第四十一話:母を訪ねて⑬/彼女はそれを“愛”と呼ぶ
「最後の最後に──『お母さん、助けて』ですって……! ふざけんのも大概にしなさい……!!」
追い詰められたヤーノが最後に縋ったのは、彼女がカヴェレで攫ってきた母親たち。全くの他人である筈の母親たちにヤーノは救いを求めた──助けてくれると信じて疑わず。
「人を喰って、無関係な母親たちを攫って、あたしを散々痛ぶって──挙げ句に、追い詰められたら助けてって……!! アンタどんだけ自分勝手なのッ!!?」
そんなヤーノのあまりにも自己中心的な行動にスティアは怒りを露わにしていく。『母親』と言う存在を知りもしないスライムが、我が物顔でアヤたちに助けを求めたことが心底気に食わなかったから。
「ひっ──!? こ、来ないで……!!」
激昂したスティアの表情に怯えたヤーノが、眼に涙を浮かべながら近付いてくる彼女を拒絶している。その姿は、迫りくる“暴力”に怯える幼子そのもの──だが、目の前にいる少女が人を喰らう凶悪な“魔物”であることを知っているスティアは止まらない。
「今すぐアヤさん達を解放しなさい……! 今すぐその子の身体から出ていきなさい……!! 今すぐ──独りで孤独に死になさいッ!!!」
攫われた母親たちを解放し、魔物に喰われた少女を救い、邪悪なスライムを討ち倒す。それを正義と、それが使命だと、それが自分の成すべき事だと信じて。
しかし、怒りに、使命感に、憎悪に囚われてしまっていたスティアは油断していた。
「お母さん…………助けて…………!!」
目の前で震える少女に意識を集中していたあまりに、彼女は──背後から迫っていた脅威に気付くのが遅れてしまった。
ドサッ──っと、何かが倒れる音が背後から聴こえ、異変に気付いたスティアは、恐る恐る後ろを振り返る。
「そんな……どうして……?」
其処にあった光景は──頭から血を流しながらうつ伏せに倒れるフィナンシェの姿、両手で握った堅い木の幹のような物でフィナンシェの頭部を強打したであろう虚ろな瞳の女性、もう一人の女性に抱きかかえられて顔に護身用の短剣を突き付けられたカティス──そして、スティアの腹部に短剣を突き刺したアヤの姿だった。
「ヤーノを……私の子どもを……傷付けないで……!!」
虚ろな瞳でアヤが呟く──ヤーノを自分の子どもだと、傷付けないでと。
「アヤ……さん……!! 違うよ……あの子は……あなたの子どもじゃ……ない……!!」
突然の強襲に、腹部から全身に走る激痛に、スティアは顔を歪めながらも、目の前で短剣を突き立てているアヤに懸命に言葉を掛け続ける。
(うぐ……ッ、大丈夫……一昨日に比べればまだ浅い……!)
幸いにも傷は浅い。鈍く痛みこそするが、一昨日に腹部に受けた死に至る刺傷に比べれば、まだ遥かにマシだった。
(何とかアヤさんを引き剥がさないと……!! もたもたしてると──あいつが逃げちゃう!!)
ヤーノが負傷で動けない内に、腹部に刺さった短剣からアヤを引き剥がさないと──そう思ったスティアは、虚ろな瞳のまま短剣を固く握りしめているアヤの手を掴み、何とか手を放させようと試みる。だが、ヤーノの操る極小のスライムに脳を犯された母親たちの凶行はまだ終わらなかった。
アヤの背後から──3人の母親たちが、虚ろな瞳と眉一つ動かさない虚無に満ちた表情のまま、スティアに向けて勢い良く駆け寄って来る。
「──────なッ!?」
それに気付いたスティアは急いで回避を試みるが、腹部に刺さった短剣から走る激痛に動きを僅かに鈍らせてしまい──彼女はアヤ諸共、3人の母親に組み付かれて地面へと押し倒されてしまう。
「あぐッ──あぁあああああああああああッ!!?」
地面に倒された際にアヤと母親たちの重みが腹部の短剣へと直に掛かり、より深く身体に突き刺さった短剣が肉を切り刻み、臓器を抉る、その耐え難い激痛に──スティアは悲鳴をあげてしまう。
それでも、何とか自分の両手で短剣の柄を握りしめるアヤの両手をしっかりと掴んで、自分の身体に刃が深く喰い込むのを懸命に防ぐスティアだったが──痛みで徐々に両手から力は抜けていき、ズブズブと気味の悪い音を立てながら短剣の刃が少しずつスティアの肉へと食い込んでくる。
「ひぐッ──あぁ!!」
肉に喰い込む毎に増していく痛みに、眼に大粒の涙を浮かべながらも必死に堪えるスティアだったが──さらなる絶望が、地面に横たわる彼女に襲い掛かる。
「うふふ……うふふふふ……!! いい気味ね、スティア=エンブレムさん?」
仰向けに倒れるスティアの頭部の間近に立つ少女──ヤーノが、苦痛に悶るスティアを見下している。
「ぐッ──お前……!!」
「くすくす……くすくす……げほっげほっ……! どうかしら、どうかしら、どうかしら……!? 感じてくれたかしら……わたしのお母さんの──“愛”を……!!」
身体に走る激痛に必死に堪えながら、スティアに斬り落とされた右腕をゆっくりと再生させながら、傷付いた身体を無理矢理に引き摺ってでも──ヤーノはスティアに対して報復を行わなければ気が済まなかった。
「愛……? 何が“愛”だ、ふざけないでよッ!!」
「いいえ、愛よ……! これは、愛よ……! 我が子を守る──母の愛よ!!」
「この──がッ!? アヤさん、やめて……い、痛いよ……!!」
「ヤーノに……喰って掛からないで……!」
猛るスティアをアヤが虚ろな表情のまま押さえつける。我が子を守る母の愛が如く──例えそれが偽りの愛だったとしても。
「見て、視て、観て……!! お母さんがわたしを守ってくれているわ! あぁ──なんて素敵なのかしら……!」
傷付いた身体を抱えながらヤーノは、けらけらと歓喜の声をあげる。その光景──母が命を賭して我が子を守る様。
彼女はそれを“愛”と呼ぶ。
「この……! あんたの愛は偽物よ!!」
「うるさい……黙りなさいッ!!」
彼女の“愛”を偽物だと宣ったスティア。その彼女の態度に激昂し、ヤーノはスティアの顔を曝した小さな素足で思いっ切り踏み付ける。
「黙りなさい、黙りなさい、黙りなさいッ!! わたしの、あの子の──お母さんの愛を否定しないで!!」
「あぁ!! あぁああああああ!!!」
怒り、憎しみ、ヤーノから溢れる激情が──足蹴にしたスティアへと注がれる。何度も何度も、スティアの顔を踏みつけ、彼女の身体に苦痛を与えていく。
「身体を真っ二つにして、腕を斬り落として、あの子の身体に傷を付けたお返しよ……!!」
顔面に何度も振り下ろされる踏みつけが、徐々に肉へと喰い込んでくる短剣の刃先が──着実にスティアの体力と気力を奪っていく。
(うむむ……油断ちてしまいまちた……! このままではスティアが殺られてしまうでちゅ……!!)
その様子を──スティアが痛めつけられていく様子を、虚ろな表情の母親の人質とされたカティスは黙って観守るしかなかった。
(おれが介入ちゅるべきか……? しかし……おれが手を出ちて事態を無理矢理に解決ちたとしても──あのヤーノと言う小娘どもは救われないでちゅ……)
如何に『傍観者』を気取ろうとも、如何に『魔王カティス』と言えど──“悲劇的結末”は観たくないし、迎えたくもない。
(スティア──お前にかかっているでちゅよ……此度の結末は……!! 最悪──“責任”は取ってやるでちゅ……!!)
故に、カティスは目の前で苦痛に喘ぐ遠い末裔に戦いの行く末を委ねる。彼女だけが──“渇愛”に飢えた怪物を救えると信じて。
「あぅ…………ぐっ──ス、スティアちゃん……!!」
そしてもう一人──後頭部を強打され、地に這い蹲りながらも、フィナンシェは何とかスティアを救出しようと試みる。
しかし、地面に転がった杖と其処に伸ばした手は母親たちに足で踏み押さえつけられ、出血で朦朧とする意識ではまともに行動する事すら難しかった。
(スティアちゃん……お願い……何とか、ヤーノの“隙”を作って……!!)
だからこそ──フィナンシェもまた、スティアに“希望”を掛けるしかなかった。絶望的状況ではあるが、ヤーノと面と向かって対峙しているスティアだけが、荒れ狂う怪物に対抗できると信じて。
「ぐッ……あ、あたしは……あんたなんかには──絶っ対に、負けない……!!」
カティスとフィナンシェが抱く“希望”を知ってか知らずか──4人の母親に取り押さえられ、顔面をヤーノに踏み付けられ、腹部に刺さった短剣が身体を傷付ける状況であっても──スティアも闘志は消えず、顕になった金色の右眼でヤーノを睨み付ける。自分はまだ負けていないと──そう、自らの意志を示すために。
「気に食わないわ、気に食わないわ、気に食わないわ──その右眼……!! その紋章の刻まれた眼……見ていて虫唾が走るわ……!!」
スティアのその眼に、或いはその諦めの悪さに──苛立ちを、嫌悪感を、若干の焦燥感を露わにしながら、ヤーノは踏み付けにしたスティアの心を完全に折りにかかる。
「くすくす……あなただけは、簡単には殺さないわ……! えぇ、殺さないわ……その代わり──身も心も、ぐちゃぐちゃにしてあげる……ッ!!」
未だに再生しきっていない右腕をドロドロのスライムで無理矢理に補強して、水色のゼリー状の右手を作り上げたヤーノは──その不気味な手の人差し指でスティアの右眼を指差す。
「ま、まさか────ッ!?」
ヤーノが何をしようとしているか、スティアが理解した瞬間、ヤーノの指した指が鋭い針のように変形しながら瞬く間に伸びて──スティアの右眼に突き刺さった。
「あッ──がッ…………!!!」
「あらあら……声も出ないのかしら? くすくす……目玉を潰された気分は如何かしら?」
針のように鋭くなった人差し指に突き刺され──スティアの右眼から血が止めどなく溢れ、一瞬で意識を失いかねない苦痛に、スティアは最早声をあげることも出来なくなってしまう。
「くすくす……思い知りなさい……! わたしの、あの子の、お母さんたちの──愛を、痛みを……!!」
ぐちゅぐちゅ──と、何かを描き回す不快な音が身体の内側から響き、身を焼くような激痛がスティアを一気に蝕む。
「くすくす……ねぇ、感じてるかしら……? 傷口から入ってくるものに……!」
激痛と不快感と共に、身体に感じる“違和感”──右眼に刺さった“針”から何か得体の知れないものが入ってくる感覚を、途切れそうな意識の中でスティアは感じていた。
「くすくす……教えてあげるわ……! 今、あなたに注ぎ込んでいるの……スライムの因子を……!! あなたは──身体の内側からスライムになるのよ!!」
それは──悪魔の所業。ヤーノが突き刺した“針”から注入されるスライムの因子をスティアに定着させ──彼女を身体の内側からスライムに変えると言う身の毛もよだつ行為が、今まさに行われていた。
「スライムに……あたしが……? いや、いや──いやぁあああああああああッ!!!」
スライムにされると言う事実を、右眼から注がれる得体の知れない何かのせいで実感させられたスティアは、肉体的にも精神的にも限界になったのか──とうとう絶望的な叫びをあげてしまう。
「くすくす……くすくす……いい気味だわ……!! 泣きなさい、恐怖しなさい、絶望しなさい……ッ!! そして──身も心も……無様で、みっともなくて、みみっちい──スライムになってしまいなさいッ!!」
激痛で身体の感覚がなくなっていく、徐々に“人間”としての感覚がなくなっていく。
「スティアちゃん……!!」
(スティア……!!)
その耐え難い苦痛に──、
「あぁ──あっ…………!!」
──スティアの意識はぷっつりと途切れてしまい、彼女の精神は深い深い闇の中へと呑まれていってしまった。
「おやすみなさい……スティア=エンブレムさん……。次に会う時が楽しみね……!」
それが──この戦いを左右する、決定的な出来事だと、ヤーノは未だ気付いてはいなかった。
めちゃめちゃスティアのこと痛ぶってますね(-.-;)
早く続きを書きたいのに、急にお仕事ががががが……!!
なるべく早く執筆しますので、次回もお楽しみに〜♪