第四話 いつか私が貴方に伝えたいこの想い
当日は案外早く訪れた。あれだけ念入りに整備をした機体に触れ、遠くの方で団長と小隊長が同じ機体に乗るのを確認する。
「ユニス!」
「ジョセフ」
私は、何故か慌てて駆け寄ってくるジョセフに軽く手を上げた。彼も今回の作戦を機にシリウス班に転属となった大切な同期だ。
「本当だったのか。お前がこの作戦に加わるって……」
「え、信じてなかったの?」
「……お前、マジで死ぬぞ」
そんなジョセフが、深刻そうな表情で言う。
「もう、ガイアみたいなこと言わないでよ〜。大丈夫大丈夫、なんとかなるって」
「お前がそんなだから俺もガイアも心配するんだろうがよ! もっと警戒心持っとけバカ!」
そして、私の顔を見ずに足早に去っていった。
「……ジョセフ」
ジョセフの言うことも一利あるなぁ。そう思いながら、私は自分専用の機体に乗り込んだ。
今回出撃するのは、シリウス班とジラ班含む複数の班のみ。《Aries小隊》全班では出撃せず、私は少数精鋭の機体の中に紛れ込む。
その間、ずっと頭の中を占めていたのは小隊長のあの日の言葉だった。
死にたくないなぁ。何故か不意にそう思った。
*
機体に乗る少し前、寄り道をした。本部に隣接する墓場はとても静かで、らしくもねぇ花束を持ちシェリルとクラウディアの前に手向ける。
シェリルは、やはり何も言わなかった。
「行ってくる」
その瞬間、風が吹いた。
穏やかな、心地よい風だった。
『人類の勝利を、信じています』
幻聴ではない。確かに聞こえた。その後で、耳からではなく脳内に直接シェリルの声が響く。
「……安心しろ。そっちに行く気はねぇよ」
丘の向こうで、誰かが笑った気がした。
「遅かったな、オースティン」
機体の前でヴェルノが言った。
「少し話をしてきた。遅れて悪かったな」
「……そうか」
俯き、ヴェルノは呟く。次に顔を上げた時は、決意に満ちた表情をしていた。
先にヴェルノが乗り込み、奥の席に座る。続いて乗ろうとした刹那、視界にユニスが入った。
「オースティン?」
それ以上何も言わせまいと俺は乗り込む。機体の中でジョセフとユニスが話しているのを見た瞬間、何故か無性に腹が立った。
*
飛び立ったソラは静まり返っていた。私は一息つき、ゼノヴィアと共に合図を待つ。
『平気?』
「うん、平気」
急にゼノヴィアに話しかけられ、私は背筋を伸ばして答える。
『だといいけど』
「ッ!」
操縦桿を握る右手には、未だに包帯が巻かれていた。ゼノヴィアは、私のことを役立たずだと思っているのかな。
ぐっと、込み上がった悔しさを心の中で潰した。刹那、ソラが震えた。
「ッ!」
『来た』
ゼノヴィアの声と共に、操縦桿を握り締める。
「ぐっ?!」
あまりにも強く握り締めたせいか、右手が酷く痛んだ。
「ゼノヴィア! 絶対に――絶対にガイアを守って、「EARTH」に送り届けるよ!」
それで、今回の任務は終わる。「EARTH」に降り立ったガイアは、「Mars」として生きて一人で内部を崩壊させていく。
それで、この戦争は終わる。
『当然』
だから、負けちゃだめなんだ。危険な任務を快諾したガイアの為にも、人類の為にも。
小隊長は足を怪我した時、私以上の痛みを味わったはずだから。彼に比べたら、こんなのどうってことない。
「行くよっ!」
「Mars」。私は絶対に、貴方たちには負けない。
ガイアに合わせて機体で飛ぶと、辺りがよく見回せた。仲間が、続々と出撃する「Mars」の機体に向かって攻撃を続けている。
「ゼノヴィア! 前方に三機! 私が全部引きつける!」
『ユニス……?』
「貴方は最後までガイアを守ってあげて!」
近くにいたはずなのに、ゼノヴィアの声が酷く遠くの方に聞こえる。
視界が真っ暗になったのは、その後のことだった。
*
『はじめまして』
女性の声が直接脳内に響く。私は驚き、目を開けた。黒いと思っていた世界は白かった。
「……あ」
女性は、寝ている私を見下ろしていた。《Aries小隊》のパイロットスーツを着用しており、艶のあるチェリー色の髪が私の頬にかかる。
『……えっと、貴方、ガイアくんの同期だよね?』
ぷっくりとした唇が動いた。今度は耳に直接届いた。
「誰、ですか」
少なくとも、私はこの人のことを知らない。逃げるように起き上がった私は、女性から数歩距離をとった。
『小隊長が好きだった人よ』
「……え?」
目の前の女性ではない、また別の女性の声が聞こえた。振り返ると、同じく《Aries小隊》のパイロットスーツを着用したクラウディアさんがいた。
「クラウディアさん……!」
〝小隊長が好きだった人〟。
〝クラウディアさん〟。
必然的に出た結論は
「……私、死んだんですね」
最悪だった。
『ううん、違うわ』
あまりの悲しみに顔を歪めた私は、クラウディアさんを見つめて吠えた。
「違うって何がですか?! 二人がここにいるから……そういうことなんでしょう?!」
ぼろぼろと涙が溢れる。こんなことになるなら、小隊長に――。
胸に手を押し当てる。私は、この気持ちに気づいてしまった。けど、もう、伝えることはできない。
いつか私が貴方に伝えたいこの想いは、行き場を失ってしまったのだ。
『違うの。ここは、あの世とこの世の狭間。大丈夫、貴方はあの人の元へと帰れる』
視線を向ければ、くしゃくしゃに顔を歪めた先輩がいた。先輩は、大粒の涙を溢していた。
『私ね、生きている時に好きって言えなかったの。死んだ時にようやく言えて、逆に小隊長を苦しめちゃった』
「……あ」
小隊長の様子がおかしかったのは、この人のせいなの?
『だから私ね、小隊長を支えようと思ったの』
今度はクラウディアさんが口を開く。
『好きって言ってつき合ったのに、私すぐに死んじゃった』
クラウディアさんは、静かに泣いて無理して笑った。
『バカだよね。支えになるどころか、重りになっちゃったの』
「…………」
『だから、貴方は絶対に後悔しないで』
『大丈夫だよ。私たち、ずっと見守っていたから』
視界が霞む。温かいそれを、私はパイロットスーツの袖で強く拭った。拭った手を退けると、二人はどこにもいなかった。
『おい! おいっ!』
随分と必死そうな声が、間近で聞こえる。
誰だっけ、この声。久しぶりに聞いた気がするけれど、嗚咽まじりでよくわからない。
『勝手に逝くんじゃねぇよ! どいつもこいつも!』
「……しょう、たいちょー……?」
そうだ。この声、小隊長の声だ。
「うっ……!」
『おいバカ! てめぇ生きてんのか?!』
戻りつつある視力を駆使して、私は辺りを見回す。すぐに鉄の匂いがする赤黒い液体が視界に入って、私は次にスピーカーを見た。
「小隊長……私……」
『生きてるならちょっと待ってろ、今すぐジョセフに回収させる!』
ぬるっとした感触が頭からする。衝撃で頭を強く打ったようだ。目覚めても、意識はまだ朦朧としている。
「……先輩と、クラウディアさんに会いました」
『はぁ!?』
「……二人とも、この世界に……いないのが、不思議なくらい、げん……きで……こうかいした…………って、いって、ました」
『もういい喋るな!』
だめ。ちゃんと、小隊長に届く内に伝えないと。
「見守ってる…………て」
もう、どこも動かないから。
「しょ、たいちょ……」
私、もしかしたらもう長くないのかも。
『喋んなつってるだろバカが!』
「……ぇ」
『シェリルもクラウディアも、好き放題言って勝手に逝きやがった!』
小隊長が、荒々しく声を上げる。今もどこかで見守っている二人に訴えかけるように。
『てめぇもそうなのか?! そんなわけねぇだろバカ!』
遠くの方で爆発音が聞こえた。
あぁ。そうか。ここはまだ宇宙で、戦争はまだ終わってなくて。それでも命は、尽きていく。
「……こんな、私でも……お伽噺の主人公に、なれた…………でしょうか」
あの二人と同じように、素敵な人生を送れたでしょうか。
『知るかバカ! バカかてめぇは!』
「……で、すね」
息苦しくなって私は笑う。
「……ちょ、私の、ことは……て、行っ、て……」
舌も、上手く回らなくなった。
『何言ってんだよバカ! 耳の穴かっぽじってよく聞いとけ!』
でも、この耳はまだ聞こえている。
『絶対に生きて帰ってこい! これは命令だ! 聞けねぇとは言わせねぇぞ! 〝ユニス〟!』
やっぱり、聞こえなかったかも。これはきっと、幻聴。私の、小さな願いだから。
私は、静かに目を閉じた。
*
「……ん」
妙に柔らかい感触がして、瞼を開ける。眩い光が窓から入って私だけを照らしていた。
「……あれ?」
無意識に頭を触ると、包帯の感触がする。
「生きてる……。私、死んでない?!」
ぺたぺたと体中を触って確認するが、違和感はない。
「よ、良かったぁ」
そして、顔を毛布に押しつけた。しばらく寝転んでいると、キィと音がして私室の扉が開かれる。
「あっ!」
「あ」
「小隊長!」
小隊長は、訝しむように目を細めた。一歩一歩と丁寧に近づいて、そうしてようやく私の頬に触れる。
小隊長の温もりを感じながら、改めて生きているんだと実感して。溢れる涙をそのままにして、私はぎゅっと目を閉じた。
「おいてめぇ。俺に何か言うことあるだろ」
「いだだだだ! 痛いですよ小隊長!」
そのまま頬を引っ張った小隊長は、ぱっと離して私を見下ろす。
「さっさと言え。バカ」
「わ、わかりましたよ」
私は頬を擦り、小隊長を見上げて息を吸い込んだ。
「好きです。私とつき合ってください」
言葉にするとやっぱり恥ずかしい。でも、言わないと伝わらないから――
「はぁ?」
「――伝わってない?!」
言えって言ったのは小隊長なのに、この仕打ちは相変わらず酷いと思う。
「……てめぇ、そういや頭打ってたもんな」
「打ってなくても貴方が好きです!」
小隊長は今でも訝しむような表情で、だけど私の表情を見ると観念したようにその場にしゃがみ込む。
「わかった」
「えっ、いいんですか?!」
「てめぇが先に言ったんだろ」
「言いましたけど、あっさり過ぎじゃありません?」
だって、好きでもないのにつき合せるのは違う気がするから。
「はぁ? 褒美だつってんだからありがたく受け取れよバカ」
「ほ、褒美……?」
そう言えば、前にそんな話をしたような。
「だからオッケーってことですか」
「あぁ。死んだら絶対殺すからな」
「死にませんよ絶対に!」
「……あっそ」
返ってきた台詞は素っ気なかったが、私はそれで幸せだった。
「これからずっと傍にいてくださいね」
「それはこっちの台詞だ。今度からはちゃんと守ってやるよ」
「私、今度こそちゃんと小隊長を幸せにしてやりますよ」
刹那、空気が揺れる。開放されていた窓から風が吹き込んで、何かが私と小隊長の頬を掠めた。
「ッ!」
目の前の彼が目を見張る。私はそっと、心臓に右手を押し当てた。
小隊長は、やがて一人で笑みを零し
「〝最後は、笑ってさよなら〟だろ?」
風が去っていった方を見つめ、私の方を見てまた笑った。