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名無しの異世界生活記  作者: さとう
2/2

猪と黒炎

青すぎる空の下にて足首まで伸びた草を掻き分けながら、一匹の茶色いウサギと男が一人走り回っている。


ウサギはひたすらに逃げ続け、ウサギを捕まえようと必死の形相で手足を振り回すが全く掠りもしない。


日本という恵まれた国に生まれた人間が野生で生き抜いてきた動物を捕まえるのは予想以上に難しい。


捕まえるために策をかんがえるも、まず実行ができない。


回り込もうにもウサギに食らいつくだけで精一杯だ。


ピョンピョンと小気味よくジャンプし逃げているウサギだが、僕は知っていた。ウサギはまだ膂力を残している。


その気になれば僕の事なんて一瞬で撒けるはずなのに、そもそも森に入らず草原を跳ね回っている時点でおかしい。


つまり遊ばれているのだ。被害妄想かも知れないが、あのウサギはきっと、必死の形相で追いかけてくる僕から逃げるというスリルを楽しんでいるに違いない。


そう思うと、なんだか一気に怒りが込み上げてくる。


「このっ!」


唯一得意の火の魔法をウサギに向かって投げつける。


放出とか、火炎放射器みたいに火を出し続けるのは集中力がいる。走りながらではとても無理だ。


だから手のひらに炎を集めて投げる、いわゆるファイアーボールみたいに。


投げた火球は放物線を描くもウサギには当たらず、掠りもせず地面に落ちた後、焦げ跡も残さず消えてしまった。


「くそっ!」


間を開けずにもう一度火球を投げる、投げる、投げる


質より量だ、数だ!相手はウサギ一匹だ!ひたすら投げてればそのうち当たるだろう。


「このっ!当たれよ!」


でも投げるも投げるも華麗に回避するウサギ


実際は半分ぐらい見当違いの方向に飛んでいってるが、周りに人はいない、よかったこんなみっともない姿を見られなくて、走りながら魔法を使い続けたせいか僕はもうバテバテだった。


走っていては呼吸が間に合わない、ついに立ち止まって肩で息を整える。これ以上は、無理だ、限界だ。


ゼェゼェ言いながらウサギを見る、僕から逃げていた時と同じ距離で、逃げもせずに頭を足で掻いている。可愛らしい仕草ではあったが僕は理解した、完全にお猪口られていると。


「.....」気付かれないように無言で火の魔法を使う。


先ほどの火球と同じものではあるが込める力が違う、具体的には大きさが、野球ボールぐらいだった球がみるみる大きくなってボーリング玉程度になった


「これでもくらえぇ!」


たかがウサギ一匹に今持てる力全てを使って火球を投げつける。


量など古い、時代はやはり質なんだ。


ウサギは完全に油断していたのか、少し遅れて逃げ出す。


「ふはは!バカめ!今更逃げたところで遅いわぁ!」


キャラ崩壊しつつ悪役のようなセリフを吐いてしまった。


吐きながら当たってくれえぇ!と切実に願ったのは秘密だ。


祈り虚しく火球は直撃せず、ウサギの少し横に着弾、ウサギが勝ち誇ったような顔をしてる気がするが、バカめ勝ったのは僕の方だ!


着弾した球はまだ燃え尽きてない、むしろここからが本番なのだ。


ズドン!爆発音と共に弾ける火球、辺りの草と地面に焦げ目がつき、横にいたウサギは爆発をもろに受けて吹っ飛んだ。


気絶したのか、吹っ飛んだウサギはピクリともしない。全力の火球とはいえ小動物の命を奪うほどの威力もない...自分の身体で実証済みだ。


実際に近づいて観察してみるとほら、耳が若干ピクピクしてる。


耳を掴んで高らかに掲げあげ、


「やったぞー!」


誰もいない草原の真ん中で勝鬨をあげた。




「セトさん!今日もウサギ捕まえましたよ!」


教会に帰り真っ先にセトに報告する。


「おかえりナナシ君、これで3匹目だね」


「ただいまです。今日の夕飯に使おうと思うので、捌く所を見てもらってもいいですか?」


言いながらウサギの頭を棍棒で殴りつける。


捕まえてから時間が経過しているので、捌いてる途中に目を覚まさないようにするためだ。


ぐったりしたウサギの後ろ脚を掴み、逆さ吊りにして首元を掻っ切る。


血が出る、当たり前だ。首を斬ったんだから。


逆さ吊りしているとドンドンと出血量多くなって、次第に少なくなって少しずつしかでなくなる。


ウサギはもうピクリとも動かない、いつのまに絶命したのか、とても冷たくなっている。


首を力任せに切り落として、胸元からお尻まで一気に切り裂く、血はそんなにでないが内蔵が少し溢れる。


血と中身の匂いにむせかえりそうになりながら、傷つけないようそっと内蔵を書き出し、終わったら毛皮を剥ぐ、切れ込みがあればビーッと抵抗なく剥ける、後は関節を外しそれぞれの部位へばらせば解体は完了だ。


毛皮と内臓と血は引き取ってくれる家に持っていく。


放置しておくと変な生き物が湧くらしい、毛皮はともかく内蔵なんてどう処理してるんだろう?肥料とか、家畜の餌になってるのかも。


「大分手慣れてきたね、もう私がいなくても一人で捌けると思うよ」


「いえ、まだ2匹目なので自身がなくて、付き合って貰ってすいません」


初めて捕まえたウサギは、やり方がわからなかったのでセトに捌いて貰った。


正直初めての解体現場では溢れる血と内臓を見て、卒倒してしまった。


形は違えど僕の中にも入っているであろう物と血を見て、なんだか一気に現実感というか自分が生きている感覚がなくなり、まるで魂が抜けたみたいになったのを覚えている。


その晩に出された肉入りスープは甘くてなんだか獣臭かったけど、久しぶりの肉ということも相まってかとても美味しくて、なんだか涙がでたのを、1ヶ月ほどたった今でも覚えている。


ただの食事で涙する日が来るなんて、前の世界にいた時には考えもしなかった。




夕飯、まだ落ちきっていない夕日に照らされながら机に並べられたいつもの黒パンとスープ。


食べる前にちゃんと掌を合わせて、「いただきます」をする。


今日は肉をそのまま煮込むんじゃなく、包丁で潰してミンチにした後団子状に丸めたもの、いわゆるツクネにしてみた。


本来は片栗粉や卵を繋ぎにして固めるみたいだが、そんな高い食品がこの教会にあるわけもなくひたすら肉を手で押し固めながら、魔法の火で焼き上げた一品だ。


一度ミンチにしたおかげか、甘い出汁がでてスープが美味い、けど繋ぎがないせいかツクネ自体の食感があまり良くない、なんだかボソボソしている。


けどセトもカイルも、特に文句なく美味しそうに食べてくれている。


二人が美味しそうな顔をしてくれるだけで僕もなんだか嬉しくなる。


何故か涙が出そうだ、これが充実感ってやつなのかな。


改めて生きていた時のウサギを思い出し、いただきます、そう念じた。




夕飯後はいつも通り風呂を沸かし、セトとカイルが入った後の残り湯を頂いたら就寝だ、1日動き回ったせいか寝床につく頃にはすっかりおやすみモードだ。


眠い頭を必死に動かして、明日は何をするかを考える。


またウサギを取りに行くか、でも一匹で3日分ぐらいにはなるしな。今日捕れたばかりだから必要ないか。


...こっちに来て2ヶ月、つい最近までどうすればウサギを捕まえられるのかばかり考えていたな。


結局案は浮かばなくて、捕まえられるまでひたすら追いかけてるけども。


明日はウサギを捕まえる必要がないせいか、何も思いつかない。


昼間は毎日暇だけど、やる事がない、というよりできる事がない。


お金もないし、言葉も通じないし、街から出たってウサギがいる草原を越えた先は魔物がでるらしい。


...やっぱり言葉だよなぁ、通じないと友達も作れないよな、いや通じてた前の世界でも友達はいなかったので関係ないかもしれないが、この街の周りを、ついてはこの世界をよく知るためにもコミュニケーションは必要だ。


ここに慣れてきて余裕がでたせいか、今後の事なんかを考えてしまう。


いつまでウサギを追い回しているのか、このまま教会に寄生しているのか、ずっと一人でいるのか、いつまで生きているのか。


将来の事を考えるならウサギなんか追い回している場合じゃない。


折角来た異世界だ、夢にまでみた...かもしれない魔法が使えるんだ。


どうせならこの世界を楽しみたい、愉快に生きたい、愛したい。


そのためには行動するしかないんだ。




「セトさん。お願いがあります。僕に言葉を教えてください!」


朝食中に思い切ってお願いをしてみる。


スープを飲んでいたセトだが、木のスプーンを咥えたままジッとこちらを見てくる。


しまった、食べてる最中に失礼だったか。


「いいよ。教えてあげる。」


とスプーンを咥えたまま返事をするセト、心配は取り越し苦労だったのかもしれない。


「日中の暇な時間にやろうか。昨日ウサギ捕まえてくれたし、今日は時間あるかな?」


何も提案しなくてもスルスルと話を進めてくれるのセト、なんていい人なんだ。


「セトさんの都合のいい時ならいつでも、お願いします!」




昼下り、カイルと共に机を並べて授業が始まった。


カイルには、少し前からセトが授業を開いていたらしい、まるで寺子屋みたいだ。


「基本的には向こうのアルファベットと似てるね、基本になる文字が30個あってそれを組み合わせて文にするんだ。」


言いながら壁に魔法の光でスラスラと文字を書いていくセト、黒板も紙もないからどうやって授業するのかと思えば魔法を使うのか。なんて便利なんだ。


一通り書き終えたセトは指から光を消し、


「じゃあこれから実際に発音していくから、頑張って覚えてね」


言いつつ左上の文字から順番に読み上げていく。


でも速すぎて全く覚えられない、後に続いて読み上げてるけど、2つ3つ前の文字とか既に全く覚えていない、確かズェとかそんな感じだった気がする。


「まぁ1回目じゃ覚えられないと思うから、これを何度も繰り返していこう。次はもっとゆっくり読み上げるね。」


セトが左上から右下までひたすら読み上げ、それに続いて復唱していく。


まるで小学校の授業のようだ、そういえば前の世界で日本語を覚えた時、僕はどんな勉強をしていただろうか。


それすらも全く思い出せない、いや全くは覚えてはいなかった。普通覚えていないよね?


勉強するより以前に言葉は身についてた気がする。


「ナナシ君、大丈夫かい?」


しまった、つい現実からトリップしていたようだ。


「あぁ、はい。大丈夫です。すいません、続けてもらっていいですか?」


「うん。わかった。じゃあもう少しだけ続けようかな。」


まだ始まったばかりだ、もう少しだけ頑張ってみよう。


...ふと横を見ると並んで座っているカイルは既に前ではなく、机に突っ伏していた。


まぁこの世界の住人だし、勉強する必要がないんだろうな、羨ましい...




「うん、勉強はこれぐらいにしようか」


始めてから何時間経っただろうか、まだ太陽は高い位置にいるが、僕は猛烈な眠気に襲われていた。


今日勉強した内容はひたすら暗記だった、言葉の形と各順番に発音、けど覚えれたのは精々「あいうえお」から「かきくけこ」まで、つまり殆ど覚えられていない。


セトには悪いが、意味がわからない形と音だけでは無理がある。


でもこれがわからないと単語の読み書きもできない。


これを覚えても更に単語や文法、もしかしたら日本語みたいに平仮名カタカナ漢字と広がっていくのか、だとしたら、先が遠すぎる...


「セトさん、もしかして日本語みたいに平仮名とか漢字とか、別れてたりします?」


「表音文字と表意文字、2種類あるかどうかって事かな。私の知る限りじゃあ、ないよ、この世界には表音文字、いわゆる平仮名しかない、というよりアルファベットしかないみたいだね」


みたいって事はこの世界の先輩であるセトにもわからないんだろうか


「セトさんはどうやってそんなに覚えたんですか?」


何か覚えるコツがあるなら知りたい。勉強嫌いだったし


「私はなんというか、こういうの好きだったしね。元の世界でもいくつか覚えていたし、後この教会暇だから、カイル君が来るまでひとりで、暇潰しのためにね。」


苦笑しながら答えるセト、やっぱり暇だったんだ


「読み書きはひたすら頑張るしかないと思うけど、


君なら会話はすぐできるようになるんじゃないかな」


習うより慣れろって事かな


「あぁー 確かに元の世界でも、喋れるけど読み書きはできない人が多い国ってありましたもんね」


「うん、それもあるけどこの世界には魔力があるからね。カイル君と練習してみたほうがいいんじゃないかな」




この世界の生き物は、魔法を使う時以外にも魔力を使っている。


その代表が喋る時だ、言葉を発すると共に微量な魔力を放出している。


そして人はその微量な魔力を受け、


その人が何を伝えたいのか、無意識に判断の材料にしている。


五感とは別の第六感みたいなものなんだろうか。



セトから聞かされた僕は、そういえばこの世界に来てすぐに、通りの人達から嬉しくない何かを感じた気がする。


今考えてみたらあれも無意識に魔力を受け取っていたのかもしれない...やっぱり被害妄想かもしれない。


「カイル君ー 練習 しようぜー」


あの勉強から2週間、その日のうちからカイルと魔力の使い方と会話の練習をするようになった。


「カイル君 今日 元気ですか?」


発音を意識して気持ち胸から言葉を発する。


そうすると魔力も大きくハッキリと放出される、らしい。


正直なところ、自分では力を入れて喋ってるなとしかわからない、こんなんで魔力なんてでてるんだろうかと毎回思うけど。


「元気だよ。ナナシは?」


自分から魔力がでてるのかはわからないけど、言葉の意味は伝わってるみたいだ。


「僕 元気」


たどたどしく単語を続け発音する。


あれは中学生の時だったろうかそれとももっと前か、その時の英語の授業みたいだ。


まさか母国語以外を勉強する事になるなんて夢にも見なかった。まぁ異世界語なんだけども。


...語彙というか知っる単語が少ないのもあるけど、


こんな小さい子相手に会話が続かない、自分のコミュ力の無さがなさけなくなってくる。


「耳ネズミのお肉もうなかったよね。また獲りに行く?」


早口で所々の単語しか理解できないが、なんとなく何を喋ってるのかわかる、僕がカイルの思考をある程度読めるようになったのか、それとも魔力を感じとって処理してるだけなのか。


「そうだった。カイル君 また 手伝ってくれます?」


「いいよ!一緒に行こう!セト様に報告して来るね!」




「〜♪」


上機嫌に鼻歌を歌うカイル君と一緒に歩いて草原を目指す。


あまり外に出たがらない、引きこもりがちなカイル君だが、人が少ない村外れの草原等にならこうして付き合ってくれる。


以前街を案内して欲しいとお願いしたが、キッパリと断られた事を考えると対人恐怖症ってやつなのかもしれない。...僕と一緒かな。


セトの教会から体感20分ぐらい歩いて、いつもの草原に到着する。


ここでウサギもとい耳ネズミと獲り始めて1か月ほど経つ、毎週のように通っているとどこに獲物が隠れているのか、ある程度わかるようになってくる。


草原の開けた場所、草が短い場所にはいない、そんなところにいたら天敵の格好の餌食だ。


基本的に臆病な彼らは草の長い、上からパッと見てもわからない所に潜んでいる、当たり前か。


でもよく見ると、あたりを警戒しているのか草に紛れて耳の先っぽだけピョコピョコ動いてるのが見える。


最初の頃はは全くわからず、獲物がでてくるまで1時間も2時間も影に潜んでいたもんだが、慣れたもんだ。


カイル君に指差しで伝え、二手に別れ挟み込むような態勢になる。


僕はその場で屈みこみ、できるだけ気配を消す、努力をする。そんな技術ないから努力だけだ。


次第にカイル君が「ヤー!」という大声を出しながら獲物に近づき、僕のほうに追い込んでくれる。


獲物が十分に接近したら次は僕の番だ、ありったけの力を込めて叫ぶ。


「ウラー!」と叫びながら草に飛び込む、まるで未開の地に住む原住民だ。


目の前に突然敵が大声を上げながら現れたので、ビックリしたのか耳ネズミの動きが一時止まる。


そこを狙って捕獲するために飛び込む、普段であれば問題なく捕獲できるのだが今回の獲物は一味違った。


硬直したのはほんの一瞬だった、すぐに方向転換して逃走を始める。


「くそっ!飛び込み損じゃないか! カイル君!失敗!」


つい日本語で悪態をついた後に、カイル君に失敗したと伝える。


すぐさま理解して耳ネズミを追ってくれる、それに倣って僕も全力で追いかける。


運良く耳ネズミは草の短い、開けた場所に向かって逃げてくれている。


「なるほど、失敗した時を考えて開けた場所へ追い込めるようにしたほうがいいな。学習した。」


次への教訓を得た。失敗しても特に責任なく、すぐに次の事を考えられるってのは素晴らしい事だ。


「たぁー!」カイル君が叫びながら耳ネズミへ飛び込みをかける。けど動きに合わせて大きくジャンプされ回避されてしまった。


声を上げないほうが気付かれ難いんじゃ?と疑問が浮かんだ。


...僕も叫びながら飛び込んでるし、やっぱり似た者同士なのかもしれない。


「ナナシ!ごめん!」


「カイル君!大丈夫!任せて!」


よく見るとあの耳ネズミ、口に何か咥えてる。食べずに加えながら逃げてる所を見るとよっぽど貴重な物なのかもしれない。レアものだ。


「うにゅおぉぉぉ!逃がすかぁ!」


走りながら手に炎を作って玉にする。魔法:ファイアーボールだ!、僕がそう呼んでるだけだが。


前は集中しながらじゃないとろくに玉の形にできなかったが、これも手慣れたものだ。


玉にさえできれば投げやすい、ある程度コントロールが効く。


「くらえっ!そして、トォー!」


咥えてるレアな物を傷つけないように耳ネズミのお尻側の地面を狙って投げつける。そして僕も飛ぶ、やはり叫びながら。


着弾と共にボフッと爆発、爆風によって耳ネズミの後ろ脚が浮いた瞬間を見計らって体を左手で掴み、すぐ様右手で耳を掴む。


普段であれば、耳さえ掴んでしまえばこっちのものだった。


観念したかのように大人しくなるはずだったが、「ギーギー!」と威嚇しながらまだ暴れる耳ネズミ。元気なやつだ。


「カイル君!耳ネズミ 捕まえた!」カイル君に勝利を伝える。


そして未だに咥えたままの貴重な物を見て。「--ッ」僕は絶句してしまった。


「やったねナナシ!これで今日もお肉食べ・・・」


カイル君も近寄ってきてそれに気づくと、言葉を失ってしまった。


耳ネズミが咥えていたものは、小さい耳ネズミ、つまり子ネズミだった。


まだ毛が生えたばかりなのか、フワフワしていて親に比べてとても小さい体に不釣り合いなほど長い耳。


親ネズミは子ネズミの耳を加え、子は親の口に巻きつくようにしがみ付いている。


「・・・どうするナナシ?」


先ほどまで暴れていたのが嘘のように大人しい耳ネズミ。


つぶらな瞳で僕に訴えかけるような眼差しを向けている、気がする。


「まさか子供がいたなんて、ねぇどうしようナナシ」


カイル君も弱った顔で僕に判断を仰いでる、まだ子供だから、仕方ない。


「逃がそう 可哀想 だから」


折角捕まえたけど、僕には殺すなんて選べなかった。


子ネズミだけ逃がすのも、その後を考えるとできなかった。


なら。一緒に逃がすしかなかった。今まで散々耳ネズミを獲って、殺して、食べてきた癖に、子供がいるってだけで情が湧いてしまった。


「捕まえて ごめん 逃げて」


言葉をかけ、地に放つと一目散に駆けて行く。


少しずつ離れていく耳ネズミ、見送る僕とカイト。


「次 どうしよう」


これまでは運良かったのか、たまたま単体の耳ネズミだっただけだ。


次また子持ちを捕まえたら、どうしよう。また逃がすのか?


それ以前に捕まえた時は単体だっただけで家族がいないとは限らないんじゃないのか。


今見た光景を忘れて、殺すことができるのか?


考えても答えがでない。誰かに・・・そうだセトに相談してみよう。


神父であるセトなら、僕を導いてくれるかもしれない。


「カイル君、今日は帰ろう」 言おうとした直前だった。


「ナナシッ! あれ!」 カイルが叫び、指を挿している。さっきの耳ネズミが逃げて行ったほうだ。


大きく、黒い物体が動いてる。結構な速さで。


「なんだあれ・・・?」目を凝らす、毛むくじゃらで、四足歩行、小さい子供ぐらいある大きさ、調度カイル君ぐらいだ。


それよりも目に留まるのが、口の両脇から生えた長い牙、全長の3分の1はあるぞ、まるで漫画で見たマンモスみたいだ。


猪のように見えるけど、これも漫画以外で本物を見た事がないのでわからない。


猪ってあんなに長い牙が生えてるものだっけ? いや、そういえばここ異世界だった。


「ナナシッ!逃げよう!」


「カイル君 待って」まさかあの猪、さっきの耳ネズミを?


猪が首を振り、長い牙を地面スレスレまで降ろしたと思ったら、一気に振り上げた。


牙の先についているのは、ほらやっぱり、さっきの耳ネズミだ。


牙の先でグッタリと体ともたげている、きっと死んでる。子ネズミは?小さいし、遠くて見えない。


「どうしよう・・・」


どうしよう?どうしようって何を?どうしようもないだろう、これが自然の摂理なんだから、弱肉強食さ。


そもそもどうしようもないだろう、耳ネズミ一匹に全力だったのに、あんな大きい動物相手にできるわけがない。


「ナナシッ!早く!」カイル君が手を引いてくれてる。懐かしいな、この世界に来てすぐも手を引いてくれてたな。


なんて現実逃避をしている場合に、気が付けばさっきの猪が体をこっちに向けている。


「まさか・・・次は僕たちを?」嫌な予感がする。だから、すぐさま体を反転して駆けた。


そして気づいた、村が遠い事に、耳ネズミを追いかけるのに夢中になりすぎていた。


セトから森には危ない生き物がいるから、近づいてはいけないと忠告されていた。きっとあの猪の事だ。


今までできる限りそれを守っていたが、今日に限って安全領域を超えてしまった。慣れ過ぎてしまったんだ、この場所に。


走りながら後ろを振り返ってみる。いる、あの猪が、とてつもない速さで追って来てる。


ズドズドズドと猪が駆ける音まで聞こえてくる。


「ヤバイ、ヤバイ、どうしよう!」このままじゃ村まで確実に間に合わない。


村に着いたら安全というわけでもない、むしろ村人を危険に晒してしまうかもしれない。


「いちかばちか!」手のひらに火を集める、ファイアーボールだ!これをぶつけてやる!


「くらえっ!」振り向き走りながら後ろに投げつける、走りながら投げるのは難しい、しかも後ろ側に、けど運よく猪の背中に着弾。


「やった!どうだ!」これで少しは態勢が崩れたはず。と思ったが


猪は今何かした?とは言ってないが、まるでそう言わんばかりに突進を続けている。なんてこった。


「うわわわわ、どうしよう、全然効いてない!」ふと横のカイル君を見ると、息の乱れが大きい。


まだ子供だし、引きこもりガチだったし、体力がないのはしょうがない。でもこのまま止まってしまうとあの猪に殺されてしまうかもしれない。


以前の世界でも、猪が子供を襲う事件があった気がする、大人でも突進を真面に食らえば骨が折れるし、何よりあの牙だ、腕の1本足の1本じゃすまない、きっと命に関わる。


死を予感した、その瞬間サッと体中から血の気が引いて周囲から温度がなくなる。初めての感覚だ、死の恐怖ってやつなのかな。




どうする?村までまだ遠いし、着いても安全とは言えない。むしろ被害が増えるかもしれない。


このまま全力で逃げて猪が諦めてくれるのを待つか、僕が囮になるか、...カイル君を囮にするか。


いやそれは人としてダメだろう。


カイル君を死なせるわけにはいかない、セトに申し訳が立たないし、何より死なせたくない。


かといって僕も死にたくない、でもこのまま逃げ果せることは可能なのか?


カイル君は限界が近いのか少しずつ速度が落ちてきている。


それは並んで走ってる僕も同じだ、こっちに着いてから身体を動かすようになったとはいえ、引きこもりの元社会人に全力疾走は辛い。


このまま逃げてても確実に追いつかれる。


それなら、やはり少しでも生き残る確率が高い方を選ぶしかない。


なら、僕がやるしかない。僕が囮になって引きつけて、カイル君を逃がす。そして可能なら僕も逃げる。これしかない!


「カイル君!僕が囮になるから逃げて!」その場で振り返って叫ぶ。


「〜〜〜!」カイル君がなにか叫んでる。フフッそんなに早口で喋られたら聴き取れないよ。


もっと言葉を勉強しないと、帰ったらまた教えて貰わなきゃ。


そうだよ、まだまだやりたい事はあるんだ。


もっと魔法を極めたい。


こんな魔物みたいな猪もいるし、きっと冒険者的な職業も存在するだろう。


武を極める旅に出るのもいいし、悠々自適にサバイバルな生活をしてみるのも楽しそうだ。


友達だって作れるだろうし、もしかしたら彼女なんかもできるかも知れない。


ワクワクが止まらない、前はできなかった何かがやりたい、まだ死にたくない。


何故か嫌に時間がゆっくりに感じる。


こんなに将来へ想いを馳せているのに、まだあの猪は遠い、でも確実にこっちへ近付いてる。


走馬灯のようにゆっくりと時間が流れる、いや走馬灯そのものなのかもしれない。


死にかける際に過去を振り返るあれ、今僕が過去ではなく未来について想っているのは過去に微塵も未練がないからなのか、あの世界では死にかけになっても思い出すような印象的な記憶がないのかもしれない。


このまま走馬灯に想いを馳せてしまっていたら本当に死んでしまう!そんな思いで走馬灯を振り払うとたちまち時間の流れは元に戻り、応じて猪も動き出す。どうすればいいか纏まるまで待てばよかったかもしれない。


「くそぉ!とりあえず逃げるしかない!」でもただ逃げるだけじゃ自分はおろかカイル君は助けられない。


咄嗟に横に、カイル君が走っている方向とは別方向に駆ける、街へは少し遠回りになるが彼を助けるのが第一だ。


「こっちだ!くそったれめ!僕が相手になってやる!」


伝わらない日本語で悪辣をつきながら走る、無我夢中で走る。なんか僕って走ってばかりだな。


少し走って気づく、猪の駆ける音が小さくなってる。


これはもしかして逃げ切れたのか?楽観的希望が頭によぎってすぐにハッとする。


「あの野郎!僕じゃなくてカイル君だけを狙ってやがるのか!!」


決死な囮になるべく横に駆けたではなく、カイル君を狙っている。


距離的には圧倒的に僕のが近いはずなのになぜ彼を?...わからない、それがあの生き物の生物学的な習性なのか、たまたま僕を狙う気になれなかったのか。


でもなんだか無性に腹が立つ、決死な覚悟で囮になった僕を無碍にしたからか、まだ小さく弱いカイル君を狙ったからなのか、僕たちが見逃したウサギを問答無用で殺して、それを気にするでもなくこちらに向かってきているからなのか。


「ふざけるなよ!!!」ありったけの力を込めて火球を作って、投擲する。


この距離で届くのとか、当たっても意味ないとか、火球の色がいつもの炎色と違って黒いとか、今はそんなのどうでもいい!


とにかくあいつをなんとかしたい、だから全力で投げた、黒い火球は途中で燃え尽きる事もなく、飛んで、あいつの後ろ脚にヒット。でもいつものように爆発することなくそのまま脚で燻っているように見える。


「燃えろ、燃えちまえ!お前みたいなやつは燃えちまえばいいんだ!」


何が憎いのかわからないがとにかくあの猪が憎くてたまらない、ありったけの憎しみを込める。


効果があったのかわからない、でも猪の燻っていた黒炎はみるみる間に勢いを取り戻し、左脚、右脚の順に飲み込み奴を燃やす。


最初は意に介せず走り続けていた猪も次第に速度が緩みはじめ、とうとう脚をとめその場で崩れ落ちる。


「アッハッハハハ!!いい気味だ、お前はそのまま燃え続けて、苦しみながら灰になっちまえ!!!」


当初の目的は達成したのに、それでも止められない、止めたくない、何かに感情をぶつけるのはこんなにも楽しい事だったのかと実感する。


ふと手をガシッと掴まれる、カイル君だ、逃げなくてもいいのか?いやもう逃げる必要もないのか。だって猪はあんな状態なんだし。


「ナナシ!ダメ!もういい!」


相変わらずわかりやすいカタコトで喋ってくれるな君は、よかった、無事で本当によかった。


先ほどまで不思議なぐらい燃え上っていた憎しみはなくなり、それに呼応するように猪からも火が消える。


近付くとブスブスと焦げた嫌な臭いがして、猪は微動だにしない。もう死んでしまったのかもしれない。


「・・・・・」言葉が何もでてこない、これを僕がやったのか?生きたまま燃やすなんて残酷な事を、僕が?


「カイル君、帰ろうか」どうすればいいのかわからない、とりあえずセトに相談して、この死体をどうすればいいのか、僕が使った黒い炎はなんなのか、相談したい。


猪から目を背けて、街のほうへ歩き出したその刹那


「グモゥ!」死んだと思っていた猪が突進を再開した。


やってしまった。これは逃げれないな今度こそゲームーバー、そう思い振り返った瞬間、眼前の猪の頭の真上に、槍が降ってきた。


ズシャ!という音と伴に猪の頭は射抜かれ、断末魔を上げる事もなくその場で倒れこむ猪。


「ちゃんとトドメをさせたのか、確認したほうがいいんじゃない?危なかったぜ今の」


聞きなれない声で発せられるのは日本語で、僕でもカイル君でもセトでもなかった。


いつの間にか倒れた猪の横に男がいた、金髪に赤い服を着た男、その男は猪に近づき、刺さっていた槍を一息に引き抜いた。


ヌチャっという音を立てながら引き抜き、男は槍についた血を振り払うように上から下へ槍を薙いで、


「やっ久しぶりだね。」


そう言った。

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