第三話 恋をして、結婚して
翌朝、外の様子を見に行って小屋の中に戻ると、いつの間にか市が起きていた。昨日は帰宅した直後に眠ってしまって一向に起きる気配がなかったが、どうやら起きてくれたらしい。
「市、おはよ」
「…………あ」
俺が声をかけると、市はぎょっと目を見開いて口をぱくぱくと動かした。
「な、なんでさっきまでいなかったのよ!」
「ぶっ……!」
投げられた枕を顔面で受け止め、俺はその勢いを殺せずにひっくり返る。
「??」
体は痛くないが、心が痛くなったような気がして俺は首を傾げる動作をした。
「〜〜ッ!」
よくわからずに市を見ると、市が今している表情は俺に馴染みのある表情だった。
市は、不安がっていた。
「何がそんなに不安なの?」
多分俺は、人の感情に疎い。
市は今までの患者とは違うから、わからないこと、マニュアルにないことはこうして直接的な表現で尋ねることしかできなかった。
「逆になんであんたは私が不安じゃないと思ったのよ」
市はそんな俺の弱点をついて、俯く。
目の前の死から逃れたというのに、まだ不安の中にいる市。そんな彼女の気持ちを理解する為に、俺はどれほどの歳月を費やして彼女と向き合わなくてはならないのだろう。
理解できそうで、道は遠かった。
「わからない」
本音を声にして、俺は思う。
「けど、早く市を幸せにしたい」
昨日も、今日も、俺はそれだけを願って生きている。
俺が告げると、市は顔を手で隠した。しばらく赤くなって悶えたかと思ったら、急に落ち着いて俺を見据える。
「……それは、あんたがケアロボットだから?」
少しだけ、市は不満そうだった。
何を間違えたのかわからない俺は、肯定することしかできずに市に怒られる。俺はやっぱり、人の感情に疎い。
それでもかつては上手くやれていた。
上手くできないのは、市が初めてだ。
俺が近寄ってまじまじと市を観察すると、市は「近い」と呟いて視線を逸らし、俺の頬を殴った。相手が年頃の少女だからだろうか。床に張り倒されて思う。
難しいと思う反面、やりがいのような物も感じている自分がいて――俺は静かに市の幸せを考えた。
「市」
「何」
「市にとっての幸せって、何?」
ただ俺は、やっぱり直接的な表現で聞くことしか脳がなかった。
市はぽかんと呆けた表情のまま、俺の問いかけを受け入れる。やがて困ったように眉を下げ、俯いて
「……普通の人生を生きる、こと」
か細い声でそう願った。
「普通の人生って?」
ただ、機械の俺はどんな些細な声も聞き逃さない。
一度漏らせば後は驚くくらいに簡単で、市は自分の心を素直に曝け出して色々と喋った。
「恋をして、結婚して、子供産んで、老いていくの。女の子の幸せって、そういうものなんでしょう?」
問いかけるような視線が、機械の俺に刺さる。そういうものと言われても、俺の知識にそんな項目はない。ただ
「今まで見てきた患者は、みんなそうだったよ」
老婆はみんな、恋をして。たった一度の、結婚をして。見舞いに来てくれる子供もいて、微笑みながら亡くなった。
「だから、俺はそれが普通だと判断する」
市の知識は、何も間違ってなんかいなかった。
市はぽかんと口を開けていたが、やがて破顔した。
「ありがと。嬉しい」
笑った。あの市が。俺もつい嬉しくなって、ようやく一歩踏み出せたのだと実感する。
この道で間違いない。いつかきっと、その日が来るまで、俺は市の幸せを願い続ける。
――いや、その日が来るまで、俺が市を幸せにする。
だからこのまま行こう、市は可愛いから大丈夫だ。
「市、お腹空いてない?」
「空いてないですぅ〜。っていうか何、それ嫌味?」
「嫌味?」
「無自覚なの? ったく、あんたに介護されてた患者さんたちが可哀想だわ」
わざとらしくため息をついて、市は体を伸ばす。
俺は、動きを止めたまま市の顔を凝視していた。
『……ありがとう、ロボット君』
遠い昔、そう言った全員が微笑んで、俺に看取られていったことを思い出す。
俺は亡くなった患者を見て、多分、悲しかった。涙は出なかったが、悲しくて深く傷ついていた。
『そんなところで何をしている、零番』
顔を上げると、研究員がいた。
『患者に会っているんです』
『お前はよくここに来るな。こんなことをしても無意味だろう』
『そうですね』
暇な時に俺が足を運ぶ場所。それは、研究所に隣接された墓地だった。ここに来れば、今まで看取ってきた患者が全員俺を迎えてくれる。だから俺はここに来ることが半ば習慣になっていた。
『悲しいのか?』
尋ねられて、俺は黙る。
『悲しい、と思います』
そう答えると、研究員は言葉もなく頷いた。
その日から多分、数日が経って。
『……処分?』
俺は、研究員の言葉をオウム返しにして尋ねた。
『故障したわけではないのだから、聞こえていただろう。零番は処分――機能を停止させる』
『何故ですか?』
すると、眉間にしわを寄せられた。
『生みの親の言うことまで素直に聞くこともできなくなったのか』
生みの親の言うことまで?
『お前の思考は発達しすぎた。不要な感情も芽生えた。その上これだ。これ以上言わせないでくれ』
俺は言葉が出なかった。そういう表現が、一番正しいと思う。
『可哀想だな』
そう言われた刹那、俺は強制的に眠らされた。
機械の体は夢を見ず、何も感じず、二千年の時を超えて千に目覚めさせられる。
「……可哀想?」
その記憶は埃を被って眠っていた。多分、二千年もの間使われもせず交換もされなかったメモリーが壊れているのだろう。思っていた以上に、自分の寿命は短かった。
「あんた何ボーッとしてるの? どっか壊れた?」
もし俺が人間だったら、ここでぎくり的な反応はしていたと思う。
「大丈夫だよ、市。大丈夫」
時間がない。それだけしかわからなかった。
「本当に? 私、あんたのこと直せないから壊れないでね」
「もちろん。俺、壊れたことないから。大丈夫」
「壊れたことないならなんで処分されてたのよ」
呆れたように言う市に何も言えず、俺はただへらへらと笑う。多分、今の感情も悲しいと言うんだろう。
市と過ごせる時間が思っていた以上に短くて、多分、傷ついたんだ。
「市、今から一緒に街に行こう」
これ以上傷つかないように、俺はそう提案する。
ロボットが傷つくなんておかしな話だが、俺は一刻も早くそうしたかった。
俺が眠って二千年経って、戦争まであったというのに街の景色はなんにも変わっていなかった。
人々は往来を繰り返し、誰もが慣れ親しんだ袴を着て四千年前から変わらない街並みを歩いている。
「この街ね、一度「Mars」の空襲で焼け野原になったんだって」
「え?」
俺の視線に気づいたらしく、市はぽつりと口に出した。
「それで、焼け野原になるずっと前の時代の景色を再現させたんだって。だから、あんたにとっては懐かしいのかもね」
ずっと見ていたいた街が、一度亡くなった。幾千もの言葉を所有しているのに、俺はその事実を前にして何も言えなくなった。
「悲しいの?」
俺を見上げた市が、不意に尋ねる。
俺が人だったら、多分どきりとさせられるような発言だった。
「あんた、ロボットのくせにさっきよりも表情筋が固いよ」
市にとってはなんでもない一言だったかもしれない。それでも、俺にとってそれは充分過ぎるほどの衝撃だった。
「俺のことよりも、市はどうなの? いい男見つかった?」
「……その言い方、ケアロボットがする言い方じゃないわよ。ていうか、無理じゃない? 私、袴着てないからすっごい浮いてる」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
当時のままの服装の俺はともかく、市の服装は研究所が用意しているワンピース――という名の洋服だ。
「それに、ちょっとキツいかも」
そう言って口元を抑えた市は、何故か具合が悪そうだった。
「市?!」
どうしたのかと彼女の容態を確認するが、極度の緊張状態にあることしかわからない。刹那、彼女の腹の音が聞こえた。――その意味を、俺は知っている。
「市っ!」
咄嗟に自らの手を噛んで、市は空腹に耐えようとしている。そのことに気づいた俺は彼女を抱き上げ、街からすばやく遠ざかった。
裏路地を走り抜け、なるべく人がいない場所を選ぶ。そうして辿り着いた場所は、まだうら若い森林地区だった。つい数年前に植えられたばかりなのか、大して背の高くない木々が目の前に広がっている。
俺は迷うことなくその中に入り、走った。
街に行ったのは失敗だった。
自らの行いを反省し、まだ空腹に苦しむ市の顔を覗き込む。
「……私」
固く目を閉ざし、彼女は身を捩って自分の身体を抱き締めた。
「私、は……」
脂汗を掻いても、自分の体に歯形をつけても、どんなに泣いても、苦しみが市を解放することはない。
「……私は、幸せには、なれない……の?」
もがき苦しみながらうっすらと目を開けた市は、やがて俺のことを捉えた。
そんなことない、そう言うべきだと判断するのに、どうしても音声にならなくて
「……もう、死に、たい、よ……」
市に、静かに涙を流させてしまった。
「…………」
俺は一体、何がしたかったのだろう。
初めて市に会った時、ケアロボットだからと言って市の心を救いたいと思った。本気でそう思っていた。でも、処分されかけて命からがら逃げ出して。研究所の外の世界には一体何があっただろう。
そんなの、残酷な現実しかない。ケアロボットの俺には、もうどうすることもできない。
その事実を認めることが、何故か難しかった。
辛い?
怖い?
……それとも、悲しい?
中途半端に人間の心を持ったせいで処分された俺は、自分自身の感情を正しく理解できなかった。
「……ごめん、市」
心なんて、もう要らない。
心を砕いて市と向き合えば、もっと市を幸せにできるはずなのに
「……生きるって、難しいな」
俺は、芽生えた心を捨て切れない。
そういう意味でも中途半端だった。
「なんで、泣いて、るの」
「……え?」
違う。泣いているのは、市の方だ。目に涙をたくさん溜めた市は、俺が泣いていると勘違いしたのだろう。
俺が泣かないのは、ロボットだから。患者を看取る時、俺が泣いていたらみんなが困るから――。
「……この世界は、私たちに優しくないね」
市は泣きながら呟いた。
そんなことを彼女が思ってしまうのは、市が市だからか。俺が俺だからか。それとも、今生きている世界が俺の知らない未来の世界だからか。……昔は誰も、そんなことを思わなかったのに。
「ね? 〝ゼロ〟」
「――ッ!」
初めて、市が俺のことを名前で呼んだような気がした。




