第四十九話:母を訪ねて㉑/彼女はそれを“愛”と知る
「あぁああああああああああああ!!!」
自らの身体を取り戻そうと藻掻く少女の声が、怪物となった少女の口から溢れる。懸命に抗い、死に物狂いで足掻き、母に会わんと生命を輝かせて。
「身体が……分裂している……!?」
その足掻きは、地べたで尻もちを着いて驚嘆の声をあげるフィナンシェはおろか、戦いの行く末を背後で見守る母親たちやカティスにも見て取れていた。
巨大スライムの上に居るヤーノの身体は激しく鳴動し、乱れた映像のように彼女の身体が二つにブレていく。人間の身体をした“薔薇英石”の瞳の少女と、人間の身体を模倣しただけのドロドロのゼリー状の生物とに。
(身体が分裂しかかっているでちゅ……!)
幼い少女は声を張り上げ、必死に抵抗する。自分の身体に巣食う魔物を引き剥がし、愛しき同居人と決別する為に。
(だめ──このままじゃ間に合わないッ!!)
しかし、分裂もごく僅か、輪郭がほんの少しブレた程度。
(あのままじゃ──心臓も核も同時に斬っちゃう……!!)
少女の心臓に結合していたスライムの“核”も完全には分離しておらず──スティアの剣閃がふたりの心臓と核を両断し、どちらも殺めてしまう事は火を見るより明らかだった。
スティアの剣がヤーノの心臓に届くまであと1秒。必死に抵抗を続ける少女は力の限りに叫び、巣食う魔物を振り払おうと藻掻き続けるが──間に合わない。
目の前に迫る怪物に決死の特攻を仕掛けるスティアにこの機会を逃し、二撃目を放つほどの体力は残されていない──この一撃で雌雄を決するより他は無い。
「させ──ない──わッ!!」
すぐそこまで迫った“死”を退けようと、スライムの少女は自身の意識に、再び炎を灯して最後の抵抗を試みる。人間の身体から分裂して露わになった水色のゼリー状の左腕を鋭く尖った触手へと変化させ──迫りくるスティアへと突き伸ばす。
空中にいて、なおかつヤーノに向かって特攻している瀕死のスティアに彼女の触手を避ける術も体力も残されていない。身を捻っての回避は不可能、剣で防げば勢いを失って落下し、防がなければ顔面に触手が突き刺さって即死するだろう。
(お願い──もう死んでッ!!)
賽は投げられた──持てる全てを出し尽くしたスライムの少女に出来る事は、ただ祈るのみ。どうか死んでください、どうか諦めてください、どうか──あの子を傷付けないでください。それだけを祈って。
だからこそ──、
「────『聖霊光』!!」
────地べたで膝を着いて倒れていたフィナンシェが放った“聖なる光”がヤーノの触手を撃ち抜いて消滅させた瞬間に、勝敗は決した。
(あぁ……わたしの“負け”だわ。悔しいわ、悔しいわ、悔しいわ……!)
逃れられぬ“敗北”を、避けられぬ“死”を悟り、少女は嫉妬の焔から解き放たれる。
目に映るは──朱い月、黒髪の少女の碧と金色の瞳、迫る銀色の剣閃。耳に聴こえるは──黒髪の少女の叫び声と間近に聴こえる愛しい同居人の必死の叫び声。
(あぁ──わたしも……お母さんに愛して欲しかったわ……)
彼女に──名もなきスライムに、走馬灯のように流れる美しい“思い出”は無い。あるのはただ、ヤーノから盗み獲った偽りの記憶だけ。
(きっと罰が当たったんだわ……。卑しい魔物なんかが──お母さんの愛を欲しがったから……)
迫りくる白刃を──自らの生命を絶たんとする裁きの刃を見つめることしか出来ない名もなきスライムは、最期に想う。
(でも……どうせ死ぬのなら──せめて最期に……!)
もはや“死”は避けれない。それでも──何かを残したい。だからこそ、名もなきスライムは最期に──ヤーノを自らの手で引き剥がした。
「────なッ!?」
「…………スラ…………イム…………さん…………」
残った右腕を──ドロドロに溶けた腕を懸命に衝き動かして、名もなきスライムはヤーノを掴んで放り投げる。スティアの剣が届かない場所へ、自分の“死”に巻き込まれない場所に。
(さようなら──愛しきヤーノ)
死が迫って来ている──それでも、彼女の心に灯る感情は溢れ出る“慈しみ”だけ。
(わたしに……素敵な思い出を見せてくれて──ありがとう……!)
目の前の敵対者が振り抜く剣は、もはや彼女の眼には映らない。その眼に映るは──徐々に遠ざかって行く少女だけ。
(あなたが──お母さんに再会えることを願っているわ……)
人間の“器”を失い、人間を模しただけのスライムとなった少女は──両腕を広げて間近に迫った“死”を受け入れる。それでも、瞳から涙は流れて頬を伝う。
その少女の頬を伝う涙が、哀しみに溶けてなくなる前に──、
「────さようなら」
────別れの言葉と共にスティアの剣が彼女の身体を斬り抜け、“核”を両断した。
独り寂しく小さな洞穴で生まれ、幼き少女を喰らい、母親の愛情に恋い焦がれ、嫉妬の焔に狂ってまで──愛に渇いたスライムの少女の生命は此処に尽きた。
ずっと嫌いだったゼリー状の身体が、憧れた思い出が、恋い焦がれた感情が──壊れて消えていく。器から溢れた水のように、彼女の身体から全てが消えて流れていく。それでも、たった一つだけ守り抜いた、残せたものがあった。
自らの生命を賭してまで、愛しき人を守りたいと願った感情──彼女はそれを“愛”と知る。
遂に決着!
小出しに書いていたので仕方ないですが、長かった……!
第三節はあと数話で話を完了させて終了になりますので、もう少しだけお付き合いいただけるとありがたいです(`・ω・´)ゞ