第四話 優しい世界
俺には名前という名前がない。
人によって違う名前で呼ばれていた。
多分、市にとって俺は〝ゼロ〟なのだろう。こんな状況なのに、俺はそれがたまらなく嬉しかった。
「ありがと、もう、大丈夫だから」
市はふわりと笑い、俺の腕から離れていく。市の温もりが遠ざかっていく。そう感じた刹那、俺は咄嗟に市の腕を掴んだ。
「何?」
「……え」
本当に咄嗟だった。
身体に命令する前に、腕を掴むと判断する前に、俺は市の腕を掴んでいた。何故か、離したくなかった。
「だから、何」
市は少し怒ったように尋ねる。
「痛いんだけど」
「……あ、ごめん」
市は不思議そうに俺を見、「どっか壊れたの?」と首を傾げた。
「……多分」
だって、こんなにも身体が言うことを聞かない。
市を離したくない、そう思っているのはちゃんと理解している。それは理解できるのに、離したくないから市を抱き締めたい――そんな衝動と、戦っている。
「ちょっと、壊れないでって言ったじゃない!」
俺がしゃがむと、市もしゃがんで俺の顔を覗き込んだ。
「……市、顔色悪い」
治さなきゃ。そう思うのが正常だ。なのに、治すよりも先に彼女を抱き締めたいと思っている。――今の俺は、異常だ。
「……ごめん」
「なんで謝ってんの?! ねぇ、どこが悪いの?! 私頑張るから! 頑張って直すから! 壊れないでよ、ゼロ!」
また、市が俺の名前を呼んだ。
それだけで、何故かすごく嬉しい。どこかの誰かよりも、市に呼ばれることが嬉しい。
「……わからないんだ」
この壊れ方は初めてだから、自分でもどうしていいかわからなかった。
「わ、わからない……? わからないって何よ、私はどうすればいいの?!」
「……俺から、離れて」
今はただ、そう言って市を守ることしかできない。俺はケアロボット失格だ。
「嫌よ!」
なのに市は即答した。
「こんな森の中で離れろなんて言わないで! 私は私を止めることができないのに、ゼロと離れたらもうお終いよ! お願いだから、私をこれ以上バケモノにしないで!」
そんなことを言われたら、離すに離せなくなる。
「……市は、ずるいね」
だからか、矛盾したを感情を前にして、俺の人工知能は悲鳴を上げていた。
「私はずるいわよ! ゼロと離れない為なら、ずるい言葉くらい何度だって言ってやるわよ!」
じんわりと、市の目頭に涙が浮かぶ。
悲鳴を上げているのは俺の方なのに、何故市が泣くのだろう。そんなことさえ、機械の俺はわからなかった。
「いたぞ、あそこだ!」
「ッ!?」
市が息を呑む。
声がした方を見ると、市用に重装備をしたのだろう。大勢の人間が俺たちのところに向かって駆けつけていた。
「ゼロ……!」
「……市、行って。多分、俺のせいだ」
俺が異常反応を起こしたから、身体がそれを研究所に通報したのだろう。俺は機械だから、位置情報がバレてもおかしくはない。
「ねぇ、あの人たちならゼロを直せるのよね?」
市は俺に触れたまま、不意に尋ねた。
「……市?」
「なら、私が話をつけてくる」
「……待って、市。それは絶対にだめだ」
「どうして? 私、言ったわよね? 私はもう死んでもいいの。だから、その代わりにゼロを直してくださいって頼むわ。どんな形であれ、ゼロの部品がこれから先も生きていてくれたら私は嬉しい」
そんなの、俺は望んでいない。
市がいない世界なんて、俺はまったく望んでいない。
「……待って市、俺は壊れても直るけど、君は……」
「ロボットのくせにごちゃごちゃとうるさいわね。いい? 私の方が人間様に近い存在よ。だから、ただの機械のゼロに決定権はないの」
市は俺から手を離し、ふと、顔を近づける。
「――ゼロに逢えて良かった。一日くらいしか一緒にいれなかったけれど、あんたのこと、結構好きよ」
吐息と涙が、俺の機械の肌を撫でた。
熱が離れ、市は様子を伺う人間に対して抵抗の意思がないことを両手を上げて見せつける。
――好き?
刹那、胸の辺りが発熱するような感覚が生まれた。熱くて、苦しくて、多分悲しいのに、俺の身体はもう動かない。
「この子のことは助けてちょうだい。じゃないと、あんたたち全員食べちゃうわよ?」
虚勢を張る市の後ろ姿は、泣きたくなるくらい綺麗だった。
機械でごめん。
壊れてごめん。
気づくのが遅れて、ごめん。
――俺は、市が好きだった。
*
『お兄さん、起きて』
その声は懐かしく、同時に刺すように俺を苦しめた。
何故か身体が拒絶している。目が覚めたら、悲しいことが起きそうな予感がして――
『お兄さん、聞こえてるんでしょ? 嫌なら強制的に起動させるよ?』
――それを回避する為に、昔の記録が俺を封じ込めていた。
『強情だなぁ……。そういう風に改造した記憶はないんだけど。お兄さーん、スイッチ押すねー』
「――ッ!?」
体中に電流が走り、俺の瞼は強制的に開く。
「おはよ、お兄さん」
そんな俺の目の前にいたのは、朗らかに微笑む二十代前半くらいの千だった。
「……千?」
「そうだよ、お兄さん。……いや、今は俺の方が年上っぽく見えるから、〝ゼロ〟って呼ぼうかな」
千は座っている俺を立たせ
「俺のことを覚えててくれて嬉しいよ、ゼロ」
そう言って、俺を抱き締めた。
「千、なんで……」
「やっぱ機械だからちょっと固いなぁ。あぁでも、男型だからこれでいいのかな?」
千は俺の疑問を無視して独り言を繰り返し、思い出したように俺を見る。
「ごめんゼロ、忘れてた」
朗らかに笑う千に何も言えなくなって、俺は口を閉ざした。
「じゃあ行こう」
どこへ?
何故か動きたくないのに、俺は千に引っ張られる。振りほどけないようにプログラムされているせいで、俺は千の意のままだ。
研究室を出て、眠りに入る前と変わらない廊下を眺める。俺が前に目覚めたのは、確か千が十代にもならなかった頃だから――約十年以上前か。
「この十年でね、世界は色々変わったんだよ。ほんと、人類の進化ってすごいよね」
どこか他人事のようで、千が自然治癒能力に特化した人工生命体だったことを思い出す。あと一人そんな子に出逢った気がするのだが、誰だったか。まったく思い出せなかった。
「ねぇ。ゼロが最初に停止した理由って知ってる?」
「なんの話?」
「……あ、もしかしてその頃のバックアップ取れてない? やばっ、失敗したなぁ」
千はぽりぽりと後頭部を掻き、「じゃあ一応説明するね」と言葉を添える。
「すべてのケアロボットの基盤となった最古のケアロボットの君は、感情を持ってしまったんだよ。当時は感情なんて不要だっていうのが世論だったし、人に近い存在になったら仕事にならないからっていう理由で処分が決定されたんだ」
歩きながら語る千はどこか達観した目をしており、幼かった当時にはなかった人ならざる何かを感じる。
「でもね、研究者って貪欲でしょ? 感情を持った稀有なロボットを処分したくなかったんだよ。だから君を停止させた。そんな君を、十年前の愚かな俺が再起動させてしまったんだ」
千は乾いたような笑みを浮かべ、自分を責めるように胸の辺りを鷲掴んだ。
「その頃の世論もロボットに感情なんて不要だって感じだったし。ゼロも旧式だったから、結構ガタがきててさ。俺的にはあの人の友達になってもらうのが目的だったし、それでも良かったんだけど――」
千は、ぐにゃりと笑い
「――結局俺は、ゼロとあの人を傷つけただけだった」
唇を噛み締めて自分を責めた。
「……千」
「本当は俺のこと殺してもいいよって言いたいくらいなんだけど、ゼロはケアロボットであって戦争用ロボットじゃない。俺も俺で自然治癒能力が特化してるから、致命傷じゃない限り絶対に死なない。そういう意味じゃ、俺たちはすっごく相性が悪いね」
千の、なんとも言えないような表情に俺は何も言えなくなって。千の言う〝あの人〟を、記録の中から探した。
「まぁ、昔話はこれでお終い! ゼロ、こっちだよ」
千に連れられるまま廊下を進むと、立ち止まった千は急に俺をある部屋へと押し込んだ。
「ッ、千?!」
振り返ろうとして、視界に入った女性に俺は視線を止めた。
なんでもないただの部屋に置かれた椅子に座っていた女性は、視線を俺に向けて首を傾げる。そしてため息をつき、足を組んだ。
「遅い。あんたが『話がある』って言うからわざわざ会議室まで来てあげたのに、いつまで私を待たせる気?」
「あはは、ごめ〜ん。思ってた以上に起動に時間がかかっちゃってさぁ」
「起動? ってことはその男、ロボットなの?」
女性はまじまじと俺を眺め、「ふぅん」と目を細める。
「相変わらず精巧ね。言われなきゃロボットだなんて思わないわ」
「この国は「Mars」のせいで一度滅んだけど、ずっと前から東洋人と彼らが作った人型ロボットの大国だからね」
「知らないわよメカオタク。っていうか、それ嫌味? 私ロボット嫌いなんだけど」
「え?! 嫌味じゃないよ! ていうかちゃんと意味あるよ!」
千が慌てて弁解すると、女性は音を立てて立ち上がり――何故か、俺の元へと駆け寄った。
「まさか、ゼロの部品が入ってるの?」
何を言うのかと思えば、女性は今にも泣き出しそうな表情のまま俺の瞳を見つめていた。
女性の瞳に映った俺は俺が記録している俺ではなく、まったくの別人で。女性の涙と共に優しく揺れていた。
「そのまさかだよ、お姉さん。だからもっと話しかけてあげて。彼ね、今日完成した新型のケアロボットなんだ」
「名前は?」
「ゼロ。それ以外の何があるのさ」
女性はゼロ、と口内で呟き、世界で一番綺麗なんじゃないかってくらいの微笑みを浮かべた。
「――初めまして、私は〝市〟。十年前、とあるケアロボットに救われた人工生命体です」
世界が生まれたわけでも、人々が幸福になったわけでもないのに――彼女の笑顔はそれくらいの喜びに等しかった。
目覚めたら悲しい世界が待っている。
そう頑なに信じていた俺は拍子抜けをして、世界で一番綺麗な彼女をまっすぐに見つめた。その笑顔に見覚えはなかったけれど
「――市?」
彼女のことは、何故か自然と思い出した。
「……ん? そうよ?」
「生き、てたのか?」
「えっ?」
大人の女性になった市は目を見開き、一雫の涙を流す。
「うそ、千、まさかあんた……」
「俺が部品だけを組み込むわけないじゃん。ゼロの記録は、バックアップをとって入れといたよ。……一部分だけっぽいけど」
なんで今まで忘れていたんだろう。
それくらい市が大切で、それくらい亡くした時の衝撃が大きかったのだろうか。
「市、なんで……」
「なんでって、貴方が助けてくれたんじゃない!」
「無理もないよ、壊れてたんだから。あのねゼロ、お姉さんを更迭して君の異常を調べてた時、感情が原因だってわかったんだって。お姉さんへの好意がそこにあったから、研究員はお姉さんの処分を渋ったんだよ。お姉さんも人格を持ったかけがえのないイノチの一つなんだって、みんなが気づいたから」
「……いの、ち……」
俺にない物。でも、市にはある物。そして、みんなにもある物だ。
「そのことがきっかけで、政府が人工生命体の人権を見直すことになってね? ゼロのおかげでお姉さんたち九九九人は処分を免れて、幸せと自由を掴むことができたんだよ」
何度も何度も強く頷いた市は、不意に俺を強く抱き竦める。
「ありがとう。本当に、ありがとうゼロ……!」
そうして感謝を囁いた。
「すべてのロボットの感情もそう。二人のことが世の中に出回って、世論もお姉さんもそれを望んだから、こうしてゼロをもう一度作ることができたんだよ。これはお姉さんにも感謝だね」
「どうして……」
「言ったでしょ? あんたのこと、結構好きだって」
目の前の市は口角を上げ、俺の唇に自分の唇を重ね合わせる。
「あんたが私のことすっごく好きなのも、知ってるんだから」
見透かされている。市には多分、一生敵わないだろう。
「今でも好きだよ、市」
自然と笑みが零れる。今でもこの機械の胸に、市への想いが刻み込まれている。
「行きましょう。あんたに今の「EARTH」を見せてあげる」
「お姉さんも引きこもってばっかでそんなに知らないくせに」
「わざとよわざと。ずっと、与えられた本でしか世界と繋がることができなかった。だから、本当の世界を知る時はゼロと一緒って決めてたの。もうこの箱庭には帰ってこないわよ? ゼロと一緒に世界を見に行きたいの!」
市は無邪気に俺の手を引き、嬉しそうにステップを踏んだ。そのステップに合わせて無理矢理踊らされる俺は、市が足を止めた窓際から世界を見る。
随分と高い位置にあるこの会議室からでも、ソラには絶対に手が届かない。背伸びをしても、手を伸ばしても、高い高い青いソラを誰も侵すことができない。
「どう? 少しは変わってる?」
「全然。けど、俺たちが知らない世界はいっぱいあるんだよね?」
「「EARTH」は広いの。東洋人はあんまり世界に干渉しないけど、私は端っこまで行ってみたい。私ね、普通の食事ができるようになったのよ? 世界中にある美味しいご飯も食べてみたいの!」
「えっ、ほんと? 良かったね市」
「あんたも食べるのよ。知ってる? 新型のロボットって食事もできるのよ!」
「ほんとに? 俺、市と同じ物を食べられるの?」
「そうよ! おんなじよっ!」
たったそれだけのことなのに、俺たちの世界は百八十度変わっていく。
世界が変わらなくても、俺たちは変われる。人が変わったら、俺たちは変われる。
「市、今、幸せ?」
市は一瞬俺を見て、浮かべていた笑みを消す。
「もちろんよ。私、今恋をしてるもの」
そう言われて握られた俺の手は、とても温かかった。
「でも、俺は市の傍にいたい。死にたくない」
「今さら何を言ってるの? あんたは私の所有物よ」
終わらない戦争も、明けない夜もないように、いつか必ず光は差し込む。
暁の光をその身に浴びて、市は今、この優しい世界を生きようとしている。そうしていつか、宇宙の片隅で君と死にたい。




