第四十八話:母を訪ねて⑳/少女の頬を伝う涙が、哀しみに溶けてなくなる前に
「グォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
スティアとフィナンシェに向かって、巨大な怪物と化したスライムの少女は荒ぶる獣のように咆哮し──鋭利な爪の如く尖った触手が鞭のように迫りくる。
「“我を護れ 堅牢なる盾よ”──『白き盾』!!」
その無数の触手を魔法で懸命に防ぎながらふたりはヤーノへと距離を詰めて行く。
「スティアちゃん──身体は保ちそう!?」
「ぶっちゃけ、もう無理っ! 多分、あと一撃が限界かも……!!」
「わたしももう魔力が殆ど残ってないの……! あと初級魔法2回ぐらいが限界かな……!」
ふたりに残された力はあと僅か──スティアの身体は既に死の淵で発揮される火事場の馬鹿力の領域へと達しており、フィナンシェの魔力も殆ど残されていない状態だった。
「なら──わたしたちに残された道は一つ……!」
故に、彼女たちが生き残る方法はたった一つ。
「────次の一撃で確実に倒す!!」
次の一撃で決着を──憐れな“怪物”に魂の救済を。
「スティアちゃん……因みに──作戦は?」
「…………ぶっちゃけ──無計画……!」
「…………はぁ、だと思った」
がむしゃらに触手を振り回すヤーノの攻撃を、フィナンシェの“盾”に頼らずに既での所で躱しながら、ふたりは少しずつヤーノへと距離を詰めて行く。
迫りくる触手を身を屈めて躱し、足を掬わんと地を這う触手を跳んで避け、槍のように飛んでくる触手を剣でいなし、鞭のようにしなる触手を杖で払い、少しずつ、少しずつ──両者の間に跨がる間隔を狭めていく。
「攻撃が──激し過ぎる……!?」
「このままじゃ……わたし達が先に殺されちゃう……!!」
両者の間の距離は、たった10メートル──たったそれだけの距離なのに、昨日の選抜試験の時には一瞬で駆け抜けた距離の筈なのに──ふたりにはその僅かな距離がとても長く感じられた。それほどまでに──距離を狭めれば狭める程に、ヤーノの攻撃は苛烈さを増し、凶気はより一層に濃くなっていく。
「アァアアア──ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!!!」
死に直面し──自らの生命を、自らの種を、愛すべき者を護らんと、生命を輝かせて懸命に抗う者の如く、ヤーノは死に物狂いでふたりを排除しようと攻撃を繰り返す。
「くッ──この……!?」
「きゃ……!? だめ──もう避けきれない……!!」
スティアとフィナンシェを殺さんと、無数の触手は複雑に入り乱れ──蜘蛛の巣のような網目となってふたりを絡め取ろうとする。
そして──、
「あぐ────っ!!?」
「フィーネ!?」
────乱れ飛ぶ触手の一本がフィナンシェを掠め、彼女の左の太腿を抉っていく。
傷はまだ浅い、数ミリ皮膚が抉れただけだ──しかし、太腿を大縄で擦ったような創傷からは血がドバドバと流れ、その激痛にフィナンシェは膝を着いて動きを止めてしまう。
「オ”ォ”オ”オ”──ガァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!」
そのフィナンシェの隙を逃す筈も無く──ヤーノの雄叫びと共に、全ての触手が一斉にふたりに襲い掛かる。
「────クソ……ッ!! あと……少しなのに……ッ!!」
フィナンシェを庇うように構えるスティアだったが、四方八方から飛来する触手を全て捌き切る技量など今のスティアには無く──後は無数の触手に身を貫かれ、徹底的に嬲られて殺されるしか道は無かった。
だが──、
「「「「“我を護れ 堅牢なる盾よ”──『白き盾』!!!!」」」」
────まだ希望は潰えず、戦いは終わらず、ふたりの生命の灯火は消えず。スティアとフィナンシェを守るように、全方位に隙間なく貼られた魔法の“盾”が──触手を受け止める。
「これって……!?」
「まさか……!?」
ふたりを守ったのは──後方に岩陰に身を潜めていた母親たち。スティアとフィナンシェに向かって目一杯に手を伸ばして“盾”の魔法を唱え、危機に瀕したふたりを守り抜く──生命を賭して子を守る母のように。
「私たちだって魔法の心得ぐらいはあるわ……!!」
「ふたりとも──そんな奴に負けちゃだめよ!!」
「スティアちゃん……フィナンシェちゃん……負けないで!!」
白き盾と共に贈られるのは母親たちの精一杯の声援。あなた達だけじゃ無い──私たちも共に闘っていると、まだ年端も行かぬ少女たちの精神に暖かな言葉を贈る。
「ア”ア”ア”──ドウシテ、ドウシテ、ドウシテ!! ナンデ──アナタ達ガ、私ジャ無クテ……アナタ達ガァアアアア!!!!」
その光景を見て、ヤーノは狂ったように喚き散らす。嫉妬、嫉妬、嫉妬──自分が得られなかった“母の愛”を、敵対するスティアとフィナンシェがいとも容易く得たことが、ヤーノの精神を激しく掻き乱し、妬み嫉みの炎に心を焦がす。
それは罪深き人の業、其は“七つの大罪”が一つ──嫉妬。哀しきかな──母親たちに拒絶され、激情に心を喰い散らかされ、醜い怪物に成り果てて──ヤーノと言う人間に焦がれたスライムは、嫉妬の焔と共に“人間”へと変生する。
「返セ……ッ!! 私タチノオ母サンヲ──返セェエエエエエエエエ!!!」
嫉妬に狂った者の末路は──“破滅”だとも知らずに。
「────ッ!? な、なに…………地面が…………!!」
「揺れてる……!?」
嫉妬に狂い、スティアとフィナンシェに『返せ』と駄々をこねる子どものように喚くヤーノの叫びと共に、“ズゴゴゴゴゴッ!!”と激しい地鳴りがふたりの足元から聴こえてくる。
「──きゃ!? スティアちゃん──何を!?」
「ごめん、フィーネ!!」
明らかな攻撃の予兆──地面を通じて伸びてくるであろうヤーノの攻撃に、瞬時に危機を察知したスティアは咄嗟にフィナンシェを突き飛ばし、母親たちが展開した“盾”の外へと追いやる。
次の瞬間だった──、
「きゃああああッ!!?」
────スティアの足元の地面を突き破り、巨大なスライムの触手が噴水のように噴き上がってスティアへと襲いかかる。
「スティアちゃん!!」
不幸中の幸いか──先程、母親たちが“盾”の魔法を展開した際に、万が一に備えてふたりの足元にも“盾”を忍ばせておいた者の機転によって、盾で守られたスティアは触手の直撃から逃れることが出来た。
しかし──、
(まずいでちゅ……直撃は防げても、今度は宙に投げ出ちゃれてしまっているでちゅ……!!)
────状況は決して良くはない。触手の攻撃こそ防げたものの、下からの攻撃によって突き上げられた“盾”がまるで発射台のようにスティアを吹き飛ばしてしまい、彼女の身体は宙に──ヤーノよりも高い位置へと投げ出されてしまう。
(やばい……!? このままじゃ──空中で袋叩きにされちゃう……!!)
空中に投げ出されたスティアに抵抗の術は無い。次にヤーノの攻撃が加えられれば──スティアは確実にヤーノに生命を奪われるであろう。
そして、そのスティアの感じる脅威が的中するように、ヤーノが従える巨大スライムから7本の触手がスティアに向かって振るわれる。
(あっ──だめ……避けられない……!!)
7本の触手はスティアに狙いを定め、全方位から迫りくる。もはや、避けることは出来ない──そう、スティアが半ば観念した時だった。
『お姉ちゃん……わたしが──この子を止めるから!!』
スティアの頭の中に響く少女の声。
(ヤーノちゃん……ッ!?)
スライムの少女の精神の中──空と水の境界に囚われた少女の声。
「カ”ァ”ア”ア”──ッ!? アァ──ガッ!!?」
その少女の声と共に、暴走していたヤーノは何かに悶え苦しみだし、迫り来ていた7本の触手は──スティアに当たることなくわざと避けるように、彼女の脇を逸れていく。
『わたしがこの子を止めるから……お願い──わたしたちを殺して……!!』
スティアの心に語り掛ける少女の声。まるで止まったように時間は緩やかに。
(あやつの心が大きく乱れて……器の少女が肉体の支配権の一部を奪取ちたようでちゅね……!)
嫉妬に狂ったが故に、大きく精神を取り乱してしまったヤーノ。その隙を突いた器の少女は肉体の支配権の一部を奪い、スティアに向けられた触手の攻撃を防いでみせた。
『この子の“核”は──心臓にあるわ……!!』
悶え苦しむヤーノの心臓が朱く光る。其処こそがスライムの少女の“急所”──そして、同時に『ヤーノ』と言う少女の“急所”でもあった。
(だめ……! 心臓を潰したら──あなたも死んじゃうわ!!)
自らの生命を差し出してでも、スライムの少女の暴走を止めようとする少女の儚くも、強い信念に満ちた覚悟。
『いいえ──それで良いの。迷惑かけてごめんなさい……死んで、罪を償うわ……!』
まだ幼い少女から溢れるのは、年齢には不釣り合いな贖罪の言葉。それほどまでの“罪”を孕んでしまった少女の、押し潰されそうな震える声。
(だめ……だめ、だめ、だめッ!! 死んじゃだめ──死んだら……誰もあなたを救えない!!)
そんな少女は悲壮な覚悟を、“それは違う、間違っている”と──スティアの心は叫ぶ。
(生きて助ける! 絶対にあなたを──死なせないッ!!)
スティアの心に火は灯り、一度は潰された金色の右眼が輝く。
『お姉ちゃん……でも、わたしは……!!』
(教えて……お母さんに──もう一度会いたいでしょ!?)
建前では無く本心を──スティアは少女に問う。彼女の“本当の願い”を。
『わたしは……わたしは……!』
少女の声は戸惑いの色を隠せず、“死の恐怖”に怯えていた少女の声色が、別の感情に震えだす。
『わたしは……会いたい……』
それは、死に逝く運命だった幼い少女が──スライムと“悪魔の取り引き”をしてでも願ったささやかな願い。
『お母さんに……もう一度……会いたいよぉ……!!』
それが──、
(あなたの──本当の願い……!)
────少女の願い。母との再会を心から望んだ、無垢なる少女の儚い“願望”。
「────フィーネッ!! あたしの頭上に“盾”をッ!!」
「────ッ!! “我を護れ 堅牢なる盾よ”──『白き盾』!!」
宙に舞う“親友”の合図に合わせて、フィナンシェが詠唱した“盾”がスティアの頭上に──花開くように現れる。そして、身を翻して“盾”に足を着け──少女はスライムの少女を見据えて、天に足を向けて身を屈める。
「ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ……ッ!! 来ナイデ……ッ!!」
ヤーノの眼前に映るは──朱き月を背後に、此方に構える黒い髪と碧き左眼と金色の右眼の少女。
「今のあなたなら──そいつを身体から引き剥がせるッ!! 絶対に──諦めないでッ!!」
母との再会を願う少女に力の限り叫び、スティアは足元の“盾”を力いっぱいに踏み込んで──眼下に構えるヤーノに向けて一気に飛び込む。
スティアとヤーノの距離はほんの10メートル。接触までたったの数秒。
「ヤーノを──放せぇええええええ!!」
少年との約束を、母親たちとの約束、少女との約束を──果さんとする少女。
「カ”ァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”──ッ!!」
少女を喰らい、母を攫い、愛に狂った──渇愛の少女。
「あぁ──あああああああああああっ!!」
スライムに身体を差し出してでも──母との再会を夢見た少女。
それぞれの想いは絡み合い──やがて決着の時へと至る。戦いの結末は──少女の頬を伝う涙が、哀しみに溶けてなくなる前に。
次回、いよいよ決着です(多分)
戦いの結末やいかに……!?
それではまた次回もよろしくお願いします(・∀・)ノシ