九話.死闘、演じる
ナナヲと獣の睨み合い。先ほどまで獣を小馬鹿にした態度で怒りを買っていたナナヲも、今は俯瞰して状況を判断し、巨体の攻撃を冷静に処理する。
獣は吼え、突進を繰り返しては辺りに破壊を撒き散らす。
(どうしよう……こいつ、倒せるの?)
ナナヲもヒット&アウェイを繰り返し、短剣で斬りつけているものの、柔軟でいて堅いその体毛に阻まれて掠り傷ひとつつけることさえ叶わない。このままではじり貧だと理解した上で、逃げるという選択肢をとることはできない。獣の巨体を挟んでナナヲと反対側にカナタがいるのだ。ナナヲ一人でも逃げきれるか怪しいものだが、カナタを連れてはどちらか、あるいは二人ともがやられる。
何より──
(暗い。なたママは大丈夫なのかな)
只でさえ日光の侵入を拒み、吸血鬼が日中でも活動できるほど暗いこの森の中で、太陽が完全に沈んだのだ。普通は視界が闇で塗り潰され、歩くことすらままならない。ナナヲの場合は種族柄《暗視》スキルでなんとかなっているのだが、カナタにはそれがない。だから、カナタは《光魔法Lv1:光球》によって光源を確保している。これに関しては半分賭けだった。
闇の中の光は害を招く。蛾が街灯に惹かれるように、闇に潜む魔物も引き寄せてしまう。これを利用したのが夜の平原でのレベリングで、つまりそれが目的でないのなら厄介を呼び込むだけである。
例えば、ナナヲと獣の戦闘に邪魔が入ったり。例えば、闇の中で無防備なカナタをモンスターが襲ったり。
──幸いというべきか、周囲に魔物の陰はない。ここにいた魔物らは獣に反応して逃げ出したか、その巨体に踏みにじられたかのどちらか。
「シ──ッッ!」
「グルゥゥルゥゥッ!!」
獣が前肢を薙いだその瞬間を狙い、ナナヲの刃が駆ける。
──ザシュッ。
獣の皮膚が切られる。しかし、
「──アオォォォォォンッッ!!!」
獣の巨体を吹き荒れる飄風が包み込む。
吹き飛ばされはせずとも体勢が崩れる。ナナヲが攻めても獣が風を呼び起こし、ちゃんとした斬戟を食らわせる前にナナヲは離脱を余儀なくされる。一瞬でも判断に迷い、踏み込むかどうか躊躇すると身体ごと薙ぎ払われてしまうだろう。
与えたダメージは微々たるもので、これで獣の体力を削り切るには絶望的。──だが、それは反撃への一歩でもあった。
(……! 攻撃が通った!? 継ぎ接ぎ部分が弱点……?)
獣の身体中を走る縫い跡、そこへの一撃は僅かだが確かにダメージを与えた。その証拠に巨体を震わせて獣が悲鳴を上げる。あまりにも強すぎる獣に攻撃を仕掛けることができる者はそういない。いたとして、堅固な毛皮に守られた身体に傷を刻み込むのは至難の業。生まれて初めての痛みだった。
荒れ狂う巨体から離れ、ナナヲは次に隙ができるのを待つ。例え何時間かかろうと、この獣をここで倒す考えだ。
◇
「ナナヲさーん!」
カナタの声に、妖精へのいたずらをしていたナナヲは顔を上げた。
『数十分ぶりだな、アスセナ』
『助かりました~、先輩~』
カナタの肩に座る妖精、ナビィへと向かうアスセナ。暇潰しのいたずらであったため、ナナヲもわざわざ捕まえることをせず、ゆっくりと切り株から立ち上がった。
「なたママ、おかえ……」
『カナタさん──!』
遥か彼方から急接近する気配と揺れる大地に、ナナヲが臨戦体勢に入る。
カナタとナナヲの距離は約十メートル。接近してくる“なにか”はカナタの右手やや後方から横に走るように突っ込んで来ている。イメージとしては信号を無視して横断歩道を走り抜けるトラックだろうか。“なにか”と接触する前にカナタがぎりぎり横断歩道を渡り終えそうで、ナナヲは一瞬気を抜いた。抜いてしまった。
──ドォッッ!!!
目で終えない“なにか”がカナタの背後を掠める瞬間、風が渦を巻き、木々が弾け飛ぶ。小柄なカナタの身体が宙を舞う──。
◇
「く、……ッッ!」
走る爪と駆ける刃が宵闇に白い軌跡を残す。
突進にはどうしても溜めが必要で、初速も決して速くはない。数度の突進で倒れぬナナヲに、バカみたいに突進を続けるのは無駄だと判断するのは合理的な結論だ。そう思考する脳があるのか、はたまた本能か。獣の選択は立ち止まっての応戦。
これはナナヲにとって嬉しい選択だった。突進を繰り返されるといつかはカナタに被害が行くかもしれないし、カナタとの距離が離れるかもしれない。カナタとほどほどの距離を保ち、獣と相対している状況は願ったり叶ったり。ナナヲは感覚を研ぎ澄まし、途切れぬ集中で着実に傷を与えていく。
(今──ッ!)
受け流すことに重きを置いた両手の短剣。振り降ろされた獣の前肢を受け流し──その、這うように腕を覆う継ぎ接ぎ部分へと刃を突き立てる。
溢れ出る血がナナヲと獣を染める。
──凡そ、小半時。ナナヲと獣は戦い続けていた。
獣から離れ、短剣に付着した血液を拭う。ナナヲの短剣は初心者装備と呼ばれるもので、攻撃力は皆無だが、耐久は∞。壊れることはないが、手入れを怠ると錆びることはある。これに関しては、鬼ごっこの鬼を率いていたリーダー、巨乳なリルカさんに教わった。
カナタから預かっているものと自分のもの。二つの短剣を手に、ナナヲは舞う。
「ナナヲさん!」
パリンッ、と短剣の柄で投てきされた瓶の口を割る。回復薬だ。
零れる液体を飲み干すとナナヲのHPバーが黄色から緑へと戻る。二分の一以上のときに緑、以下のときは黄色、八分の一以下は赤色として示されている。
獣が狂ったように吼える。風が駆け始めたナナヲの身体を押し戻す。今までは接近したときにしか風は吹かなかった。完全に不意を突かれた。接近しなければ大丈夫と思い込んでいた。
ナナヲと獣の距離は離れている。しかし、獣の巨体からすればほんの数歩。
(しまっ──)
ナナヲの脳裏に死が浮かぶ。視界の端にカナタの姿が移った。せっせとHP回復薬をかばんから取り出している。先ほど投てきされた血液入り回復薬の瓶もカナタのものだ。
支援魔法をナナヲに掛け、ナナヲのHPが減ってきたら自分の血液を回復薬(空)の瓶に入れたものを投げて、自分はMPの回復薬を飲む。カナタが妖精を通して伝えてきた作戦だ。
しかしこの方法では数本作れば《失血》になる。なるべくHPを削られずに、できるだけ短時間で獣を倒さなければいけない。
カナタが顔を上げた。目が合う。最後にカナタの顔を見れて良かった。
ごめん。
そう口を動かそうとして、ナナヲは気づく。それは違和感。なぜここまで思考する時間がある?
(なんで?)
獣は動いていない。風を纏い、ただナナヲを睨むだけ。憎悪を宿したその瞳がギラギラと輝く。
(なんでか知らないけど、助かった)
崩れた体勢を直し、重心を低くして風をやり過ごす。
終わったと思ったが、まだまだやれることはある。足掻いて足掻いて、足掻き抜いて、勝利を最後まで狙う。
ナナヲは深呼吸して、覚悟を確かにする。
初めはカナタを傷つけたことへの怒りだった。そんな自分勝手な理由で戦い続ける自分を、支えてくれるカナタに、その努力に報いたかった。
だから──
(ぎりぎりまで粘ってやる。というか、勝つっ!)