員だ。そして親衛隊は他にもいる。
「くそ!」
マーはカツヲを振りほどこうとするが、うまくいかない。さしものマーも、カツヲの持つ規格外の膂力には手を焼いている。さきほどホールで襲われたとき、操られていた観客はチーターではなかったから、大した脅威ではなかった。だがカツヲは、クサビグループの親衛隊に所属するれっきとしたチーターだ。しかもランクも十七位と、かなり上位に位置しているような。同じ傀儡といっても、先ほどのそれとはわけが違う。相手がマーといえど、足止めくらいはできるだろう。
マーがもがいている隙に、
「いかがですか」
ギルが手刀を食らわせる。急所を逸らすが、それでも脇腹を掠める。一気に鮮血が噴き出る。傷は浅くない。
「やはり、気に食わない。キミは気に食わない」
マーはなんとかカツヲを振りほどいて、再びギルに向かっていく。再び立ち技中心の格闘スタイルで猛攻をしかける。
だが、
「うごごああああ」
その背後から、カツヲが奇声をあげながらショルダータックルをかます。モロに喰らうと、一瞬勢いが止まる。その隙にギルは再び手刀をお見舞いする。マーの太腿が切り裂かれる。見事な連携プレイだ。
しかしマーはそれでも止まらない。自身の怪我をものともせず、脇目も振らず、ギルに猛攻を加え続ける。時折入るカツヲの妨害程度では、優位は崩れない。その迫力はまさに鬼神そのものだ。
「すごい」
「これがマーか」
俺とビーは思わず感嘆する。シャークスマイルの創設者にして、秘密兵器。ちょっとやそっとの搦手が通用するチーターではない。
一瞬ヒヤリとしたが、どうやら、マーの勝ちに変わりなさそうだ。
「やりますねえ。噂通り、私より遥かに高い実力をお持ちのようだ。この程度のハンデではひっくり返りませんか。ではこちらも、全勢力を投入するとしましょう」
ギルが歯を剥いて笑う。すると、俺たちの背後のドアから、先ほどのびていた親衛隊の面々が現れる。深刻なダメージを負っているはずなのに、操られている間はキビキビ動く。そのことによる身体への負担など一顧だにしない。しないというより、できない。折れた骨を酷使しながら全力疾走してくる様は、控えめにいって悪夢だ。
「おや、隊長のコウメさんはダメージが重すぎて、ここまでたどり着くこともできませんでしたか。残念ですね」
自身の親衛隊隊長に対し、冷淡なセリフを吐く。親衛隊といえども、奴にとっては捨て駒の一つに過ぎないのだろう。
「だから、それが間違っているんだ」とマー。
「何がです?」
「何が傀儡子だ、笑わせるな。キミのやっていることは、人形遣いと真逆だ。キミはまるで、人間を人形のように操る。人形を人間のように操るのが人形遣いなのに」
このセリフは最初にマーとスタジオで会ったときも言っていた。どうやらこれこそが、マーがギルを敵視する要因なのだろう。
マーのボサボサ頭から、普段隠れている瞳がのぞく。真っ黒に輝いていた。真っ白な瞳を持つギルとは対照的だが、どこかしらマーにふさわしいと感じてしまった。
「なるほど、一理あるかもしれません。私は別に、傀儡子を自称したことはありませんがね。周囲からそう呼ばれるようになっただけでして。それにしても、マーさん。あなた、講釈を垂れている場合ですか」
マーから怒りをぶつけられようが、ギルは意に介さない。舞台上にはカツヲを始め、親衛隊のチーターが大勢でマーを囲んでいる。一対多、それも相手はチーター揃い。さしものマーもこの状況は厳しいか。
「傀儡にできるという点では、一般人にもチーターにも変わりありません。しかしこのチートは、対象者がチーターのときにこそ真価を発揮します。チーターの持つ、常人離れした身体能力を引き出すことができるからです。その潜在能力とともに」
ギルがゆっくりと片手をあげる。まるでタクトを振るように、それを下ろした途端、一斉に親衛隊が襲い掛かる。マーは跳び上がってそれを躱すが、ギルをその隙を見逃さず、両腕を交差させたまま飛び掛かる。
「さあマーさん。年貢の納めどきですよ。武蔵最強の座がようやく移る、あなたから私へ」
激突し、マーは真正面からギルの攻撃を受ける。ギルの組み合わされた両腕は衝突とともに解き放たれて、まるで鋭利な刃物のような手刀になり、マーの身体を切り刻む。さらに鮮血が飛び散る。
誰の目にも明らかなほど、戦局は逆転した。マーは次から次へとやってくる親衛隊の攻撃を捌くので手一杯で、ギルの攻撃を防ぐことができない。多くの親衛隊とギルの連撃を前に、マーは反撃の機会がまったくない。防戦一方だ。
自身の勝利を確信したのか、ギルは満面の笑みを浮かべて糸目を開いた。真っ白な瞳。何度見ても底冷えするような不気味さを備えている。
「マー! 負けるな!」
ビーが声を荒げるが、どうにもならない。多くのチーターとギルとの連携に、マーの体力はじわじわと削り取られていく。
ギルの主な攻撃手段は手刀。親衛隊がぶつかって動きを止めた瞬間を狙い、マーの全身を切り刻む。ひどい出血だ。何度も繰り返されるうちに、失血によるのか、マーの動きも鈍くなっていく。さらに天秤が傾いて、一方的な展開になっていく。
こちらからマーの表情をうかがい知ることはできない。ボサボサの髪で顔が隠れているからだ。生気を失いつつあるのか、マーは一言も発さなくなった。
何度かの交錯の後、弱り切ったマーの身体は親衛隊に羽交い絞めにされる。完全に押さえつけられ、身動きがとれなくなる。
「マー……」
見ていられない。衰弱しきったマーは、もはや親衛隊を払いのけるだけの力がない。勝利を確信したギルは、マーの首筋に断罪の手刀を向ける。そして、にんまりと笑うと、一思いに掻き切った。
「――っ!」
無残にも、マーの首がごろんとステージに転がった。
そんな音がした。
思わず目を瞑ってしまい、音しか聞こえない。
終わりだ。
マーの負けだ。
俺たちもまた、負けたのだ。
俺たちのせいだ。
不甲斐ない。満身創痍とはいえ、助太刀に入ることさえできないなんて。
怪我は言い訳にならない。実力も足りていなかったのだから。あの舞台に無傷の俺がいたところで、はたして戦局を変えられただろうか。
やり場のない怒りが湧く。俺のせいだ。俺が弱いばっかりに、マーに一対多の不利な状況を与えてしまった。だから負けたのだ。そもそも親衛隊を食い止めるのは俺たちの役目だったはずなのに。
それができなかったからマーが負けたのだ。悪いのは、全部……。
「……」
俺も、ビーも、レアも。一様に顔をしかめ、伏せている。ステージを直視できない。
「ふはははっふははははははは」
ギルが高笑いする。
「ようやくですよ、ようやく」
舞台上、ギルは芝居がかった口調で、会場全体に聞こえるような大声を張り上げる。
「やりました! かつての武蔵最強、シャークスマイルの秘密兵器でもあるマーを倒しました! これで残る難敵はシャークスマイルのリーダー、イージのみです。奴さえ倒せば、武蔵は私のものです。確かにマーは無類の身体能力を誇りましたが、しかしこれといったチートがないのが敗因です。膂力でいえば少々劣りましたが、自分のチートを活かして、見事に奴を撃退してのけましたよ。さあ今回の抗争もようやく終着点が見えてきました。シャークスマイルも思ったより善戦しましたが、所詮は弱小クラン。我らクサビの敵ではなかった!」
気色の悪い説明口調でギルが勝利宣言をする。俺らに向けてではなく、自身に言い聞かせているかのような印象を受ける。
内容に関しては、悔しいがその通りだ。
身体能力だけならマーはギルを上回っていたが、ギルは自身のチートにより傀儡を多く呼び寄せることで、その劣勢を覆した。それは入念な仕込みによるものだ。今思えば、クサビの親衛隊そのものが、ギルの護衛ではなく強化のために用意されていた節もある。
作戦にしたってそうだ。今回の襲撃自体、奴等がマーをおびき寄せるためのもので、術中にはまってしまっていたといっても過言ではない。
悔しいが、完敗だ。
俺が苦虫を噛み潰していると、脇腹をつつかれる。
「ねえ、ジロー」
「どうしたビー」
「あれ、変じゃない?」
「何が?」
ビーがステージ上を指さす。その先には、先ほどのギルにより斬られたマーの首が転がってい――
――ない。
「は?」
転がっている、はずだが、しかしそこには木偶人形の首があるばかり。木を削ってつくられた造り物の首がコロコロ転がっている。
いったいどうなっているんだ。マーの首はどこへ。
「な、何だこれは! ちょ、ちょっと待ってください! 今あなたたちが押さえつけている胴体は、マーじゃない!」
時同じくして、ギルも異変に気づいたらしい。慌てた様子で、ギルが親衛隊を咎める。
「あなたたちが押さえている身体、それはただの人形だ!」
先ほど確かに親衛隊が羽交い絞めにしていた身体。その身体さえ、ただの木製の人形に変わってしまっている。狐に化かされたかのようだ。
いったいマーはどこへ行ってしまったんだ。
「ど、どういうこと?」
「さっぱり」
「……」
俺も、ビーも、レアも。いったい何が起きているのかわからず、ただただ困惑する。しかしステージ上、マーと実際に対峙していたギルは、輪をかけてパニックに陥っている。やっとの思いで難敵を倒したと思って勝利宣言をした直後、それがただの人形だと判明したのだ。これまで戦っていたのは幻だったとでも?
時間にして一分ほどだろうか、舞台上でギルが錯乱を続けた。ギルは木偶人形に声をかけてみたり、攻撃を仕掛けてみたりしたが、人形はただの人形。どんな反応も返ってこない。本当に自分が勝ったのか、不安になって取り乱している。
そして。
「やあ、ただいま」
その混乱に拍車をかける一言が、ステージ後方から。
袖口から、さきほど確かに首が飛んだはずのマーがピンピンとした様子で現れた。その出で立ちはさっきと変わらず、ヨレヨレのシャツとジーンズに身を包んでいるが、特に血のりはついていない。
「「マー!」」
「貴様!」
俺とビーが歓声を、ギルが罵声を浴びせる。
「おまたせしました。じゃあ早速、第二ラウンドを始めようか」
「どういうことだ。確かにさっき首を撥ね飛ばしたはずだ」
ギルが平静を失って問い詰める。マーは淡々と答える。
「慌てないで。そもそも、話が途中だったでしょう。僕は言ったはずだ。キミのやっていることは人形遣いと真逆だって」
「それがどうした」
「キミは人間を人形のように操るが、それを傀儡子と呼ぶのは間違いだ。真の傀儡子は、人形を人間のように操る。そう言ったはずだ」
「だからそれが――」
「仮にそれが、自身であっても、ね」
あ、そういうことか!
いやいや、しかし。そんなこと……ありうるのか?
俺の推測が正しければ、マーのチートは傀儡子。ギルのような紛い物ではなく、本物の。すなわち、人形に命を吹き込む力。人形。ああ、そういえば、
「――だからあれが積んであったのか」
ようやく合点がいった。あのバンに積み込まれた木偶は、マーが命を吹き込むための人形だったのだ。でも、だとすると。舞台上のあの男は木偶なのか、人なのかどっちだ。いやそもそも……。マーとはいったい誰なんだ。
「僕は傀儡子だ。正真正銘の。キミとは違う」
マーが言い放つ。
信じがたいが、そういうことなんだろう。おそらくマー自身が、そういう存在だということだ。つまり俺たちがこれまでマーだと思っていた人物も、今目の前にいて俺たちがマーだと思っている人物も、マーが操っている木偶人形なのだ。
じゃあ、だとすると。本物のマーとは、いったい……。
本体はいるのか、それともいないのか。
真実に気づくと同時に、深い困惑に襲われる。イージは俺たちに、マーは最強だと言い切った。ようやく合点がいった。マーはいわゆるワイルドカードだ。存在そのものが異様で、底が知れない。
「ふざけるな! 何度来ても同じだ。何度だって同じように首を撥ねてやる!」
激昂したギルが、親衛隊を操って再びマーを押さえこむ。その動きは読んでいたとばかりに、マーは親衛隊のタックルをかいくぐり、ギルに渾身のパンチを喰らわせる。ギルは両腕でガードしたものの、何度もステージ上をバウンドして、壁に叩きつけられる。ガードの上からの殴打とはいえ、相当なダメージを受けたはずだ。
しかしギルはすぐに起き上がり、マーから距離をとる。小柄なだけだって、ギルは本当に俊敏だ。
「終わりだ、ギル!」
しかしマーもその隙を逃さず、追撃を加える。
傀儡と化した親衛隊たちには目もくれず、ただギルのみに攻撃を集中させる。しかし親衛隊はマーの身体に縋り付き、マーの行動を阻害する。
「ははっはははは」
ギルは白く輝く瞳を剥き出しにして、乾いた笑い声をあげる。ひたすら逃げ回り、マーの攻撃回避に専念する。何発かの攻撃をもらい、全身に傷を増やしていく。
だが、それでもギルと親衛隊のコンビネーションは強力だ。親衛隊が一人二人とマーの身体にしがみつくことに成功すると、途端にマーの動きが鈍くなり、ついには押さえこむことに成功する。ラグビーでよくみる光景だ。マーの身体に親衛隊が幾重にも重なって、のしかかるような形で動きを食い止めている。
「ははっ、いいザマだ。この私が、執政官の一人、チーターランク一位のギルが、そうやすやすとやられてたまるか」
ギルは引きつった笑顔を浮かべながら、抑え込まれたマーににじりよる。マーの表情は前髪で隠れていて判然としない。
ゆっくりと、マーの首筋に手刀を振り下ろす。再び、マーの首がステージに転がった。
しかし、今回は俺も目を逸らすことはしない。読み通りだ。その直後、その首がただの木偶人形に変わるのをしっかりと見届けることができた。
「くそ! やはりか!」
再びマーの身体がただの木偶人形に変わったのをみて、ギルがたたらを踏む。心中お察しする。奴は今、攻略不可能な難敵と戦っているのだ。何度首をはねてもただの人形と化してしまうのなら、倒すことなど不可能だ。ギルは今、勝ち方がわからない相手と戦っている。
「これがマー……本当の」
ビーがぽつりとつぶやいた。気持ちはわかる。ビーも一度、マーとステーキハウスの駐車場で手合わせしたことがある。あのときもマーは圧倒的な強さだった。
しかし、あのときのマーは、マーではなかった。ただの木偶人形に過ぎなかったのだ。
本体は決して晒さず、あるのかないのかさえ分からない。すべて木偶人形に自身の身代わりをさせる。その身代わりさえ、最強クラスの身体能力を誇る。
それが武蔵最強のマー。イージも認める最強のチーターで、シャークスマイルの創設者だ。
およそ一分後、予想通り。ステージ上に新たなマーが現れる。
「お待たせ。三度目の正直っていうよね。そろそろ勝てそうかな」
飄々と、軽々しく言い放つ。
「うわああああ」
恐慌状態に陥り、ギルがステージから一目散に逃げようとする。マーはそれを逃さず、追いかける。
心理状態が影響したのか、今度は一転、マーにとって一方的な展開になった。
逃げ惑うギルを、マーが追いかけまわしてひたすら打撃を食らわせる。親衛隊たちは有益な命令が下されないのか、マーを押さえこむこともせず、ステージ上でうなだれているだけ。
「逃がさない。キミは多くの人間を傷つけた。チーターの抗争と無関係な多くの一般客を巻き込んだんだ。そのやり方は、少なく見積もっても――万死に値する」
「ああああああ」
マーは何度もギルの身体に拳をめり込ませる。全身くまなくボコボコにする。
単純な構図だ。マーがギルを追い、掴まえて、殴る。ギルは必死に逃げ惑うが、追いつかれ、殴られる。逃げる。追う。殴る。追われる。逃げる。殴られる。いかに異次元の身体能力を有していようが、構図としては小学生のケンカと何一つ変わらない。
そして、結果も。
誰の目にも明らかだ。もはやギルたちになすすべはない。
「ねえジロー、ようやく理解したよ。イージが最強って言ったのはこういうことか」
「……うん」
俺とビーが深く納得する。イージの表現には嘘偽りも誇張もなかった。疑いなく、マーは最強だ。あれに勝つ方法が思い浮かばない。
やがて、ギルにも限界が来たのか、一切の動きがプツリと止まった。同時に、操られていた親衛隊の傀儡たちもその場に崩れ落ちた。
舞台上、立っているのはたった一人。
決着だ。
「終わった。僕たちの勝ちだ」
マーはステージ上で、高らかにそう宣言した。
2023年のGWより投稿開始。GWは毎日、その後は週一ペースでの投稿予定。
まともな長編小説は初投稿です。ブックマーク、評価★や感想などいただけると幸いです。