第三話:目覚めの時③/ヴァルタイスト地下迷宮
──ふたりの少女は迷宮に足を踏み入れる。迷宮の入口はまだ外からの日差しを受け入れており、日の当たらない奥の方は少女たちの目からは良く観えない状態だった。
スティアとフィナンシェは既に迷宮に足を踏み込んでいる。いま彼女たちの足で踏みしめている場所はもう死地の真っ只中だ。
未知の体験に胸踊らせながら突入した二人も、差し込む日差しの向こう側──餌を捕食する巨大な怪物の開かれた口の様に、どこまでも吸い込まれそうに続いている不気味な暗闇に漸く此処が『危険な場所なんだ』と言う実感を感じて、徐に立ち止まってしまう。
暗闇に足を踏み込むには“勇気”が少し足りない。スティアとフィナンシェは恐怖に怯える小動物みたいに、互いの手を取り合って暗闇を不安そうな表情で見つめていた。
「大丈夫──心配しなくていいよ。ここには俺たちがちゃんと居るからね」
そんなふたりの少女に欠けていた“ほんの一欠片の勇気”を与えたのは、続けて迷宮に足を踏み入れた『疾駆の轍』の面々だった。
優しく語り掛ける声に、スティアとフィナンシェは藁にもすがる思いで振り返る。そのふたりの少女の迷える子羊の様な不安げな表情に、ヴァラスは優しく笑顔をかけると──震えるふたりの肩にそっと手を添える。
逞しく力強い男性の手がふたりの身体の震えを、まるで吸い取ったかの様にピタリと止めてみせた。
──あぁ、この人たちといるなら自分たちは安心できる。
そんな安堵感がふたりの緊張を解きほぐし、鉛の様に重たかった足も何時しか軽やかになっていた。
「もう大丈夫かい? 歩けるかな?」
にこやかに少女たちを気遣う優しい声に、スティアとフィナンシェは──
「はい……もう大丈夫です。ありがとうございます」
──そう答える。
ただ一つだけ問題があるとするならば、それは優しくスティアとフィナンシェの肩に触れたヴァラスが──
(かぁ〜〜!! 若い娘の柔肌たまんねぇ〜〜!! はやく、ふたりの身体をたっっぷり弄んでヤりたいぜ!!)
──等と、下衆極まる、低俗で、下劣で、邪な事を考えている事である。
“接触”をつい許してしまった段階でヴァラス達の、スティアとフィナンシェへの毒牙が、ふたりの知らぬ間に首元に突き付けられたと言っても過言では無い。
事実──ヴァラス達の下心にスティアとフィナンシェはまだ気が付いていない。
次に、彼等がふたりの少女に“行動”を起こしたのなら──その時はスティアとフィナンシェが欲望に塗れた汚い大人の餌食になってしまうだろう。
迷宮を地下へと降りていき、徐々に徐々に空間が冷え切っていく。それと同時に──ドス黒い欲望は、涎を垂らしながら肥大化していく。
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しばらく──と言っても迷宮に足を踏み入れてから恐らく数分しか経ってないと思われる僅かな時間だったが、迷宮の中は日の光も届かない暗闇に包まれた空間となっており、オヴェラが携えていた“道具袋”から取り出した松明の灯りが無ければ一行は目の前の数センチメートルも視認できない状態であったであろう。
其処に広がっていたのは、長い廻廊のような石造りの通路だった。所々が崩れており、時には人がギリギリ通れる位の幅しか無いほど崩落した部分も見受けられた。
歩けども歩けども──迷宮の最奥には至らない。これ程の規模ならば、この崩落した何かの建造物は貴族の豪邸よりも遥かに巨大な規格の建造物──巨大な白亜の城以外考えられなかった。
「すごい……」
スティアの口から出た感想はたったそれだけ。崩落していても、既に過去の遺物となっていても、綺麗に積み重ねられた白い彫刻の様な石材は──かつて此処に、繁栄と栄華を極めた何かが建っていた事をスティアに肌で感じさせていた。
「はぇ~、すっごいね兄貴。これなら……」
「あぁ……! これだけの規模だ、ここが魔王カティスの迷宮だろうがなかろうが……相当な宝の匂いがするぜ……!!」
「全くだねぇ……。ここの情報をくれたウサギの司書さんには感謝しないとね……」
只々、この迷宮の内包する力強さに目を奪われるスティアとフィナンシェとは裏腹に、『疾駆の轍』の三人は増々欲望を掻き立てられていく。
しばらくすると、迷宮内が一気に冷え込んでいくる。スティアとフィナンシェはどちらも寒くない程度には服を着込んでいたが、それでも迷宮内の冷え切った──まるで死者を祀る霊廟の様な空気に思わず身震いを起こしてしまう。
「寒かったら上着を貸してあげるよ、スティアちゃん」
「あ、ありがとう……ございます……」
「喉乾いたろ? 水でも飲みなフィナンシェ」
「ありがとうございます、ラウッカさん」
ヴァラスとラウッカは、そんなスティアとフィナンシェの緊張感と警戒心を解す為にあの手この手でふたりを接待している。
「オイラも……あのー、おふたりさん? 良かったらオイラが買ってきたお菓子でも食べるかい」
自分も会話の環に入りたいのか、オヴェラは“道具袋”から砂糖菓子を取り出してふたりに差し出す。
「汚いから触らないで!!」(スパァン!!
「ごめんなさい……このローブお気に入りで……」
「なんで!? オイラ対してだけやたら辛辣過ぎるーー!!?」
スティアに腕を叩かれ、フィナンシェに露骨に距離を取られ、オヴェラは叫ぶ。
──そもそも、
((そりゃお前、小汚ぇデブがニヤニヤしながら菓子差し出してきたら誰でもそんな反応するっつーの))
──オヴェラ自身に問題が有るのだが。
「ところで──『疾駆の轍』は“調査クラン”って言ってましたけど、その調査って言うのは具体的には何をするの?」
寒さに慣れたのか、我慢したのか、或いは寒さに意識を割きたくないのか、スティアは思っていた疑問をヴァラスたちにぶつける。
迷宮なんだったら、冒険者らしくそのまま“探索”してしまえば良いのでは?
それがスティアの率直な意見である。
そもそも、『疾駆の轍』の正体は盗掘や強盗を生業としている「盗賊ギルド」の集団である。
──が、『盗み』なんて言う“犯罪行為”を行う“集団”なんてものを流石にギルドが容認する筈も無く──ヴァラスたち『疾駆の轍』も“調査ギルド”と言う『表の顔』はしっかり用意しており、調査と言う表の仕事は行いつつ、裏で盗みを働くのである。
つまり──
「そうさねぇ……アタシたちの仕事を簡単に言えば、その“迷宮”にどんな魔物が生息しているか? どんな鉱石や魔石が採掘できそうか?」
「そう言った迷宮の様々な情報を誰よりも先んじて調べて、それをギルドに報告──最終的にギルドにその迷宮の危険度……『階級』を決定して貰うのがオイラ達の役割ッス」
「へぇー、なるほど」
──そんな質問では彼等はボロを出さない、という事だ。
今回の依頼で言えば──ヴェルソア平原でつい最近発見されたこの迷宮、ここに関する“情報”をギルドは未だ持っていない。
情報がない以上、その迷宮がどれ程の危険性があるのかが“判別”出来ないのである。
そこでギルドは手始めに、未知の迷宮の調査を『依頼』として冒険者を募り、依頼を受け調査に赴いた冒険者から得た情報を元に──その迷宮の階級を決定するのである。
「そうやって迷宮の“階級”を決めてもらう事で、今後の迷宮探索の時にそこの難易度に見合った“階級”を持った冒険者を派遣出来るって訳さ」
「今日の調査でこの迷宮も、近い内に冒険者になるお嬢ちゃんたちでも探索出来る低い階級の迷宮になるか、はたまた──ギルドに六人しかいない最高位の階級を持つ『勇者』しか探索する許可が下りない“超高難易度”の迷宮になるかも知れないって事さ」
ヴァラスたちの説明にスティアとフィナンシェは息を飲む。
彼等の役割は迷宮の階級を見積もる事。低いか、高いか。比較的安全か、それとも絶望的に危険か。
安全ならそれに越した事はないが、なにせ今調査している迷宮は──あの悪名高い『魔王カティス』の居住跡だ。恐らくは──“最高階級”に相違ないだろう。
「ここが本当に魔王カティスの迷宮なら──かなり危険な場所じゃないの?」
「……だな。その代わり、見返りも大きい」
ヴァラスは得意気な顔で鼻息を荒くすると、人差し指を教鞭に見立てて、スティアとフィナンシェに悠然と語り始める。
「兄貴……女の子にデレデレしてお喋りしないで、少しは迷宮調査手伝ってくださいッス」
──と、不満げな表情で訴えかけているオヴェラなどお構い無しだ。
「調査依頼の利点は二つ! 一つ──調査の結果、迷宮に与えられた“階級”によって報酬が上がる事。もし、ここが本当にあの『魔王カティス』の迷宮ならその時点で最高階級は確定、何年も遊んで暮らせる大金が報酬として支払われる筈だ!」
「そしてもう一つの利点──調査依頼で得た戦利品はギルドに申告せずに所有して良い事だ」
──“階級”の決定された迷宮は後日、ギルドから“未踏領域制覇”の為の正式かつ公式の「攻略依頼」が編纂される。
この際、この攻略依頼を受注し迷宮攻略に赴いた冒険者たちは、ダンジョン内で得た戦利品の全てをギルドに報告する義務がある。
何故か──理由は簡単。万が一、ギルドが管轄している迷宮内から致死的な何かが冒険者によって持ち出され、それによって住民の生活圏に悪影響を及ぼす被害が出るのを未然に防ぐ為である。
また、戦利品を隠れて持ち出そうと言う不埒者に対する“粛正機構”をギルドは有しているが、この“粛正機構”が何であるかについては別の機会に語るとしよう。
「アタシたちは“調査ギルド”は、未踏の領域の調査って言う一寸先も分からない危険地帯を進む依頼を受ける代わりに、その迷宮内で起きたあらゆる出来事については罷免、または黙認されているのさ」
「つまり……どう言う事なんですか?」
「つまり、ここの調査で俺たちが『何をしても』、逆に『何かあっても』──ギルドはそれに関与しないって話さ」
「そう……例えば、この迷宮でとんでもない量のお宝が見つかって、それをアタシたちが懐に仕舞い込んでも、ギルドはそれを見逃してくれるってこーと♪」
「じゃあ、あたしたちがお宝を見つけたら……!!」
「当然、ふたりの物になるッス。ギルドの連中にも口出しさせないッスよ」
「やった……!!」
『お宝』と聞いてスティアとフィナンシェは目を輝かせている。迷宮に潜って、お宝を見つける──冒険者の“夢”だ。
そんな話に、故郷から飛び出して数時間で巡り会えるなんてなんて運が良いんだろう。スティアとフィナンシェはそう感じずにはいられなかった。
──まさか、あんなものを見つけてしまうとは、この時のふたりは“夢”にも思っていなかった。
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崩れ落ちたかつての城塞を潜り、一行はさらに迷宮を地下に地下にと潜って行く。
冷え切った空気はさらに冷たく、凍える冷気が肉を絶たんと肌に立てられた刃物の様に五人に容赦無く突き刺さる。
体感温度は氷点下に近いだろうか──まるで生者の存在を許さない様に、彼等から体力と気力を奪って行く。
「……魔物、いないッスね」
「…………そうだな」
『疾駆の轍』の面々は、迷宮に突入してから随分経つというのに──未だに魔物の一体とも遭遇していない事に違和感を覚える。
一般的な迷宮なら、普通は大なり小なり魔物が巣食うものだ。
人喰い魔獣が潜む洞窟、人拐いのゴブリンたちが隠れる洞穴、死霊たちが彷徨う墓所、邪悪な魔女が棲む迷いの森、屈強なゴーレムが護る遺跡──人が足を踏み込まない領域は、人ならざるものの領域だ。
──だが、ここはどうだろうか。誰もいなければ、何かがいた痕跡すらない。まるでそんな矮小な存在が居ることが許されないかのように。
「流石に魔物の一匹でも居てくれないと、例えここが『魔王カティス』の迷宮だったとしても査定が低くなっちまいそうだね」
「そうスッね……今のところ目ぼしいお宝も見つかってませんし」
「…………チッ! あー、つまらねぇ」
そんな魔物の居ない不気味な静けさの中で、『疾駆の轍』の三人は愚痴をこぼしながら苛つきと焦燥感を募らせていく。
「なんだか……怖いね」
「…………うん」
ヴァラスたちとは対照的に、スティアとフィナンシェはただの一つも生命が介在しない空間に、言い様のない不安と閉塞感を感じていた。
「あ〜〜、もういいや」
一番最初に痺れを切らしたのは、ヴァラスだった。オヴェラの持つ松明に照らされた迷宮の天井を仰ぎながら飽き飽きしたように呟くと、視線を少し前を歩いていたスティアとフィナンシェに定める。
「ヴァラスあんた、もうおっ始めるのかい?」
ラウッカの問い掛けに、何も語らず──餌を前にした獣ような舌舐めずりで答えた。
それを合図に、『疾駆の轍』の三人はスティアとフィナンシェとの距離を少しずつ──ふたりに気取られない様に詰めていく。
一歩、また一歩。少女を喰い物にせんとする獰猛な“獣”の鋭牙が迫りくる。
そして、今まさにふたりの少女の身体に牙が勢い良く伸びようとしたその時──
「……見て! あの奥、何か蒼く光ってるよ」
──スティアの声に、獰猛な“獣”は既の所で理性を取り戻した。
「本当だ……!! おい、ラウッカ、オヴェラ! すぐに確認するぞ!!」
ついさっき迄、ふたりの少女を狙っていた“獣”は──もっと極上の獲物を見つけたとばかりに、スティアとフィナンシェを素通りして──その先に眩く輝く“蒼”へと駆けて行く。
間一髪──“獣”の毒牙を逃れたスティアとフィナンシェだったが、本人たちは自分たちがあと数秒で『穢い大人』の餌食にされていたとは知る由もなく、慌てて駆けて行った『疾駆の轍』を追いかけて行く。
「おいおい……なんだよこりゃあ……!! スゲェ……まじで凄ぇ……!!」
「こりゃあたまげた……!! なんて綺麗なんだい……!!」
「なに……これ……?」
「すごい……こんなにキレイなの初めて」
迷宮の奥で煌めく“蒼”に吸い込まれる様に駆けて来た5人を待っていたのは──燭台の放つ蒼い灯火に照らされた広大な一区画。
入り口から崩れた廻廊を下りること数百メートル。恐らくはこの迷宮の最深部なのだろうか──これ以上“下”へと続く道は無く、それ迄の崩れ落ちた城の跡とは打って変わって、比較的綺麗に整った空間が眼前に広がっていた。
だが、一行の視線を、興味を、心を釘付けにしたのはそこではない。
──金銀財宝、色取り取りの宝石、希少な鉱石で打たれた業物、覧る者の心奪う美しい彫刻や絵画、人と寸分違わない精巧な人形。
誰が見ても、誰が手にしても、誰がどうやっても──巨万の富を、勝者の栄光を、尽きぬ幸運を、与えるであろう宝物が所狭しと散りばめられていた。
「や……や……や、ぃやっったーーーー!! 大当たりだー!!」
「アタシたち大金持ちよー!!」
「うっひょー、すんげーッス!!」
『疾駆の轍』の三人は手を取り合って大はしゃぎしている。目に見えている範囲だけでも、向こう50年は贅沢三昧しても尽きぬであろう財が転がっている。区画を隅々まで調べれば、“一生”遊んで暮らせる程の富が手に入るだろう。
「王家の宝物庫にだってこんな量の財宝はねー筈だ!」
ヴァラスは興奮を抑えきれず──
「つまり此処は──王族を遥かに超えた者がいた場所って事っスね!」
オヴェラは湧き上がる多幸感に包まれて──
「本当にあった……実在したんだ──『魔王カティス』は……!!」
ラウッカは奇跡を目の当たりにした感動に心震わせる。
──間違いない。此処こそが『魔王カティス』の迷宮、これこそが『魔王カティス』が遺した遺産、『魔王カティス』が実在した紛れもない証明。
『疾駆の轍』の三人は、それぞれ心惹かれた財宝に向かって、蜘蛛の子を散らす様に走り出してしまった。
「ねぇ……フィーネ。この財宝ってもしかしなくてもあたしたちも貰って良いんだよね……?」
スティアは目の前の財宝に、「自分は夢でも観てるんじゃないか?」と勘繰りを入れてしまい、隣りにいたフィナンシェに恐る恐る確かめる。これが“現実”か“夢”かどうか──。
「あ〜ん、全部持って行きたい〜〜。これとあれと……これもきれーい。魔王カティスさん、素敵な『贈り物』をありがとうございます♪」
「わ゛っーーーー!? フィーネがもうお宝ごっそり集めてるーーーー!!?」
「スティアちゃーん、見てみてーわたしたち大金持ちだよー♪」
「落ち着いてフィーネ!! そんなにいっぱい持てないでしょ!?」
「何言ッテルノ、スティアチャン? 全部持ッテイクンダヨー?(眼がぐるぐるしている)」
「フィーネの眼がぐるぐるしているぅーー!? あとなんか片言だーーーー!!?」
フィナンシェの豹変っぷりに頭を抱え狼狽えるスティアを余所に、フィナンシェは宝物庫の奥へとふらふらと歩を進めて行く。
「アッチニモット、オ宝ノ気配ガスルー♪」
「あぁ、待って!? フィーネ、あなたは清純派ヒロインでしょー!? せめてあたしの前では清純派ヒロインのままでいてーー!!」
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暫くして漸くフィナンシェを宥めたスティアは、フィナンシェと共に宝物庫のさらに奥へと向かっていた。
「ごめんね、スティアちゃん。あんな量の財宝見た事なかったからつい興奮シチャッテ……!」
「まだちょっと影響が残ってる!?」
「あっ//// いけないいけない……落ち着かなきゃ」
そう言いつつフィナンシェは辺りに散らばる財宝を凝視しながら物色しているが、スティアは流石に見て見ぬ振りをした。
財宝に一瞬で心奪われた『疾駆の轍』の三人とフィナンシェと違い、スティアはある可能性を考慮していた。
──これ程の財宝を安置しているのは、此処が本当に『宝物庫』だから? それとも、別の意味があって此処に財宝を置いているんじゃないか? そう──まるで何かの供物にする様に。
スティアがそんな事を考えるのには、理由があった。
──人形だ。宝物庫には何体もの人形が飾られていた。長い年月放置されていたのか、ところどころ部位は損壊し召し物も殆どが剥げているが──スティアの目には、それらは「メイド服を着た人形」の様に思えて仕方なかった。
メイドと言えば、主に使える従者だ。主の身の回りの世話をする者だ。間違っても──宝物庫に飾られる美品では無い。
勿論、ここの主のそう言った“趣味の一品”の可能性は否めない。
しかし、あのメイド服を着た人形たちが──正しく「身の回りの世話をする者」だったとしたら──ここは宝物庫では無く──。
「スティアちゃん……見て、あれ……」
不意にフィナンシェの声でスティアは現実に引き戻される。ハッと我に返ったスティアは、フィナンシェが指差す方向に目をやる。──そこには、朱い“紋章”の刻まれた大きな扉があった。
大理石の様な鉱石で造られた大きな扉は、堅く閉ざされている。まるで、その先に何人たりとも通さない様に。
「ここが迷宮の一番奥なのかな?」
フィナンシェは不用心に近付いて、ぺたぺたと扉を触って感触を確かめている。
スティアはこの場所の本当の意味を危惧し、フィナンシェを止めようと彼女へと近づいて行く。
その時──
「──────ッ!!!」
ズキンッ──と前髪で隠していた彼女の『右眼』に激痛が走る。
まるで眼球に刃物を突き刺された様な激しい痛みがスティアを襲い、堪らずスティアはその場に蹲ってしまう。
「スティアちゃん!? 大丈夫!?」
スティアの異変に気付いたフィナンシェはすぐさま彼女に駆け寄って、蹲る彼女の身体を支える。
「──ッ、──ッ……だ、大丈夫……ちょっとチクッとしただけだから……」
「本当……?」
「うん……それより……あの人たちに見られてないよね?」
「大丈夫だよ……。みんなあっちの方でお宝に夢中で、スティアちゃんの事なんて誰も見てないよ」
「そっか……良かった……」
何かを気にしていたスティアは、フィナンシェのその言葉で安堵すると、痛みも引いたのかゆっくりと姿勢を立ち上げる。
その時だった。
「スティアちゃん……扉が……」
「紋章が……輝いている……?」
先ほどまで、沈黙を守っていた扉──そこに刻まれていた紋章が、朱く、妖しく、辺りの蒼い灯火を打ち消すように輝く。
そして、煌々とした輝きと共に、堅く閉ざされた扉は──ひとりでに開いていく。
大きな地鳴りを響かせて、まるでふたりを招き入れる様に奥へと続く道を顕にしていく。
──さっきの右眼の激痛のせい……? そう考えるスティアだったが、すぐに首を横に振ってその可能性を否定すると、フィナンシェのローブの裾をギュッと掴む。
その手をそっと掴むと、フィナンシェはスティアの手を引く。
「……行ってみようスティアちゃん」
──どうしても気になる。果たして、この奥に何があるのか?
「うん……。行こう、フィーネ」
意を決したのか、スティアはフィナンシェと共に扉の奥へと進んで行く。
そこは──殺風景な空間だった。崩れた石壁、土埃に塗れた白い石造りの床面。大きさにして、畳二十帖程の手前の区画に比べれば小さな部屋。
スティアとフィナンシェが足を踏み入れたのを確認したかのように、部屋の四方に掲げられた燭台は蒼い炎を灯し、ふたりにこの部屋の全てを曝け出す。
そこにあったのは──黄金の棺。大の大人スッポリと入りそうな、綺羅びやかな粧飾の施された荘厳な終の『揺り籠』。それを見て、スティアの思っていた可能性が“疑惑”から“確信”へと変わる。
──此処は『宝物庫』じゃない。此処は──『墓所』だ。
この迷宮が本当に『魔王カティス』の城だったのなら──この棺に入っているのは──。
スティアの鼓動が、自分の耳に届く程──強く、早く、急かす様に脈を打つ。
思わず息を飲む──。
「あれ……? なんだろう、あの箱……?」
いきなり棺に駆け寄ったフィナンシェの大胆な行動に、思わず息を吹き出す──。
「ぶーーっ!? 何やってんのフィーネ!!?」
「見て、スティアちゃん。これ……何かしら?」
慌ててフィナンシェに駆け寄ったスティアが見たのは、黄金の棺の上にポツンと置かれた小さな小さな『宝箱』だった。
大きさにして凡そ50〜60センチメートル。直下の棺に比べればどうと言うことはない──ありふれた箱だが、荘厳たる棺の上に無造作に置かれたそれは、ハッキリ言って黄金の棺よりも強い存在感を放っていた。
「中に何か入っているのかな……?」
そう言いながら、フィナンシェは宝箱を大きくガタンと揺らす。
コツン──と中で何かが当たる感触をフィナンシェは感じる。
瞬間──フィナンシェは宝箱に手を掛け勢い良く開けようと試みるが、慌ててスティアが止めに入った。
「────本当にこれ空けても大丈夫なの? あたし嫌な予感がするんだけど」
スティアはフィナンシェに冷静になる様に諭す。単に『宝箱』と言っても、中に入っているのが必ずしもお宝とは限らないからだ。
「これが罠だったら……擬態魔物とかだったらあたしたち一巻の終わりなんだよ!?」
だからリスクに備えるように警告する。
「────大丈夫だよ。何かあったらふたり仲良く死ぬだけだから怖くないよ♪」
「悲観的なコメント明るく言うのやめて!? コワイよ!?」
──駄目だ。全然、気にしてない。
スティアがフィナンシェの精神の強さに呆れつつ感心していると、我慢できなくなったのかフィナンシェは宝箱に再び手を掛けて、パカッと開いてしまう──開いてしまった。
そこには──
「…………え?」
「…………あら?」
「…………ふえ?」
──ひとりの赤ちゃんが入っていた。
毛布に包まれた黒い髪の赤ちゃんがまじまじとこちらを、夜空に輝く星のような金色の瞳で見つめている。
生きている──、あまりにも不可解な状況にスティアの頭はパニックを起こしてしまう。
(……赤ちゃん……? なんで赤ちゃん……??)
無理もない、宝箱から──それも誰も未だ足を踏み込んで居ない筈の迷宮の宝箱から何故──生きた赤ちゃんが出てくるんだ?
──分からない、理解できない、考えたくない──
スティアの頭の中であらゆる可能性がぐるぐるしている。
「わぁ~、赤ちゃんだー」
そんな“心配性”なスティアを尻目に、フィナンシェは赤ちゃんに明るく話し掛ける。
「どうしたのー、こんな箱の中に入って? いまお姉ちゃんが出してあげるからね」
なんだったら、躊躇もせずに宝箱の中の赤ちゃんを優しく抱き上げてしまった。
(遠慮がなさ過ぎる!?)
そうは思いつつも、スティアは目を丸くしながら赤ちゃんを見つめる。
毛布に包まれた赤ちゃんは、心底驚いた様な表情をしながらフィナンシェやスティアの事を見つめている。
──本当に赤ちゃんだ。宝箱から赤ちゃんが出てきた。いや、ありえる? ありえないよね?
だから──スティアは叫ぶしかなかった。
「あ……あ……、赤ちゃんが宝箱からドロップしたーーーー!!?」
この時、スティアとフィナンシェは知らなかった。まさか、目の前の赤ちゃんが──
(ど……ど……、どうなってるんでちゅかーーーー!!?)
──なんて、スティアとフィナンシェ以上に慌てふためいた状況に陥ってた事を。