第一話 試作品ナンバー〝ゼロ〟
『ねぇ、友達になってよ』
そんな幼い声が遠くから聞こえた。
体中に電気が流れるような感覚がする。痺れるような衝撃の粒が原因で目を開けると、目の前に小さな子供が立っていた。
「あ、やっと起きた! ねぇ、友達になってよ!」
「……とも、だち?」
その言葉の意味を探し出す。そして検索にかかったその言葉を、俺は〝思い出した〟。
「……友達」
「うん! なって!」
無邪気とは程遠い、焦りを帯びたような表情だった。
「いいよ」
だから俺は、その子を安心させる為に笑うことを選択した。
「良かった! じゃあ早く来て!」
「え」
目覚めたばかりで、何がどうなっているのかわからない。なのに俺の手を引く少年は、そんなことなど気にもとめていないようだった。
「…………」
走る、のは久しぶりだった。
ただ、速さは少年に合わせているからリハビリにはちょうどいい。俺は起動するようになった頭を使い、周囲を細かく観察した。
窓も何もない、冷たく質素な白い研究所。俺がいたのは、俺を収納する保管箱が置かれた暗闇の中の物置部屋だった。
目を閉ざした日と比べてみると、あの部屋は誰も使っていなかったのかと思えるほど埃を被っていた。それは俺も例外じゃなく――この少年は、埃まみれの俺の手を引いて迷路のような研究所のどこかを目指していた。
「ついた!」
はたと気がつくと、そこは俺がいた棟とは別の棟だった。
「ここは?」
「お兄さんとことは違う物を研究してるとこ……かな? ぼくもよくわかんないや」
少年はあっけらかんと言い、近くにある重厚な扉をノックする。
痛くないのだろうか。五歳から六歳くらいの少年だったら、手の甲が赤くなっても不思議ではないのに。
「お姉さん! お姉さんの友達連れてきたよ! この人なら文句ないでしょ?!」
ガンガンガンガン叩き続け、俺の目線の位置にある鉄鋼柵に向かって少年は叫ぶ。それは人が中を覗く為に開けられたのだろうか――
『……何度も言わせないで。友達なんていらないの』
――刹那、好奇心に好奇心を塗り重ねられるようにして中から少女のか細い声が聞こえてきた。
「でも、このお兄さんは『いいよ』って言ったよ?!」
『私は良くない!』
と思ったら、元気よく叫んでいる。
理解不能だが、非常に興味深いのもまた事実だった。
「うぅ〜みゅ。……でも、一人で寂しいって言ったのはお姉さんでしょ?」
『言ってない!』
「言ったもん! だからぼく、あっちからこのお兄さん連れてきたんだから!」
『だから、私は人とは友達になれないの! 私は、貴方と違って失敗作なの!』
彼女は何を言っているんだろう。
とりあえず、会話文から推測した疑問を少年に尋ねた。
「ねぇ。俺の友達、君じゃないの?」
「うん!」
さよなら、俺の数秒間だけの友達。
「じゃあ、君は、誰?」
重厚の扉に作られた指を当てる。
同じ素材が使われているのはわかったが、昔誰かが言っていた〝熱い〟、とか、〝冷たい〟、とかはよくわからなかった。
『……一番』
「いちばん?」
『名前』
変な名前だなぁ。検索しても人名にはヒットしなかった。
「じゃあ、市って呼んでもいい?」
『いち?』
「検索して一番上に出てきた名前」
『けんさく……って、何を言ってるの?』
すす、と中で何かが動くような音がした。すると、目の前の少年がキラキラと輝いたような表情で俺を見上げる。
お兄さんすごい、お姉さんが動いた。
無言の言葉を俺は読み取り、すぐに首を傾げた。
『貴方は誰? なんの根拠があって大丈夫って言ってるの?』
「俺?」
誰って聞かれても、答え方に困る。記録の底にあるこれをそのまま言えばいいのだろうか。
「――ケアロボット、試作品ナンバー〝ゼロ〟」
遠い昔に起動停止させられた、ケアロボットのオリジナル体。だからだろうか、こうして殻の中に閉じ籠ったこの子がこんなにも気になるのは。
生まれつき備わった機能が、衰えずに反応していた。
『ろぼっ、と?』
「だから言ったじゃん! このお兄さんなら大丈夫だって!」
ほらぁ〜、と、少年が勝ち誇ったような表情で言う。彼女は黙考しているのか、何故かしばらく無言だった。
「なんで、俺じゃなきゃダメなの? 君はダメなの?」
俺は俺を抱き締める。
ロボットが友達だなんて変だなとは思ったけれど、この少年はそれを承知の上で俺を起動させたはずだから、俺は彼の願いを受け入れた。でも、この子はそれをまったく知らない。
「だってお姉さん、ぼくのことむしゃむしゃ食べちゃうんだもん」
「え?」
『ちょっ、千番!』
それがこの少年の名前なのだろうか。俺が首を傾げる動作をすると
「ぼくたちね、人工生命体なの。お姉さんは一番目だから上手くいかなくて失敗しちゃったんだって」
少年はぺらぺらと説明し始めた。
「ぼくはその千番目だよ。お姉さんに食べられても死ななかったらすぐに再生できるんだけど、お姉さんはそれが嫌なんだって。だからお兄さんを呼んだの。お兄さんなら食べる場所ないもんね」
あはははと笑って、少年は俺の体をガンガンと叩く。
痛くないのか――再びそう思ったが、再生能力が常軌を逸しているのなら平気なのだろう。多分。
『本当に……ロボットなの?』
「うん」
『お肉、ないの?』
「ない」
「証明してあげる! 聞いてて!」
少年――千は、俺の全身をくまなく叩き始める。どこも肉ではないからか、硬い音がただただ廊下に響き渡っていた。
『……本当に、友達になってくれるの?』
淡い期待を抱いたような、市の少し高めな声が聞こえる。傷つかずに、ずっと、そんな市でいればいい。ケアロボットの俺はそう思うんだ。
「なるよ。友達」
だから、笑っててほしいんだ。
「良かったね、お姉さん!」
千がにこにこと笑っている。市もそんな風に笑ってくれているのだろうか。
「これでもう思い残すことはない?」
市の笑顔を楽しみにしていると、その単語が俺の機能に引っかかった。
〝思い残すことはない〟。
それは昔、介護をしていた老女が俺に言った台詞だった。
『こんなハンサムなロボットに介護していただいて、私は幸せ者ねぇ。もう思い残すことは何もないわぁ』
にこにこと笑いながら俺にそう言った小さな老女は、その二日後に亡くなってしまった。
「市、君は……」
刹那、千の心臓が止まりかけるほど大きな音がこの研究所を支配した。
『警報……?』
「けいほう?」
その単語は俺の機能に引っかからなかったが、千と市の反応はしっかりと引っかかった。
『ちょっと、千番! 貴方また何かしたの?!』
「えぇ?! なんでいつもぼくのせいなの?!」
傍で二人が騒いでいる中、どんな小さな声でも聞き逃さないように作られた俺の耳は別の音を拾う。
「……施設、から、ケアロボット、脱走……」
単語を集めて並べ、音にする。
「……人工生物、の、一番、処分、延期……」
その単語が何を指すのか、わからないほど千も市も――そして俺も、馬鹿じゃなかった。
「それほんと?! お姉さんの処分延期するの?!」
『待って千番! 私のことより、脱走したケアロボットって……!』
「おれ?」
指を差して確認すると、千はハッと顔を強ばらせた後強く頷く。
『千番! 早く彼を元の場所に戻しなさい!』
「でっ、でも! お姉さん友達……!」
『私のことはもういいから……!』
か細い市の悲痛な叫び声が聞こえた。
俺は昔から、そんな言葉に弱かった。
持てる力すべてを使って、目の前にある重厚な扉を殴打する。あっさりと壊れた扉の先にいたのは、足を鎖で繋がれたか弱そうな少女だった。
「市?」
尋ねると、中にいた少女はこくりと頷く。
「って、待って! 貴方何やってるの?! こんなことしたら処分されるわよ?!」
「えっ? そんなのダメだよ! お兄さん早く戻んなきゃ!」
「でも、市が……」
「私のことより貴方のことでしょ! 私は処分を延期されたけど、貴方は……!」
――見つけ次第、処分せよ。そんな音が遠くから聞こえた。
「無理だよ」
「なんで!」
「だって、市を助けたいから」
俺のケアロボットとしての機能は、切実に市を癒すことを求めている。一度市を認識してしまったら、市が幸せになれるまで、俺はどこにも行けなくなる。
もう、後戻りはできないんだ。
「……え?」
呆然と俺を見上げる市の元へと駆け寄り、その鎖を無理矢理引き千切る。
「待ってお兄さん! お姉さんを離したらダメだよ!」
「なんで?」
「お姉さんが外に出たら、みんな食べられちゃう! お姉さんがどんなに嫌だって思ってても、止めることができないんだよ!」
千は必死に俺の腕を引っ張っていたが、そこは普通の子供の力で俺にはまったく効かなかった。
「そっ、そうよ! 私はそんなこと望んでなんか……」
「悪いけど、もう止まることなんてできないから」
それがケアロボットだ。
「市が幸せになるか、死ぬか。どっちかで俺はようやく止まる」
それが俺に与えられた宿命だ。
「少なくとも俺は、市を幸せにして死にたいよ」
あとどれくらい動けるだろう。一度廃棄された俺の残された寿命をすべて使って、最後の患者を救えたら――俺は、幸せだ。
市の手首を掴み、それだけじゃダメなのだと思って抱える。
「っわ!」
「待ってお兄さん、行っちゃうの……?!」
見下ろすと、不安げな表情の千が俺の腰辺りを鷲掴んでいた。
「行かなきゃ、二人とも死ぬから」
すると、大きな瞳から大粒の涙が零れていった。
「いや、やだよ! ぼく、お姉さんが死んじゃうから、最後に友達見つけてあげようって思って……! やっとお兄さんを見つけたのにぃ!」
寂しさをぶつけて、千は泣く。千はそう思っていないのかもしれないけれど、多分、俺はやっぱり千の友達で――市も千の友達だったんだ。
「君が見つけてくれたから、俺は生き返ってこの子は生き延びるんだよ」
頭を撫でる。それは誰かを癒す為の魔法の行動で、今の俺にできる最大限の愛情表現だった。
けれど、こんな結果の為に俺たちを引き合わせたわけじゃない。千はそう言いたげな表情だった。
「ぼく、お姉さんを幸せにできた?」
「今は知らない。けれど、俺がいる」
俺が俺である限り、市を絶対に不幸にはしない。そして、千もこれ以上泣かせたくない。
「お兄さんは、ぼくのこと怒ってない?」
「ない」
千は、ほっと――安心したように笑った。
子供らしい、愛らしい、護りたくなる笑顔だった。
今の市は嫌だとでも言うように暴れるが、俺は、市にもいつか笑ってほしい。
「ばいばい、お姉さん。お兄さん。ぼくね、〝千〟って名前、すっごく大好きだよ」
手を振る千を、俺も真似をする。
知識として知っていても、これから亡くなるという人間が手を振ることはないからやるのは初めてだった。
「ばいばい、千」
「……せん」
暴れることを止め、市も千を見下ろす。ただ、二人が別れを惜しむ前にタイムリミットが来てしまった。




