第二十五話:ギルド試験狂騒曲⑱/死への10秒、生存への10秒
スティアとフィナンシェの死まで──残り10秒。
意を決したふたりは最後の曲がり角を勢いよく走り抜ける。最早、ふたりに後ろを振り返る猶予は無い。スティアは腰に下げていた剣を引き抜き、フィナンシェは両手で杖をしっかりと握り締める。
────残り9秒。
ふたりの眼前に、“その光景”は飛び込んで来る。
行き止まり──長く続いた廊下は突然現れた壁に阻まれて、その道を途切れさせている。通路を隔てるようにそびえる壁には観音開きの木製の扉が一つ。その先は、この家主のお気に入りの“宝物庫”、先に道は続かない。
────残り8秒。
スティアとフィナンシェに僅かに遅れて、ハウンド・クイーンも曲がり角に差し掛かり、壁に勢いよく胴体をぶつけながら逃げるふたりに身体の向きを合わせる。
曲がり角から“行き止まり”迄は、約10メートル。女王とふたりの少女の距離は、約3メートル。
行き止まりを認識し『勝利』を確信した女王は、後ろ足に渾身の力を込め跳躍に備える。ふたりの華奢な身体に、確実に牙を突き立てる為に。
────残り7秒。
「“我を護れ 堅牢なる盾よ”──!!」
しかし、そのハウンド・クイーンの跳躍への動きを測っていたかのように、構える女王に向けて身を翻したフィナンシェは──手にした杖を敵に向け、力強く魔法を唱える。
────残り6秒。
「来い……この化け物!!」
フィナンシェの動きに合わせて、スティアも身体をハウンド・クイーンへと向け──手にした剣の鋒と勇ましく輝く碧い瞳を魔犬の女王へと合わせる。
────残り5秒。
“何だ──妾の動きが読まれていた?”
あまりにも都合良く──まるで照らし合わせたかの様に自分の跳躍への迎撃準備を構えたふたりの小娘に、ハウンド・クイーンはほんの僅か、瞬きの間の“刹那”だけ、動揺をする。
その、一瞬の“揺らぎ”こそが命取りだと気付きながら。しかし、最早──目一杯に圧縮された後ろ脚の筋肉のバネを弛める事は出来ない。
後ろの壁を踏切台に見立て、思いっ切り踏み抜いたハウンド・クイーンは大きく跳躍。鋭い牙を剥き出しにして、真っ直ぐ──目の前にいるスティアに目掛けて飛び掛かる。
────残り4秒。
「────『白き盾』!!」
詠唱と共に、スティアとフィナンシェの眼前にまるで咲き誇る“麝香撫子”の様に──白き盾が現れる。
フィナンシェが操る白い盾──敬愛する冒険者の伯父から授かった、彼女が最初に覚えた『魔法』。
────残り3秒。
“弱い、弱い、弱々し過ぎる──斯様な盾なぞ、妾の牙の一突きで粉々ぞ”
目の前の人間の小娘どもが出した白い盾の強度を瞬時に見抜いたハウンド・クイーンは、その盾が──彼女たちの“最期の足掻き”だと、嘲笑うようにニタリと目を細めながら──白き盾に牙を突き立てた。
────残り2秒。
パキィン──と、硝子が割れる様な音と共に、ハウンド・クイーンの牙がフィナンシェの白き盾を安々と貫通する。ほんの僅か、たったのコンマ1秒──ハウンド・クイーンの動きが静止する。
だがしかし、フィナンシェの今はまだ可憐な花の如き“盾”では、怒りに燃える女王の牙を食い止める事は叶わない。女王はほんの少しだけ顎に力を込めて──牙で貫かれた“盾”を完全に砕ききった。
────残り1秒。
白い盾は、粉々になった硝子の様に細かい粒子になって四方八方に飛び散る。ふたりの少女を護るものは無くなった。後は、勢いそのまま──ふたりの腹を食い破るだけ。
しかし、勝利を目前に捉えた筈のハウンド・クイーンの目に飛び込んできたのは──両手で剣を大きく振り上げながら、女王の目の先、僅か数十センチの所まで跳躍して迫っていたスティアの姿だった。
“莫迦な──何故、此奴は妾の眼前にいる。何故、妾より高く跳んでいる?”
その答えを求め、ハウンド・クイーンはほんの一瞬だけ視線を泳がす。眼前には自分に剣を突き立てようとする黒髪の少女、眼下には黒髪の少女を見守るピンク色の髪の少女、花のように散った白い盾、そして──地面に添えられるように設置されたもう一枚の白い盾。
“まさか──妾の砕いた盾は目眩まし? 彼奴らの本命はあの地面に添えた盾──あれを踏み台にして跳んだのか?”
そう、フィナンシェが魔法で展開した白い盾は2枚。彼女たちの“本命”は地面に添えた盾、これを踏み台に使う事でスティアは高く飛んだのである。
「やぁーーーーッ!!」
気付いた所でもうどうしようもない。ハウンド・クイーンの右眼に、スティアの剣は振り下ろされる。
────残り0秒。決死の一撃は決まり、スティアとフィナンシェの“死”の未来は覆る。
だが、まだ戦いは終わらない。次の10秒を凌がなければ、ふたりに再び“死”が降りかかる。
────決着まで、あと10秒。
「Ga────────!!?」
右眼に突き立てられる少女の剣。眼球を潰され、耐え難い激痛がハウンド・クイーンを襲う。
“まだだ……まだ妾は倒れん!”
しかし、彼女にも“意地”がある。ふたりの少女の血肉を喰らう為に大きく開いた口は、“ガキィン”と甲高い音をさせながら──何も無い空を咬む。
だが、空を咬み、顎にギリリと力を込めたハウンド・クイーンは残った左目を大きく見開いて反撃に打って出る。
────決着まで、残り9秒。
強靭な意思によって覚醒したハウンド・クイーンは、姿勢を崩す事なく着地、大きく顔を上下にスイングさせて──右目に突き刺さった剣ごと、スティアを床へと叩き落とした。
「────ッ、アァ!!」
背中から硬い床に叩きつけられたスティアは、背中に走る鈍痛に顔を歪ませながら、苦しみに喘ぐ。
────決着まで、残り8秒。
「まだだ……あたしは──まだ!!」
しかし、少女もまだ諦めていない。痛みで飛びそうになる意識を必死に繋ぎ留め、振り落とされた勢いを逆手に取って──後転をするように身体を捻って、再び姿勢を起き上がらせた。
だが、落とされた拍子に剣を手から落としてしまっており、剣は彼女の手の届かない位置まで滑ってしまっていた。
────決着まで、残り7秒。
スティアに残された武器は懐に隠した護身用の短剣のみ。右の太腿に隠した短剣をスティアは引き抜く、これが彼女の最後の足掻き。
体勢を立て直したハウンド・クイーンは、残された左目でスティアとフィナンシェを睨みつけると、ふたりを引き裂こうと右の前足を大きく振り上げる。
────決着まで、残り6秒。
「────『白き盾』!!」
しかし、ハウンド・クイーンは、振り上げた前足を振り下ろす事は出来なかった。振り上げた前足に添えるように展開されたフィナンシェの白い盾が、前足の動きを阻害する。
“やられた……! 妾の腕に力と速度が乗る前に、動きを封じ込めに来たか……!!”
ハウンド・クイーンにとって、フィナンシェの展開する盾など薄い硝子も同然である。
しかし、殴ればすぐに割れるような硝子でも、拳と硝子が密着した状態ではそうもいかない。フィナンシェの咄嗟の機転が、ハウンド・クイーンの動きを着実に遅延させる。
────決着まで、残り5秒。
動きを読まれた以上、次の一手を。阻まれた前足に力を込め、無理矢理に盾を破壊したハウンド・クイーンは──振り抜いた前脚の勢いを利用して素早く回転、鞭のようにしなった長い尻尾でスティアとフィナンシェを纏めて絡み取り、通路の壁へと吹き飛ばした。
────決着まで、残り4秒。
「あう──ッ!?」
「きゃあ──ッ!!」
ハウンド・クイーンの尻尾に吹き飛ばされ、通路の壁に身体を強打したスティアとフィナンシェは激痛に呻きながら倒れてしまう。
しかし、女王は倒れたふたりに見向きもしない。“尻尾”と言う彼女にとっては極めて殺傷能力の低い攻撃手段を用いた理由が別にあったから。
────決着まで、残り3秒。
後ろ振り向いたハウンド・クイーンの半分になった視界に飛び込んできたのは──間近まで迫っていた燃え盛る“火球”。そして、通路の曲がり角に立つ、“火球”の放ち手である少女・ラウラ。
ラウラが人知れず放った魔法に、魔犬特有の優れた嗅覚で反応したハウンド・クイーンは、素早く回転する事で──スティアとフィナンシェへの攻撃と、ラウラの放った“火球”の迎撃準備を同時に行ったのである。
────決着まで、残り2秒。
そして、バクンッ──と、大きく開いた口で“火球”を丸呑みにし、ハウンド・クイーンはラウラの“渾身の一撃”を水泡に帰した。
「私の『爆炎球』が……!?」
不意打ちとも言える魔法に完全に対応され、狼狽えてしまうラウラ。そして、小賢しい真似を容易く蹴散らして──ラウラを“獲物”として再捕捉したハウンド・クイーン。
しかし──この時点で、勝敗は決した。勝利を確信していた女王の視界に強く映るはふたりの姿。
「『天使の歌声』──“死の音”……!!」
一人は、女王が跳躍の為に蹴り砕いた壁の向こう、ワイバーンの上に立ち尽くし、彼女に向けて歌わんとする仇敵──アイノア=アスター。
もう一人は、“火球”を喰らい無力化した少女騎士──その肩にしがみつき、両目を覆っていた包帯を外し金色に輝く“星の瞳”を顕わにした小さな赤子、カティス。
────決着まで、残り1秒。
(貴様の“負け”でちゅ……気高き魔犬の女王よ……! ちぇめて……我が眼であの世に送ってやろう……!!)
その蛇のように妖しく輝く金色の瞳に、真に観られた者は等しく死に至る。魔王カティスの絶対者たる“眼”──『終焉の観測者』
アイノア=アスターが歌うは“死神の足音”──聴いた者全ての“魂”を奪う死の旋律──『安らかに眠れ』
────決着の時。
カティスの金色の眼から走る黒き閃光が、アイノアが奏でた鎮魂歌が──魔犬の女王を貫く。
その刹那、気高き女王の眼から光は消え失せ──力強く鼓動していた彼女の心臓は停止する。
それが──我が子たちを追い求め、我が子たちの為に憎悪を燃やした、女王の最期である。