第六話:目覚めの時⑥/ある盗賊たちの最期
ラウッカの腹部から突き抜けていた人形の腕が、ゆっくりと引き抜かれていく。
「が──がぁ、あぁ……がはっ──!!」
あまりの激痛に悶え苦しむラウッカの断末魔など、まるで意に介さず、早くなる事なく、遅くなる事なく、ただゆっくりと──ゆっくりと。
「──────っ!!」
既に──ラウッカに意識は無い。身体をガクガクと痙攣させて、ただ腕が引き抜かれるのを待つばかりの憐れな木偶人形が居るだけだった。
「──────ぁ」
そして──貫かれた腹と背から滝のような血を流しながら、眼をグリンと裏返して口から泡を噴きながら、ラウッカはゆっくりと、静かに──死んでいった。
(さっき、お前は言いまちたね……。『理不尽も不条理も、誰彼構わずに降り注ぐ』と……)
次第に冷たくなっていく腕の中で──、
(これがお前に降り注いだ『不条理』でちゅよ。──だから、甘んじて受け入れるといいでちゅ……ラウッカよ……)
──カティスだけが、彼女の『最期』を──地上を見守る夜空の星のような瞳で、しかと観届けて──。
べちゃ──!!
人形が腕を引き抜くと同時に、その腕と言う支えを失った身体が、流れ出た血溜まりに──糸の切れた操り人形の様に倒れ込む。
「………………ラウッカ………………?」
「…………姐御…………?」
ヴァラスとオヴェラの呼び掛けに──血溜まりに横たわるそれは返事をしない。
そこに『ラウッカ』は既にいない──そこにあるのは、かつて『ラウッカ』だった者の『肉塊』だけだった。
「うそ──ラウッカ…………さん、死んじゃった……の…………?」
少し前まであんなに仲良く喋っていたのに、ほんの少し前まであんなに力強く叫んでいたのに──。
(死んだの……? あんなにあっさりと……? 人ってあんなにあっさりと──死ぬんだ──!)
人が死ぬのを目の当たりにするのはフィナンシェにとって初めての経験だった。先程まで力強く命を脈動させていたラウッカが、今はゴミ屑の様に地面に転がっている。
「ラウッカさん…………うっ──おえぇぇぇ…………!!」
その残酷な現実を観せられたフィナンシェは、恐怖とショックのあまりその場で嘔吐してしまう。
フィナンシェの咽ぶ嗚咽の声だけが静謐な地下祭殿に響き渡る。
「────────最重要殲滅対象──排除」
人形は、その場に倒れたラウッカだった者に目もくれる事なく、その腕にこびり付いた赤い血を振り払うと──その場に立ち竦む、その場に這い蹲る残りの四人を血に染まった様な朱い瞳で一瞥する。
「何だよありゃ──何なんだよアイツは!? あのやろう──ラウッカを、殺しやがった……!!」
「ラウッカの姐御が……、ひぃいいい!?」
ヴァラスとオヴェラが突然の仲間の死に怯える中で、既に死に体のスティアは霞む意識と滲む視界の中で、人形に目を向ける。
(あれは……地下祭殿に置かれていた人形……どうしていきなり動き出したの……?)
そう──その人形、ボロボロに朽ち果てたこの城のかつての従者は、一行が地下祭殿に足を踏み入れた時には、物言わぬ飾り物だった。
では、なぜ今その人形が動いているのか?
(あー、これは非常にマズいでちゅ……)
その答えを知っているのは、唯一人──。
(アレは間違いなく、生前のおれが作製ちた『魔導人形』でちゅね……)
──カティスだけだった。
(う〜ん、どう考えても、さっき扉をぶっ飛ばちた時の魔力の残滓に反応ちて動いてまちゅね……)
倒れたラウッカの腕から冷たい地面に投げ出されたカティスは、顔に付着したラウッカの返り血を毛布で拭き取りながら、目の前に佇む人形について悠長に思案する。
確かに──スティアの推察の通り、今しがたラウッカを殺めた人形は一行がこの場所に足を踏み入れた瞬間には物言わぬ“飾られた人形”であった。
(空間中に散布ちゃれたおれの魔力を掻き集めて──あそこまで動けるとは、我ながら素晴らしい出来でちゅね……)
しかし──先程、閉じ込められた石室から脱出を図る際にカティスがぶっ放した高密度の魔力の弾丸──これに原因があった。
着弾と同時に地下祭殿中に拡散したカティスの魔力──この僅かな魔力の残滓を掻き集める事で、人形は起動為に必要な魔力を得ていた。
つまり──、
(どー考えても、おれのちぇいでちゅね……。やらかちたでちゅ……)
──完全にカティスのやらかしが招いた事態である。
(……まずい…………あたしもフィーネも怪我でもう……動けない…………このままじゃ、みんな殺されちゃう……!!)
しかし、そんな事実を残りの四人は知る由もなく──ラウッカがあっさりと、いともたやすく殺害された事で、戦々恐々の非常事態に直面していた。
「ばぁぶ、ばぶばぶ……!(約:おい、先に主を拾うでちゅよ……!)」
そんな事とはつゆ知らず、地面に転がっていたカティスは目の前に佇む従者に自分を拾う様に両手を伸ばしながら喚いているが──、
「敵性個体ノ排除ヲ──最優先──シマ──ス。主サマ──邪魔デス──」
「ばぁっぶ、ばぁああーー!?(約:無視どころか、邪魔扱いーー!?)」
──無視されるどころか、邪険に扱われてしまった。
「排除──殲滅──アルノミ」
しかしそれは人形が──主の保護よりも、主に仇なす者全員の排除を優先する事を意味していた。
「ぐっ……あっ、…………ゲホ……ゲホっ…………!!」
フィナンシェは両手と右太腿の刺創による痛みと出血で魔法の詠唱すら出来ない程衰弱しきっており、芋虫の様に這い蹲る事しか出来ない。このまま放置していても、じきに出血多量で死に至るだろう。
「ぅ…………ぁぁ……………!!」
スティアも腹部の刺創によって致命傷を負わされており、碌に身体を動かすどころか──既に余命幾ばくも無い状態だった。
スティアとフィナンシェは既に助からない──『死』に脚を掴まれている。
後は──凍える地下祭殿で緩やかに死んで逝くか、目の前の人形に惨たらしく惨殺されるかしかない。
(…………人形の登場で事態は大きく揺らぎまちたが……このままではこのニ人もちゅぐにお陀仏でちゅね……)
一方で──、
「オヴェラァーーーー! 今すぐけむり玉をまけーー!!」
ヴァラスは『生』に喰らいつこうと、生命をこれ以上になく躍動させる。
「り、了解ッスーーーー!!」
オヴェラも同じく、『死』に抗う為に身体と心を奮わせる。
「対象──体力観測──生命力、低下ニ名──向上、ニ名──優先排除──対象、識別──」
人形の冷たい血の瞳が、二人の盗賊に向けられる。
ヴァラスの号に従いオヴェラは携えていた道具袋からけむり玉を取り出す。それと同時にヴァラスも、手にしていた狩猟用のナイフを投擲の為に大きく振りかぶる。
撤退──それが彼等の選択だ。
地下祭殿の宝は惜しいが、『命』には代えられない。
ラウッカの事は残念だが、我が身が大事だ。
スティアとフィナンシェは勿体無いが、精々あの不気味な人形の囮になってくれ。
「────殲滅、開始──!!」
オヴェラがけむり玉を地面に向かって投げつけると同時に、ヴァラスがナイフを全力で投げつける──。
「────っ!? 痛ぇーーーーッス!!?」
──事もあろうに、仲間であるオヴェラに向かって。
けむり玉が地面に当たって破裂して、そこから大量の白煙が吹き出し始める。
オヴェラの肩に突き刺さったナイフから、濁った血液が勢い良く溢れ出す。
「悪いなオヴェラ……! 手前も俺の為の『囮』になってくれや!!」
「そんな……ひどいッス……!?」
勢い良く突き刺さったナイフに仰け反り地面に倒れ込むオヴェラを、地面に這い蹲るスティアとフィナンシェを、ラウッカの亡骸の側で事態を傍観するカティスを、黒い腕を向けながら動き出した人形を──白い煙が瞬く間に包んでいく。
それを確認する間もなく──ヴァラスは踵を返して、地下祭殿の出口へ──迷宮の出口へ勢い良く走り出す。
白煙に視界を遮られたスティアとフィナンシェとオヴェラの眼前を黒い影が横切っていく。
──俺が助かれば良い、俺が生きていれば良い、俺さえいれば『疾駆の轍』はまた立て直せる。
走る、駆ける、出口へ向かって──早く、速く、疾く──!!
迫りくる白煙よりも疾く──ヴァラスは地下祭殿の出口へと辿り着く。
「着いた……ぜ……!!?」
だが──仲間を囮にして自分だけでも助かろうとした、ヴァラスの思惑は見事に外れた。
「────目標、補足──」
大きく跳躍した人形は駆けるヴァラスを飛び越えて、出口と彼の間に割り込む様に着地する。
ガシャン──っと、人では出せない音を響かせて、大きく屈み込んでいる。
着地の衝撃でボロボロの駆体がさらに崩れ落ちていくが、人形はそんな事を気に留める様子もなく──ゆっくりと立ち上がる。
そして──、
「…………っ!! 上等だ、こんな所でこの俺がやら────」
──ヴァラスが隠していた武器を構えるよりも疾く──彼の首を黒い腕で薙ぎ払った。
(仲間を見捨てた罰でちゅね……ヴァラス……)
べちゃ──!!
白い煙に覆われた地下祭殿の壁に何かがぶつかる音がする。
それと同時に──首から上を失ったヴァラスの身体が、首の断面から勢い良く血を噴き出しながら──事切れた人形の様にだらし無く倒れて行った。
「………………ヴ、ヴァラスの兄貴…………!?」
肩に突き刺さったナイフを引き抜き、傷口を押さえながら、オヴェラは目の前を横切った影の行き先──ヴァラスがいるであろう方向に目を向ける。
既に辺りは白煙に覆われて何も見えない。オヴェラには、ヴァラスどころか近くで這い蹲っているスティアとフィナンシェの姿すら視認出来ない。
「兄貴……やったッスか……!?」
だから──オヴェラは祈るしか出来なかった。
恐らく、人形はヴァラスを最優先して狙った筈。であれば、ヴァラスが奇跡的にあの人形を返り討ちにしていれば自分は助かる。
──甘い考えだ。道具袋に後生大事に仕舞ってある大事な大事なお菓子より甘ったるい“妄想”だ。
白煙から人形が出てきません様に。ヴァラスの兄貴が『さっきはすまなかった』って言いながら姿を見せてくれます様に。
甘くて、都合良くて、どこまでも身勝手な『現実逃避』だ。
だからこそ──、
「最優先、排除対象──抹殺──次ノ標的ノ、排除ヲ──開始、シマス──」
「────!? ひぃ、ひぃいいいいいい!!?」
──彼の前に現れた『現実』は甘くなかった。
白煙から姿を表したのはボロボロの人形だった。全身に、さっき迄無かった筈の返り血を着けながら。
その姿に心の底から恐怖したオヴェラは腰を抜かしながら、這い蹲って人形から少しでも距離を取ろうとする。
のそのそと無様に這うその姿は、まるで図体だけが大きくなった『赤ちゃん』そのものだった。
「たす、助けて、誰か助けてーー!!」
涙を流しながら、鼻水を垂らしながら、オヴェラはみっともなく──助けを求め、命乞いをする。
「──────排除、排除、排除────」
背後から、無機質な、不気味な、不条理な──『死』が迫ってくる。ゆっくりと、ゆっくりと──歩く様な疾さで。
「誰か……誰か……オイラを助けてぇ……!!」
──『死』に捕まりたくない一心で、オヴェラは必死に地に這い蹲る。ゆっくりと、ゆっくりと──歩くよりも遅く。
次第に白煙は薄まって行く。
そして、オヴェラの視界に映り込んできたのは──。
「………………オヴェラ…………さん………………!?」
──血塗れで、今にも死にそうな顔で、地べたに伏せているスティアとフィナンシェの姿だった。
(……二人に危害を加えなければ、まだ“希望”はあったのに残念だったでちゅね──オヴェラ……)
スティアとフィナンシェに暴行を加えなければ、二人が五体満足なら、共闘して危機に立ち向かえたかも知れない。
オヴェラは、そこで漸く自身が冒した『罪』に気が付いた。
「…………ふたりとも…………ごめんなさい……ッス────」
そう──二人に懺悔の言葉を述べて、オヴェラは振り下ろされた人形の黒い脚に貫かれて──後悔をする間もなく絶命した。
「────対象、排除──完了──」
こうして──盗賊ギルド『疾駆の轍』はあっさりと、いともたやすく全滅した。
しかして──事態はまだ終わらない。人形の朱い瞳が妖しく輝き、スティアとフィナンシェに向けられる。




