第一話:目覚めの時①/墓場から揺り籠へ -RE:Play-
──遠い遠いそのまた昔、神々に愛され平和に満ちていたこの世界に一人の邪悪な魔王が現れました。
その魔王の名はカティス。
彼の魔王は悪しき魔族たちを率いて人々を襲い、瞬く間に多くの命が奪われ、多くの国が滅び去り、たちまち世界は滅亡の危機に立たされました。
邪悪な魔王は強く恐ろしく、誰も彼もが敗れ去り、残された人々はただ女神に祈るばかり。
そんな人々を救いたいと願った女神シウナウス様は、地上に一人の勇者を遣わしました。
勇者の名をキリアリア。
女神様より多くの祝福を授かった勇者キリアリアは、3人の聖女たちと共に邪悪な魔王カティスを討つべく旅に出ました。
そして、長い旅路の果てに、勇者キリアリアは魔王カティスと戦い、遂に邪悪な魔王を討ち倒したのです。
魔王カティスは滅び去り、役目を終えた勇者キリアリアも女神様に迎えられ、天へと還っていきました。
こうして、世界に再び平和と希望が戻ってきたのです。
今日も平和は続いていく。願わくは、邪悪な魔王カティスが二度と蘇ることのありませんように。
────吟遊詩人ヴァレヒテリア記『勇者キリアリアと魔王カティス』より────
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目を閉じてからどれぐらいの時間が、あるいは月日が流れただろうか。
『夢の中』とも『あの世』とも言えない、何もない真っ暗な不可思議な空間の中で──かつて『魔王カティス』と呼ばれた者は、転生の時を今か今かと待ちわびながら揺蕩っていた。
あたりは一面真っ暗闇。眺めた先は虚無の虚無。普通の人間なら数日でパニック障害を引き起こしかねないひたすらに殺風景な無の荒野で、かつての魔王は──。
「転生♪ 転生♪ はやく転生しないかなー♪」
──陽気だった。
「『人間』に転生するのは確定として、残りの要素は指定してないから実際どうなるかなー? やっぱ両親は美男美女が良いなー。あとはしっかり者の姉か可愛らしい妹か、かっこいい兄か可愛げのある弟がいたら最高。あとは幼なじみ。いいねー、俺を慕う幼なじみ、いたら超グッド。後は人生プランだな。やっぱり当初の予定通り小さな田舎でのんびり生きるか? いや待てよ、ギルドの冒険者も悪くないかな? 考古学者もありだな。『かつての魔王、カティスの遺産を巡る』……なんちゃって。いやー、待ち遠しい! はやく転生しないかなー」
自分の第二の人生プランをペラペラ早口で垂れ流しながら、かつての魔王は物思いに耽っていた。
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それからさらに気が遠くなる様な時間が流れた、もしくはあっという間であっただろうか、転生の時を心待ちにしながら眠りに就いているかつての魔王に、小さな変化が訪れる。
──ガタンッ!!
突然、空間そのものが激しく振動し、その者は目を覚ました。
(…………なんだ? 何も見えん。あと何だか狭いな?)
その者は大きく眼を見開いたが、そこは真っ暗闇のただ中で、景色はおろか至近距離にある筈の自分の身体すら観えない状態であった。その上、まるで小さな箱に押し込められている様な狭苦しい感じがしていた。しかし、今までの夢見心地な感覚とは違う現実的な感覚にその者は確信する。
──これきっと転生だ。ようやくかー。
さらに、そんな暗闇の──何も視認できない状態であっても、その者にはあるものが認識できていた。
──声だ。暗闇の向こう側、何かに隔たれた先から──微かに、二人の少女らしき声が聞こえてきた。
「────本当にこれ空けても大丈夫なの? あたし嫌な予感がするんだけど。これが罠だったら……擬態魔物とかだったらあたしたち一巻の終わりなんだよ!?」
「────大丈夫だよ。何かあったらふたり仲良く死ぬだけだから怖くないよ♪」
「悲観的なコメント明るく言うのやめて!? コワイよ!?」
──アレ、どう言う状況だコレ? 俺は今どうなっているんだ?
二人の少女の会話は、その者の予想とは全く以て違っていた。その者の予想では──自分は母親の胎内にいて、今まさに産まれる瞬間──と言うのを想像していた。だがどうだろう?
聞こえてきた会話は『空けても大丈夫』だの『罠だったら』だの『擬態魔物』だの『ふたり仲良く死ぬ』だの──おおよそ出産を控えた母親に言うような優しさや思いやりに満ちた言葉では無く、全体的に猟奇的だ。その者はふと考えてしまう。
──なんかヤバくね?
果たして、その者の嫌な予感は見事的中してしまう事となる。
パカッ、と何かが開く音がしたかと思うと、真っ暗だった空間に白い亀裂が入り──そこから視界が一気に明るく開いた。どれだけ振りの光であったであろうか。まるで暗いトンネルから急に外に出たみたいに、その者の視界はたちまち真っ白に染まってしまう。
──いやいやいやいや、おかしいおかしい。これ絶っ対違うよね? お母さんが赤ちゃん出産しましたって場面じゃないよね!? パカッって音しないよね普通!?
視界がホワイトアウトする前に一瞬観えた光景にその者は激しく動揺している。自分が思っていたのと何か違う。襲い掛かってくる激しい動悸が落ち着く間も無く、真っ白に染まっていた目が光に慣れ、その者の視界を徐々に鮮明にしていった。
その者の眼に最初に飛び込んできたのは、四角く切り開かれた先程までの暗闇の跡。そして、開かれた先に居たのは──二人の少女だった。
一人は前髪で右眼を隠した黒髪碧眼の少女。もう一人は緩やかなウェーブのかかった鮮やかなピンク色の髪をした碧い瞳をした少女。二人の少女はまるでこちらを覗き込む様にまじまじと暗闇の中にいたその者を見つめていた。
「…………え?」
「…………あら?」
「…………ふえ?」
二人の少女は、何かとんでもないものを発見してしまった様な面食らった表情をしている。そんな二人の表情を見て、その者は何となく状況を察し始める。
──もしかして、俺は何かの入れ物の様な物に入っていた?
その者からはよく分からないが、置かれた状況的におそらくは何か小さな箱に自分が入っているのだとその者は考えた。
頭は何かにぶつかっており、左右は寝返りをうてないほど窮屈で、足元にも何かに当たる感触がある。
ともすれば、いま自分がいるのは感覚的に縦横50〜60センチ程の小さな箱だと推察出来る。問題は──今の自分がそんな小さな箱に入る身体をしているか、だ。
「わぁ~、赤ちゃんだー」
そんな考察を裏打ちするように、今まで長考していたピンク色の髪の少女がこちらに語り掛ける。
──赤ちゃん? 赤ちゃんってあの赤ちゃんだよな……?
「赤ちゃん」──生まれたばかりの子どもに使われる言葉。新生児、乳幼児、言い方は様々、ヒト科のみならず、生きとし生けるものなら、生まれたばかりの子は赤ちゃんと呼ばれる存在だ。
ピンク色の髪の少女は、その者に向かって「赤ちゃん」だと言った。つまりそれは、その者が今現在「赤ちゃん」だと言う事となる。
それならば、転生は無事成功し、かつての『魔王カティス』は赤ちゃん──おそらくは人間の赤ちゃんに生まれ変わった事となる。
だとすれば、何かがおかしい。
──赤ちゃんって、箱に入った状態で生まれるのか?
──赤ちゃんって、こんなにも思考が安定しているのか?
答えはどちらも「NO」だ。赤ちゃんとは通常、母胎から生み出される、もしくは“卵”と言う形で産卵されそこから孵化するかしかない。つまり、必ずと言っていいほど──“母親”と言う存在が必要である。間違っても「コウノトリが運んでくる」とか「突然、無から発生する」なんて荒唐無稽な話がまかり通る筈はない。
そして、生まれたばかりの赤ちゃんに、自分が転生しただとか、いま自分が置かれた状況を冷静に分析するような知性ももちろん無い。生まれたばかりの無垢な赤子は成長と経験を経て、知性と理性を獲得していくのが普通である。
では──なぜかつての『魔王カティス』は突然箱の中に生まれ落ち、冷静に状況観察が出来るような知性があるのだろうか。
不可解な状況に考えが定まらないその者であったが、状況は待っててくれはしなかった。
「どうしたのー、こんな箱の中に入って? いまお姉ちゃんが出してあげるからね」
そう言ってピンク色の髪の少女は、箱の中に手を伸ばしてきた。柔らかな細腕がその者の抱きしめるようにそっと包み込む。パッと見では華奢にしか見えないその少女の暖かな手や少しの衝撃でも簡単に折れてしまいそうなしなやかな腕も、何故かとても大きく感じられた。
そして──ピンク色の髪の少女の「えいっ」と言う掛け声と共に、その者の身体は浮き上がり、小さな箱の中から飛び出した。
ピンク色の髪の少女に高く抱き上げられ、その者は外の景色を眺める。
目の前──眼下には自分を抱き抱え、満面の笑みを見せるピンク色の髪の少女。
その傍らには、驚きのあまり口をあんぐりと開きながらこちらを見ている黒髪の少女が。
周囲を見渡せば、そこは燭台に灯された蒼い炎だけが光源となっている薄暗い石造りの部屋の中。
周囲の景色を見て、その者はそこがどこかの室内である事を漸く理解した。その場所は、周囲があちこち崩壊しており、床面も土砂の様なもので汚れている。おそらくは、どこか廃墟の様な場所なのだろう──と、その者は考えた。
では、次に確認しなければならない事はただ一つ。その者は──恐る恐る下を観る。
そこにあったのは黄金の棺。大の大人でもすっぽりと入りそうなほど大きく、綺羅びやかな装飾の施された棺は、いかにも高貴そうな人物が眠りに就くのに相応しい荘厳な存在感を放っていた。
が、しかし──その者にとって重要なのはその黄金の棺では無く、その棺の上にポツンと置かれた小さな木箱だった。
木製の板を複数枚あわせ、それらを黄金の金具で固定した箱状の物体。小さな鍵穴が正面に備え付けられており、あたかも何か重要そうなものを仕舞うにはこれ以上ない適した造りをしている。
この様な箱を世間一般では──『宝箱』と言う。
そんな宝箱は──蓋はしっかりと開かれ、中身は何もなく、そこに隠されていた“財宝”を誰かが手中に収めた事を如実に物語っていた。
ピンク色の髪の少女の立つ位置、抱き抱えられ持ち上げられた軌跡の源流、その宝箱のおおよそのサイズ──どれを取ってみても、その者がその宝箱に入っていた事は明白であった。
つまり──。
「あ……あ……、赤ちゃんが宝箱からドロップしたーーーー!!?」
黒髪の少女の絶叫が真実である事を証明している。
(ど……ど……、どうなってるんでちゅかーーーー!!?)
だからこそ、その者──かつての『魔王カティス』は自分が置かれた意味不明な状況に、驚愕するしかなかった。