第一話 王族の家出娘
幼い頃、私はお父様に連れられて「宇宙船ミカエル」からソラを見た。
遠くの方に微かに見えた青い惑星は、小さくて。だけど確かにある距離なんて関係ないと思えるくらい美しかった。
私は王族の女だから、誰かに嫁ぐことしかできないけれど。
知らない人に嫁ぐくらいなら、ソラへ――航空団に入隊したいって思うようになったのは、つい最近の出来事だ。
こんな私は、世間から見たらおかしいのかもしれない。けれど、私は私のまま。何者にも縛られず、己の道を突き進んで行きたかった。だから、「ミカエル」にある自分の家から家出をしたのは最早必然だった。
*
何か、棒のようなものでお腹をつつかれる。
「私を起こすのは誰よぉ……」
「私です」
「……あ」
ばっちりと、掃除をする時の格好をしたノア班の班長兼小隊長と目が合った。
小隊長の金色の髪はとても綺麗だが、それよりも真っ先に目を引くのは褐色寄りの肌色で。小隊長は東洋人と同じくらい絶滅に近いと噂されている民族の生き残りらしかった。
そして、棒のようなものとはつまり箒で。小隊長は掃除の時間になっても寝ている私を起こしに来たようだった。
「随分と生意気な口を効くんですね、エラ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃ!」
つい王族だった時の癖で、とは言えなかった。
十三歳で家出して、身分を偽って近くにあった「宇宙船メタトロン」の訓練生に志願して、苦労して第三航空団《Gemini小隊》に入隊したんだ。今さら家になんて帰りたくない。
その為に今、私ができること。それは、小隊長に土下座することだった。
「謝る暇があったら掃除してください」
小隊長は私に雑巾を投げつけてさっさとどこかに行ってしまう。私は、頭に落ちた雑巾を握り締めた。
小隊長に悪気があるとは思わない。思わないが、私の染みついたプライドが掃除することを許さなかった。
プライドは醜いってわかっているのに。私は頬を叩いて気合いを入れる。
「プライドがどうした! やってやるっ!」
そう叫んでモチベーションを上げ、雑巾を持って部屋を出るとそこには人が立っていた。
「んなっ?!」
「プライドがどうした、やってやる」
小隊長は、私の台詞を丸々声に出して。私の顔が真っ赤になる中意地悪そうにニヤッと笑った。
「面白いことを言いますね」
「……ごめんなさい」
とりあえず謝る。すると、小隊長は少しだけ悲しそうな顔をした。
「……貴方は、謝ってばかりですね」
小隊長がそう言った。けど、恥ずかしいとかそういう感情は特になかった。
謝ること。王族は絶対そんなことしない。
だから私は自分が悪いと思ったらちゃんと謝る。それができる人になりたくて、家出をしてから苦労した。だから、私にとってそれは褒め言葉だった。変われたのだと思って嬉しかった。
「褒めてないです」
小隊長にばっさりと言われて、まぁ、普通ならそうだろうと思う。
「……えへへ」
でも、喜ぶくらいいいよね?
小隊長は笑った私を気味悪そうに見つめていた。
「行きますよ」
「え?」
「貴方は迷子になりそうですから」
「そ、そんなことありませんよ!」
慌てて私は言うけれど、小隊長は信じていないようだった。プライドを傷つけられたような気がして睨むけれど、小隊長はまったくこっちを見ない。
資料室についた私と小隊長は、じっくりと室内を見回した。
「埃です」
「どれがですか」
「これです」
小隊長は眉根を寄せて窓枠をなぞる。すると、埃――なのかよくわからないものが付着した。
「これは……」
「だから埃です」
私だって清潔な家で育ってきたけど、こんな埃まで気にするほど神経質じゃない。
「やりますよ」
「小隊長もですか?」
「貴方一人じゃ無理でしょう」
それは不安だとか、終わらないとかそういうやつですか。とことんプライドを傷つけてくる。
こんなの軍人になってから――いや、生まれてから初めてだ。小隊長は小隊長だからってなんでもやっていいと思ってるタイプのだろう。
「わかりましたよ」
そう思ったらむしゃくしゃしてきた。せめて私も、なんでもいいからこの人の初めてになってやる。……って、これじゃあ私、小隊長のこと好きみたいじゃん。
なんだかものすごく恥ずかしくなった。
「どうしました? この世のものとは思えない顔になってますよ」
「どんな顔ですかそれ!」
小隊長は真顔で持っていた箒を酷使する。私のつっこみは無視ですか。いや、埃が気になって私のつっこみどころじゃないのか。
「…………もう」
私もここに来る途中で濡らした雑巾を持って、さっきの窓枠を掃除する。……あ、意外と綺麗になる。小隊長の神経質もあまり馬鹿にできないのかもしれない。
綺麗になったこと。そして小隊長のいいところが見つかって浮かれ、プライドを忘れて掃除に専念する。軍人にならなければ、一生掃除なんてしなかっただろう。そんなことをぼんやりと考えた。
資料室の掃除をし終わって、私は額の汗を拭う。汗をかくことは気持ちいい。これは、軍人になってから初めて知ったことだ。
「終わりましたか」
「はい!」
自信満々に言って、小隊長に褒めて貰おうと思った。けれど小隊長は一瞥しただけで何も言わない。
それどころかさっさと資料室から出ようとしていた。
「小隊長?!」
「次行きますよ」
「…………へ?」
次?
「って、次があるんですか?!」
そんなこと考えもしなかった私は、資料室の掃除だけですべてのやる気と体力を使ってしまった。
項垂れる私に向かって、振り返った小隊長は
「いいから黙ってついて来なさい」
なんて真顔でそう言った。
そんなこと言われたら、従うしかなくて。私は乗り気じゃないまま小隊長についていった。今度はどの部屋に行くんだろうと思っていたら、案外早くその部屋につく。
「厨房ですか?」
食べ物のいい匂いがする。ここを掃除――してもいいのかな。埃とか料理につきそうだけど。
「そこに座ってください」
「は、はい」
椅子に座ると、小隊長は迷わず棚から缶を取り出した。それは私にとって見慣れた缶で。
「それ、茶缶ですよね」
「そうです。若いのによく知ってますね」
「えっ? そうですか?」
いや、しまった。茶葉は高級食材じゃないか。人類が拠点を宇宙に移してから、滅多に市場に出回らなくなったもの――。茶葉のせいで王族の家出娘だとバレなきゃいいけれど。
小隊長はふっと笑って、茶缶の中から茶葉を出す。少量でもここまで匂うほどのいい匂いで、私は自然と頬を綻ばした。この紅茶は絶対に美味しい。鼻がそう言っている。
あれ? そういえば、ここには掃除をしに来たんじゃ――。もしかして、気を遣ってくれたのだろうか。いや、あの小隊長がそんな慈悲深いことをするわけがない。するわけないように思えるのに、それじゃあこれはなんなんだろう。
優しいのか優しくないのか、どっちかにして欲しい。
「エラ」
「ひゃっ?!」
ことっと目の前に置かれたカップからは、美味しそうな匂いがする。小隊長は、自分の分と思われるカップを持って私の目の前にゆっくりと座った。
「これは……」
「飲みなさい」
「はっ、はい! ……ありがとうございます」
やっぱり気を遣ってくれたんだ。どうしよう、すごく嬉しい。一口飲むとほどよい甘さに頬が緩む。
「美味しいですか?」
小隊長が私を見ながら尋ねた。
私は「はい」と答えて頷いた。
「……そうですか」
小隊長も紅茶を飲んだ。私ももう一度紅茶を味わう。この味で家出をする前の生活を思い出し、私は静かに目を閉じた。
大掃除の日から数日経って、私は一日だけ休みを貰った。最初は軍人が休んでいいのかとも思ったけど、考えれば入隊して三年も経つのに休みを貰った記憶がない。
だから私は、羽伸ばしの為に外に出ることにした。けれど家出をした私に私服なんかなくて、仕方なく《Gemini小隊》の兵服で出かけることにする。
本部の外に出た、その時だった。
「エラ」
振り向くと、本部の中から小隊長が私を見ていた。見るというより観察に近いその目で彼は口を開く。
「どこに行くんですか?」
やましいことは何もない。私は素直に行き先を伝えた。
「その格好でですか」
「そうですけど」
「駄目です」
「えぇ?!」
そんな。外に出れる私服なんて持ってないのに。
私が途方に暮れていると、小隊長は「待っててください」と言って本部へと戻っていく。言われた通りに小隊長を待って、ついにやって来た小隊長が着ていたのは私となんにも変わらない兵服だった。
「ちょっ、小隊長! 私のと何が違うんですか!」
まさかただ絡みに来ただけなのだろうか。
「立場です」
すると、小隊長は少しだけ呆れた調子でそう言った。
「え、と……」
そして私は言葉を詰まらせた。
「……じゃあなんで本部に行ったんですか」
不機嫌さが顔に出るんじゃないかってくらい、私は気が立っていた。何がおかしいのか小隊長はふふっと笑みを零している。
「お金です」
しばらくしてそう答えた。
「お金ですか?」
それなら私だって持ってる。家出をする際に貯金していたのを全部持ってきたのだから。
「ついて来てください」
小隊長が先を歩く。なんでそんなことを言ったのかわからない私は、少し混乱していた。
足を止めた兵長は、そんな私を見かねてか強引に手を引いて。
「えっ? えっ?」
「私の傍から離れないでくださいね」
不覚にも、その台詞にドキッとした。さっきから何故か、疑問ばかりが出てきて止まらない。
「小隊長、それって」
「じゃないと貴方が歩けないと思いまして」
きっぱりばっさりと彼は言った。……一瞬でもドキッとした私が愚かだった。
私は何も言わないまま小隊長についていく。小隊長は私を一瞥して何故か安堵に満ちた表情をした。
初めて「メタトロン」の町を歩けば、人々が私たちをじろじろと眺める。小隊長がいなければ、かなり恥ずかしい思いをしていたのかもしれない。そう思うほどに。
「エラ」
無視。
「エラ」
ぐいっと小隊長が私の頬を引っ張る。
「いひゃいいひゃい! なんですか!」
小隊長は無理矢理私にある方向を歩かせる。そこには店があり、小隊長に引っ張られて中に入ると服が売られていることがわかった。お世辞にも、豪華とは言えない平民の為の服が。
「小隊長?」
「服がないんでしょう? 買ってあげますから選んでください」
「えっ」
「それとも、こんなに小汚い服は着れませんか?」
小隊長! 店の人が怒ってます! 睨んでます!
私はぶんぶんと首を振って服を見る。なるべく楽しそうに「ステキ」を多用して、小隊長ではなく店主のご機嫌をとろうとした。
「こんなののどこがいいんですか」
見つけた服すべてに「ステキ」を乱用した私に、小隊長が眉を潜める。この人が小隊長じゃなかったら一発殴っていたかもしれない。
「いいじゃないですかっ! ワー、コノフクモステキー!」
じっと私の指先を目で追う小隊長は、何を思ったのか店の人に詰め寄って。
「この店にある服を全部……」
「そんなにいりません!」
「……なら、エラに似合う服を一式」
小隊長はため息混じりにそう言って、店の人が私に服を合わせるのを黙って見ていた。
そうして生まれて初めて庶民の服を着た私は、違和感を覚えていた。けれど、きっとそれは最初だけ。慣れの問題だと判断して店を出る。
その様子も黙って見ていた小隊長は、一言。
「似合わないですね」
「ッ!」
酷い。どうしてそんな酷いことが言えるのだろう。
「まぁ、兵服よりはマシですが」
「それって全部似合わないってことじゃないですか!」
小隊長を力一杯押す。それでも筋肉のベールに包まれた身体はびくともしなくて、私は道の奥へと駆け出した。
涙が溢れて止まらなくて、やがて道幅の狭い道に逃げ込んだ。
「エラ」
小隊長にはすぐに見つかった。それでも、そんなに拒否反応は起こらなかった。
身勝手なことに、見つけてくれるのを望んでいたのかもしれない。そう思いながらも、顔を上げられずにいた。
「泣いているんですか?」
言われて気づく。私は、自分が思っている以上に傷ついていたのだ。
「泣いてません」
「何故泣くんですか」
「泣いてません」
意地を張った。小隊長はため息をつき、私の隣に腰を下ろす。
「私はどうすればいいんですか?」
それは、どこか戸惑っているような声色だった。胸を締めつけられたような気がして、私は唇を噛む。
「…………何も」
ここにいてと言外に込めて、私は静かに涙を流した。
ひとしきり泣いた後、私は小隊長に背を向けながら歩く。小隊長が今どんな顔をしているのか知らないし、知るつもりもなかった。
「ッ?!」
刹那、不意に誰かに見られた気がした。視界に入れるだけでは済まない、まるで私をターゲットにしたかのような視線。もしかして……。そこまで思考を巡らせて、不意に小隊長に抱き寄せられた。
「ひゃっ!」
脳が痺れる。何も考えられなくて、だけど変に心地いい。
「殺気です」
「……え」
ぞくりと背筋が凍った。
「大丈夫。殺気は私に向けられたものです」
それでも安心できないのは、相手が小隊長だからだろうか。私には、嫌というほど身に覚えがある。
「ミカエル」には、「EARTH」にいたすべての王族が暮らしているのだ。王族という地位はなくなったけれど、王族間の争いは未だ耐えないのだ。
私を嫁に貰うはずだった王族か。
親を恨んでいる王族か。
自分自身の家か――。
私は、刹那に小隊長を巻き込んでしまったのだと思った。