第四十六話:母を訪ねて⑱/偽りの“愛”は終わりを告げて
「が…………ッ…………!!」
ヤーノの口から流れたのは──赤い血。スティアが振り下ろした剣はスライムの少女の身体を左肩から右の脇腹にかけて一刀に伏せ、遂に“怪物”は膝を屈する。
(赤い血…………もう、だめだわ…………)
膝を地に着いて力無く項垂れたヤーノは、口と身体に付けられた傷から滲む赤い血をぼんやりと眺めながら、自らの“終わり”を予感する。
「はぁはぁ……ゲホッゲホッ……!! さぁ──あんたの負けよ……今すぐ、その身体を元の持ち主に返しなさい……!!」
目の前のヤーノが微動だにしなくなったのを確認したスティアは、手を膝に置き血反吐を吐きながらも、最後の力を振り絞ってヤーノに“負け”を受け入れるように勧告する。
「いや……いやよ……いやだわ……! わたしは……愛されたい……この子を……ヤーノを──お母さんに会わせてあげないと……!!」
誰もが──他ならぬ自分すらも“敗北”を認めている。それでも、ヤーノのと言う魔物は往生際悪く“愛”に縋り付く。まだ、自分は愛されてないと、あの子との約束を果たせてないと、譫言のように呟きながら。
(これ以上、傷を付ければ──器にされたヤーノちゃんの身体が耐えれない……! 何とかしてこいつを諦めさせないと……!!)
そのみっともない執着に、スティアは焦燥感を覚える。ヤーノに巣食うスライムを本来の彼女か
ら切り離す為には、まだ戦う必要があるのかと。
しかし──自分の身体も限界で、これ以上ヤーノの身体に傷を付けると取り返しがつかなくなると、スティアは薄々感じ取っていた。
「いい加減にしてよ……!! あんたは負けたの、もう──諦めなさい……!!」
生命のやり取りは決着した。あとは、生に縋るヤーノの心を折るだけ──故に、スティアは語気を荒らげてヤーノを糾弾する。諦めろ、負けを認めろと。
「お母さん……お母さん……お母さん……助けて……! わたしを、ヤーノを──助けて……!!」
その言葉を拒むように、ヤーノは再び母親たちに救いを求める。母なら、自らの生命を賭して子を守る──それこそが“愛”だと信じて。
「身体中が痛いの……! お母さん……お願い……助けて……!!」
既に立ち上がる事すら出来なくなったヤーノは、よろよろと左手を母親たちに伸ばして、掠れるような衰弱しきった声で懸命に助けを乞う。最早、彼女にはそれしか縋る手段は無く、信じる“愛”に縋り付く事だけが──ヤーノと言う“魔物”の自己を保つ唯一残された道だった。
「もう……やめましょう……。私は──あなたの“お母さん”じゃないわ」
故に──“母の愛”に餓え続けたヤーノにかけられたその言葉は、彼女にとっては『死』よりも残酷で。
「アヤさん……! もしかして……洗脳が……!!」
疲弊しきったスティアの身体を優しく支えながら、アヤはヤーノに『私はあなたの母親じゃない』と優しく諭す。彼女の瞳には一切の曇り無く、まっすぐと──ヤーノを見つめる。
「声が聴こえたの……『ごめんなさい』って謝る女の子の声が……。それを聴いたら──ぼんやりした意識がはっきりしていったの……」
(あのヤーノの内に眠る器の少女が呼び掛けたのでちゅね……!)
ヤーノとスティアの戦いの最中、ヤーノの精神世界──空と水の境界で独り揺蕩っていた少女が、たったひとりで戦い続けた結果。
(傷を負って、人間と魔物の結合が弱まった隙を突いて──全く、自分の身体も傷付いていると言うのに、なんて健気な小娘でちゅか……!!)
その真相を識るのはカティスのみ。だからこそ、それはスライムの少女にとっては何よりも無慈悲な結末で。
「どうして……? あなたは……わたしの『お母さん』だよね!? ねぇ、そうだと言って……お願い……!!」
突き付けられた拒絶の言葉に、瞳を血の涙で滲ませ、顔をぐしゃぐしゃにしながら──ヤーノは藁にもすがるような思いで、アヤに問い掛ける。
そうだよと、あなたは私の子どもだよと──そう言ってくれると信じて。
それでも──、
「いいえ……私の子どもは──スコアだけ……。あなたは──私の子どもじゃないわ……」
────アヤの答えは変わらない。あなたは私の子供じゃない──それが、ヤーノに突き付けられた“真実”だった。
「あぁ……あぁああ! うそよ……ウソよ……嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!! そんなこと言わないで……わたしを愛して、わたしを愛して、わたしを愛してよ……!!」
身体を震わせて、眼をきょろきょろと泳がせて、激しく狼狽したヤーノが壊れたラジオのように譫言を繰り返す。
「わたしを愛して……わたしを愛して……欲しいの……わたしは──お母さんの愛が……欲しいだけなのに……!!」
長い水色の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら、ヤーノはアヤだけでなく、周囲にいた母親たちにも救いを求める。誰か愛してと懇願するように。
「居ないわ……あなたを愛してくれるお母さんは……何処にも居ないのよ……!」
けれど、其処に居た母親たちは誰ひとりとして──ヤーノに慈しみの視線を向けることは無かった。
ヤーノに残酷な真実を告げるは、立ち上がったフィナンシェ。杖を握りしめ、ヤーノに向けて攻撃魔法の準備を整えながら──彼女は“絶望”で顔を真っ青に染めているヤーノに言葉を紡ぐ。
フィナンシェの周りに立つ母親たち──その誰もが、瞳に輝きを取り戻し、怒りを、恐怖を、拒絶を孕んだ瞳でヤーノを睨み付けている。
「そんな──あぁ、お母さんが……わたしのお母さんが……盗られちゃう……!!」
堪え難い絶望、信じたくない苦痛──それはヤーノにとって、最も残酷な真実。
「よくも私をこんな目に……!!」
怒りに満ちた声がヤーノに向けられる。
「あなたなんか──私の娘でも何でもない!!」
拒絶に彩られた声がヤーノの精神に突き刺さる。
「私たちを──家族の元に帰して……!!」
恐怖に怯える声がヤーノの心を蝕んでいく。
「あぁ、あああ……やめて、やめて、やめて……!!」
母親たちの糾弾の声に、ヤーノは耳を塞いで拒絶する。分かっていたのだろう──その言葉を言われれば、自分の心が壊れてしまうと。
けれど──その言葉は、彼女が犯した過ちの結果であり、それだけが『真実』で。
「この──化け物ッ!!」
母親たちはヤーノを『子ども』だと呼ぶこと無く、ただ残酷に──彼女を『化け物』と蔑んだ。
「あぁ────あぁあああああああああああああ!!!!」
その言葉を──言われたくなかった言葉を浴びせられ、自分を保っていた何かが壊れたのか──ヤーノは天を衝くような慟哭をあげる。
次の瞬間──“ズゥウウウン!!”と重々しい音を響かせて、静寂に包まれていた筈の森が脈動しだす。
「な、何!? 何が起こってるのッ!!?」
「み、皆さん──姿勢を低くして下さい!!」
スティアもフィナンシェも立っていられないほどに地面は揺れ、木々は激しくざわめき、泉は深く波打ってゆく──異常ならざる事態、ヤーノの慟哭に合わせるように暗い森は不気味に蠢いていく。
(まさか──暴走し始めたんでちゅか!?)
それは──母親たちに拒絶されたヤーノの暴走。不安定を越え──完全に崩壊した彼女の精神の歪みに突き動かされ、スライムに寄生されていた森は牙を剥き始める。
わたしを拒絶する“偽りの母親”を排除せよと。
「ス、スティアちゃん!!」
「分かってる……!! 今なら──あいつからヤーノちゃんを引きはがせる筈……!!」
そのヤーノの最後の抵抗に──スティアとフィナンシェは再び心に闘志を灯して武器を握る。
「ワタシの、前から──居なくなってぇええええええええ!!!!」
尊厳破壊回(´;ω;`)
いよいよ6月、まだ第一章……!
ちょっとずつブクマが増えてきて、モチベが上がってます。
まだまだ頑張って行きますので、これからもよろしくです(・∀・)ノシ
評価や感想もお待ちしてます〜(`・ω・´)ゞ