僕は、スイーツと謎に目がないんです。
ランチにしてはちょっと遅い時間に予約した。
「こんなおしゃれ〜な店で食べるの?」
「美味しいデザートがあるんだよ。この時期しかなくてね」
裕はパティシエのたまご。
彼に先行投資するのは、自己満足かもしれない。
けれど、彼の舌にはそれだけの価値がある。
いずれウチの店に立つ者になって欲しいし。
食べて欲しいのではなく、いつでも食べられるように作って欲しいのだけれど。
店構えは、確かに立派だ。
カフェと言うには閉鎖感がある。
料亭と言うには入りやすい。
ささやかな暖簾が、食事処と示しているくらい。
そんな目立った看板もない店から、にぎやかな声が聞こえた。
「いいってばっ」
「なによ。挨拶くらいさせなさい」
「ホントにいいから! 早くご飯の用意して」
邪魔じゃないかと逡巡したが、時間が来ていたので引き戸を開けた。
玄関が細く、奥に広くなっている構造。
「いらっしゃいませ。紫堂様」
「やあ、女将。春に釣られてまた来たよ」
花瓶に生けてある花々は、パステルの装い。
桜の枝もある。
「ケーキに釣られてでしょう? お気に召してたようですから。今日は、あのケーキの桜の塩漬けを作っている人たちもいらっしゃるんです。喜びますわ。さぁ、お席にどうぞ」
テーブル席のひとつには、若い女性と上司らしき男性が座っている。
「サクラはウタったか?」
「いえ。もう少し時間がかかりそうです」
「そうか。美味い飯を味わう時間があるな」
女将と話していたのは彼女か。
もうひとつには、会社員、いや、彼らが桜の塩漬けを作っている職人。
若い男性が2人。
「久しぶりに豪華な食事にありつけたな」
「ですね。忙しいシーズンですけど、ありがたいです」
なかなか儲かっているようだ。
案内された席は特等席と言ってもいい。
中庭の大きな桜が満開で迎えてくれた。
「ん? 桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿、だ」
お茶を運んできた女将に問う。
「庭に出てもいいだろうか?」
許可は得たが、なるべく桜の根元からは離れて立つ。
土を固めるわけにはいかないからだ。
それでも、桜の枝は十分に降り注いだ。
その枝に手を伸ばす。
枝が折れている。
手で折ったような跡。まだ瑞々しい。
壁を背に、なにやら片付けをしていた女性がその場にいた。
画用紙には淡い桜の木が描かれている。
写生をしていたようだ。
視野には入っていたが、気にしていなかった。
が、彼女が手がかりとなる。
「綺麗な絵ですね」
声をかけると、恥ずかしそうに笑った。
「ありがとうございます。まだ、途中なんです。私、時間かかっちゃって。あ、でも、脳内再生されるのでちゃんと色は重ねます」
「貴女が桜と向き合っていたとき、この枝は折れていましたか?」
「いえ。見ていましたがそんなことはなかったと……」
「では、見ていない時はありましたか?」
「少し前に、友人がそろそろ食事だよって言いにきてくれてから、水を捨てにあちらの奥の水場へ」
ふむ、と職人2人に目を向ける。
「呼びに来たのは、Aですか? Bですか?」
「え、A、B?」
「ああ、すみません。青いシャツの方をA。白いシャツの方をBで」
「あ、えーっと、Bです」
「じゃあ、その間はBがここに1人だったんですね」
「あ、いいえ。一緒に水場へ行きましたから、ここにはいなかったです」
となると。
「建人〜。ご飯来たよ〜」
裕が声をかけてきたので、春の味覚を楽しむことにする。
みんな美味しいものは、楽しく食べたいだろう。
御膳には、メバルの煮付け、フキと竹輪の甘辛煮、ワカメとシラスを使った酢の物。春キャベツと新玉ねぎの味噌汁。そして、筍ごはん。
桜と抹茶のケーキ。
楽しみにしていたデザートだが、出てきたところで話を切り出す。
「僕は、スイーツと謎に目がないんです」
当たり前だが、唐突に立って話し出す男に向けられた目は冷たい。
「さて、花盗人とは風流ですが、いかがなものかと思います」
全員が桜に目を向ける。
「客は3組。うち、チャンスがあったのは1組。絵を描いていた彼女とその友人たち。友人の1人は、彼女と一緒に水場へ行っている。残るは」
今度は、全員が職人のテーブルに目を向けた。
「真っ直ぐな眼差しで見ている桜を、同じように見ていたいという想い。たしか、天皇を想って左近の桜を折った皇后の和歌は、有名な一節でしたね」
静まりかえっている店内。
息を止めているかのような一画。
「女将が知っていることは間違いないですね。花瓶に挿してある桜の枝。生けているのは女将でしょうし、あれは庭の桜ですね」
女将は困り顔。
彼女を困らせるための謎解きではないが。
「女将は娘さんが来ることを知っていた。娘さんは刑事ですから、隠したかったのでしょう。器物破損に窃盗。そういう罪を負わせないように」
慕っている男性は、項垂れているようだ。
反省しているといい。
娘であり刑事の女性が手をあげた。
「はい。質問をいくつかいいですか?」
「どうぞ」
「私がここの娘だと何故わかったのでしょうか?」
「女将と戯れているのを聞いただけです」
「私が警察だとわかったのは?」
「上司の方と話していた内容ですよ。『サクラはウタったか』警察の隠語ですよね。サクラは雇われ人で、ウタったは自供ですよね」
「では、被害者の母が隠したのに、彼女に恋をしている彼が犯人だと指摘する必要性は?」
「告白を手伝った覚えはありませんが」
微妙な顔をする女性に上司が指摘する。
「彼は、誰が誰を好きかなんてひと言も言ってないぞ」
「……あ」
全員が微妙な顔をしている。
そして男性は、さっきよりも目が泳いでいる。
「あー、だいたいわかった。女将さん、桜のケーキすっごい美味しかったです。ただ、抹茶部分がもう少し薄いほうが良いかもしれません」
壊したのか救ったのか。
裕を中心に、春の空気が流れ出した。