プロローグ④:切り札 -Cheat-
「魔王九九九式──『煉獄の断罪怨鎖』」
魔王カティスの言葉と共に魔法陣は勢いよく紫色の禍々しい焔を噴き出し、そこから4本の鎖が勇者ウロナに向けて射出された。
魔王カティスと勇者ウロナの距離はおおよそ20メートル。射出された鎖が勇者ウロナに着弾するまでの時間──僅か0.3秒。
だが、類稀なる身体能力を女神より授かった勇者ウロナは、凄まじい勢いで迫ってくる魔王カティスの鎖を着実に見切っていた。
鎖が直撃する間際──勇者ウロナは次の跳躍のために踏み込んでいた右足に瞬時に魔力を流し込み、一気に放出しながら足を真横に弾く。
その反動で無理やり軌道を切り替え左に向かって大きく跳躍、魔王カティスの放った鎖を間一髪の所で躱してみせた。
「ほう──」
僅かに、感嘆の声を漏らした魔王カティスだったが、大きく跳躍した勇者ウロナが床に着地するより速く──人差し指で右を指し示し鎖に指示を与えた。
4本の鎖は勇者ウロナの着地と同時に進行方向をグニャりと捻じ曲げて、獲物に喰らい掛かる蛇のように再び勇者ウロナへと迫りくる。
勇者ウロナは着地の衝撃を軽減するために、腕が床に触れるぐらいに膝を大きく曲げて姿勢を低くしている。
次の魔力放出による跳躍は至難、追撃は必中──そう魔王カティスは予測していた。
しかし──、
「──“詠唱破棄”──!」
勇者ウロナは、姿勢を低く保ち、魔王カティスから視線を一切逸らさずに──右腕を迫りくる鎖へと向けて、魔法を描く──。
──“氷雪系、究極魔法”──
「──『絶対零度』!!!」
そして、勇者ウロナの描いた魔法陣から放たれた白い閃光は魔王カティスの鎖を一息で呑み、―273℃の冷気で瞬きより速く凍りつかせた。
(……なんだ、意外と冷静じゃないか)
分かっていたのだろう。この『煉獄の断罪怨鎖』がただの鎖じゃないことぐらい。
躱したからと安心せず、鎖が追撃を掛けることを読み──氷雪系の魔法で凍らせる、という適切な判断を下してみせた。
そんな勇者ウロナの咄嗟の判断に、魔王カティスは自らの予測を良い意味で裏切ってくれたと、思わず感心してしまう。
だが──魔王カティスの感嘆の表情に目もくれず勇者ウロナは次なる一手を仕掛ける。
「“詠唱破棄”──『地獄の業火』!!」
勇者ウロナの掛け声と共に、魔王カティスの掛ける玉座の足元から赤く輝く魔法陣が出現する。
そして、その魔法陣に魔王カティスが目を向けた瞬間──魔法陣は眩い閃光と共に、真っ白に輝く豪炎を魔王カティス目掛けて噴き出した。
一瞬──瞬きをする間もなく玉座の間は凄まじい熱波に包まれ、魔王カティスは玉座に座したまま業火に灼き払われ続けていた。
(これはウロナの得意としておった炎熱系の究極魔法……『地獄の業火』!!)
玉座を包む豪炎に必死に目を凝らしながら、賢者ホロアは勇者ウロナが放った魔法の特性を思い返す。
荒れ狂う灼熱は余りの高温に真っ白なほど煌々と輝きながら噴き出し続ける。
その温度──実に摂氏10万℃。魔法陣の外周部に施された結界が無ければ、この玉座の間そのものが一瞬にして灼熱地獄に変貌するほどの超高温。
(あの炎に灼かれて10秒も耐えた者は存在せん。………じゃが!!)
(あのような炎、我が主にとっては涼風も同じこと)
誰もが、その程度では魔王カティスを倒すことなど不可能だと確信していた。
しかしそれは、勇者ウロナも思っていること。
(この炎……これは単なる目くらまし。奴の真の狙いは……)
地獄の業火に灼かれ続けながら涼しそうにくつろいでいる魔王カティスは、豪炎の壁の向こうに視線を向ける。
この炎を壁にして勇者ウロナは次の一手に移っていると確信していた魔王カティスは、炎の先に目を凝らす。
「魔王九九九式──『澄み渡る明けの空』」
そう言って自らの瞳に術を掛けると、魔王カティスの視界を覆っていた眩く燃え盛る豪炎はみるみる透き通っていき、炎の向こう側の玉座の間を鮮明に彼の瞳に写し出した。
視界を確保すると魔王カティスは玉座の間の端に構えていた勇者ウロナに視線を送る。
そこには魔王カティスが予期した通りに、携えた聖剣を身体の真裏に回る程に大きく振りかぶっている勇者ウロナの姿があった。
そして──小さく息を吸い込むと、勇者ウロナは豪炎に包まれている魔王カティスに向かって勢いよく聖剣を投擲する。
強い回転を加えられた聖剣はまるで丸鋸の様に鋭く円を描きながら、まっすぐと──魔王カティスの首に向かって飛んでくる。
(再び私の首を狙うか……なら)
勇者ウロナの意図を読んだ魔王カティスは──ピッ、と指で炎を一薙する。
すると炎は、刃物を挿れられた布地のように一筋の切れ目を現した。その切れ目から投擲された聖剣を視界に直に捉えると、魔王カティスは瞳に時計盤のような紋章を浮かばせる。
「魔王九九九式──『壊れた古時計』」
すると、魔王カティスに向かって飛んでいた聖剣はまるで時間が止まったかのように空中でビタリと停止してしまった。
それを確認した魔王カティスは、勇者ウロナの一手を潰してやったと小さくほくそ笑む。
だが、まだ勇者ウロナの手は止まっていなかった。
「“詠唱破棄”──『神の雷霆』!!」
いつの間にか玉座の向けて駆け出していた勇者ウロナは、休む間もなく魔王カティスへ向けて魔法によって発生させた紫に輝く雷を落とし始める。
『地獄の業火』の灼熱と『神の雷霆』の雷が魔王カティスを激しく攻め立てていく。
無論、そんなことで魔王カティスはビクともしない。豪炎と豪雷によって再び閉ざされた視界の中で、魔王カティスは静かに勇者ウロナの次の一手に備える。
(聖剣は時を奪ってやった。……さて、奴に残された“切り札”はあと二つ)
勇者ウロナはすぐそこまで迫って来ている。いい加減、自分を取り巻く炎と雷を鬱陶しく感じた魔王カティスは指をパチンッと鳴らして、その風圧で二つの魔法を一気に掻き消した。
開けた視界の先にいたのは──自分の心臓に向けて聖剣を構えたまま飛び込んで来た勇者ウロナの姿だった。
「何っ!?」
初めて、魔王カティスは驚きで目を見開いた。
勇者ウロナは聖剣を投擲して、それを魔王カティスが時を止めて空中に釘付けにした。
なのに、聖剣を拾った素振りもないのに、奴はなぜ聖剣を構えている?
その答えを求めて魔王カティスは、空中で停止した聖剣に目を向ける。
そこには確かに聖剣があった。あったが、魔王カティスが時間の停止を解除した瞬間、その聖剣は色を失ったかのように白くなって、割れたガラスのように砕け散って消えていった。
(これは……“祝福”──『道具作製』!? こいつ、炎で私の視界を封じている隙に聖剣の“写し”を作ってそれを投げていたのか! 本物の聖剣を私の心臓に突き刺すために!!)
理解した時にはもう手遅れだ。
(そうだ。あの時──時間を巻き戻されたとはいえ、この聖剣はお前の首を撥ねていた。なら、この聖剣に女神シウナウスから与えられた“切り札”『対魔王特効』が効くというのなら、今度はお前の心臓を貫いて一撃で殺してやる!!)
勇者ウロナの渾身の一撃は、勢いよく放たれた聖剣は、魔王カティスに抵抗の隙すら与えずに──その心臓に到達する──。
「…………そう、思っていたか?」
──ことは無かった。
ガキンッ、と鈍い音を鳴らして勇者ウロナの聖剣は、魔王カティスの皮膚に傷を付けることも出来ずに受け止められる。
その光景に、勇者ウロナの顔はみるみる青ざめていった。
「なんで……だって……さっきは確かに……首を……切り落とせた……筈……なのに……!」
「あぁ……言うのを忘れていたな。魔王九九九式──『弱き人を、私は愛する』。さっきは自分に弱体化のスキルを使っていたのだ。でなければ、その聖剣で私の首を撥ねれないからな」
「じゃ……弱体化…………だと……!? じゃあ、俺がお前の首を跳ねれたのは……お前のナメプのお陰ってことなのか!?」
勇者ウロナの慟哭に、魔王カティスは鼻で笑いながら首を縦に振った。
すると──ドスッ、と背中に鈍い何かが突き刺さる衝撃を勇者ウロナを感じた。
勇者ウロナが振り向くと、自分の背中に刺さっている4本の鎖がそこにはあった。
「さっきの……!?」
「それは煉獄の業火で編まれた鎖だ。たかだか絶対零度ぐらいで止めれたと思っていたのか?」
──熱い、背中に劇痛が走る。生まれてから今まで一度も『痛み』を受けたことの無かった少年は、初めての苦痛に顔を歪ませる。
そんな勇者ウロナの苦悶の表情に満足げに笑みを浮かべた魔王カティスは悠々と語る。
「あぁ、久々に楽しめたよ。こんなに殺し合いを楽しんだのは、17年前に女神シウナウスを殺った時以来だな」
その言葉に勇者ウロナはおろか、後方で戦意喪失していた賢者ホロアたちも耳を疑った。
女神シウナウス──この世界で最上位に位置する女神様を既に殺していた。
その事実に、勇者ウロナは漸く理解した。
「じゃあ……この聖剣の『対魔王特効』がお前に効かないのは……」
「当然の話であろう。私に無様に敗北した女神の加護が、この私に通用する筈もなかろう……」
そう魔王カティスが言い切ると、勇者ウロナが握り締めていた聖剣は割れた食器のように砕けていった。
「さて……そろそろ退いて貰おうか。私は貴様のような粋りたった子供の顔をまじまじと観る趣味はないのでね」
肩肘を付きながら退屈そうに魔王カティスがそう吐き捨てると、4本の鎖はすかさず勇者ウロナを主から引き剥がそうとする。
誰もが最早打つ手なしと諦めていた。ただ一人──勇者ウロナを除いては。
(まだだ!! まだ俺には“切り札”が残っている)
諦めかけていた眼に再び闘志を燃やすと、勇者ウロナは砕け残った聖剣の柄から手を放し──魔王カティスの首に手を伸ばす。
「なんのつもりだ……? まさか、このまま私を締め殺すつもりなのか? フフフ……随分と笑わせてくれる」
玉座に腰掛けて寛ぐ魔王カティスの首は、まるで鋼鉄できた丸太に手を掛けているような手応えのなさだったが、勇者ウロナの狙いはそこではない。チリチリ、と両者の間の空気が貼り詰める。
(そのまま呑気に笑っていろ! ──第二“切り札”発動!!)
勇者ウロナの眼前に真っ黒な光が凝縮していく。
それは──あらゆるものをも殺してみせる絶対の『切り札』。
万物を概念から殺し尽くす黒き権能。
勇者ウロナ──その数多の栄光の『正体』。
「終われ! ──『死に遵え、死に絶えろ』!!」
放たれた黒い閃光が魔王カティスを穿つ。
この死に例外は無い。これを受けた相手は必ず死ぬ。
それが、勇者ウロナの第二の“切り札”──『死に遵え、死に絶えろ』。
だから頼む──もう死んでくれ。そう勇者ウロナは初めて神様に懇願した。既に魔王カティスによって敗北した女神に。
「フフフ……フハハハハハ!!!」
だから──それでも魔王カティスが死ななかったことは、勇者ウロナの心を折るのに十分な理由だった。
「そん……な…………」
「私は、“生”も“死”も支配する魔王、絶対なる裁定者。私のとって“死”は受け入れるものではなく、選んでやるものだ。そう、私を殺すことができるのは──天上天下にこの私ただ一人!!」
血の気が引いていく。希望が潰えていく。絶望が這い寄ってくる。死が近付いてくる。
「汝の齎す『死』など──届くこと能わず」
そう、魔王カティスが断言した時、勇者ウロナは発狂した。
「う、うぅ……うあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
勝てない、勝てない、勝てない、勝てない、勝てない──負けたくない、負けたくない、負けたくない、負けたくない──。
鎖に投げ飛ばされた勇者ウロナは最早、魔王カティスに視線を向けることすら出来なかった。
──絶望が、死が、敗北が、ケタケタと笑い声をあげながら迫ってくるのを勇者ウロナは実感した。
今まで、俺は誰にも敗れたことなんて無かった。女神シウナウスが、勝ち続けれるように祝福を与えてくれたから。
生まれた時から『勇者』だったから。今まで邪魔してきた相手は全員、最高の“切り札”『死に遵え、死に絶えろ』で殺してきたから。
──なのに、なのに、その末路がこんな無様なものだなんて……信じたくない、認めたくない、知りたくなかった。
けれどもうどうすることもできない。
あの魔王には歯が立たない。
あぁ、最初から決まっていたんだ。俺は……初めから同じ土俵にすら立てていなかったんだ。
初めから、俺に勝てる道理なんて無かったんだ。
だから──もう終わりにしよう。何もかも無かったことにしよう。
投げ捨てられ宙を舞っている勇者ウロナは、虚ろな瞳で虚空を見つめて、ただ一言、諦めの引き金を引く。
「──第三“切り札”実行。……『輪廻よ終われ、世界よ無に還れ』」
「……我が主、『決まったぁ……今の俺チョーかっちょいい』とドヤ顔している場合ではありませんよー」
部屋の片隅でジッと佇んでいたレトワイスが玉座でドヤ顔しながら悦に浸っている主に茶化すように進言すると、完全に上機嫌で舞い上がっていた魔王カティスは『えっ……!?』と素っ頓狂な声をあげながら目の前で起きようとしている異常事態に目を凝らした。
「……っ!! これはまさか──因果消滅魔法か!?」
玉座の間を──魔王城ヴァルタイストの全てを巨大な魔法陣が覆っていく。
それまで勝ち誇った顔をしていた魔王カティスですら、勇者ウロナが行おうとしていることに表情を歪める。
「貴様……!! 仲間たちも巻き添えにして自滅する気か!?」
魔王カティスが声を荒げて叫んだ言葉に、騎士リタと賢者ホロア、そしてキィーラの三人は信じられないものを見るかの如く勇者ウロナを呆然と見据える。
「ウロナ……冗談……だよな? 私たちを殺す……なんて……」
「ウロナ……儂らは……仲間じゃないか……?」
「ご主人……さま……嘘……ですよね……?」
少女たちの悲観の声に、勇者ウロナはケラケラと笑い声を上げる。
「アハハハハハ!! 何が仲間だ笑わせんな!! 最初っから──テメェらは俺の成り上がりのためのただの駒なんだよ!!」
「そん……な……」
「だからよぉ、駒なら駒らしく俺の為に死ね!!」
その言葉に、三人の少女たちは漸く勇者ウロナの本性に気付かされた。
今まで、慕っていた彼は、自分たちをただの便利な道具としか見ていなかった。
今まで、自分たちが過ごしてきた日々は、自分たちが信じた勇者はただの幻想に過ぎなかった。
そんな、残酷な真実を知ってしまい、彼女たちは自分たちを嘲笑うかつての『大切な人』から目を背けてしまう。
「我が主、この光は一体……!?」
「魔法陣の中にある全ての存在を過去に遡って消滅させる──無かったことにする魔法だ。まさか、自分諸共消滅させようとするなどと……愚かな真似を……!!」
勇者ウロナは『自尊心』だけは異様に高い。
だから、最後の『切り札』は──万が一の時の保身のために使うと魔王カティスは踏んでいた。
いざとなれば、逃げの一手を打つための『切り札』。
しかし──魔王カティスの予想を裏切り、勇者ウロナがとった行動はやけになった自爆行為だった。
「これを使えばテメェの存在そのものが消えてなくなっちまうと思っていたから出来れば使いたくなかったんだがよぉ、どうせ効かねえんだろ? だったらよ、せめてテメェ以外の全てを巻き添えにしてやるよ!!」
そう──たかだか“あらゆるものを消滅させる”程度の魔法なんて魔王カティスには微塵も効きはしない。
こんなものは勇者ウロナの、自分の『敗北』を認めることのできない男のただの悪あがきに過ぎない。
問題は、その悪あがきで魔王カティス以外の全員が巻き添えで死ぬことだ。
「貴様の独善で、この三人を巻き添えにする気なのか!? 勇者キリアリア!!」
「そうだ!! 俺は『負け』なんて認めねぇ!! 認めるぐらいなら死んでやる!! こいつらは──その道連れだ!!」
魔王カティスは怒りを顕にする。
そんな身勝手は許してはいけない。
彼女たちには何の落ち度もないのだから。
この魔法の発動を許してはいけない。
魔王カティスは遂に重い腰を上げ玉座から立ち上がった。
自分のためではなく──愚かな勇者の道連れにされそうな憐れな少女たちを守るために、魔王カティスは右手に赤黒く迸る強大な魔力を集束させる。
「最後に……もう一度言うぞ。貴様は──此処で死んで逝け! 勇者キリアリア!!」
玉座の間が白く染まっていく。
「死ね! 死ね!! 死ねぇ!!! 魔王──カティス!!!!」
敗北が、音をたてながら迫ってくる。
「魔王九九九式────」
決着の刻はやって来る。
「第三“切り札”──『輪廻よ終われ────」
勇者ウロナの──最後の“切り札”より僅かに疾く。
「────『竜の咆哮』!!」
魔王カティスの一撃が、勇者ウロナを呑み込んだ。
──竜の咆哮のように唸る轟音を纏い、魔王カティスの右腕から撃ち出された赤黒い光は、勇者ウロナを消し飛ばし、玉座の間の天井をぶち抜いて、魔王城ヴァルタイストを突き抜けて、白い破滅を打ち破り、朱い夜を切り裂いて、そのまま宇宙の彼方へと消えていった。