屋上には偽りの友
青空が見える屋上で授業をサボる。
物語の中によくあるこの行動に、僕は少しだけ憧れを抱いていた。
授業がとにかくつまらないから。物凄く眠いから。担当の先生が嫌いだから。
授業をサボりたいと思う理由は、挙げようと思えばいくらでも出てくる。
ただ、憧れる理由というのはただ一つ。
ゾクゾク感がほしいのだ。
やってはいけない、バレてはいけない事をやっている。そのゾクゾク感が欲しくてたまらない。
昔は悪戯とかもよくやっていた。いわゆる悪ガキだった。
でもいつからかやらなくなった。いや、できなくなったと言ったほうが正しいような気がする。僕の心の中にある真面目さが邪魔しているからなのか。それとも怒られるのが怖いからなのか。わからない。
ようやく昼休みになる。僕はいつも通りお弁当とスマホを持って屋上に向かう。
扉を少し開けて気が付いた。
もう既に先客がいるようだ。なるべく早く来たつもりなのに。
僕は回れ右をしようとする。
「ずっと好きでした、付き合ってください」
少し遠くから聞こえたその言葉に僕の足は止まり、部外者であるにも関わらず顔が熱くなった。
告白現場に遭遇するなんて人生で初めてだった。いや、そもそも最近の告白はSNSなどで行われているのだと思っていた。
他学年なのだろうか、どちらの人の顔にも見覚えはない。
「なんで俺のこと好きなの」
「あ、えっと、その。クールな性格とか」
わずかに女の人の声がこもったような気がした。
乾いたため息の音が聞こえた。
「何しどろもどろになってんの。正直に言えばいいじゃん。顔しか見てませんでしたって」
「え、そんなこと……」
「じゃあ俺と今まで何回話したことがあるんだよ。て言うか、どこでクールだって思ったわけ」
「そ、それは……」
男の人はどんどん追い討ちをかけるように言葉を乱雑に、しかし正確に紡いでいく。
「な、結局は顔じゃん。そんなやつに告白なんてされても嬉しくもなんともないし、迷惑だから」
男の人の方が冷たい声で言い放つ。その冷酷さには、部外者の僕でさえ少し引いてしまった。
女の人は今にも泣き出しそうに見えた。
「知らないやつの泣き顔なんて見たくない。帰れ」
男の人がそう言うと、女の人は泣きながら扉に向かって駆け出した。
僕は急いで物陰に隠れる。
女の人は僕には気がつかない様子で階段を駆け降りて行った。
僕は物陰からのそりのそりと出る。
そう、女の人に気がつかれなかったという安心感から、僕はすっかり大事なことを忘れていたのだ。
「あー、無駄な時間使わせやがって。ほんと、うぜぇ」
僕とさっきの男の人の目がばっちり合う。
サッと血の気が引いた。
「……盗み聞きとはいい度胸してんな」
今にも食われるんじゃないかと思うくらいのど迫力だった。
「ち、違うんです。ただ僕はいつもここでお昼を食べているからって言うだけで、決して盗み聞きをしようとしたわけでは」
慌てて訂正しようとする。
死にたくない、死にたくない。
心の中でそう、唱えるように繰り返す。
「……あ」
そういうと、男の人は急に黙り込んだ。
バレないようにそっと目線を辿ると、僕が持っているお弁当箱に行きついた。
「あの、どうしましたか」
男の人はなぜか、哀れみのような視線を向けてきた。
「……お前、いつも一人で食ってんの」
「えっと、そうですけど」
「まじか。かわいそ」
悪気がなさそうな顔で言うから余計タチが悪い。
まあ、残念なことに『可哀想』と言われることは他の人よりも慣れていると自負している。
そっとその人の傍を通り抜けようとする。
男の人はガッと僕の腕を掴んだ。
「なあ」
「は、はひ」
いきなり掴まれたことと物凄い眼力に怯えすぎて、思わず声が裏返った。
「一緒に食べるか、昼飯」
突然のことに、僕は夢でも見ているのかと思った。
なんでこんな陽キャみたいな人が僕に構うんだ。パシリにでもするつもりか。ふざけるな。
……なんて言えるわけがない。
「ありがとう、ござい、ます」
「よし、決まりな」
さっきあんなに冷たく女の人を振っていた人と同一人物だとは思えないくらい、無邪気でくしゃりとした笑顔だった。
「お前、名前なんて言うの」
「……神楽咲良です」
「咲良か。俺のことは陵って呼んで。てか、敬語崩せよ」
初対面だとは思えないくらいフレンドリーな口調で話しかけてくる。
だが、まさか敬語を崩すなんて出来るわけがない。
「僕はまだ二年生で……」
「いや、俺もだけど」
シンと静まり返る。
「……え、嘘だ」
「嘘じゃねえよ。正真正銘、二年だから。あ、まあ、さっきの女子は多分三年だけど」
先輩からの告白なのにあんなこっぴどく振っていたのか。
もはやそこまでくると呆れを通り越して感心する。
「凄いね、先輩に告白されるなんて」
褒めたつもりだった。
それなのに陵くんの顔は一気に曇った。
「凄くもなんともねぇよ」
ボソリと吐き捨てるように言った。
少し寂しそうに笑ってこっちを見る。
「昼飯はやく食おうぜ。こんな話するんじゃなくてさ」
そう言って屋上の方に戻る。
……本当に一緒に食べるのか。
僕はお弁当箱を広げた。それを横から陵くんが覗き込む。
「これ、母ちゃんに作ってもらってんの」
「いや、自分で」
母さんはとっくの昔に出て行った。外に愛人でも出来たのだろうと、子供ながらに思った記憶がある。
父さんは真面目だし僕のことも大切にしてくれる。だが、あいにく料理だけは全く出来ない。作れるのはいびつな形のおにぎりだけ。
「まじですげぇな、咲良」
「そんなことないよ。陵くんの方がすごいと思う」
「あ、いや、あの。『陵くん』って呼ばれんの、地味に恥ずかしいからまじでやめて。陵にして」
陵く……陵は顔を赤く染めながら言った。
呼びづらいなという気持ちが湧くも、断る勇気もなかった。
「……わかった、陵」
「おう」
嬉しそうな顔でこっちを見ていた。
さっきから陵がずっとお弁当を見ていることに気がつく。
「もしかしてだけど。お昼ごはん、ないの」
「告白されるっていう時にお昼ごはん持ってくる馬鹿がいるか」
確かに言われてみればそうだ。
「え、じゃあなんで一緒に食べるっていったの」
僕がそういうと、陵は僕をジッと睨みつけた。
「別になんでもいいだろ」
聞かなければよかったと、今更だけど激しく後悔をした。
授業開始十分前の予鈴が鳴る。
お弁当はまだ半分くらい残っていた。
「もしよかったら」
陵の方にお弁当を差し出す。
「まじでいいの」
「今からだと食べきれないし、陵もお弁当持ってこれなかったじゃん。だから、嫌じゃなければどうぞ」
残飯係になってほしいだなんて口が裂けても言えない。
「やった」
嬉しそうに卵焼きと唐揚げを二個ずつ食べてくれた。
「おにぎりも一個、あげる」
「まじで。やった」
ほっそりとした体つきの割にはガツガツと食べる人だなと思った。
満足そうな顔でおにぎりを口に詰め込んでいた。
「あ、ちなみに俺お弁当持ってきてねえから。まだ購買にも行ってなかったし」
「え、まさか毎日購買で買ってるの」
「そうだけど」
「それじゃ駄目だよ」
うちの高校の購買に売っているのはパンやおにぎりなどがメインで、お弁当は売っていない。
つまり、かなり意識して購入しないと栄養の偏りが起こる。
「朝とか夜もそんな感じだから慣れてるし」
「慣れればいいとかじゃなくて。毎日買い食いは栄養が偏りやすいから」
陵が不思議そうな顔でこっちをみる。
「母親みたいだな」
ボソリと陵が呟く。
それを聞いて初めて、お節介を焼いていたことに気がついた。
「あ、鬱陶しかったよね……。ごめん」
父さんが栄養素に関して無知な人だから、その反動で僕は逆に必要以上に気にする人間になってしまった。
少し鬱々とした気分になる。
「あ、別に悪い意味じゃなくてさ。その、あんまり心配してくれるやつとか周りにいなかったから、なんか嬉しくて」
陵は照れたのか、頬を少しだけ赤く染めた顔をスッと隠した。
僕は安心する。
きっと彼は根っからの悪いやつじゃないと思う。むしろギャップ萌えの宝庫だ。
陽キャは陰キャを全員卑下するものだという僕の偏見も見事に崩していった。
安心すると同時に、ある考えが思いついた。
「……になりませんか」
「え、なに急に」
「僕と友達になりませんか。ただし、みんなにはバレないようにっていう条件付きで」
バレるかどうかのゾクゾク感。
別に悪いことをしているわけじゃないから、当然だけど誰かに怒られることもない。
僕にとってこの上ない最高条件だ。
「バレないようにって、なんでだよ」
「君のようなタイプと僕みたいな陰キャがいきなり仲良くしだしたら周りは不審に思うでしょ。周りに追及されるたびに説明するのも面倒だし、それならバレないようにするのが得策だと思うんだけど」
さすがに無理があっただろうか。
内心ヒヤヒヤしながら陵の返答を待つ。
「……確かにそれも一理あるな。よし、のった」
心の中で思わずガッツポーズをした。
陵は何かに疑問を抱いたのか、少しだけ眉間に皺を寄せた。
「でも、バレないようにって言ったら今までの関係となにも変わらなくないか」
「ああ、それならここで毎日、一緒にお弁当を食べるっていうのはどうかな」
僕にとって塩梅なところがそれだった。
「ああ。いいな、それ」
「じゃあそろそろ本鈴が鳴るから」
僕は立ち上がった。少し進んでから振り返る。
「また明日、ここで」
陵は子犬みたいな顔で手を振っていた。
僕はすっかり忘れていた。自分の想像力が著しく低いということを。
いつも一人で屋上に行っていたから、僕の行動を不審がるような人なんて誰もいない。強いて言えば二個のお弁当を持っていた点くらいだろうか、怪しいところは。まあ、誰も僕のお弁当の数なんて見ていない。
これじゃ、ゾクゾク感のかけらもない。
「と言うか、来るのかな」
昼休みになってもう、十分ちょっと経っていた。
当然くるだろうなんて思っていたけれど、そんな保証はどこにもない。
そもそも昨日だって、揶揄われていただけかもしれない。
「そんなことないと思ったんだけど」
「なにが」
「うひゃあああ」
いきなり耳元で呟くから変な悲鳴をあげてしまった。
「き、来てくれたんだ」
「当たり前だろ。まあ、いつも飯食ってるグループを抜けるタイミングが難しくて遅れちったけど」
「いつも一緒に食べてるっていう人がいるなら無理しなくてもいいのに」
僕はいつもぼっちだから慣れている。
「は、何言ってんだよ。咲良と話せるのがこの時間だけなんだから、逃すわけにはいかねえだろ」
「そこまでする価値は僕との時間には存在しないよ」
「俺があるって言ったらあるんだよ」
まるで駄々っ子のようだった。
僕は一つしょうもない疑問を抱く。
「陵ってお兄さんとかいるの」
「お、よくわかったな。兄ちゃんが二人いるよ。って言っても、もう二人とも社会人だから家は出てってるけど」
やっぱりそうだ。昨日からそうだけど、陵はたまに弟気質な雰囲気を醸し出していた。
そんなところが親しみやすくてちょっと可愛いなと思ったり。
「咲良は兄弟とかいんの」
「一人っ子だよ」
「あー、確かに一人っ子っぽいな」
「近所のおばさんとかにもよく言われる」
僕はお弁当箱を取り出す。
「昨日言ってたやつ。もしまずかったら無理しで食べなくていいから」
「え、まじで作ってくれたんだ。サンキュー」
そう言いながらキラキラした目でお弁当箱を見つめていた。
「そんな大層なものは入ってないからね。そもそも作れないし」
「いや、手作り弁当ってだけでテンション上がるわ」
お弁当箱を開ける。
「おお、すげえ」
「凄くないって。別に普通でしょ」
「いやいや、普通じゃねえって。おにぎりに卵焼き、ブロッコリー、あと生姜焼きもあるじゃん」
「ごめん、その肉は昨日の夕飯の残り」
そんなに嬉しそうにお弁当を見られるとは。手抜きをしているのが申し訳なくなる。
「え、まさか夕飯も咲良が作ってんの」
「そうだよ」
「まじかよ。ほんと尊敬するわ」
陵は口いっぱいに生姜焼きを頬張った。
ほんと、美味しそうに食べるな。
少し胸のあたりがふわりと温かくなる。
チャイムが鳴る。
昨日よりも時間の進みが早いような気がした。
「え、もう時間か。じゃあ先戻っていいよ」
「うん、わかった。じゃあね」
僕は先に教室に帰って、窓側の席に着く。
そういえば、陵は何組なんだろう。ここの学校は八クラスもあるから、他クラスの人なんて僕にはとてもじゃないけど把握できない。昨日のことがなければ陵のことも知らないままだったと思う。
窓の外を見る。綺麗な青空が広がっていた。
ただそれだけだった。
「それじゃあ、またね」
「おう。また明日な」
陵が僕に向かって手を振った。僕もそれに返す。
陵と一緒にお昼を食べるようになって、もう一ヶ月くらいが過ぎていた。
話せば話すほど、陵がモテる理由がわかったような気がした。
陵は高身長で顔も整っている。もし突然『モデルの仕事をしている』と言われても、それほど驚かないだろう。背が低くてどちらかというと童顔な僕とは大違いだ。
だが、そんな見た目に反して実は性格はそこそこ幼くて可愛かったり、意外と優しかったり。そして何より、普段の表情からは想像できないくらい、笑顔がとてつもなく可愛い。
陵とはいくら一緒にいても飽きない。
だからこそ、中身のない自分が余計嫌になっていた。
教室に戻り、自分の席に着く。
特になにもすることがないから、鞄の中から本を取り出して栞の挟んであるページを開いた。
「ねえ、神楽くん」
数ページ読んだ所で声をかけられた。
振り向くといかにも陽キャという感じの、茶髪の女子が立っていた。クラスメイトだと思うけど、関わりが無さすぎて名前は全く覚えていない。
「あの、なんですか」
「あのさ、今度の文化祭の事なんだけど。ちょっとお願いしたいことがあって」
ああ、そういえばもうそんな時期か。
この前のホームルームでも出し物について話し合っていたっけ。確かカフェかなんかに決まったと思う。
「お願い、とは」
「あのさ。うちのクラス、カフェやるじゃん。それでメイド役に入って欲しくて」
何かを飲みながら話を聞いていたら、今頃盛大に吹き出していたと思う。
裏方の仕事だって沢山あるはずなのに何で僕が店員で、しかもよりによってメイドの役なんだ。
僕はなるべく冷静を装いながら聞いた。
「な、何で僕がメイドなんですか。せめて執事とか……」
別に執事をやりたいわけでもないが、メイド役をやるよりは何倍もマシだ。
それに女装店員をどうしてもいれたいのなら、イベント好きの陽キャがやればいい。その方が盛り上がるのも目に見えている。
「執事はもう足りてるから大丈夫。そうじゃなくて、集客のために女装のメイドさんを一人紛れさせたいなって思って。でも他の人だと完全ネタ枠になっちゃうじゃん。神楽くんくらいなんだよ、かわいくなれそうなのは」
ここですぐに『はい、わかりました』と言わなくなったのは、陵と話していて得られた成果だと思う。
「つまり僕は今、貶されてるんですか」
「ううん、むちゃくちゃほめてるよ」
そうならば、今までで一番嬉しくない褒め言葉だ。
断るための言葉を模索する。だが、なかなかいいのが思いつかなかった。
「まあ、今すぐ答えてとは言わないからさ。とりあえず考えといて。じゃあね」
そう言ってその女子はスタスタと友達の元に戻った。
「え、それで咲良はメイドの件オッケーしたの」
次の日の昼休み、陵はお弁当を食べながら聞いた。
「いや、まだ何もいってない。出来ればやりたくないけど」
「じゃあそう言えばいいじゃん」
言えるほど強かったら、今こんなに困ってはいないだろう。
僕は適当に流した。
「そういえば、陵って何組なの」
「え、そんなのも知らなかったのかよ。俺は七組」
「ああ、七組か。遠いね」
「まあ、階すら違うしな」
同じクラスの女子すら覚えられないやつに他クラス、ましてや階の違うクラスの人の顔を覚えるなんて無理難題だ。
陵のことを知らなかったのも少しだけ納得した。
「七組は文化祭なにやるの」
「知らね」
なんとなくそうだとは思った。
と言うのも、陵に対するある推測が僕の中で浮かんでいたから。
「あのさ。陵って、授業でてるの」
いつも僕を先に行かせようとするから、陵が教室に向かうところは一度も見たことがなかった。
「出てねえよ。面倒だし。テストで点取れば大人たちもなんも言わねえしな」
テストで点を取れば確か何も言わなさそう、うちの教師。
「ん、あれ。陵ってそんなに頭いいの」
「ぼちぼち、な」
さすがに平均点をとっただけで授業のズル休みが許されるとは思えない。
「……陵の名字って」
「おい、まじでなんも知らねえな。関原だよ、関原陵介」
『陵』って呼べと言っていたのに『介』がつくのは反則だと思う。
いや、それよりも。
「……学年一位じゃん」
「んー、まあな」
しれっとした態度だった。
心の中がかき回されている感覚というのだろうか。気持ち悪かった。
「陵はすごいよ」
「え、なんだよ急に。そう言われるとちょっと照れるっつーか」
「やっぱり僕とは一緒にいるべきじゃない」
ただ、一緒にいるのがつらくなった。
陵がほんの一瞬だけど氷みたいに固まったように見えた。
「お、おい。何言ってんだよ。冗談にしてはきついって」
「冗談なんて言わないよ」
陵が少し悲しそうに見えたのはきっと気のせいだろう。
母さんが出て行った朝の父さんもこんな表情だったな、なんてくだらない記憶がよみがえった。
「……なんで」
「陵は僕よりも一緒にいるべき人が他にいるって、そう思っただけだよ」
嘘だ。そんな綺麗なものじゃない。
嫉妬した。何もかも手にしているようで、羨ましかった。
そして何より、ただゾクゾク感を味わいたいがために彼を利用している僕が、酷く汚い人間のように思えた。
「一緒にいるべきやつがいるって。俺はお前と一緒に」
「うるさいな」
そう言って食べかけのお弁当をガッと閉じる。
僕は陵が手に持ってるお弁当箱を指さした。
「それ、返さなくていいから」
そう言って屋上を出る。
わかってる。
陵は何ひとつ悪くないこと。僕は最低で、人間のゴミだということ。
頭では何もかもわかってるんだ。
わかってるけど、どうしようもなかった。
僕は教室で自分の席に着く。
別にいいじゃないか、たった一ヶ月前の関係に戻るだけ。
それでいいはずなのに心がズキズキと痛む。
きっと僕は馬鹿なんだ。
次の日、僕は屋上に行かなかった。行けなくなったの方が正しいのかもしれない。
教室でひとりぼっちで食べる昼食は周りの目が少し気になる。誰も見てはいないはずなのに。
窓の外を見るとどんよりとした曇り空が広がっていた。
「ねえ、神楽くん。昼食中にごめんね」
この前の女子だった。
「文化祭の件なんだけど、考えてくれたかな」
「あ、あの。できればやりたく……」
「まあせっかくのクラス行事だし、のってくれたほうが盛り上がると思うんだよね。それにほら、協調性って大事って言うじゃん」
彼女の押しの強さに圧倒された。
僕と彼女が話している光景が側から見たら異様なのだろう。物珍しそうに周りも見ていた。
「でも」
「いいじゃん、いいじゃん。ほら、一人だけ女装男子がいるから探してみてねとか良くない? 集客出来ると思うんだよね」
そのうち、周りで見ていた男子も話に加わった。
「お前、他校に彼女がいるとかでもねえだろ。だったら大丈夫だって」
「なあ、思い出作りも必要だろ」
「飲食店部門で一位とったら担任の奢りで焼肉だし、少しは協力しろよ」
彼女はいなくても自尊心くらいはある。
嫌な思い出になるに決まってる。
担任の奢り? そんなの僕には関係ない。
でも『断る』という、自分にとって慣れないことをするのはもう疲れた。
僕だけが我慢すればそれでいい。
それでいいんだ。
「わかっ……」
「おい、ちょっと待てよ」
聞き覚えのある声だった。
「え、陵くんじゃん。どうしたの」
女子が陵のまわりにキャッキャと集まる。
他学年からも告白されるような人だ、同学年の女子が集まるのは当たり前なのかもしれない。
「うぜえ、黙れ」
冷たく女子をあしらうその姿は、初めて見た日の陵そのままだった。
「知らねえんなら教えてやる。あのな咲良は心配性だし陰キャだし、おまけにチビ。どっちかと言うと女顔だから、たぶん女装だってなんだって超似合うと思うよ」
唖然とする。
陵はわざわざ僕のことを貶しにきたのか。それとも実は女装推奨組なのか。
そんな予想に反して陵の目は真剣だった。
「でしょ。やっぱり似合うと思うよね。陵くんからも何か言ってよ」
陵が思ったより自分側の意見だったからか、女子はさっきよりも声が陽気に聞こえた。
だけど陵は笑っていなかった。
「でも本人が嫌がってることを無理やり、ってのは違うだろ」
「で、でも、クラスのみんなが文化祭を楽しむためには、やっぱりやって欲しいじゃん」
それまで賛成派だと思っていたのに予期せぬ答えが返ってきて動揺しているのか、女子は陵にむかって必死になって抗議をしていた。
陵は冷めた目でそれを見ていた。
「は、クラスのみんなが楽しむためとか。笑わせんなよ」
陵の長い腕が僕の肩に乗っかる。
「咲良だってクラスメイトだろ。次、俺のダチが嫌がることしたら、その時はマジで許さねえから」
そう言って僕を半ば強引に屋上へと連れて行った。
「どうする気だよ」
屋上についてすぐ、僕は陵に言った。
「どうって、何が」
「さっきのことに決まってるだろ」
きっと今クラスに戻ったら、これまでに無いくらい最悪な雰囲気になっている。僕も空気のような存在ではいられなくなる。もちろん悪い意味で。
「僕が我慢すればそれで済んだのに……」
声が震える。
これからの学校生活が怖くてたまらなかった。
これはきっと天罰なんだ。陵を私欲のために利用して、そして自分勝手に突き放した、僕への。
「咲良、優しすぎだろ」
陵が何を言っているのか僕にはわからなかった。
「……違うよ。僕はただ弱いだけで」
「そんなことねえから。俺の言うこと少しは信じろよ」
優しい声だった。
その声に僕の心は傷んだ。
本当のことを言わなければ。
「あのね。昨日陵を突き放したのは、陵のことが羨ましかったからなんだ。僕にないものを全部陵は持っているような気がして、それで嫉妬した」
ここまではスラスラと言えた。
でも、次の言葉を言うにはそれまでにないくらいの勇気を要した。
「……あと、さ。僕は最初、陵と友達になんてなろうとは微塵も思ってなかった。ただ、ぞ、ゾクゾク感を味わいたくて、それで巻き込んだ。本当に、ごめん」
陵の顔を見ることはできなかった。
怒っているならまだいい。どれだけ怒鳴られても殴られても、今は仕方ないと思う。
でも、もし悲しんでいたら。それが一番怖かった。
「知ってた、そのくらい」
陵はボソリと言った。
「えっ」
「まあ『ゾクゾク感』とかまでは知らねえけど、純粋に友達になろうとは思ってないことは察してた。だっておかしいだろ、さっきまでビビってたやつがいきなり饒舌になるとか」
「じゃあなんで」
なんで僕にそんなにかまうんだ。
陵は何かを思い出すかのように空を見上げた。
「きっかけは弁当かな」
落ち着いた声だった。
「咲良、弁当を作ってきてくれただろ。あれが超嬉しくてさ。それまで『面倒くせえ約束はすっぽかす』ってようなやつしかいなかったし。それで俺は咲良とダチになりたいと思った」
何にも特別なものは入っていない、ただのお弁当。
「そんな。あんなお弁当だけで」
「まあ、それが全てじゃないけどな。きっかけがそれってだけ」
陵が先に地面に座って、僕も座るように促した。
「咲良はさっき、自分のことを弱いって言ってたじゃん」
僕はコクリと頷く。
「俺、思うんだけどさ。弱いって言うのは別に悪いことばかりじゃなくね」
「悪いことに決まってるじゃん」
もっと強い心を持っていれば。
これまでの人生で何度そう願ったことだろうか。
「んー、でもさ。弱くて怯むってことは、そうすると良くないって思ってるってことだろ。てことはさ、人の痛みを知ってるってことなんじゃね。だったら、弱いやつは優しいやつなんじゃないかって思うけど」
なんだそれ。
そんなのただの綺麗事じゃないか。
それに、全員が全員そうだとは限らないだろ。型にはまらない人間だっていくらでもいる。
頭ではそう思っているのに、どうしてか心が少し軽くなったような気がした。
「それにさ、咲良に褒められるのだけは嬉しいんだよね。例え、容姿のことだとしてもさ」
僕は思わず目を見開いてしまった。
突然話があらぬ方向に進んでいるように感じた。
「えっ、もしかして、人生で初めて告白されてる」
「してねえよ」
陵は僕の肩を軽く叩いた。
「咲良は顔しかみない他の奴らとは違って、『俺』っていう存在そのものを見てくれているような気がしてるんだよな。まあその上で見た目を褒められるなら、それも悪くねえかなって話」
五時間目の予鈴が鳴る。
「あ、もう咲良はクラスに帰るのか」
「あの雰囲気の教室に帰れるわけがないでしょ」
曇り空の僅かな隙間から、一筋だけ陽の光が降ってきた。
「僕、今まで結構真面目に授業受けてきたから、学年一位じゃなくても一日くらいは許されると思うんだよね」
そう言って僕はまっすぐ陵の目を見る。
「あの、こんな僕ですが、友達になってくれませんか」
嫉妬だってなんだって超えてみせる。
そう思えるくらい、僕にとって『陵』はいつのまにか大きな存在になっていた。
「それはどういう意味で」
試すような口調で陵は聞き返す。
「それは、まあ。ここでだけ会うとか無しで、純粋な意味で」
改めて聞かれるとうまく言葉にするのが難しい。
なんとか答えようとする。
「純粋な意味って」
「あー、もう。わかってるんだろ」
なにが面白いのかわからないけど、陵は大口を開けて笑って言った。
「なろっか、もう一度『友達』に」
それから僕らはお昼休み以外でも会うようになった。
初めは周りの好奇心の目がとてつもなく鬱陶しかった。
僕たちを見てはヒソヒソと遠くで話していたり、中には『本当に二人は友達なのか』と直接聞いてくるやつもいた。
いちいち答えるのは面倒だったが、もう隠す意味も何もない。『そうだよ』と毎回のように答えた。
そうしたら、いつしか『仲の良いでこぼこコンビ』としていい感じの評判になったようだ。
「おはよ。今日は昼、なんか予定あんの」
僕が上履きに履き替えていると、陵が後ろから声をかけてきた。
「いや、特になにもないよ」
僕がそう言うと、陵はくしゃりと笑う。
「じゃあまた待ち合わせな」
昼、僕らはまたいつもの場所に向かうのだ。