愚者の舞い 2−34
構えた剣に噛みついた2匹の蛇をなんとかもぎ放そうとするが、ガッチリ銜えた蛇は微動だにしない。
仕方なく、剣を無理に使えるようにする事は諦め、奪われない事に専念する。
蛇の方はその行動が意外だったのか、不審そうにルーケを見上げた。
「姿を現したらどうだい? それとも、水の中の方がいいのか?」
剣に噛みつく蛇の1匹の目を見つめ返しながらそう言うと、やがて、水の中から音もなく少女の上半身が姿を現した。
見える範囲でだが、濡れた長い髪は全身に絡み付き、眼は澄んだ青色、髪は濃い茶色。
見た目は10才くらいの顔立ちだが、スタイルはなかなかだ。
そのアンバランスさこそが、不気味と言えば不気味だが。
整った顔立ちを除けば、普通の女の子が着るような服を着ているため、その辺の村で出会いそうな感じさえある。
「あなたは随分余裕があるのね。 仲間の事が気にならないの?」
「なるさ。」
そう答えつつも、ルーケは少女に視線を移した後、そのまま微動だにしない。
「じゃあ、なんで? 諦めるの?」
「諦めちゃいない。 信じているだけさ。」
背後から、激しい剣戟の音が聞こえて来る。
リザードマンと仲間が戦いを始めた事が窺い知れた。
それでもルーケは、振り返る事さえしなかった。
「言うのは簡単よね。 でも、本当に大丈夫かしら?」
「振り向けばお前を救えない。 即座に攻撃に移るからな。」
少女は一瞬目を見開き、それから爆笑した。
「アハハハハ! よく分かっているじゃない! でもね、今のままでもあなたに勝ち目なんて無いのよ? それを分かっているのかしら?」
「勝ち目がない? どうしてそう思うんだい?」
「力の差があり過ぎるもの。 あなたと私では勝負にさえならないわ。」
「ではなんでこうして攻撃をして来ないんだ? お前が俺に対し、不安に思っているからだろう。 いつもの人間と違う、何かがありそうだと。」
「せ〜いか〜い。 なにを企んでいるのかしら〜? ウフフフフ。」
おどけてそう言う少女に対し、ルーケはある確信を持った。
「可哀相な娘だな。 だがそれゆえに、俺はお前に言おう。 もう止めるんだ。」
少女はキョトンとしてから、小首を傾げて不思議そうにルーケを見詰める。
「止める? 何を?」
「リザードマンと共謀し、人を罠にかけて殺すのはよせ。 このままでは、お前は死しても救われる事は無いぞ。」
「はぁ?? 何言ってんのあんた。 そう言えばさっき、私を救うとか言ってたよね。 あんた、神官?」
「いや。 だが、俺はお前を倒す事で、魂を救える事を知っている。 スキュラよ。」
スキュラ。
上半身は美しい娘の姿をし、下半身は6匹の犬の頭を持つ魔物である。
だが、スキュラは魔界の瘴気から生まれ出る事は無く、呪いや毒によって成る。
この少女は蛇を使って攻撃して来る以上、下半身は蛇のようなのだが、ルーケには確信があった。
また、一つの胴体に複数の蛇の頭を持つ魔物は、ヒドラなどがいる。
しかし、少女の上半身を仮初でも持つ魔物はいないため、ロスカは合成獣キメラだと思ったのだが・・・。
「・・・へぇ。 私をスキュラと言うの。 下半身はこの通り・・・。」
ザバァと水を押しのけ、現れ出たのは、腰から下が6匹の大蛇になった少女の下半身。
「犬じゃないみたいだけど? アハハハハ♪」
「だが、キメラじゃあるまい? 君の名はハルマと言うんじゃないか?」
そう言った瞬間、少女の表情が驚愕に凍りついた。
「な・・・何を・・・!?」
「その顔を見る限り、どうやら正解のようだね。 確か、あまりに残虐非道だったため、女神ボニートに呪われた魔女マギサによって、スキュラに変えられた天女がいたと聞いた。 スキュラは自然発生しない筈だから、そうじゃないかと思ったんだ。」
「へ・・・へぇ、随分物知りね。 でも、この下半身の違いはどう説明してくれるのかしら?」
「一般的にスキュラと言われる魔物は、下半身が6匹の犬の頭。 だがそれは、魔界王の1人が独学で作った魔法による呪いだ。 しかしマギサは聖魔戦争から生きて来た正真正銘邪悪な魔女。 本来のスキュラは下半身が蛇になる。 違うかい。」
ハルマは驚きに目を見開いたまま、完全に戦意を喪失した。
そのため、下半身の蛇もやる気を無くし、剣を銜えていた2匹も放して元に戻って行った。
「もう、こんな事は止めるんだ。 マギサの呪いで生きる道が狂ってしまったのは同情もする。 だが、君が生きるために啜ってきた生き血」
「煩い!!」
バシャァ! と、1匹の蛇が激しく水面を叩き、苛立たしげに他の蛇も攻撃的にのたうち蠢く。
「私を救う? 同情する? 虫けら如き餌である人間が? 笑わせんじゃないよ。 綺麗事ばかり言っても、たんにあんたが生き延びたいからそう言ってるだけじゃない。 笑わせないで欲しいわ。 言った筈よ。 あんたじゃ私に勝てないと。」
「勝ち目がないと思いこませたいのだろうが、生憎俺には勝ち目がある。 だが、倒すだけでは君は救えない。 だから敢えてもう一度言おう。 もう止めるんだ。」
「ふざけんじゃないよ! あんたら人間だって生きるために動物を食うだろ!? 私にゃ生きる権利も無いって言うのかい! あの糞魔女の逆恨みでこんな姿になったって言うのに!!」
「俺には君を、元の姿に戻す事は出来ない。 また、戻せる人は恐らく、この世界のどこにもいない。 だが、ニンフだからこそ、魂は天に帰れる筈だ。」
「生憎、私はもう、天なんてどうでもいいのよ。 マギサみたいな魔女をこの世に放ったボニートの居る天界などに、誰が戻るかっ!! お前も死ね!!」
ビュッと風を切り、6匹の蛇が同時にルーケに飛びかかり、同時にハルマの上半身もルーケに接近する。
ルーケはそれを見るや、剣を素早く上段に振り上げ、即座に振り下ろした。
「・・・ば・・・馬鹿じゃないの・・・?」
ハルマはルーケの行動が、信じられなかった。
「そんな事したって・・・私・・・。」
「吸いたければ、吸うがいい。 だが、俺で最後にしてくれ。 スキュラは永遠の命と共に、食事を取らなくても死なない筈だろ? もう、これ以上罪を重ねるのは止めるんだ。 それが、君のためさ。」
6匹の蛇は、ルーケの全身に牙を突き立て、ルーケの剣は・・・大地に垂直に突き立てられていた。
蛇の攻撃に吹き飛ばされないように、剣を大地に突き立て楔にする事で、耐えたのだ。
「馬鹿じゃないのあんた!? そんな事! なんで知り合いでも何でもない私のためにそんな命を投げ出すなんて!」
「ハハハ・・・なんでかな。 師匠の図書室で勉強し過ぎたかな。 最初君を見た時、その瞳は悲しみに満たされ、逃れたいと足掻いているように見えた。 だがそれは、蛇に襲われていたからではなく、生きる事それ自体に嘆き、悲しんでいる事に気が付いた。 そんな目を見てしまったら・・・手を、差し伸べたくなるじゃないか。」
ボトボト、と、力無く、ルーケに食らい付いていた蛇が再び大地に落ち、クルッとハルマはルーケに背を向けた。
「・・・1つ、教えてあげる。 スキュラはね、生き血を吸わないと生きていけないの。 魚でも動物でも、何でも構わない。 でもね。 幸せそうに生きる人間の生き血が、一番美味しいのよ。」
そう言って、再び振り返ったハルマは、完全に無表情だった。
「あなたの仲間もだいぶ苦戦しているわね。 あなたが死ねば、勝利は確実。」
シャアァ、と、再び蛇達が鎌首を上げた。
「あなたの事、忘れない。 だから・・・頂戴。」