第四話 〝聡明玩具〟
僕は去っていく二人を見ていることしかできなかった。呆然と立ち尽くしたまま、背中を見送る。
手を伸ばしたけれど、それだけだった。
町を歩くと今になって住民は起き出し、フードを深く被る僕を不審な目で見ていた。この町から簡単に出ることはできず、もう一度何かの縁で邂逅することを願う。けれど、僕の前に現れたのは例の老人だった。
『フェデリカのおじい様ですか?』
『いきなりその質問か、現人類最強』
『……知ってるんですか』
人類最強という呼ばれ方はあまり好きではないし呼ばせていない。だが、彼がフェデリカのおじい様なら、フェデリカが僕のことを人類最強だと言った理由にはなる。
『当たり前だ。引退はしても、航空団のことは常に見ている』
『パイロットだったんですか』
『ジョセフ・サリンジャーだ。《Aries小隊》で、元祖の班員を務めていた。フェデリカは俺の孫だよ』
《Aries小隊》の、シリウス班の元班員。エース中のエースを務め上げたパイロットの孫ならば、フェデリカのあのセンスは納得できる。
苦笑する老人は、僕を家に案内すると言い出した。聞けばフェデリカもそこにいるらしい。僕は無言で頷いた。
ジョセフの言うことを鵜呑みにしたわけじゃない。ただ、手がかりが今のところ彼のみだから。
ジョセフは僕をリビングに案内して、茶を出した。
『フェデリカはどこですか』
口にせずに尋ねると、ジョセフはチラッと上を見た。
『まだ人類最強が来たことは内緒だ。だから、会わすことはできない』
『理由はなんですか』
『フェデリカは亡き娘の大事な子供だからな。せめて、最期くらい願いを聞いてあげたいんだ。……正直、お前に会わすか会わさないかは迷っている。お前はずっと、フェデリカの憧れのパイロットだったからな』
ジョセフは自分で用意した茶を飲み、再度僕に勧める。
『毒は入ってない』
僕はため息をついて、一口飲んだフリをした。
『為になるとか、ならないとか、そんなのは知りません。僕は会うべきだと思ったからここに来ました。人類最強になれなかった人間の感情に左右されたくありません』
思ったことを口に出す。ジョセフは表情を変えず、けれど明らかに不満の感情を顕にした。
『……お前を孫に会わせるのは止める』
冷たい瞳で
『孫があぁなったのは、お前のせいか?』
低い声で
『だとしたら、歴代人類最強は全員疫病神だな』
蔑むように、立ち上がって僕を見下ろした。
『僕はフェデリカの病名さえ知りません』
『俺にもわからん。医者はまだ解明されていないと言ったからな』
『なら人のせいにしないでください』
僕も立ち上がった。ジョセフを見下ろす。
フッとジョセフは笑ったが、僕は無視を決め込んだ。
『帰ります』
『もう二度と来るな』
取っ手を引いて、振り返りもせずに扉を閉めた。
外では人工の風が吹いている。顔を上げると、なんの偶然か白い布が顔にかかった。
ガタッと上から音がして、布を退ける。そこには二階から僕を見下ろすフェデリカがいた。
馬鹿丸出しの呆け顔で僕を見下ろすフェデリカは、その細い両腕で窓枠にしがみついていた。身体は震え、余程辛いことがわかる。
『無理しちゃだめだよ、フェデリカ』
『ッ、パトリツィオさん……!』
こんなにも声が出せるのに、病人だとは思えない。信じられない。
『これは?』
白い布を見せびらかす。
フェデリカは我に返ったように手を伸ばし、バランスを崩した。
『フェデリカ!』
限界まで手を伸ばす。落ちてくるフェデリカは、以前よりも手足が細く見えた。そうやって腕の中に落ちてきて、閉じていた目を開けたフェデリカはぶわっと一気に涙を流す。
怖かったのだろうけれど、元パイロットがこの程度で怖がるのもどうかと思う。
呆れはやがて愛しさに、愛しさはやがて庇護欲に。
気づけば抱き締めていて、その元パイロットとは思えない体の細さに恐怖さえ感じた。けれど、すぐに荒々しい足音がそれを掻き消す。
『なんだ今の音は!』
扉が開いて、ジョセフが肩を震わせる。
『どういうことだ!』
今にも飛びかかろうとする元エースパイロットの気配に、僕の現パイロットとしての感が働く。フェデリカを抱き抱えたまま全力で走り、行き先もなく船内を駆け回った。
突然のことに僕自身も迷う。迷っている暇はないのに、選ぶ選択肢がなさすぎる。
とりあえず、なるべく人のいない場所を選んで駆けた。
『……パトリツィオさん』
瞬間、フェデリカの力が抜けた。
『フェデリカ!』
どんな病気かもわからないのに、こんなところで……。必死になって木陰を探す。
『しっかりして、フェデリカ!』
『……パトリ、ツィオさん……』
いつも以上に青白い、その顔色を見つめて。目を閉じていくフェデリカの名を呼ぶことしかできない自分に腹が立って。
泣いても喚いても、どうにもならないことがあると知った。
……何が人類最強だ。僕は、好きな人をこんな目に合わせたくはなかった。
自分の弱さを、いつまでもいつまでも呪い続けた。
*
どくんどくんと、体中が呼応する。
時間をかけて閉じられたレーニャの口を見て、僕はすべてを思い出していた。あぁ、そうだ。そうだったのだ。
フェデリカはあの時、死んでしまったのだ。
死因はわからず、ジョセフには何も告げずにフェデリカを持ち帰って。そして、僕はやけになって――。
駆け出しかけた僕の腕を、レーニャは掴んだ。
「離してくれレーニャ!」
「まだ待てよ! 思い出したなら尚更だ!」
唇を噛んだ。
氷づけにしてまで、また会いたい。
僕の我儘で、多くの人を巻き込んでこんな所まで来てしまった。
「……ごめん」
「『ごめん』で済んだら軍人はいらん」
項垂れた。今はそうすることしかできなかった。
中にいるジラとクラウディアを思う。知っていた二人は、あの時も今も何を思っているのだろう。肩に力が加えられ、重くなった。レーニャの手が僕の肩にあった。
長い時間をここで過ごしたと思う。一分一秒が長い。それでも僕は待ち続けることしかできなかった。
待って、待って、待って、ついに。
例の扉がパンドラの箱のように開いた。
出てきたのはジラとクラウディアで、フェデリカの姿はどこにもない。
「まさか……」
「大丈夫さ。成功だよ」
ジラはニッと笑って、奥の部屋に横たわるそれに視線を移した。
「その表情、思い出したって顔だね」
ジラが安心したように笑った。クラウディアは「良かった」と静かに涙を流す。
「こんなことにつき合わせて、ごめん」
覚えている。否、思い出した。
奥の部屋まで歩を進めて、フェデリカに再会する。そっと白い肌に触れたが、ぬくもりはやはり感じなかった。
「パトリツィオ」
レーニャが僕に声をかける。遺体を氷づけにして、遠い未来で解凍すれば生き返るとでも思っていたのだろうか。
「これでいいんだ。そもそも、僕はこれ以上を望まない」
望めない、の方が正しいのかもしれない。
僕は〝聡明玩具〟の美しい桃花色の髪を撫でた。
「高望みしてもいいんじゃない?」
僕はジラを睨みつける。何をどうしたら高望みができるのだろう。
「まぁまぁ私に任せてよ。もう遅いから、今日は近くの宿に泊まろう」
「じゃあ私、探してきます」
僕の記憶には一切出て来なかったが、クラウディアがそう言って部屋を出ていった。
レーニャは警官の偉い人間になっているらしく、この「地下街」の存在が公になった今暇な時間は一切ないと言って部屋から出ていった。僕と話す時間は、暇な時間じゃない。そう言ってくれたようで嬉しくて、部屋の中には僕とジラと〝聡明玩具〟が残された。
「ねぇパトリツィオ。フェデリカを私に預けてくれない?」
僕は手離すのを渋ったけれど、世話になりっぱなしのジラにすべてを任せる。
やがてクラウディアが用意した宿で身を休め、サーカス団に連絡を入れて無理矢理長期休暇を取った。ジラはその長期休暇で何かをするらしい。それに僕を同行させるのだとか。
「さっきフェデリカの死因をクラウディアに診てもらったんだけどさ、やっぱ詳しいことはわからないんだって」
「ならなんでそれを話題にするの?」
少しでも期待した自分が情けない。ジラは「ごめん。でもさ」と続けた。
「脳辺りだってことは間違いないらしいよ」
「脳死?」
「恐らく、大まかな部類はそれじゃないかな」
俺はため息をついた。そして、〝聡明玩具〟を見つめる。〝聡明玩具〟は再び冷凍されていた。
「明日、か」
「明日だよ。おやすみ、パトリツィオ」
「おやすみ、ジラ」
暗闇の中、僕はジラに見守られながら目を閉じた。
朝からジラに叩き起こされて着いたのは、かなり大きな総合病院だった。当然、見えないように〝聡明玩具〟は隠している。
ジラは迷うことなく廊下を突き進んだ。僕は何も言わず、ここがクラウディアが勤める病院なのだろうかと思いながらついていく。
立ち止まったのは病室と思われる扉の前だった。ジラは躊躇うことなくノックして、返事を聞かずに入っていく。
「ジラ…………ッ!」
そこで、信じられないものを目にした。
「あ、ジラさん」
無邪気に笑う僕と同い年ぐらいの女性は、見覚えのある桃花色の髪と顔をしていて。〝フェデリカ〟は、僕を見てこてんと首を傾げた。
「久しぶり。調子はどう?」
「まぁまぁですよ。早く相手が見つかればいいんですけど……。それで、あの、そちらの方は?」
フェデリカは再び僕を見て、ジラに尋ねる。
「パトリツィオだよ」
僕が頭を下げるのと同時に、「わぁ」とフェデリカが感嘆の声を漏らした。なんなんだろう、顔を上げるとフェデリカの瞳が輝いていた。
「お話はジラさんからよく聞いていました。まさかお会いできるなんて」
ジラを睨むと、逸らされた。ジラはフェデリカに僕のことをなんと話したんだろう。
「そんなことよりもさ、朗報だよ!」
「朗報?」
ジラはニコッと笑って、僕が持ってきた〝聡明玩具〟が入ったケースに目を向ける。
「〝ドナー〟が見つかったんだ!」
フェデリカの瞳が見開かれて、瞬間、大粒の涙を零した。
二千年前。病院。フェデリカ。ドナー。〝聡明玩具〟――それらのピースを繋ぎ合わせて、僕は一つの仮定を推測する。
「……まさか、ジラ」
「さすがパトリツィオは頭がいいね」
「なら」
「いいでしょ? 〝聡明玩具〟には肉体はあるが魂がない。一方、フェデリカには魂はあるが肉体が限界なんだ。この二人を救えるのは、移植しかないんだよ」
僕は一瞬押し黙った。
「成功率は?」
「元は同じ人間のようなものなんでしょ? だったら成功率は高いですね」
それは、聞いたことのない声だった。振り返ると、見知らぬ男性と東洋人のような女性が立っている。
「君は……」
「ガイア・ウルフスタンです。フェデリカさんの主治医で、こっちはケアロボットのゼノヴィアです」
「本当に、成功するんですか?」
「ドナーというのは、本来血縁者が望ましい。でも、フェデリカには血縁者がもういない」
本当にケアロボットかと疑うような言葉選びだったが、よく見るとゼノヴィアは二千年前ほど前に作られた旧型のケアロボットだった。
「ですが、パトリツィオさんが持ってきたそれなら話は別ですよ」
「あ、あの……」
「ッ!」
すっかり忘れていた。
振り向くと、涙を拭うフェデリカがいる。
「……ウルフスタン先生、私、そのドナーの方にお礼を」
「いいんだよ礼なんて!」
「でも」
「では、手紙を書いてみましょう」
ガイア・ウルフスタン――太古の英雄と同じ名を持つ先生が提案すると、フェデリカは渋々だったけれど納得した。
「手術の日は明日でよろしいですか?」
「明日っ? そんなに早くやってもらえるんですか?」
「はい。むしろ早すぎかとも思ったのですが、杞憂でしたね」
先生は、フェデリカと一言二言会話をしてゼノヴィアと一緒に出ていった。僕は早速ジラに便箋を買ってくるように言い、ジラは文句も言わず出ていく。
部屋には僕とフェデリカ――もっと言えば〝聡明玩具〟も残された。フェデリカは、微笑みを浮かべていた。
「不安かい?」
尋ねると、「えっ?」と驚かれた。その表情には「なんで」も含まれてそうだ。
「前にも同じようなことがあったからね」
そっと、〝聡明玩具〟が入ったケースを撫でる。〝聡明玩具〟は解明されていない病気を、平気そうな顔で不安がっていた。
「前にも?」
「僕のことはどうでもいいでしょ? 君は、ジラとどうやって知り合ったの?」
むっとした表情をされるけれど、不安なそれよりはマシで。
「ジラさんは数年前に突然現れたんです。最初は自分の身元も明かさない失礼な人だとは思いましたけど……」
「何それ」
フェデリカはフフッと笑った。「ですよね」、とも。
「でも、だから……こうしてパトリツィオさんとも会えたんですね」
どくん。心臓が跳ねた。
そうか。そうだったのか。
考えたらとても滑稽だった。
二千年前に味わったあの別れは、二千年後に生まれたこの女性の為にあったのか。
二千年後に彼女が生まれるから、二千年前にあんな別れ方をしなければならなかったのか。
――酷い因果関係だ。
僕は立ったまま項垂れた。視界が滲んでしまっている。
「パトリツィオさん? 泣いているんですか?」
「泣いてないよ」
鼻声で言っても説得力がなかった。
フェデリカは。〝聡明玩具〟と同じ顔をした、フェデリカは。
「泣かないで」
何も知らないで言った。
「泣かないって」
僕は多分、強がってそう答えた。
翌日、〝聡明玩具〟を昨日のうちに先生に預けておいた僕は病院に行った。先に来ていたジラは、僕に数枚にも上る便箋を手渡す。
「これはパトリツィオが持っててよ」
「いつ終わるの?」
「もう終わったよ」
「案外早いんだね」
「パトリツィオが遅いんだって」
ロビーの長椅子に座っていた僕は、無意識に俯いた。
隣に座っているジラは、フェデリカの話を聞く限り僕の知らない間にフェデリカを探して彼女に接触していたらしい。
「ジラ」
「何?」
「……ありがとう」
「いいんだよ。百年にも及ぶ戦争を終わらせた一番の英雄の頼みなんだから」
プッと吹き出したジラは、強く僕の背中を叩くように押した。
病室の扉をノックもせずに開ける。そして僕は、ベッドに横たわるフェデリカを視界に入れた。
変わらない桃花色の髪が風に靡く。フェデリカは突然訪問した僕に驚き、そして――むすっと頬を膨らませた。
「ノックくらいしてください! っていうか、遅いですよパトリツィオさん! 大遅刻です!」
病人とは思えないマシンガントークに、僕だって驚く。フェデリカにそれを言われる筋合いはない。あるとすれば――そこまで思考を巡らせて、僕は一つの結論に辿り着いた。
「まさか……」
フェデリカは、「はい」と返事をして笑い泣く。
「〝お久しぶり〟です、パトリツィオさん」
「……記憶が、戻ったの?」
いや、戻ったという言い方は変だ。
その記憶は今ではなく前世のものだから。
「はい。移植、したからでしょうね」
フェデリカはそっと自分の身体を抱き締めた。
移植をしたから、その理由は二千年前の別れの意味を僕に突きつけてくる。
――酷く理不尽で残酷な世界だった。
僕はそっとフェデリカを抱き締める。変わらない香りに目を細め、今を喜んだ。
「パトリツィオさん」
「何?」
息が耳に触れて擽ったい。
「……好きって、言ってください」
「えぇー、どうしよっかなぁ」
顔は見えなかったけれど、フェデリカが残念がっているように感じた。僕は謝ることはせず、ずっと言いたかった台詞を囁く。
「愛してるよ」
もう一度言おう。何度だって言おう。僕は、たった一人を愛してる。




