第三話 見えなくなるまで
徐々に小さくなる二人の背中を、俺は見えなくなるまで見つめていた。
正直あんなにわかりやすい反応をされるとは思わなかったと、少しだけ呆れる。
「で、てめぇは外せねぇ用があるんじゃねぇのかよ」
見送る必要もないはずなのに、ジラはさっきから微動だにしない。
「ん? まぁ、あるっちゃあるけど」
動いたかと思えば、俺に視線を合わせてきた。
「ちょっと、シリウスと話がしたくてさ」
「はぁ?」
「ここじゃなんだから、どこか人気のないとこに行こうか」
ジラにそう提案され、俺が真っ先に思い浮かべたのはあの資料室だった。
資料室に辿り着くと、何故かジラは顔を強ばらせ。ゼノヴィアが現れてからかなりの頻度で疑うようになったが、こいつは本当にロボットなのだろうか。
「で?」
「シリウスさ」
さ迷っていたジラの千草色の瞳が、何かを決意したかのように変わる。俺は、そんな瞳に見覚えがあった。
「もう、引きずらなくてもいいんじゃないかな?」
あぁ、そうか。クラウディアだ。
様子がおかしいと俺に言った時の、クラウディアの瞳によく似ている。
「おいクソ。俺が引きずっているように見えるのかよ」
普段通りとは断言できないが、引きずっているとは言わせない。
「見えるよ」
言わせたく、ない。
「何故そう思う」
参考までに聞いておこう。
「目の下のくま。寝てないよね? 頬も痩けてる。まともに食べてない証拠だよね? 資料整理とか大っ嫌いなくせに最近はそればっかだし。あ、それは足を怪我してるからか。それと……」
「もういい」
久しぶりに冷淡な声が出た。普段はロボットだと思わせないのに、こういう時は誰よりもロボットなのだから腹が立つ。
「けどね、仕方ないと思うよ。他のパイロットでも〝痛いものは痛い〟。仲間だからね。けど、あの子たちは仲間の比じゃないんでしょ?」
「わかったような口調だな」
傷ついているようなフリをして、本当はまったく傷ついていない。
ゾラはなんだかんだでロボットなのだ。人を演じる、最先端の人型戦闘用ロボットなのだ。
「私は戦闘用ロボットだけど、ケアロボットを基礎にしているからね。周りの空気の為にも言わせてもらうけど、一人で背負ったりしないで欲しいな」
お喋りロボットという異名通りのお喋りっぷりに嫌気がさす。俺はため息をつき、ゾラの〝ありがたいお言葉〟を聞いた。
「シリウスは一人じゃない。仲間がいるじゃないか」
ゾラはそう言って辺りを見回す。幽霊かと一瞬思ったが、ゾラが見ていたのはすべての棚に山積みにされた〝資料〟だった。
*
「ありがとう、ガイア」
小隊長たちと別れてから、ガイアは私の部屋の中まで送ってくれた。
「いいって。……ん。顔色もだいぶ良くなってきたな」
「おかげさまでね」
「ところでさ、ずっと気になったんだけどその右手どうしたんだ?」
「右手?」
右手、というのは先日負った傷のことだった。
「あー……これね。ちょっと床に強打したっていうかなんていうか」
矛盾した行動を笑われたくなくて言葉を濁す。
「理由はどうあれ気をつけろよな。パイロットが手を負傷とかシャレにならねぇし、センスはあるのに凡ミス多いし」
「……すみません」
それ以上欠点を言われたくなくて軽く流す。
多分、この二つも私の欠点なのだろう。
「……お前、それでもパイロットかよ」
「……え?」
ガイアの声があまりにも小さすぎて、私は思わず聞き返す。
「お前それでもパイロットかって言ってんだよ!」
今度は怒鳴るようにそう言った。いや、実際怒鳴っていた。
「ガ、ガイア? ちょっと落ち着いて……」
「もう嫌なんだよ! 家族や仲間を目の前で失うのは!」
「ッ!」
必然的に、私の記憶はその言葉に反応した。
次々と「EARTH」に降り立つ悪魔の「Mars」。
遠くの方で「Mars」に撃たれて爆死する仲間たち。
先日の「奪還作戦」でソラへと消えた彼らの遺体。
「だから、お前みたいなのがパイロットだと命がいくつあっても足らねぇんだよ!」
ぎゅっと、ガイアがジャケットの心臓のある位置を握り締めた。
「……けどさ、ガイア」
私は、左胸に置かれているガイアの手に自分の手を重ねる。
「ガイアの気持ちもわかるけどさ……それが、〝パイロット〟なんじゃないかな」
「ッ!」
「それが、翼を得た一握りの人類の末路なんだよ。私はいつ死んでも構わない。だって、あんなに広いソラを飛べるんだもん。……けど、無駄死にだけは絶対にしたくない」
ぽたぽたと、私の手に雫が垂れる。小刻みに、重ねた手の主が震えているのがわかった。
ガイアを宥める為に私たちはベッドに座る。その間、バレないように机上の日記を別の本で埋めた。
「……さっきは悪かった。謝る」
「気にしないで」
項垂れるガイアは、自分の手を止めることなく動かしている。そして、おもむろに喋り始めた。
「実は、明け方にヴェルノ団長からお前が例の作戦に加わるって聞かされてさ。ほらお前、センスはあるけど危なっかしいって言うか……」
「……そうだったんだ。でも、私だって今日まで生き残ってきたんだよ? ガイアが思ってるほど弱くはないよ」
「そうかもな」
ニッと、ガイアは多分無理して笑う。
「それと、もう一つ謝らせてくれ」
「何を?」
「俺、お前とメルを重ねて見てたんだ」
どこか苦しそうに、ガイアは人の名前を呼ぶ。ただ、それは私の名前ではない。そして、絶対に同期の名前でもない。
「その人、ガイアの大事な人なんだね」
ただ、それだけは痛いほどにわかった。そして、その人はもう存在しないことも。
「わかるか?」
「わかるよ」
「そいつ、俺と同じミレルバ出身でさ……」
ガイアはそこで言葉を切った。
「生きてたんだ。一緒に、「ジェレミエル」に乗ったんだ。すげぇ真っ直ぐで、思いやりがあって、そういうとこがお前に似てて……」
私、ガイアからそんな風に見られてたのか。
「もうわかったと思うけどさ、そいつ、一般人を巻き込んだ最初の「奪還作戦」で死んだんだ」
「…………」
わかっていても、言葉にすると重さが違う。
「だから、お前もそうなるんじゃないかって。初めてお前を見た時から、そうなるんじゃないかって思って……それであんなことを言った。だから、本当にごめん」
「何言ってるの?」
「はぁっ? お前、人の話聞いてたか?」
「聞いてたよ。ガイア、私は怒ってないから謝らないで。ね?」
ガイアが小さく、「お前って本当にいい奴だよな」と言う。「気のせいだよ」と私が返す。
私はそんなにいい人間じゃない。意識しないと、机上の日記を見つめてしまいそうだった。
「そんなことねぇよ。じゃ、俺そろそろ戻るから」
「あ、うん。ガイア、本当にありがとう」
「こっちこそ。じゃあな」
扉が閉まった。時間にしたらとても短いのに、とても長く感じる会話だった。
扉が叩かれたのはその日の夜だった。私は何も疑うことなく扉を開ける。その先に、誰がいるのかも知らずに。
「……しょう、たいちょう」
相手を認識した瞬間肝が冷える。
「よぉ」
小隊長はそんな私を冷めた目で見ていた。
「……なんの用ですか?」
日記はガイアが来た時に隠したままだった。だから、余程のことがない限り見つからないはずだ。けど、小隊長を私室へとどうしても入れたくない。
両手で扉の枠を掴んだのは、私なりの最後の抵抗だった。
「謝りにきた」
「へ?」
「今朝は悪かったな。それだけだ」
じゃあなと背中を向けた小隊長に、私はついに罪悪感に堪えられなくなって。
「待ってください、小隊長!」
ピタッと小隊長の足が止まる。ほんの少し足を引きずっていた小隊長を、そのまま帰すわけにもいかない。が。それよりも――
「――小隊長は謝らないでください!」
音もなく小隊長が振り返る。
「謝らなきゃいけないのは、私の方なんです!」
小隊長は驚かなかった。むしろ、ニッと口角を上げたに近い。
「何を、謝るんだ」
「ッ?!」
嵌められた。瞬時にそう思った。
「……今朝の出来事です」
けど、悪いのは私なのだ。
「すみませんでした」
震える全身を抑えることなく小隊長に日記を手渡す。
「やっぱ、バカの言動は理解できねぇな」
特に責めている感じではないが、冷めている目で小隊長はそれを受け取った。
嫌われたなぁ、と思った。ただ、これ以上小隊長を怒らせないようにと俯き沈黙を続ける。
「何をそんなにビビってる」
頭上から声がした。その声は冷酷さを帯びていない、純粋にわからないといった感じの声。
「へ?」
思わず頓狂な声を出して顔を上げれば、小隊長が花色の瞳を開けて私を見ていた。
「……怒ってないんですか?」
そんなはずはない。
「俺はそこまで短気じゃねぇよバカ」
本当に怒ってないようだけど、彼は死ぬほど口が悪い。
少し、何を言えばいいのか迷った。だって、右手の怪我の時はあれほど怒ったから。
「小隊長、変わりました?」
なんて、ようやく出てきたのはそんな台詞。
「変わってねぇよ」
小隊長は背表紙を大事そうに撫でながらそう返した。そして扉に向かって歩き出すから、私は慌てて扉を開けて小隊長を通す。
「じゃあな」
遠ざかって行く小隊長の背中を見て、私は思わず声を出した。
「小隊長!」
足を止め、少し振り返る。
「送りましょうか?」
「はぁ? 何言ってんだクソガキのくせに」
「でも六歳差ですよね?!」
でも、小隊長からしたら迷惑かもしれない。
「あの、小隊長」
「今度はなんだ」
少し、声に怒気が混じっている。
「おやすみなさい」
「……あぁ、おやすみ」
けれど、その怒気はどこかへ消えて後には微笑んだ小隊長が残っていた。
敬礼ではなくぺこりとお辞儀して、見えなくなるまで小隊長を見送る。その間小隊長は一度も振り返らなかった。
一週間後の「奪還作戦」に備えて、格納庫で自分の機体を整備する。作戦に関わる全員が整備をするようにと団長が命じたのだ。
「おいクソ、見落としてるぞ」
「ひゃあ?!」
勢いで持っていたレンチを落としてしまった。この格納庫は私一人だけだと思っていたのに、小隊長は足を引きずっていても忍び足が上手い。
「ほらよ」
落ちたレンチを拾い、私の機体の傍に腰を降ろす。その後はじっと私の機体を見上げていた。
「何ぼさっとしてんだよ。やるならさっさとやれ」
「は、はい!」
静まり返った格納庫で、金具が擦れる音と私だけの息遣いが聞こえる。何故小隊長の息遣いは静かなのか。なのに存在感があるんだから不気味で仕方がない。
「しょ、小隊長は整備しなくていいんですか?」
沈黙が堪えられなくて振った話題は、地雷だったかもしれない。ピクッと小隊長の眉が動いた気がした。
「す、すみません!」
「別にいい。自分のを整備しなくていい分、他のバカ共を見てやることにしたからな」
特に転属したばかりのてめぇらを中心に、と小隊長はつけ足す。
私はその台詞に少なからず落胆してしまった。小隊長が見ているのは私だけではない。もしそうだったら不公平だけど、小隊長が私だけを特別扱いしてくれるのだと心のどこかで期待してたのだ。
前は特別扱いが嫌だったのに。なんでだろ。
「おい。よそ見してんじゃねぇよ」
「すみません!」
目の前の機体に向き直る。操縦席周辺を終わらせてそこから出るまでにかなりの時間を要してしまった。
「もっと集中しろ」
小隊長がそう言ったのは、数分後。小隊長がいるから集中できないんです、なんて言えなかった。
人のせいと言いわけをするのが嫌というのもあるが、それを言ったら小隊長が部屋から出ていってしまいそうで。
「集中してます」
「見えねぇがな」
ふっと、小隊長は笑うように息を吐いた。
*
機体の整備をやらせている、と聞いたのは今朝のことだった。一応自分の整備をして、ふと、あのバカの整備を手伝ってやろうと思った。
ガイアからも少し聞いたが、バカはやはり危なっかしい同期生として有名だったらしい。
シリウス班専用の格納庫から離れた格納庫に見に行けば、予想通りクソは一人で整備をしていた。
「しょ、小隊長は整備しなくていいんですか?」
少し意地悪をしてやろうと思ってわざと動く。
「す、すみません!」
まさか、こうも簡単に引っ掛かるとは。シェリルとクラウディアが見たら怒るだろうか。怒るだろうな、確実に。
ただ、その叱咤の声はいつまで経っても聞こえなかった。……それもそうか。
その後も、ある程度時間が経てばちょっかいを出し続ける。
ガキか俺は。なんて思った。後悔は微塵もねぇが何故かそれに安らぎを感じる。
だからだろうか。ずっと、こんな時間が続けばいい。そんな、人類にとっては無責任なことを思った。
「小隊長! 終わりました!」
誇らしそうな声が聞こえたのは、その数分後だった。不備もねぇし、俺から言うことは本当に何もない。
「バカのくせによくやったな」
シリウス班は全員で整備をしているが、バカの機体は一人だけ移動されていない。
一人だけで本当によくやったと思うし、そんなバカに何か褒美をやろうと思ってしばらく頭を悩ませる。
「ユニス」
「えっ」
「次会うまでに、どんな褒美がいいか考えとけ」
それだけ告げて、俺は格納庫を出た。