表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/56

第五十話:母を訪ねて㉒/空と水の境界で、あなたの名前を呼ぶ



魔王九九九式(まおうきゅうひゃくきゅうじゅうきゅうしき)──“最果てを夢観る眼ラスト・エンドゲイザー”』


 那由多(なゆた)にも似た虚数(きょすう)虚空(こくう)の果てで聴こえた誰かの声と共に、名もなきスライムの少女は目を覚ます。


此処(ここ)は────何処(どこ)?」


 彼女が目覚めたのは夕暮れの空の下──どこまでも続く夕色(ゆういろ)の空と、どこまでも続く鏡のように空を写して夕日に染まる水の境界。


「どうして……わたしは……死んだ筈じゃ……??」


 そう言って彼女は足元の赤く染まる水面(みなも)に映る自分の姿を見つめる。


 長い水色の透き通る髪、(よわい)(じゅう)にも満たない幼い少女の未成熟(みせいじゅく)な身体、魔性に連なる者の証たる金色(こんじき)の瞳。


「あの子の……身体……!」


 見覚えのある身体だった。一糸(いっし)(まと)わぬ姿とは言え、その姿は紛れも無くヤーノと呼ばれた少女の──名もなきスライムの少女が喰らい、()のが身体として使っていた人間の少女のものに間違いなかった。


「…………どうして……だって、わたし……!!」


 狼狽(うろた)える少女──彼女は、愛を求めて母たちを攫い、ギルドから派遣されたふたりの冒険者の少女と戦い、最期にこの身体の持ち主を守って討ち取られて死んだ筈。


「なのに……わたしは……!」

「わたしが呼んだんだよ……スライムさん」


 迷える少女を救うように聴こえる声──彼女が聴いた、(うらや)ましいと思った、守りたいと想った、(いと)しき同居人の声が聴こえる。


「あぁ……ヤーノ……無事だったのね!!」


 顔を上げれば、視線の先に彼女は立っていた。長い水色の透き通る髪、(よわい)(じゅう)にも満たない幼い少女の未成熟(みせいじゅく)な身体、美しく(かがや)く“薔薇英石(ローズクォーツ)”の瞳。


 間違いなく、其処(そこ)に居たのは──名もなき彼女が愛した少女。


 その姿を見るや(いな)や、名もなき彼女は赤く染まる水面(みなも)()って彼女へと駆けていく。


「身体は大丈夫!? あの黒髪の女に酷いことされていない!?」

「平気だよ……スライムさんが守ってくれたから……」


 力強く彼女を抱きしめる。生前には決して出来なかった抱擁(ほうよう)を、名もなきスライムの少女は無意識の内にしていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ! わたしのせいで……あなたを、こんなにも傷付けてしまったわ……っ!!」


 ボロボロと、涙が溢れる。後悔と慚愧(ざんき)の念がとめどなく()き上がる。


(うらや)ましかったの──あなたの記憶が! 欲しかったの──あなたの喜びが! わたしも……愛されたかったの──あなたのお母さんに……!!」


 だから──母を攫ってでも、愛されたかった。そうすれば、一緒に居るヤーノも愛されて幸せだと信じて。


 けれど、結果は残酷だった。


 母親たちは名もなきスライムを拒絶し、彼女は“邪悪な怪物(モンスター)”として──ギルドの冒険者によって断罪された。


「こんなつもりじゃなかったの……! わたしは……ただ……!!」


 ただ──愛されたかった。孤独に生きるのが辛くて、切なくて、哀しくて、(さみ)しくて。お母さんと笑い合うヤーノの姿が羨ましくて、(ねた)ましくて、とっても素敵(すてき)で、何より──暖かくて。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

「いいの……もう、終わったから……もう謝らなくて……良いの……」


 ヤーノの胸に顔を(うず)めて泣きじゃくる少女の頭を、幼い少女の(やわ)らかな手が優しく愛撫(あいぶ)する。


「………………ぁ」

「もう良いの……わたし、怒ってないよ……」


 初めて触れる少女の肌、密着する肌と肌の感触、彼女の記憶にあった──お母さんの肌の(ぬく)もりと同じ、暖かな“愛”の感触。


「あぁ……暖かいわ、暖かいわ、とっても……暖かいわ……!」


 名もなき彼女が欲したもの、母親だけが与えてくれると思っていたもの、手を血で染めてでも手に入れたいと思ったもの──それがこんなすぐ側に。


 (ようや)く、彼女は理解する──、


「あぁ……これが“愛”なのね……!」


 ────その暖かさこそが、自分が求め続けた“愛”なのだと。


「あぁ……あぁ──あぁ、あぁああああああ……!!」


 後悔の涙は、歓喜(かんき)の涙へと──冷たい水のような涙が、(ねつ)を帯びて(あつ)く変わっていく。嬉しさに身体が震え、鼓動(こどう)が速くなっていく。


「愛してくれた……ずっと……ずっと──この暖かさが欲しかった……っ!!」


 彼女はずっと“愛”とは母が子に与えるものばかりだと思っていた。でも、それは違う。


 母が子を愛するように──男が女を愛しても、子が父を愛しても、少女が少女を愛しても、少年が少年を愛しても──確かにそこに“愛”はある。


 それに、名もなき少女は(ようや)く気付いた──もはや手遅れだったとしても、彼女は“愛”を知って()く事ができる。


「ありがとう……わたしを愛してくれて……。わたし……とっても幸せだわ……!」


 それがとても嬉しくて、ありがたくて、幸せで──だからこそ、心苦しくて、哀しくて、申し訳なくて。


「スライムさん……身体が……」

「もう……逝かなきゃ……。いっぱい悪いことをしたもの……罪は(つぐな)わなきゃいけないわ……」


 空と水の境界──果てなく続く水平線の彼方(かなた)に、夕日(ゆうひ)は少しずつ沈んでいく。別れの時を(しら)せるように。


 少しずつ消えていく名もなきスライムの身体が──ふたりの今生(こんじょう)の別れを意味する。


「…………ごめんね…………わたしが、お母さんに会いたいって……わがまま言ったから……」

「いいえ……いいえ、違うわ。あなたは何も悪く無いわ……あなたの想いに付け込んだわたしが悪いの……」


 別れが惜しい、だからこそ悔いが無いようにと──互いの罪を懺悔(ざんげ)する。愛しきあなたが、安心して帰れるように、安心して()けるように。


「でも……!」

「なら……そうね、一つだけ──わたしのわがままを聴いてくださる?」


 消える自分が『渇愛(かつあい)のヤーノ』として、犯した“罪”の十字架(じゅうじか)は背負って持って逝く。なら、帰るべきあなたには“許し”が必要だと──消えていく少女は最期に願う。


「わたしに──名前をくださるかしら? 産まれた赤ちゃんにお母さんが名前を付けるように──素敵な名前をわたしにくださるかしら……?」

「あ…………っ!」


 消え逝くスライムの少女に名前は無い。ただ──『ヤーノ』と言う少女を喰らい、その名を(かた)っていただけにすぎない。


 だから──彼女は名前が欲しかった。有象無象(うぞうむぞう)の“魔物(スライム)”として消えるのでは無く──確かに生きて、誰かに愛された少女して消える為に。


 それだけが──消え逝く少女への“(ゆる)し”となりて。


「あなたの……名前……」


 予想外の言葉にヤーノは言葉を詰まらせる。名もなき少女に名前を付ける──母親になったわけでも、姉になったわけでも無いのに。


 それでも、時間は待ってはくれない。少しずつ消えゆく少女の身体──(りょう)の手先は既に消え、足は光の粒子になって、抱きしめた肌から熱が引いていく。


 もうすぐ消えてしまう──だから、ヤーノは覚悟を決める。内に秘めた想いを(ふる)わせて──、


「────シンティア。あなたの名前は──シンティアよ」


 ────空と水の境界で、あなたの名前を呼ぶ。


「シンティア……それが──わたしの名前……!」

「うん……わたしが──いつかお母さんになった時に、産まれてきた子に付けようと思っていた名前だよ……!」


 それが──スライムの少女の、シンティアがこの世に生を刻んだ瞬間、ヤーノと言う少女から生まれた少女。


「素敵……えぇ、とっても素敵だわ……。シンティア……シンティア……あぁ、わたしはシンティアって言うのね……」


 消えゆく意識の中で、(かす)れゆく声を振り絞って、シンティアは自分の名前を何度も(つぶや)く。忘れないように、記憶に、心に、魂に──刻み込むように。


 やがて、別れの時が訪れる。夕日は水平線の彼方に隠れて、(ソラ)には満天の星がところ狭しと輝いて、水面(みなも)には星々が反射して写っている。


 もう──シンティアの身体は下半身も完全に消え、胸の所まで消え掛かっていた。あと数分もしない内に、完全に消えてしまうだろう。


 だから──最期に別れの言葉を。


「わたし──もう一度、あなたに……シンティアに会うわ……! もう一度、絶対に……!!」

「…………無理よ、わたしは悪者だもの……許されないわ」

「ううん、会えるよ。えーっと……たしか……あっ、思い出した──『墓場から揺り籠へ(リ・プレイ)』……!!」


 贈られた言葉は()の魔王が生まれ変わる為に(ささや)いた言葉──転生の為の『紋章術式(クレスト・アーツ)』。


 その言葉を贈られた瞬間──白い紋章が刻まれた“()”がヤーノとシンティアの身体を包み、消え逝くシンティアの身体が白い光に包まれていく。


「これ……?」

「シンティアを此処(ここ)に連れて来てくれた()()()()()が教えてくれた“おまじない”──あなたが生まれ変わったら、家族になれるって……魔法の言葉……だって……!!」


 シンティアを抱きしめるヤーノの腕に(ちから)()もり、声は震える、ぽたぽたと──シンティアの頬に少女の涙が(こぼ)れていく。


「生まれ変わったら……家族に……?」

「うん……そうだよ……。わたしね……あなたの──シンティアの……お母さんになるわ……!!」

「………………えっ…………?」


 もう一度会えると、わたしがあなたの“お母さん”になると──幼い少女を涙を流しながら伝える。


「わたしの……お母さんに……?」

「うん……! もしかしたら、約束出来ないかもしれないけど……わたし、いっぱいお勉強して、いっぱい良いことして、素敵な人と結婚して──いつか、シンティアのお母さんになるの……!!」


 別れを惜しみ、ヤーノの声は震える。それでも、少女の表情(かお)には──消え逝く少女への“祝福”と母としての“愛情”があった。


「あの人のおまじないがあったら……シンティアを……わたしの子どもとして、産んであげられるって……言ってたの……だから……!」


 あぁ──なんてわたしは愛されているのだろう。あんなに酷いことをしたのに、あんなに悪いことをしたのに、わたしを抱いてくれているヤーノは──こんなわたしを愛してくれて、お母さんにもなってくれるなんて……。


 シンティアの心に広がるのは暖かな感情。死してもなお、途切(とぎ)れず、失われず、(つむ)ぎ続けられる──母の愛。


「だから……わたしのこと……お母さんって言ってくれますか……?」

「嬉しいわ……嬉しいわ……あぁ、なんて嬉しいのかしら……! 罪を(つぐな)ったら……もう一度、()いに行くわ──お母さん……!!」


 愛は確かに(つむ)がれ──人間(ヒト)の少女と魔物(スライム)の少女は“母と子”となる。


 その愛を最期まで肌で感じながら──スライムの少女、渇愛(かつあい)の少女は光となりて満天(まんてん)(ほし)(かがや)(ソラ)へと消えていく。


 彼女の名は──シンティア。愛を求めて、愛に狂い、愛を得て人間(ヒト)へと至った少女。


「またね……シンティア……。次に()う時は──素敵なお母さんになってるからね……」


 一つの出合い、一つの別れ──それを通じて、少女は一つ大人になる。もう一度、お母さんに会わせると約束したスライムの少女を信じ続け、彼女の蛮行(ばんこう)に心を痛め、それでも救おうとした少女の小さな冒険譚。


 顔を見上げれば彼女の居る満天の星空、瞳を閉じれば浮かぶ金色(こんじき)の瞳の──未来の“我が子”の姿。


 再会を願い、慈しみの愛を誓った少女は“薔薇英石(ローズクォーツ)”に輝く左眼と、金色(こんじき)に輝く我が子(シンティア)と同じ右眼と共に──いつかの未来を夢観る。

次回で第三節も終了……だと思います。


想定した内容通りに筆が進めばですが(´・ω・`)


では次回もよろしくお願いします(・∀・)ノシ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ