第二話 「人間モドキ」
『いたぞ、あそこだ!』
『あれは……まさかこの棟の一番か?!』
研究員が来た方向とは真逆の方向へと走り、数多に並ぶ市と同様の部屋の前を通り過ぎる。それは多分、市や千と同じ人工生命体の住処であり――弐番から九九九番までが収容されていると思われた。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「待たない」
暴れる市を押さえ込み、俺はただひたすらに走る。
「待ってってば! どうして私なんかを助けるの?! ねぇ、どうしてよ! 私は死んでも良かったのに!」
「しんでもよかった?」
走る足が止まりかけた。それくらい、市の言葉は衝撃的だった。
「そうよ! だって、生きる価値なんて私にはないじゃない!」
死にたくない。それが人だと思っていた。少なくとも、俺が看取り続けた人々はみんなそうだった。
「死にたい、ってどんな感情?」
俺にはよくわからない。
「はぁ?!」
市は目を見開き、やがて何を言っても無駄だと悟ったのか目を伏せた。
「もういい、もう、知らないんだからね」
ぶつぶつぶつぶつと流れる呟きは、市がようやく俺を認めてくれたようで胸の奥が熱くなる。
「市、逃げるって言って」
「……お願いだからもう好きにして」
ぐったりと、市が疲れたように俺に体重を預けた。生命反応は正常なのに、なんでそんなに疲れているんだろう。
不思議でならなかったが、今はそんなことを考えている場合じゃない。俺は足を止め、長かった廊下の行き止まりを観察した。
「下りて」
「下りてって、行き止まりじゃない。何を……」
「ロケットパンチ」
「はぁ?!」
ぎょっと目を見開く市を他所に、俺は搭載された機能を使って腕を発射させた。
耳が張り裂けるような轟音。俺の後ろにいた市を見ると、市は開いた口が塞がらないとでも言うような表情をして腰を抜かしていた。
「大丈夫?」
「それはこっちの台詞! そっちこそ大丈夫なの?! 腕が……あぁでもロボットだから平気なの……?」
「え? うん、平気」
俺は腕を回収して腕に嵌める。
「行こう市、きっとさっきの音で施設中に気づかれた」
俺は人じゃないから、常日頃から運動不足でかなり心配になる研究員を撒くことはできた。が、警備ロボットがいたら勝てる自信はない。
「わっ」
市を抱き上げて外に出る。が、何故か真下に落ちた。
「いやぁぁぁぁあぁあ?!」
どうやらここは一階じゃなかったらしい。失敗した。まったく気がつかなかった。
「市ッ!」
市をどうするか。数通りのパターンが浮かんだが、俺はただただ市を抱き寄せる。
地面だけを見て着地。そして衝撃をすべて自分に吸収させ、市のクッションとなった。
「市、平気?」
「へっ、平気じゃないわよ!」
何故か市は怒っていた。その理由はよくわからないが、市がある程度の感情を見せてくれたのは嬉しい。俺は市を抱き寄せたまま、研究所の庭を走った。
辺りを見回し、西洋風の薔薇庭園にどこか見覚えがあることに気づく。なんとなく覚えているのは、俺が昔、ここで患者と散歩を繰り返していたからだった。
もし、昔と何も変わっていないなら。
俺はようやくこの脱走劇にシナリオをつけ、患者が出入りしていたゲートを目指した。そして、新しい患者と共に――外に出られることを祈った。
「あ。目、覚めた?」
市の顔色を覗き込むと、市はぎょっと目を見開いて拳を前に突き出した。俺はそれを避け、どうしようかと眉を下げてみる。
「えー……っと、市? 俺を殴ったら痛いよ? 一応俺、ケアロボットだから。患者はあんまり傷つけたくないんだけど……」
「そういう問題じゃない! 何?!」
「え。違うの? 何って何?」
「どういう状況って聞いてるのっ!」
市はぼふんっと自分が寝ているベッドを叩き、叩き心地が気に入らなかったのかぼふぼふっと何度も叩く。
「どういう状況って言われても……。研究所から脱走して、都市外の廃屋地区に逃げてきたってことを言えば正解?」
「なんで疑問形なのよ正解よ!」
市はぶすっと頬を膨らまし、初めて今いる小屋の中を見回した。
俗に言うワンルームの小屋だ。最低限の家具があるだけで、水道もガスも止まっている。埃を被っていたから掃除はしたが、まだまだ綺麗とは言い難い随分と古ぼけた木製の小屋だ。
「あんた、廃屋地区って言った?」
「捨て去られた街、通称廃屋地区。それは間違いないよ」
「……そう。でもその呼び名、かなーり古いわよ」
「えっ?!」
古い? 確かに俺は何年も眠っていたし、古いのかもしれない。けれど、旧型と言われているみたいであまり気分は良くなかった。……というか、俺は一体何年眠っていたんだ?
「……本当に逃げられたのね」
俺が思考を始めようとした刹那、ぽつりと市が呟いた。その顔は、幸福とは言い難い難しそうな表情だった。
「あんた、これからどうやって生きていくの?」
「俺? 俺はここで市と一緒に暮らして、市の面倒を見るつもりだけど」
そうして彼女が幸福になってくれたら、俺はお役御免だ。その日が来るまで――いや、俺の寿命が来るまでは頑張らないと。
「面倒を見るってどうやって? 千から何も聞いてなかったわけじゃないでしょ?」
睨むように俺を見た市は、ベッドから出て立ち上がった。
俺よりも背の低い、小柄な少女だ。あまり食べていないのか、痩せていると表現した方がいいかもしれない。
「千から?」
「――私のご飯はね、〝人間〟なの」
思考が、一瞬にして止まった。
「別に毎日食べなくても生きていけるけど、生まれた時からずっとこう。むしろ今まで生かされていたことがすごく奇跡。今まで無理矢理食べさせられてた「Mars」ももう全滅しちゃったし、私はね、お役御免なの」
そうして言葉にする市は、俺が見た全患者の中で一番美しかった。
「失敗作なのに、『戦争に使えるかも。処分はやめよう』って。ほんと人間って馬鹿だよね。食事は「人間モドキ」ばっかだし、普通の食事は食べると吐いちゃうし」
言葉とは裏腹に、悲しそうで。
俺がいた時代には戦争なんてなかったのに、違う時代を生きていた市が哀れで。
「……で? あんたは私に、何を食べさせてくれるの? それとも飢え死にさせてくれるの?」
患者として、世界で一番可哀想だった。
「……市」
「私は一番目だから宿命なのかもしれないけれど。……あぁ、そういえばあんたは零番目なんだっけ? じゃあ、失敗もどうもないのね。ゼロを基準にイチが作られるんだから」
「市のゼロは人間だろ? なのに食べるの?」
「人間に作られたから、あんたも馬鹿なの? 不完全な人工生命体はね、人間を取り込んで〝完全〟になろうとしているの」
そうして市の心は泣いていた。
「〝完全〟に……」
その言葉に引っかかりを覚える。どうしてだろう。俺は、機械なのに。黙考し、その理由をなんとなく思い出した。
「……そっか。俺も、〝不完全〟だからか」
〝不完全〟だから、俺は機能を停止させられた。〝完全〟に負け、旧型として物置部屋に押し込められていた。
「お揃いだね、市」
そう言った俺は、何故か笑っていた。
機械だから、自分の気持ちがよくわからない。そもそも、これが〝気持ち〟なのかもよくわからない。そんな俺を見ていた市は、徐々に目を見開いた。
「市?」
「そ……」
「そ?」
「そっ、そんなお揃いいらないから!」
ぼふんっと枕を投げられる。直前に見えた市の顔は、何故か赤かった。
「……ところで、市」
「何?」
「「Mars」って何?」
「えっ? あんた、「Mars」知らないの?」
丸く目を見開いて、市は小さくため息をつく。俺は投げられた枕を抱え、手招きする市を追いかけた。
「ついて来なさい。ここがカササギ地区なら、近くにアレがあるはずだから」
市は小屋の扉を開け、きょろきょろと辺りを見回す。
「……ねぇ。ガイアの森にはどうやって行くの?」
「ガイアの森? ……その呼び名は知らないけれど、森ならあっちだよ」
ほんの少し恥ずかしそうな市を連れ、俺は市が言う森へと案内した。
廃屋地区から1kmも離れていない場所に森はあり、市は辺りを見回しながら人がかつて歩いていたと思われる獣道を歩いていく。そして、これまたまったく離れていない場所に市の目的の場所があった。
「ほら、ここよ。やっぱりあった」
目の前にある、七つの銅像。忘れ去られたのかそこら中に苔が生えており、特別な物なんてどこにもないのに立派な銅像だけが放置されている。
「彼らの名前、かなり有名だし他の国ではよく子供の名前につけられているらしいんだけど……東洋人はあんまりこういうの興味ないのよね」
「誰?」
「あんたいつの時代のケアロボットなの? ……あ、もしかして、〝ゼロ〟だから二千年前……とか?」
「二千……年?」
そんなに長い間、俺は眠っていたのか?
「聞いたのはあんたなんだから最後まで聞きなさい。「Mars」は、ある日突然「EARTH」に攻撃を仕掛けてきた悪い他星の生命体よ。その正体は遠い昔に別の惑星へと移住していった人類で、そこで長い年月をかけて進化をした彼らが故郷の資源を奪う為に襲ったとされているの。そして五十年後、この星を侵略した。人類はソラへと逃げて、五十年くらい時間をかけて奪還したんだって」
そう言って、市は銅像を指差した。
「彼らはその時代の七人の英雄なの。彼はガイア・ウルフスタン。自ら「Mars」となって「EARTH」に潜入し、内部から崩壊させた人。で、彼はロト・マスグレイヴ。「Mars」を解析して、元人間だと断言した研究者。こっちの彼はシリウス・オースティン。元祖人類最強で、重要な「奪還作戦」には老いた後も全部参加してたんだって。彼女はジラで、戦争の始まりから終わりまで戦闘用ロボットとしてソラを駆けた〝時代の象徴〟。……ちなみに、今でも生きているって噂よ。で、彼女はユニス・ド・ガール。最初に「EARTH」の領土を奪還した人。彼はパトリツィオ・フェイ。「Mars」の最高指揮官を殺して、百年にも及ぶ宇宙戦争に終止符を打った人。で、彼女がエラ・カーライル・アラバスター。王族出身の唯一のパイロットで、終戦した直後に「EARTH」の女王になって復興に尽力したんだって」
それから二千年。市はそう呟いた。
「じゃあ今は、西暦4000……」
「西暦2808年。「Mars」に侵略されてから西暦を改めたの」
じゃあ、俺は、二千年以上も眠っていたということになる。
「市、でも……「EARTH」も、この地も、何も変わってないよ」
「EARTH」のソラは、四千年以上も前からずっと青い。
俺たちの「EARTH」は、いつまで経ってもずっと青い。




