第五話:目覚めの時⑤/疾駆の轍 − ルッツ・キルパ
一方その頃──。
「一体何が起こったんだ……!? スティアちゃんとフィナンシェちゃんは何処に行ったんだ!?」
凄まじい轟音と共に地下祭殿の最奥にあった巨大な扉が木っ端微塵に吹き飛んだ事で、先ほどまで散り散りになって無我夢中で宝物を漁っていた『疾駆の轍』の面々も我に返ったのか大慌てで爆発地点に集合していた。
「ゲホゲホっ……! な、何が起こったッスか!? まさか魔物の出現ッスか!?」
爆発の衝撃で舞い上がった土埃が辺り一面を覆い、『疾駆の轍』の三人の視界を殆ど遮っている。
「…………そうだったら一目散に退散するさね……! そら、アンタらも武器を構えな!!」
懐から狩猟用のナイフを取り出すと、ラウッカは残りの二人にも武装する様に促す。
「分かってるよ……! オヴェラ、手前は“けむり玉”の準備もしておけ!!」
ラウッカと同じく、ヴァラスも狩猟用のナイフを片手にオヴェラにけむり玉の──『逃げる準備』を催促する。
そもそも──刃渡り20センチメートル強程しか無い狩猟用のナイフで人を殺す魔物相手に渡り合おう等と言う“勇敢な気持ち”は、ヴァラスにもラウッカにも毛頭ない。
強い魔物が出たら即退散──それが『疾駆の轍』が今日までしぶとく生き残れた理由だった。
構えたナイフの今の使用用途はあくまで自衛の為であるが──その本来の“使用目的”はまた別にある。
「了解ッス! それで兄貴、あの二人はどうするッスか!?」
「知るかよ、俺らの命の方が大事だっつーの!」
全員の額から冷汗が流れている。身を裂く寒さの霊廟の様な場所なのに、緊張で身体が熱くなってくる。
今いる此処は『魔王カティス』の迷宮の底の底。何があっても、何が起こっても、不思議は無い。
崩れた扉の奥から“鬼が出てくるか蛇が出てくるか”──ヴァラスたちは武器を構え、意識の全てを集中し、固唾を飲んで事態に備える。
「そら──来たよ!!」
──崩れた瓦礫の先から現れる、未知なる脅威と対峙する為に。
「…………いやー、酷い目にあったー。危うく、こんな所でミイラになる所だったー」
「ほんとう……この子のお陰で助かちゃったね」
「「「……って、あんたらかーい!!?」」」
奥から現れたのは何時の間にか姿が無かったスティアとフィナンシェだった。今の今迄、緊張の糸を張り巡らせていた『疾駆の轍』の三人は一斉にぐだぐだした雰囲気に陥る。
(まーた騒がしい連中がいまちゅね……。こいちゅ等も“見学ちゅアー”の参加者でちゅかね……?)
「あっ、ラウッカさんたち……!」
「スティア……アンタらもしかして其処に居たのかい?」
「はいそうなんです。近付いたら扉が開いて、そこに入ったら今度は閉じ込められてしまって……」
「あー……典型的な罠ッスねー。そう言う所は不用心に近付いちゃ駄目ッスよ」
「はぁ〜い、ごめんなさい」
「まぁ、無事に出て来れたんなら良かったよ。……所でフィナンシェ、その子は一体……何?」
(やば……気付かれたでちゅ……!?)
スティアとフィナンシェが無事だった事に安心した様子のラウッカだったが、流石にさっき迄いなかった筈の赤ちゃんが増えている事に、そう問い掛ける事しか出来なかった。
「あー、この子は……ねぇ……?」
スティアはバツが悪そうに指で頬を掻きながら上の空を向いて答えている。
まさか、迷宮の最奥で「赤ちゃんを拾いました」なんて言っても信じて貰えないだろうとスティアは考えていた。
「はい……この子は、わたしとスティアちゃんの子です……!!」
「!!!????」
(いやいやいやいや、何言ってんのでちゅかこの小娘はーー!!?)
「そうかい……出産おめでとうふたりとも」
「ラウッカーー!!?」
(向こうも乗って来たでちゅーー!!?)
「ちょ、待って……!! 違うんですラウッカさん!! そもそもあたしたち女の子同士だし……!!」
「……どっちが産んだんだい?」
「スティアちゃんです」
「おめでとうスティア。新しい生命の誕生はかくも美しいもんだね」
「あたしが産んだことになってるーーーー!!?」
「因みに、男の子かい? 女の子かい?」
「はい、女の子です!」
「ぶーーっ!!?(約:勝手に決めんなでちゅーー!?)」
「いやいや、バカかラウッカ!! そんな訳無いだろ!?」
(ほっ……良かった、向こうの男衆は『ちゅっコミ』でちゅね……)
「さっき迄スティアちゃんはつるペタ平面だったろ!? 何処にあんな赤ちゃんが入ってたって言うんだよ!!?」
「そーっスよ、まだ巨乳のフィナンシェちゃんの方が可能性あるッスよ!!」
「あーっ!? あいつらさり気なくあたしが気にしてる事をーー!!?」
「ほんとう……こんなの『持たざる者』のスティアちゃんが可哀相だよ」
「ギャー!? 此方からも不意討ちがーー!!?」
(話拗れたでちゅーー!!? あの二人の男も馬鹿だったでちゅかー!!?)
「ヴァラス、オヴェラ!! 思春期の女の子に対してなんて失礼なんだい!!」
「えーーっ!? お前どっちの味方だよ!!?」
「勿論、女の子の味方さ!! アタシはこう見えて『疾駆の轍』に入る前は助産師をしてたんだよ!!」
「……マジ!!?」
「マジさ! それに迷宮で出産なんて珍しくも何とも無いよ!」
「えっ……!? ラウッカさん、それどう言う事ですか?」
「簡単な話さ。迷宮でゴブリンに捕まって子を孕まされたり、植物系の魔物の苗床にされたりして、子どもを産まされる冒険者なんて星の数ほどいるって事さ!!」
「…………。ねぇ、フィーネ? あたし冒険者やめても良い??」
「大丈夫。どんな子どもでも、誰の子どもでも、スティアちゃんの子どもならわたしは愛せるよ」
「あたしは嫌なのーーーー!!?」
「……その話、男の俺らには関係無いよな……?」
「はぁ、何言ってんの? 男も産まされるに決まってんでしょ!!」
「「……!!?」」
(あー、五月蝿いでちゅー。人の城の地下祭殿で騒がないで欲ちいでちゅねー)
ぎゃあぎゃあと騒いでいる5人に呆れ顔をすると、カティスは周囲に目を配る。
(間違いない……此処は『ヴァルタイちゅト城』の地下祭殿。所々ボロくなってるのが気になりまちゅが、懐かちい雰囲気でちゅね)
そこが間違いなく生前の自分が住んだ魔王城である事を認識すると、カティスは自分が転生して現世に帰ってきた事をしみじみと実感する。
(ちょうなると……城には配下の者達やあいつがいる可能性がありまちゅね……。ここはあいちゅらに感じゅかれる前に此処から離れるでちゅ!!)
目立ちたくないカティスとしては、城に居る筈の配下の魔物たちや従者には見つかりたくない。その為には、急ぎこの場所から離れる必要があった。
「ばぁぶっぶ……(約:おい、小娘)」
「……? どうしたの袖を引っ張って? ママのおっぱいが欲しいんでちゅか?」
「ばぶーー!!(約:違うわーー!!)」
「…………おっぱいあげてみたらー、『持つ者』のフィナンシェさーん?」
「……試してみるね♪」
「わ゛っーー!? 急に服を脱ごうとしないでーー!!? ごめんーーあたしが悪かったからーー!!」
(早く話を聞いて欲ちいでちゅ……)
「フィーネのおっぱいはあたしだけのものなのーー!!」
「ぶぶぶーーーっ!!?(約:何言ってんでちゅかこの小娘ーーー!!?)」
「ふふふ……ちっちゃな赤ちゃんとおっきな赤ちゃんと、どっちもいい子ね♡」
抱き着いてきたスティアを「いい子いい子」しながら、フィナンシェは満足そうな、恍惚の笑みを浮かべている。
(もちかちて……こいちゅヤバい奴なのでは……?)
そんなやり取りをしているスティアとフィナンシェを余所に──。
「だ・か・ら! いい加減にしろラウッカ!! 俺たちの目的を忘れたのか!?」
「はいはい、忘れてないわよ」
「でもどうするんスか、あっちひとり増えてるッスよ?」
「ばーか、乳飲み子が増えたからって何なんだよ! 相手は子ども3人、力で無理やり押さえつければ良いだろ!?」
「それは……そうッスね!」
「なら、さっさと始めるよ! あの赤ちゃんはアタシに任せな!」
──いよいよ“獣”は動き出す。
『疾駆の轍』の狩りを行う“狩人”の様な視線がスティアとフィナンシェを捉えたその時、僅かに──空気が震える。
(──これは、殺気!! こいちゅ等、ちゃては“悪党”でちゅね……!!)
微かに──小動物でも感じ取れない、霞の様な“殺気”を、カティスだけが感じ取っていた。
ゆっくりと、ゆっくりと──獲物に近寄る捕食者の様に、『疾駆の轍』はスティアとフィナンシェへと近付いて来る。
(ちゃて、どうちゅるべきか……)
その様子をカティスはまだ傍観している。
何故か──?
結論から言えば、カティスはふたりの少女にも、『疾駆の轍』の悪党どもにも──肩入れする気は無いからである。
例えこの後──スティアとフィナンシェが『疾駆の轍』の三人に陵辱の限りを尽くされようが、『疾駆の轍』がふたりに返り討ちにされて死のうが、カティスにとってはどっちでもいいから。
起こる『出来事』を静かに傍観し、その『結果』に合わせて臨機応変に対応すれば良い。
それが──カティスと言う、かつての『裁定者』の思考であった。
(無論──あっちの悪党どもに連れて行かれるのは業腹でちゅから、後で適当に“処理”ちておくでちゅが……)
故に、初動は『疾駆の轍』の思惑通りに進んで行く事となった。
「ねえ〜フィナンシェ? その子、本当はアンタらの子じゃなくて、その奥で見付けた子なんだろ?」
「……はい……実はそうなんです」
「なら……まずはギルドに報告しないといけない。もしかしたらその子、魔物に此処まで拐われたかも知れないでしょ?」
「確かに……」
ラウッカの一言にはそれなりの“理”があった。
この赤ちゃん──カティスが、かつて『魔王カティス』の転生した存在だと“認識”しているのは、他ならぬ『当の本人』だけである。
ともあれば、如何に強大な力を持って生まれた赤ん坊であったとしても、何かしらの理由があってこの迷宮に居たのでは──と考えるのは理に適った考えであった。
「安心なさい、その子の事はアタシたち『疾駆の轍』が責任を持って保護してギルドに送るわ」
「でも……」
「大丈夫、ギルドに届けたら、そこから『探し人』の依頼として出してもらうからさ」
「…………フィーネ」
(あの手この手でおれを引か剥がちょうとちていまちゅね……)
何時の間にか、ラウッカはフィナンシェの前に立ちはだかっていた。
「さぁ、フィナンシェ。その子はアタシに任せておくれ」
「分かり……ました……。ラウッカさん、この子をお願いします……」
音も無く──無垢な“子山羊”に忍び寄った“雌豹”は、怪しまれる事なく、訝しまれる事なく、不審に思われる事なく、フィナンシェの腕の中に包まれていたカティスを、母親の産道から優しく取り出す『助産師』の様にそっと取り上げた。
(あー、こっちは抱かれ心地が悪いでちゅね……。腕が硬いでちゅ)
などと──カティスが呑気にフィナンシェとラウッカの抱かれ心地の違いを批評している隙に──、
「さぁ、アンタらもこの娘たちを丁重に弄んでやりな!!」
──“獣”たちは一斉に“少女”に襲い掛かる。
「きゃあ!?」
「あっ……!? 何すんの!!?」
「へへへ、抵抗するなッスよ……!!」
「そうそう……大人しくしててくれたら、優しくシてやるからよ……!!」
ラウッカに取り上げられたカティスに気を取られていたスティアとフィナンシェは、急に駆け寄って来たヴァラスとオヴェラに反応出来ず、後ろから羽交い締めにされてしまう。
「この……っ!! 放せっ、この変態!!」
「お〜っと、そうはいかねぇな!!」
ヴァラスに拘束されたスティアは一生懸命に身を捩っているが、齢15の少女の腕では大の大人であるヴァラスの力に敵う筈もなく、彼の丸太の様な腕にギリギリ──っと、万力の様に締め付けられていく。
「──っ、あぁ!!」
「スティアちゃん……! お願いですオヴェラさん、放し下さい……!! あのままじゃスティアちゃんが壊れちゃう……!!」
苦痛に顔を歪ませ、痛みに喘ぐスティアを見かねたフィナンシェは、背中に組み付いたオヴェラにそう懇願するが、彼もフィナンシェのお願いなど聞き入れる気は毛頭なかった。
「ぐへへへ、フィナンシェちゃん近くにいると良〜い匂いするッスね〜」
「いや、気持ち悪い……! あう──っ!?」
小柄なオヴェラはフィナンシェの背にまるで背負い物の様に組み付いている。小さいと言えど体重80キロを超えるオヴェラを背負わされる事は華奢なフィナンシェには凄まじい負担であり、そのまま押し倒されない様に杖を支えにして懸命に踏ん張っていたフィナンシェも、次第に体勢を崩していってしまう。
「なん……で……こん、な事を……!?」
苦痛を堪え、絞り出す様な声でスティアは『疾駆の轍』を糾弾する。
「決まってんだろ? 俺たちは“調査ギルド”じゃなくて──“盗賊ギルド”だからさ……!!」
「──!? そん……な……あたしたち……を、騙した……の……!?」
盗賊──法の目を掻い潜り“盗み”を働く無法者。他者からの略奪、貴重な遺産の盗掘、目当てのモノを手に入れる為なら“手段”も“方法”も厭わない、悪党であり、犯罪者であり、善人にとっての敵。
そこで漸く──スティアは、自分たちが悪党に良い様に“利用”されていた事に気付いた。
「そのとーり、最初っから手前らは──俺らを魔物から守る『身代わり山羊』で、俺らを愉しませる『玩具』でしかねぇんだよ……!!」
「……この……かはっ!?」
痛みで疲弊したスティアの抵抗が弱くなったからか、締め付けに余裕を見せたヴァラスは右腕を彼女の首に回し、首元も同時に締め始める。
「あ──っ!?」
一気に──スティアの視界が滲んでくる。脳に酸素が行き届かなくなり、次第にスティアの身体から力が抜けて行く。
「そ・れ・に、これだけのお宝だ。先に俺たちであらかた掘っちまわないと損だよなぁ……」
「…………あ…………ぐっ…………!!」
スティアの動きが鈍った事に気分がノッたのか、ヴァラスはスティアの耳を犯すようにねっとりと囁き始める。
「だからよ……残念だが、手前らには此処で死んで貰うわ。ギルドに密告られちゃたまんねぇからなぁ……?」
「……………………っ!!」
迷宮の奥底で見付けた財宝に目の眩んだ『疾駆の轍』は、私利私欲の為に幼気な少女たちを喰いものせんと牙を向ける。
「その前に……その身体はたっぷり味あわせて貰うがなあ!! あっはははははは!!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
ヴァラスの自分たちを心底蔑んだ言い方に、スティアは眼に涙を浮かべながら歯軋りする。
このまま、『疾駆の轍』の良いように弄ばれてたまるか。
まだ諦めていないスティアは、締められ軋む筋肉と骨の激痛と、酸欠で薄れゆく意識に、必死で耐えながら起死回生の策を模索する。
だが──、
「おおーっと、抵抗するんじゃ無いよふたりとも。この子がどうなっても良いのかい?」
──そんなスティアの浅はかな闘志を許す程、『疾駆の轍』も優しくは無い。
スティアとフィナンシェが声のする方に視線を向けると、そこにはラウッカと、彼女にナイフを突き付けられたカティスの姿があった。
「…………!! げ、外道……め……っ!!」
「外道で結構……!! オヴェラ、フィナンシェは『魔法使い』だ。詠唱できない様に口を塞いで、『紋章術式』で悪さ出来ない様に両手も潰しときな!!」
「…………!! 了解ッス、ラウッカの姐御!!」
「……そんな……あっ──!! ────っ!!」
ラウッカの迅速な指示を受け、オヴェラはフィナンシェの口元を懐から取り出した布切れで塞ぎつつ、残された手で、踠くフィナンシェの両手に、容赦無く、呵責無く、躊躇い無く──凶刃を突き立てた。
「フィー……ネ……!!」
「〜〜〜〜っ!! 〜〜〜〜〜〜っ!!?」
立て続けに振り下ろされた凶刃はフィナンシェの薄く柔らかな手のひらを易々と貫通し、無惨に開かれた傷口から赤い鮮血がとめどなく溢れ出す。
その激痛は想像を絶する──不意討ちの様に襲い掛かって来た痛みに耐えかねたフィナンシェは、組み付いたオヴェラの体重にとうとう耐え切れなくなり、そのままうつ伏せに倒れてしまう。
「〜〜〜〜〜〜っ!! 〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
最早──オヴェラが抑えなくてもフィナンシェの両手は使い物にはならない。出血とそれに伴う激痛で、フィナンシェの両手は潰れたカエルの様に無様に痙攣するだけだった。
「これでよーやくオイラもフィナンシェちゃんを好き放題できるッスね……!!」
痛みで涙を流すフィナンシェに加虐心を刺激されたオヴェラは、倒れた彼女の身体を乱暴に仰向けに転がし、腹部に馬乗りになって拘束すると加重と言う暴行をさらに加えていく。
「うふふ……あら可哀想。口も塞がれて両手も潰されて、これじゃあの娘、ただ犯されるだけの“人形”ね……うふふふふ!!」
フィナンシェが『魔法』を得意としている事に感付いていたラウッカによって、スティアたちの逆転の芽が一つ潰されてしまう。
「これで、『魔法』による“逆転”も、『紋章術式』による“奇跡”ももう出来ないねぇ……うふふ」
「く……そ……!!」
状況はどんどんと悪化していく。
「それに、下手に抵抗すればこの子の命は無いよ? 如何に他所の子と言えど、自分たちのせいで何の罪も無い赤子が殺されるなんて……嫌だよねぇ? やさしい、やさしい……おふたりさん?」
その卑劣な所業は──スティアとフィナンシェにとってはまさに『最悪の一手』であった。
──わたしたちのせいであの赤ちゃんが殺されてはならない。
自分たちが此処で辱めを受けようとも、惨たらしく殺められようとも──それは悪人に騙されてしまった莫迦な自分たちの『自己責任』だ。だから構わない。
だが、あの子は別だ。わたしたちが我が身可愛さに、無垢な赤子を生贄に差し出すなんて事は出来ない、許されない、あっちゃならない──それが“心優しい”スティアとフィナンシェの総意だった。
抵抗する“力”も“意思”も着実に削ぎ落とされていく。虫の翅を毟って翔べなくする様に、小動物の足を挫いて走れなくする様に──ひとつずつ丁寧に、“抗う手段”を潰していく。
スティアとフィナンシェは、最早──獰猛な“獣”に追い詰められ、ただ喰われるのを待つだけの憐れな“獲物”と同じだった。
「そうだ……!! このまま俺たちに服従するんだったら、生かしてやっても良いぜ? ……『奴隷』として飼ってやるからよーー、ハッハハハハハ!!」
「……………………っ!!」
ヴァラスの下衆な笑い声が地下祭殿に木霊する。
「じゃーフィナンシェちゃん。まずはお洋服を脱ぎ脱ぎしましょーッスね……!!」
「────────っ!!」
オヴェラの下劣な魔の手が少女の純潔に伸ばされる。
「アンタたち、金目の物があったらそれはアタシに寄越しな! それさえ戴ければアタシは満足さ。後はそんな小娘たち、いくらでも犯して壊しちまいな!!」
ラウッカの下卑た笑みが祭殿の灯りに照らされる。
(……状況は、あのふたりの小娘たちの圧倒的不利。あのふたりがここから勝ちを拾える“可能性”は限りなく低い……)
この状況に至ってもカティスは傍観を貫く。
とは言え──良心が痛まない訳では無かった。流石のかつての『魔王カティス』と言えど、純真無垢な少女たちが、傷付けられ、嬲られ、果てに殺されるのを観せられるのは──些か気分が悪い。
だが──ここで自分が圧倒的暴力を纏って介入する事は出来ない。
(まだ、ふたりとも諦めていないでちゅね。……なら、最後の最後まで足掻くと良いでちゅ)
カティスは観ている──両手を潰され、息も絶え絶えになり、眼に大粒の涙を浮かべているスティアとフィナンシェが──それでも、なお瞳から輝きだけは失っていないのを。
絶望の淵にいても、その身に“死”が迫っていても──彼女たちの瞳に『希望』は灯り続けている。
(善き哉、善き哉──死地にて尚、足掻き続けるちょの姿──実に無様、実に滑稽──だからこちょ、かくも美しい……!!)
絶望の中で抗う事、最後の最後まで希望に手を伸ばし続ける事──その時こそ、生命が最も強く輝く時。
その様を、素晴らしき生命の讃歌を、カティスは昔も今も──愛している。
(ちゃあ、おれに存分に観ちぇるでちゅ……!! お前たちの生命の讃美歌を……!!)
故に──カティスは目の前の出来事を傍観する。
スティアとフィナンシェが──“希望”を諦めず、“奇跡”を掴み取るその瞬間を堪能する為に。
いつか観た──己が生命を差し出してでも、慄える心を奮い立たせ、教え子たちを護ろうとしたあのエルフの賢者の様に。
残酷な『魔王』から──『希望』を勝ち取ったあの者の様に──。
(お前たちの“行く末”、おれが観届けてやるでちゅ……!!)
「さっきから随分と楽しそうじゃないか……かわいいベイビーちゃん? このキラキラのナイフがそんなに綺麗なのかい?」
そして──スティアとフィナンシェの反撃の瞬間は、すぐに訪れる。
(…………はん、こーんな安物のナイフでこのおれが喜ぶ訳無いでちゅ)
「そんなに観たいならもっと間近で観せてあげまちゅからね〜〜」
カティスが、スティアとフィナンシェの足掻く様に魅入っていたのを、『ナイフのキラキラに反応している』と勘違いしたラウッカは、茶化すようにカティスの眼の前でナイフをフラフラと揺れ動かす。
「や……め…………ぐっ!!?」
「おいおい……スティアちゃんはアッチじゃなくて、俺の相手をシてくれよー、なぁ?」
その光景を見たスティアとフィナンシェは、本能的に身体を奮わせるが──、
「〜〜〜〜っ!!?」
「はいはい、フィナンシェもオイラと遊ぶ事に集中するッスよー♪」
──ヴァラスとオヴェラはその抵抗を許さない。締め付けは、拘束は、より強くなってふたりの身体をじわじわと蝕む。
(このままじゃ……あの子が殺されちゃう……!! くそっ、せめてヴァラスが油断さえしてくれれば……!)
「ほらほら〜、キラキラのナイフでちゅー…………っ!? なんだい……この子……この眼は……!?」
(…………眼? ちょれがどうちたでちゅか……?)
カティスにナイフをちらつかせていたラウッカは、あるものに気付いて動きを止める。
「んだよ、その赤子がどうしたってんだ!?」
「………………っ!!」
僅かに──ヴァラスの“意識”がラウッカとカティスに向けられる。
(…………まだ、…………まだ…………ダメ…………! もっと、ヴァラスの意識が逸れてくれないと……!)
頸部を圧迫され続け──、脳細胞が酸欠で死滅し始め──、防衛本能によって分泌される快楽物質によって沈みゆく意識の中で、スティアは一瞬の“隙”を待ち続ける。
「眼がどうしたんスか?」
(せめて……口さえ塞がれてなかったら……『魔法』を使えるのに…………!!)
傷口からの出血と激痛、腹部を圧迫される苦しみに耐え、フィナンシェもまた──僅かな“希望”を手繰り寄せようと必死に足掻く。
「この赤子……瞳が……星のような紋様になってる……!?」
「な、なんだって……!?」
「それ……ほんとッスか!?」
ラウッカの発言に、ヴァラスとオヴェラは激しく動揺する。
(眼に……“星の紋様”……!? まさか……あの子も、あたしと同じ……!?)
(……あぁ、女神様……!! どうかあの子を守ってあげて下さい……!!)
しかし──動揺はスティアとフィナンシェも同じであった。
(瞳に“星”……? 何を言ってるんでちゅか、この女は……??)
唯一、平静を保っていられたのは事情を把握していないカティスのみ。
その場にいた全員が動揺する理由を知りたがったカティスは、眼の前に翳されたラウッカのナイフ──その磨かれた銀色の光沢に反射る自らの姿に目を瞠る。
映っていたのは──夜のような黒い髪と、夜空に煌めく星々の様な金色の瞳をした赤ちゃん──カティス。しかし、その金色の瞳をさらに凝視した時、カティスも自らに起こっていた異変に気が付いた。
(本当でちゅ……。瞳が……星の形になってるでちゅ……?)
本来──丸い眼球に合わせた丸い形をしている筈の瞳が、カティスだけは何故か星──五芒星の形を型どっていた。
(生前はこんな瞳じゃ無かったでちゅよね……? この新ちい身体に何か理由があるんでちゅか……??)
“その瞳の理由”を考える間もなく──ヴァラスが叫ぶ。
「おいおい、冗談じゃねえ……! 瞳に“星”って──呪われてんじゃねぇかその赤子……!!」
(『呪われている』──どう言う事でちゅか……?)
眼に、たかだか“星の紋様”が入っていたから何だと言うのだ。──と言うのがカティスの率直な感想であったが、どうやらカティス以外の者達にとっては深刻な事態らしい。
「道理で……迷宮の最深部に棄てられてた訳だ!! 納得いったよ……」
──ラウッカは迷宮で拾われた赤子に漸く、納得のいく答えを見付ける。
(まさか……フィーネは気付いてたの? あの子の瞳の事……!?)
──スティアはその事実を知って、フィナンシェが先ほど取った行動の“理由”に気付く。
『はい……この子は、わたしとスティアちゃんの子です……!!』
(あの子の瞳の事に気付いていたから、咄嗟にあんな嘘を……って言うか)
『はい……この子は、わたしとスティアちゃんの子です……!!』
(((((あれ、ギャクじゃ無かったんだ……!?)))))
「おい、ラウッカ!! そんな呪われてる奴、さっさと始末しちまえ!!」
「分かってるさ……! こいつ、とんだ『疫病神』だよ……!!」
(失礼な、おれは『疫病神』じゃなくて『魔王』でちゅよ……あっ、魔王は引退ちたんでちた……)
──カティスの瞳に狼狽えたヴァラスがラウッカに喰いかかる。その、一瞬の“隙”を──スティアは見逃さなかった。
(…………今だ!!)
ヴァラスの隙を突いたスティアは、右の太腿に隠して備えていた刃渡り10センチ程の護身用の短剣を素早く抜き取ると、ヴァラスが反応するより疾く──彼の右の太腿に刃を突き立てる。
「────っあぁ!?」
突然の痛みに仰け反り、ヴァラスの体勢が揺らいだ瞬間を狙って──スティアはヴァラスの拘束から逃れて勢い良く地面に倒れ込む。
「──兄貴ィ!?」
その光景を観ていたオヴェラも、不意の出来事に大きく動転してしまう──。
「────ぷはっ!!」
──フィナンシェの口元から、手を退けてしまう程に。
「しまった……!? この、大人しく──」
自身が冒した失態に気付いたオヴェラは、フィナンシェの顔に目掛けて勢い良くナイフを振り下ろそうとしたが──
「けほ──っ、“我を護れ 堅牢なる盾よ”──『白き盾』!!」
「──しろ……うわっ!!?」
──間一髪、フィナンシェの魔法が間に合った。詠唱と共に現れた白い盾がオヴェラの凶刃を受け止め、その時の衝撃をカウンターの様に弾き返されたオヴェラは数メートルふっ飛ばされてしまう。
「何やってんだい、アンタたち!?」
ラウッカの怒号が響くも、既に『疾駆の轍』の絶対優位は崩れ去っていた。
(ほう……なかなかに“根性”があるでちゅね……!)
ヴァラスとオヴェラの拘束から逃れたスティアとフィナンシェは、満身創痍ながらも身体の自由を取り返す。
「────っ、げほ、げほ……!!」
漸く息を吸えたお陰で意識こそ取り戻したが、スティアの身体はまだ蓄積した痛みに耐え兼ねていた。
──それでも状況は待ってくれない。ふらつく身体を奮わせて、衰弱しきった精神を昂ぶらせて、立ち上がったスティアは左腰に携えた剣を手に取り──ヴァラスに対峙する。
「てめぇこの小娘が……死ね!!」
「──────えっ?」
だが──スティアが剣を構えたその瞬間には──ヴァラスはもう彼女の目の前にいた。
「──────あっ!?」
そして──スティアの腹部には、ヴァラスが手にしていた刃渡り20センチの狩猟用のナイフが深々と突き刺されていた。
「…………あぁ、…………スティアちゃん!!」
フィナンシェの悲鳴が地下祭殿に響き渡る。
(あれは……まずいでちゅね。…………致命傷でちゅ……!!)
刺し傷から、赤い血がじわりじわりと溢れてくる。
「あー痛えー、舐めてたぜ……! そう言や、女どもには『護身の為の短剣を懐に常に隠し持つ』習慣があったんだよなぁ……?」
この世界は──我々の世界とは違い『剣』と『魔法』が世の“理”を支配する世界である。故に、我々の世界よりも“暴力”が幅を利かせ、『弱肉強食』が強者と弱者を隔てている。
だからこそ、この世界の女性は──時に襲い掛かってくる脅威から身を護るため、常に護身用の短剣を隠し持つ習慣があった。
事実──この場にいるスティアとフィナンシェは右の太腿に、ラウッカも左の太腿に備えたホルダーに護身用の短剣を隠し持っている。
その事を失念し、警戒を怠り手傷を負わされたヴァラスだったが、その程度の傷で動きが鈍る事など無く。
「あんな小刀で、俺に手傷を負わせたつもりだったのか……あぁ!? あの程度の傷、どーって事ねーんだよ!!」
──逆に、彼を逆上させてしまったスティアは、致命的な傷を負わされる事になってしまう。
「スティアちゃん……スティアちゃ──っああ!!?」
「フヒヒ……やってくれったッスね〜〜フィナンシェちゃん♡ これはお返しッスよ〜〜」
スティアの危機に狼狽したフィナンシェもまた──何時の間にか迫っていたオヴェラに、右の太腿をナイフで突き刺されていた。
激痛が再びフィナンシェの意識を蝕む中で、彼女の視界に映ったのは──腹部に開いた傷を力無く押さえながら地面に倒れて行く親友の姿だった。
「────スティ……ア……ちゃん……!!」
「うぅ……あぁ…………っ!!」
あと一歩、もう少しで形勢は逆転出来ていた。
しかし──、
「悪いな、スティアちゃん……。この程度の死線、俺たちだって何度もくぐり抜けてるんだよ!!」
──相手が一歩だけ上手だった。
力無く倒れ、弱々しく呻くスティアの頭部を踏み付けながら、ヴァラスはそう吐き捨てる。
──最早、ふたりの少女に抵抗する力は残っていない。
(よく頑張ったでちゅね……。でも残念でちゅが、これが“結果”でちたか……)
カティスも、死に逝く少女たちに賛辞の言葉を贈る。
しかし、これで幕切れでは無かった。
──ガチャン、と地下祭殿の何処かで何かが落下した音が響く。
「────起動、────稼働、────駆動」
──地下祭殿の何処かで不気味な、無機質な声が響き渡る。
「どうして……どうして……こんな……酷い事を……するんですか……?」
激痛に必死に耐えながら、フィナンシェは『疾駆の轍』に問い掛ける。
「わたし……たちも……その子も……何にも、悪い……ことなんて……して…………ないのに……!!」
飛びそうになる意識を堪えながら、悔しさと痛みに涙を浮かべながら、精一杯の言葉を紡ぐ。
「何でこんな事を……? 決まってるさ、そんな事……たまたまだよ!! たまたま、アンタたちが“獲物”になったってだけの話さ!!」
そんなフィナンシェの『何故、こんな非道を私たちに働けるのか?』と言う問いに、ラウッカは『たまたま──単なる偶然だ』と、そう返す。
「…………そんな…………うぅっ!」
「毎日、毎日、女神様にお祈りして、良い子ちゃんで過ごしていれば──何にも悪い事も不幸も、降り掛からないとでも思っていたのかい…………!? 甘いよ、甘い甘い──甘過ぎる!!」
悪党は声高に叫ぶ。
「幸運も不幸も、希望も絶望も、善意も悪意も──望もうが、望まなかろうが、唐突に降って来るもんさ……!!」
この世の不条理を──。
「昨日まで元気だった家族が、明日死ぬかも知れない……! 100年受け継いだ家宝が、明日誰かに盗まれるかも知れない……! 明るい未来を約束されていたお姫様が、邪悪な魔王に拐われるかも知れない……! 一緒に旅に出たお友だちが、悪い盗賊に殺されるかも知れない……! そんなもんさ、世の中は!!」
これから起きる不条理を──。
「そうさ……不条理も理不尽も、誰彼構わずに降り注ぐ……! 呼んでも無いのに襲って来る……! ──だから、こんな思いをしたく無かったら──大人しく田舎に引き篭もって、のうのうと生きてれば良かったのさ……!!」
スティアとフィナンシェに降り注ぐ不条理を──。
「これは、冒険者なんて“夢”観た自分達が招いた『結末』さ──甘んじて受け入れな!!」
これから、自分たちに降り注ぐ不条理を──。
「何だったら……観せてあげようか? 不条理が、理不尽が、如何に“気まぐれ”に降って来るかをさ……!!」
そう得意げに、嘲笑う様に言うと──ラウッカは抱き抱えていたカティスに向けて、持っていたナイフを振り翳す。
「お願い、やめて……! その子は関係ないのに……!!」
「…………かはっ、────こ、の……クソ……や…………郎が…………!!」
スティアもフィナンシェも痛みと出血で掠れ行く意識の中で、我が身を厭わずカティスの身を案じる。
だが──ふたりにはどうする事も出来ない。
「よーく観てな、スティアちゃん。あの赤子の次は手前を殺してやるよ……!!」
「………………く………………そ…………っ!!」
もう──身体が動かない。
「さ〜、フィナンシェちゃんも良く見るッスよ〜!! あの子が串刺しにされて死んじゃう所を……!!」
「ごめんね……ごめんね…………巻き込んでごめんね…………っ!!」
もう──嘆く事しか出来ない。
「────目標、補足──魔力、識別──対象、観測──、魔王カティス──主サマ────!!」
「さあ……!! 小娘ども、よーく観てな!!」
絶望が這い寄ってくる──。
「これが──アンタたちが招いた──」
死が躙り寄ってくる──。
「『結果』だ──!!!」
風を纏って──、一直線に──。
「──やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
振り抜かれた凶刃は──確実に一人の命を奪う。
(…………なる程…………でちゅね…………)
血飛沫が舞い散る──。
「…………えっ!?」
冷たい刃が身体を貫く──。
「…………なっ!?」
憐れな末路を迎えたのはただ一人──。
「…………え…………? なんだ……い……こりゃ…………!?」
──ラウッカだった。
彼女が振り下ろした凶刃はカティスへと届かなかった。刃先とカティスとの間に──あるものが入り込んだから。
それは、黒い腕──血に塗れた黒い腕。無機質で──まるで人形の様な不気味な腕が、まるでカティスを護る様にラウッカの凶刃を受け止めていた──。
「ラウッカーーーーっ!!」
──彼女の腹を貫いて──。
「な、な、な、何が……起こったッスか…………!?」
ヴァラスとオヴェラは、突然の出来事に驚愕し──ラウッカの背後、彼女の腹をブチ抜いた黒い腕の主を観る。
其処に居たのは、一体の人形。
朽ち果て、所々が崩れ落ち、ボロボロに破れたメイド服から露出する絡繰──それでも尚、稼働き続ける無機質な従者──『魔導人形』。
「対象、主サマ──魔王カティス様ト認識──、主サマ──ニ仇ナス者、一切、殲滅シマス────!!」