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失ったモノ

作者: 遥風 覇鵺渡

 今日も、こんな時間になってしまった。



終電車に揺られながら、橋元大介は小さく舌打ちした。




まったく上司って奴は面倒くさい。おごるでもなくダラダラと……。好きでも無い酒に付き合わされる、こっちの身にもなって欲しい。


ふっ、と息をついても慰めてくれる人間は居ない。妙に眩しく感じてしまう車両内には……大介と、隅っこで眠る泥酔した男以外に人は無い。


がったんごとんと独特のリズムに、疲れきった身を任せて真っ暗な外の景色に目を移す。


ああ、明日も早いのにな……と思いながら。



「ねぇ、おじさん」



「っ?」



唐突にかけられた女の声に、大介はビクリと肩を縮める。声の方に目を向けると、これまたびっくり……黒いふさふさのドレスに身を包んだ、白塗りの娘さんが立って居た。


アメリカの人形みたいな気色悪い睫毛まつげ、ごっつくて鎖のジャラジャラしているブーツ……夜とは言え暑さの残るプチ熱帯夜には、いささか暑苦しい格好である。



……ドレスの所々に浮かんでいる、血液のしみの様なものも気になる。



血糊ちのりだとは思うのだが、中々気持ちの良いものではない。


「ねぇ、おじさん」

うだうだ考えている大介に、その娘さんはもう一度声をかける。笑みを含んだ様な気味の悪い声に、身震いしながらも今度は返事をした。


「何か?」



不機嫌で顔を歪めた大介を見て、娘さんは満足そうに笑う。



「隣りに座ってもいーい?」



「ご自由に」


年齢不詳の若い娘さんは、底光りする瞳で微笑むと遠慮がちにふわっと……すぐ側に腰掛けた。


ああ……まったく今夜は、ついてないな。普通の女の子なら和めるものを……。



おどろおどろしい彼女を横目で盗み見て、奥歯をぎりりと噛み締める。電車はゆっくりと夜の深淵しんえんをつき進んでいく。身中の虫になど気にもとめずに……。




…………………………………………………………




 「ああ、それゴスロリっていうんだよ?」



 いびつなハムエッグのトーストを頬張りながら、一人娘の駒子こまこが言った。



「ごすろり?」



みっともなく欠伸あくびをしつつ新聞に目を通していた大介は、しばし顔を上げて駒子の説明を待つ。



「そう、ゴスロリ。結構昔からあるよ? はっきし言って、やりすぎは引くけど、小物とか可愛いのあるんだよね」




「お前もやってんのか?血糊……」




「いやーだから、それやり過ぎの人でしょ! うっさいなぁ」




「ああもう!」と駒子は必死にトーストを食べきる。細い左手首の時計とにらめっこしながら、味噌汁を掻きこんで……目に涙を浮かべながら牛乳パックに口をつけた。




「行儀が悪いっ!」



妻の香苗かなえが駒子の頭をはたく。ぶっ、と口元を押さえる駒子……大介は溜め息をついて立ち上がると、布巾でこぼれた牛乳を拭き取る。



「んだよっ、ババァ!」



「何だってぇぇ?!」



二人がドタバタやり始める。



「おい、お前逹……」



どうしようかと考えあぐねていると、助け船を出すように呼び鈴がなった。



「あ! 竜君だ、行ってきまーす」



急にしおらしくなった駒子に、大介は苦笑してしまう。こんなじゃじゃ馬娘も、一人前にお年頃らしい。



「はい、行ってらっしゃい。気をつけて」


母親らしい香苗の声。




大介は椅子に座ると、眼鏡を外して味噌汁をすすった。


ほんのちょっとだけ仲間外れにされた様な、寂しい気分を飲み込むように……。




…………………………………………………………




 がったんごとん、がったんごとん……。




今夜も終電で、帰途につく。遊び疲れたらしい年若い女の子が、一人隅っこで寝ているだけで、車両内はガラガラだ。



大介はアルコールに毒された頭を振って、押し寄せてくる睡魔と闘う。



終電で寝過ごしたりしたら、最悪だ。



タクシー代程、もったいない金の使い道は無いのだから……。



首をガクガクいわせながら、夢とうつつの狭間をさ迷う。




 『橋元ぉ〜お前っ、ほんっと使えねぇよぉ』



使えなくて悪かったな、メタボリック部長……。



『橋元さえ、いなけりゃぁ〜新事業はなぁ、上手くいってたんだぁ』


あんたの失敗だろうがっ、僕になすりつけやがって……。



『だからぁ、その年にもなって平なんだよ、ひ・ら』



仕方がないだろう? これが……僕の実力なんだからっ。



なんだかなぁ……自腹きって、嫌いな酒飲んで、自身への文句を何故に聞かなければならんのだ? 上司の機嫌をとらねばならんのだ?



ぐつぐつ沸き上がる感情に、目頭がじんわり熱くなる。



いかん、いかん……悪酔いしてしまったみたいだ。




大介は涙を拭おうと目尻に手をやった。ところが、その手を、ひんやりした女ものの手が掴む。


え?



「おじさんも行こう」



昨日の娘さんの声がしたかと思うと……大介はぐぃっと引っ張られた。



「っな?」




「大丈夫、行こう」



有無を言わさぬ平淡な声……。

ぐぃっと、もう一度引っ張られた途端……奈落の底へ落ちてゆく様な感覚がして、大介の意識は遠退いた。                  …………………………………………………………




 『ねぇ、おじさん。ねぇ、おじさん』



 薄暗い森の中に、僕は立って居た。狂暴に群がる木々の匂いが、頭をくらつかる……。ぼんやり手足の位置を確かめて自分に問い掛ける。



ここは?


僕は?



眉間みけんに、しわを寄せても……何も思い出せない。空っぽの頭に苛立った私は、すぐそこにある幹に、頭を打ち付けたい衝動にかられた。



『おじさん、おじさん』


風のざわめく音では無い。誰かが笛を吹いている様な……透明な声が木霊している。


私は、ぼぅっと声の源を探した。



『君は?』



枯木が倒れて、広間になっている場所には、見覚えがある様な無いような娘さんが立っていた。



『名前は亡くしたの』


暗い雲の隙間から注ぐ月明かりを、その娘さんは……不自然なくらい綺麗な顔で受け止める。



『なくした?』



私の言葉に娘さんは無表情に頷く。



『じゃあ私は?』




『おじさんは、まだ』



手入れの行き届いた人形みたいな彼女の言葉に、私は顔をしかめた。



頭の中が、もんやりして苛々(いらいら)する。身体があることを忘れそうな不安定な感覚……おまけに自分が誰だかわからない、何をすれば良いのかもわからない……。



『じゃあ、僕は誰なんです?』



不快感をあらわにした僕に、娘さんは赤い唇で弧を描く。



『必要ないよ。おじさんも亡くすんだから……解放されたいんでしょ?』




『解放……?』



何故かその言葉は、甘美な響きを持っていた。


『そう、解放……』



繰り返した娘さんの、やんわりした囁きが……胸の内を支配してゆく。




『逝きましょう? ついてきて……』



そう微笑らった娘さんは、軽やかに走り出す。僕は、まるで操られる様に……追いかける。












 『ねぇ、おじさん! あと一人なの。あと一人殺したら……私もやっと逝ける。ねぇ、だから手伝ってね』




風の様に駆けながら、こちらに笑みを向ける娘さん。彼女の妖しげな微笑みに引き込まれて、僕は所在のハッキリしない足で、後を追い続ける。



蒼い水晶のような満ちた月が……黒いドレスをまとった、彼女の位置を教えてくれる。



もうどれくらい走ったろう? 何千本という木々の間を、通り抜けた気がする。しかし、全然息はあがらない。




別に足を動かさなくとも、走れるのではないか? そう思えるぐらいに飛ぶように進んだ。




『あと、もう少し。ほおぅら、あれよ』




娘さんが足を止めて指さした先には、モップみたいな葉っぱに覆われた不健康そうな木があった。


その下で何かがうごめいている。



赤い何かが……。


赤いTシャツを着た人間が……。



『ほぉうら、あいつ。あいつを殺して』



娘さんの囁きに、僕は首を傾げる。



『何か恨みでもあるの?』



僕の質問に、彼女はニッコリ造りものの笑みを浮かべる。

『うん、殺されたの。だから復讐』




『何で自分で殺らないの?』



私の言葉に娘さんは首をふる。



『何度も枕元に立ったのよ。でも、あいつだけは無理だった。だから、生身のおじさんに頼んでるの』




『言ってることがわからない。生身って?』




娘さんは、ニッタリ笑って答えてくれない。



『人殺しなんて出来ない』




『復讐して何が悪いの?』




『しかし……』



『あたしはね、バラバラにされたんだよ? あいつに殺された時点で、あいつを殺す権利もあるんだから』



ね? と小首をかしげる彼女に、何か釈然としないものを感じながらも、僕は頷いていた。




『はい、じゃあコレ』



娘さんがびた丸型シャベルを差し出す。


僕は糸で引っ張られるかの様に、それを取り上げて男の元へと近付いて行く。



『死ね』



僕が出したはずの声は、娘さんのそれそのものだった。




「ぎゃっ」と振り返った男の頭へ、シャベルを力に任せにふりおろした。


枯れ草の上へ倒れこんだ男の腹に、ぐっさりシャベルを打ちこんでやると、娘さんはやっと満足気に拍手した。







『ありがとう。これで逝ける』




そう言って、晴れやかに僕の側までやってくると、赤い唇を額に寄せた。



『約束通り、解放してあげる』



僕の前にもう一人の僕が現れる……。常ならば恐怖しただろうが、もうどうでもよくなっていた。



『じゃあお休み、おじさん』



弾む彼女の声を最後に、僕は真っ暗闇にほうり出された。




…………………………………………………………



 ばしんっ……と、虫でも潰す様な衝撃を頬に受け、意識が浮上する。




重い瞼を押し上げると、鬼の様な形相の香織が、大介の額を苦々しそうに見つめていた。


「か、母さん……?」



大介が片目を見開くと、もう一発頬を叩かれた。



「お父さん、あたしを裏切ったねぇっ?」



目を吊り上げた香織は、重低音で喉を震わせる。



ベランダの窓から差し込む、淡い陽光に照らされる寝室。少し肌寒いが、いつも通りの朝だ。


大介はヒリツク頬をさすりながら、ぼんやり上体を起こす。



いつの間にベッドに入ったのだろう? どうやら昨夜は飲み過ぎたようだ。記憶が曖昧あいまいになるぐらいに……。何か夢を見た気もするのだが……。



「お父さんっ、浮気したんでしょう? おでこに口紅がついてるんだから!」




そんなベタな……。




のっそりベッドを離れて、香織のドレッサーの鏡を覗いてみる。




「あれ、本当だ」



大介は無感動に、そう呟いた。



成る程、確かに口紅だ。血の様に深い赤色が、鮮明に唇の形を型どっている。


はて?



「いつの間についたんだろうな?」



とぼける様な大介の態度に、香織は激怒して金切り声をあげる。



「とぼけないで! 昨日も深夜帰り、この前もそうだったじゃないっ?」



大介は両のてのひらを香織に向けて、まぁまぁまぁと苦笑いする。



「本当に上司に付き合わされてるんだって。浜地部長の奥さんに、確認してみてくれよ」



『浜地』の名を聞いた香織は、唇を歪めてそっぽをむく。



「嫌よ、あの奥さん。お局気取ってるんだからっ」




「僕だって嫌な思いして、飲んできてるんだよ? それくらい出来るだろう?」



面倒になって部屋から出ようとした大介を、香織の鋭い視線が制す。



「仮にそうだとしても、その口紅は? まさかキャバク……」




「居酒屋だから。大体そんなお金持ってないでしょうが……」



「でも……」と続けようとする香織を残して、大介は洗面所に向かう。





 蛇口を捻り、勢いよく水を出す。頭のもやがかったものをも洗い流すように、バシャバシャバシャバシャ顔を洗った。


そうして鏡に映った顔は、何かの抜け殻の様に見えた。










 「それでね、後藤さんったらっ……」



午後七時。


ニュースに集中しながら高野豆腐をつつく大介は、機嫌のなおった妻の話しに適当な相づちを打っている。


浮気の嫌疑は晴れたらしい。まったく現金なものだ。



それでも腹が立たないのを不思議に思いながら、舌触りの良い米を口に運ぶ。



ニュースキャスターは、今日も悲惨な出来事が沢山あったのだと……大して感情のこもらない表情で伝えている。女児殺害、通り魔事件……。



だが、さして何も感じない……僕はこんなに薄情な人間だっただろうか。



いや違う……昨日まではそうじゃなかった。何かが……足りない?


視線を巡らせ考えてみる。 いつもなら断れなかった浜地部長の誘いも、今日は恐れることなくスッパリ断れた。今まで何故そうできなかったのかが、わからない。ただ断る、それだけの事なのに。



 『いや、憑物つきものが落ちたようだね。どうしたんだ今日は?』



そう、満面の笑みで大介を讃えたのは……普段は仏頂面をしている明石課長だった。



そつなく返した大介の肩を、

『浜地と代わって貰おうかな、期待してるよ』


と、ぽんぽん叩いて去って行った。



 憑物が落ちた? 誉められた所で何も嬉しくもないのは……どうしてだろう?



わからない……。何か、大事なものを無くした様な気もするのだが……。


僕は何を失ったのだろう?




 「ただいま入りましたニュースです。N県山中にて、男性の変死体が発見されました。なお遺体の下からは、盗難届けの出ていた、高額なビスクドールをばらしたものが発見されたため、N県警は……」


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― 新着の感想 ―
[一言] 虚無感っていうのでしょうか?間違ってたらすみません。迷いの森に入った感じです。 ビスクドールって何ですか?
[一言] 失ったものは…恐怖だけじゃないですね……。これは…。
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