日常の「気になる」
これは2019年に感じたこと。
仕事をしているときは手元に紙とペンがあり、仕事の話だから聞き漏れや業務に悪影響が及ばないように、質問・疑問等をメモして質疑応答の時間や相手が話し終わったタイミングを狙って解決することが可能である。
しかし、日常の他愛もない話や世間話の中で、例えば芸能人の噂話や昨日見たテレビドラマの話をしている途中で、その事について自分の意見を述べる際、会話のネタが枝分かれしていって、意外と簡単に真剣な話になりがちである。
そういう場合、手元には紙とペンがある確率は仕事中に比べると圧倒的に低いと思う。あくまで、そう思うのは、私自身が日常的にスケジュール手帳やノート等を持ち歩かないタイプなので、私の体験上での確率の問題である。
実際、私の母は出かける際には必ずスケジュール手帳とペンを持っているから、そういう人には共感し難いことだろう。
話が逸れてしまったが、世間話の中で真剣な話をする際に、仕事と違って「必ず質問する必要がある」「できればこの意見について、もう少し深く話を聞きたい」と思うことはそう多くないと思う。
あったとしても「別に今日のこのタイミングでなくても良いし、解決していなくても日常生活に悪影響が及ぶわけではない」といったことがほとんどだろう。
でも、そういう風に一度気になったこと・聞きたいと思ったことは自分が導き出した意見や指摘
批評であり、自発的かつ積極的な行為にカウントされるものであると考えている。
ゆえに別のタイミングで無意識のうちに同じ「気になる」が生まれ、へたすれば永遠に解決しない無限ループに陥るのである。
その「気になる」は自分が思っているよりも永久的なものであり、それを解決できるのは、その「気になる」に対して納得いく答えが出たときのみだと私は考えている。