この文学少女はイカれてる
『コンペ用』
雨が降っていた。ぽつぽつと中途半端な冷たさの水滴が頬を濡らし、服にシミを作っていく。
「はぁ、はぁ……っ」
荒い呼吸音と、胸をまさぐられる感触が嫌悪感となって脳に届く。しかし、ピクリとも表情筋を動かすことが出来ない。能面のような顔のまま、ただされるがままに服を脱がされていく。ねちょり、という音がした。視線を下げる。すると、その男は私の下腹をべろりと舐めていた。あぁ、まだショーツは脱がされてないんだ。そう人事のように胸中で呟きながら、視線を再び空に戻す。曇り空には薄っすらと光が差していた。通り雨だったのか、じきに止みそうだ。
「はははっ……全く抵抗しねぇなんてな。もしかして相当のビッチか?」
これまで本能の赴くまま狼藉を働いていた男が、笑いながらも怪訝そうにこちらに話しかけてきた。ただのお猿さんかと思ったら、ちゃんと言葉を話せるんだなぁ、なんて下らないことを思いながら、視線を合わせないままに言葉も返さなかった。所詮、これからされることは同じ。元々、今日は寝不足で喋るのも億劫なんだ。放っておいてくれないかな。
「はっ……妙な女だ」
男はそう言うと、再び私の身体に顔を埋めた。再開される愛撫は、先程よりも些か丁寧だ。こちらが抵抗しないことが判ったからか。
男の手がショーツにかかる。遂に最後の城壁が崩れるんだ、とまたも他人事のように思いながら、顔を横に倒した。
「――って、恋とか愛はどこいったぁぁぁぁぁぁっ!!」
ビリビリィ!と気持ちのいい音を立ててコピー用紙が引き千切られる。二秒と経たずにゴミになったそれは、私の机をはみ出して床にまで散乱した。
「あぁ、また面倒なことして……」
掃除するのは結局こっちになるんだから、もっと丁寧に破ってほしい。昼休みに掃除用具入れを開くのは気分的にあまり良いものじゃないんだぞ。
「毎回毎回、どうしてこう破っちゃうかねぇ」
私は机に乗った残骸を摘み上げ、嘆息するように呟いた。それを受けて、目の前で顔を赤くしてこちらを見下ろす少女が、身振り手振りを交え感情表現豊かに怒鳴り散らした。
「破かせるようなモン書く方が悪いのよクソッタレェ!何あれ。恋愛モノって言って渡したわよねアンタっ。完全に陵辱モノじゃないしかも何であんな無機質なの意味ワカンナイ!」
まさにアサルトライフルの如き言葉の雨によく舌の根が乾かないなとか意味不明なことを考えつつ、彼女――水橋の疑問に解答を示す。
「やぁー、そりゃ恋愛モノじゃないからねあれ。恋愛モノに挑んだ結果、突然降って湧いたっていうか」
「何処をどうすればそんな突然変異が起きるのよっ。ねぇ、アンタ文才はあるのに何でこう、ズレてるの?しかも〆切までもう二週間しかないんですけどっ!」
思いついたことをそのまま言ってるからか、繋がりの無い台詞がポンポン出てくる水橋氏。元気だなぁ。と思うと同時に、〆切という単語を聞いて、あぁ、そういえばそんなのもあったなぁと視線を上に向ける。と、それを迎え撃つかのように上からずぃっと顔を近づけられた。
「無・視・す・る・なっ」
額をゴチッとぶつけられて、触れたところが熱を持ち始める。アグレッシブだなぁ。この子本当に女の子なんだろうか。男の娘という線も、今時捨て切れないが……。
「えいっ」
というわけで、脈絡は無いがその唇に向かってクィッと顎を突き出してみた。自然、近付いていた顔同士が密着しそうになる。あわやキスするまで一センチ……というところでバチンッと顔面を挟み込まれた。ギリギリと音がしそうな力の入れようで顔面がプレスされる。これでもうら若き乙女の顔だぞ。何をする。
「痛いじゃない。やめてよねっ☆」
「ふざけたことしようとしたアンタが悪いんでしょうが!」
さっきもそうだけど、私のこと悪く言いすぎだと思うのだけれど。こっちは毎日真剣に(ふざけて)生きてるってのに。突き放すように開放された両頬をさすりながら、で、と会話を繋ぐ。
「私はともかく、そっちはどうなのさ。短編三つと表紙イラスト。間に合うの?」
ようやく落ち着いた水橋にそう訊ねる。一応、今回のコンペに出ようと言ったのは私なのだ。進捗は確認しとかねばね。今初めて聞くけど。
「フンッ。表紙も裏表紙もどっちも出来たわよ。短編はまだ一個残ってるけど、アンタは短編八つに掌編二つ、丸々残ってんでしょ?自分の心配しなさい自分の」
「君がボツにしたもの含めれば、とっくに私の分は終わってる筈なんだけど」
「日常書けっつったのに詐欺師が出てきたり、スポ根書けっつったのに部内いじめ書いたりするアンタが悪いんでしょうがっ」
「ねぇねぇ。さっきから同じ台詞使いまわしてるけど頭大丈夫?」
「少なくともアンタよりはマシよ!」
心外だな。これでも私は世界で一番まともな人間だと自負しているのに。異常な人間ばっかで私疲れちゃう。
「ハァ……。とにかく、今回はアンタが言い出したことなんだからね。ちゃんと責任持って完成させなさい」
「はいはいわぁりゃした」
私の適当な返事には反応せず、水橋は疲れた様子で自分の席に戻った。四限が終わって早々こちらに来て原稿をチェックしに来たから、まだ昼食は片付いていないのだろう。午後の授業に間に合うのだろうか。
さて。私も弁当を片付けるとするか。県内コンペのことは後で考えよう。なぁに、まだ二週間もあるんだ。余裕余裕♪
***
と、思っていたときが私にもありました。
「やばいやばいやびゃいやばいやびゃいやばいやびゃい」
私は頭を引っ掻きながら猛然とテキストを打ち続けていた。結局書いても書いてもテーマから逸れていった私の短編達は悉くボツをくらい、〆切まであと三日という今日まで、全く作業は進んでいなかった。結果、水橋大先生による部長命令が発動。「テンプレ展開を切って貼ってとにかく普通に書け」との指示の元、私はいくつか書いたプロットを全改訂されて今に至る。既に〆切まで時間が無い今、オリジナリティーだとかそんな反論は物理的圧力によって踏み潰された。今や展開と展開を繋ぐ――プロット自体に繋ぎ部分を書き加えていくという禁断の手抜き手法によって作業を効率化させている。この方法はまぁ楽ではあるのだが、とにかくダルイ。何せ、面白いところは既に書かれており、その合間――大して重要ではないけど無いと小説としての体裁が保てなくなる地味に重要な部分を埋めるだけという、精神的に割に合わない作業を繰り返すことになるからである。
「今日中にそれと、さっきチェックした二つ。終わらせるまで帰らせないから」
そこでこの無常な宣告である。気が立った状態でそんなこと言われると、思わず文句が口から垂れ流される。
「私のカンヅメとか一体誰が食べてくれんだこのクソッタレィ!」
「黙って書けや!」
「だから書いてんだろうがクソビッチ!」
「あァン!?」
文芸部の部室である図書準備室に軟禁状態となった私は、焦りとストレスからキャラ崩壊を起こしていた。というか、ここ三日は水橋氏としか会話してないため口調がうつったというか。まぁ、そんなことは瑣末なこと。大切なのは、この文芸誌が完成するかどうか。
***
「終わったぁーー!」
水橋と私は、諸手を挙げて晴れやかな笑顔を浮かべた。デスクトップ上では、作品を受け付けた旨を知らせるメールが開かれていた。〆切はつい五分前に過ぎ去ったものの、送信完了は時間内だったために受け付けてくれたらしい。返信を待つ間の絶望一歩手前の気分は、寿命を十年は減らしたと思う。
「ハァ……。こうして終わっちゃうと、もうどうでもよくなってくるわね……」
「そうだねぇ……」
納得できる出来ではなかったが、それでも達成感はあった。まぁ、おそらく酷評されるのだろうが、その時は二人で泣けばいい。
部室で二人。背中を預け合いながら天井を見上げる。そこには蛍光灯しかなかった。
「そういえば、訊いてなかったわよね。今回のコンペ、どうして出るって言い出したのか」
ふと、背中からそんな声が聞こえて、私はふんむと視線を下げた。
「そんなにご立派な理由じゃあないんだけどねぇ。というか、今更気になったの?」
「あえて訊かなかったのよ。答えによってはアタシ、協力しなかったし」
なんだかこの女もよくわからない人物だ。だったら最初から協力しなければ良いのに。そう思ったが、彼女自身も『書くこと』が好きなのだということは知っていたので、出かけた言葉を飲み込んで、再び口を開いた。
「何かのために書いてみたかったんだ。ただ自由に書くんじゃなくて、縛りつけられた状態で」
「……なにそれ。どこのマゾヒスト?」
てんで見当違いな言葉に苦笑しつつ、台詞を継ぐ。
「結局、私にはそんな大人なこと、出来なかったけれどね。好き放題、脳が垂れ流すままを文字に乗せるだけしか、私には無理なんだ」
テーマに沿って書き出していっても、いつの間にか逸れてしまう。プロットの間を埋めるのでさえ、気付けば整合性が取れなくなっている。普通に書けない。普通が書けない。それが私には、どうにも受け入れ難いものだった。
ふと、背中の重みが増していることに気付く。ゆっくり振り返ると、そこには目を閉じ、安らかな寝息を立てる少女の顔があった。三日間丸々徹夜だったからねぇ。流石にもう限界か。
私は起こさないように態勢を変えると、自分の太股に彼女の頭をそっと乗せた。柔らかな髪が、布越しに肌を擽る。
時間がゆっくりと過ぎていた。
「すまんねぇ……」
なんだかんだと自分の我儘に付き合ってくれる、この唯一と言っていい親友の髪を撫でる。こうしていると、妹のように――
「…………」
視線が、その白い肌に吸い寄せられる。無防備に曝け出された喉元。
手を伸ばし、触れてみる。やや擽ったそうな仕草をするものの、起きる様子はない。
「はははっ……全く抵抗しねぇなんてな。もしかして相当のビッチか?」
ゆっくり、力を籠める。まだ苦しさは感じないだろう。でももっと力を籠めれば……。
「ゔっ」
小さな呻き。
私は手を放し、彼女を膝から降ろした。このまま触れていたら……多分、もう戻れない。
「罪な子ですよ。あなたは」
胸に灯っていた仄暗い欲望を、皺も気にせず握り潰す。
明日もまた、平和な日常を過ごすために。