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宇宙の片隅で君と死にたい  作者: 朝日菜
第六章 聡明玩具
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第三話 悲しさに満ちた瞳で笑った

 少しは心のどこかで期待していたのかもしれない。少なくとも、フェデリカから受け取る好意は嫌ではなかった。


 だけど、本格的に宣言をされてから約一週間。

 医務室で偶然会って以来、一度も顔を合わせていない。


 同じ班である前に、そういう関係としてそこにいて当たり前だと思うのに。来るのを待っていたけれど、僕はついに痺れを切らして会いに行くことにした。

 自分の班員だという立派な理由を持って、フェデリカの私室の前に立つ。人がいる気配がしないけれど、出かけているのだろうか。


 僕はダメ元で扉を開けた。そして見てしまった。もぬけの殻と化した私室を。


『……は』


 それは、疑問だったか。苛立ちだったか。ただ単に咄嗟に出てきてしまっただけなのか。


 信じられないほど強く、心臓を掴まれたようだった。


 痛くて痛くて、壊れそうで。実際は既に壊れていたのかもしれない。だとしても、この痛みはなんだろう。


『ッ!』


 踵を返す。僕は今からどこに行けばいい。そう思って、そう遠くない団長室に今だけ感謝した。


 ノックもせずに扉を開けると、案の定団長がそこにいた。僕の表情を見て、何をしに来たのか悟ったらしい。

 嬉しくないはずなのに、微笑みながら団長は座るように促した。当然僕は座らず、立ったまま団長を睨みつける。


『説明してください』


 その一言ですべては充分だった。


『あんたの探し人のこと?』


 わかっているはずなのに、確認をして。そして。


『辞職したよ』


 言葉だけで僕を抉った。


『辞職、ですか?』


 団長に詰め寄ると、彼女は困ったように手で制す。


『落ち着いて』


『団長が僕の立場だったら落ち着けるんですか』


『絶対に落ち着けないと思うけど、落ち着いて』


『僕に説明することはそれだけですか?』


 今度は質問を変えてみる。団長は首を横に振り、伝言があると言った。


『パトリツィオが、自分がいなくなったことに気づいた時に言ってくれって。私の予想以上にその日は早く訪れたけどね』


『前置きはいいです』


『〝私は貴方に釣り合わない。もっと素敵な女性とお幸せに〟、だって』


 その伝言は、不可解な言葉の羅列だった。

 どういう意味。その言葉の真意が知りたい。


『それだけですか?』


『残念だけど』


『辞職の理由は』


『口止めされてるし、立場上私からは言えない。だから、他を当たって』


 それは、これ以上言うことはないと言外に込められていた。そして、僅かな希望を僕の胸に灯した。


 他と言われて真っ先に思い浮かんだのは、レーニャだった。ただ、背に腹は変えられぬ思いで惨めでも縋りつくように彼の元を訪ねる。

 部屋から顔を出したレーニャは、事態をすぐに把握したらしい。『来ると思ってた』、そう言って僕を招いた。


 つくづく思う。全員知っていたのだ。

 知った上で僕に何も教えなかったのだ。


『フェデリカの辞職理由を聞きに来ました』


 レーニャは迷うことなく


『本当は俺も、ナースチカと同じく口止めされている』


『本当は?』


『ただ、俺とナースチカは二十年前にお前らと似たような目に遭ったんだ。残された俺は死に物狂いでナースチカを探したし、ナースチカは結局二年も見つからなかった。だから、会えるならお前らはすぐに会った方がいい。ナースチカは無事だったが、フェデリカは二年後も無事とは限らねぇ』


『どういう意味ですか』


 そう言って喋っていたのに、急に一度口を閉じた。


『病気だそうだ』


『病気……?』


 声を上ずらせずに言えただけでも上出来だった。レーニャは頷いて、僕の手をしっかりと握る。


『病名は不明だが、結構深刻なものらしい』


 その目、そしてその声が言う。

 絶対に後悔するなと。必ず会いに行けと。


『フェデリカはどこにいる』


『そこまでは俺もわからねぇし、多分ナースチカも知らねぇと思う。力になれなくて悪ぃな』


『……いえ。ありがとうございました』


 今時解明されていない病気が存在することに驚いて、だからこそ余計に思う。


 少しでも早く、フェデリカに会いたいと。


 どこにいるかわからないと言われたが、ある程度想像はついていた。隊員の個人情報を調べると、すぐにフェデリカの名前が見つかる。


 フェデリカ・ボーヴァ。十七歳。「ガブリエル」第二地区出身。西暦51年に第八航空団《Scorpioスコーピオ小隊》の訓練生に志願、55年に《Scorpio》に入隊。レム班、後にパトリツィオ班に所属後同年に辞職――。


『団長』


『何?』


 団長ということでわざわざ僕につき添った彼女の方を向く。彼女は変わらない、何もかもを悟ったような表情をしていた。


『いいですよね?』


 それだけで伝わる僕の想いを、団長は目を閉じて聞いていた。


『当然よ。フェデリカは絶対にあんたのことを待ってる。早く行ってあげなさい』


 刹那、僕は荷造りの為に足早に資料室を後にした。


 普段着ている兵服ではなく、黒いマントを着込む。その下も当然兵服ではなく、「奪還作戦」とは違う今の状況に自分で自分に失笑した。


 《Scorpio》に入隊した時、僕はこんな未来を想像しただろうか。


 振り返ると、本部の正面口が見える。フェデリカは、どんな思いでこの本部を後にしたのだろう。治らないそれを体に秘めて、今、何を思っているのだろう。

 振り返りはしなかった。歩き、「ガブリエル」内にあるフェデリカの出身地を目指す。その場所についた頃、船内は朝を告げていた。


 僕が来ることは誰も知らない。フェデリカは驚くだろうか。


 そもそも僕は、出身地というだけでこの町に来た。だからフェデリカがいるという確証はどこにもない。さらに歩くが、当然どの家もまだカーテンを閉めていた。住民が起きるまでまだ時間はあるらしい。

 一つ一つの家屋を目に焼きつける。どれがフェデリカの家とかは関係なく、ただ単に景色として僕は見ていた。


 次第に建物がなくなって、人工の川が見えた。数歩歩けば向こう岸に行ける浅い川だ。近くにはちゃんとした橋がかかっていて、渡れるようになっている。

 再び向こう岸に顔を向けると、一人の女性が木の陰から現れた。美しい桃花色の髪が、人工の風に靡いている。


『ッ!』


 息を飲んだ。見間違えるはずがない。あれは――。

 女性がバランスを崩した。危ない。叫ぶ前に木の陰から腕が飛び出す。目を凝らすとその腕は女性のものではなく、姿を現したのは僕が知らない老人だった。


『おい、大丈夫か?』


『……ごめん。平気』


『まったく。お前はいつも危なっかしくて見てられないよ』


 するとフェデリカは、むすっとした表情で老人を睨んだ。老人はフェデリカの視線から逃れようとして、僕を見つけてしまう。


『誰だ?』


『え?』


 フェデリカも僕を見た。

 僕は被っていたフードを取る。明るい視界の中、フェデリカの固まった表情が見えた。


『久しぶり、フェデリカ』


 すると、フェデリカは何が理由なのかその場で泣き崩れてしまった。老人はフェデリカを支え、訝しげに僕を見つめる。僕はその場から去ることも、フェデリカの元に駆け寄ることもできなかった。


『……どうして』


 掠れた声が風に乗った。


『…………どうしてここに来たんですか』


『それは自分の胸に聞いてくれる?』


 僕がそう言い放つと、フェデリカは肩を震わせた。そのまま必死になって老人の肩に腕を回し、震える足で立つ。


『ごめんなさい、パトリツィオさん。私はもう、一人では歩けないんです』


 重いとは聞いていたが、まさかこんなことになっているとは思いもしなった。


『パトリツィオさん、どうか私を見ないでください。パトリツィオさんには、一番綺麗だった私だけを知っていて欲しい。こんな私を見て欲しくない。だから、帰っ……』


『そんな言葉で、僕が大人しく帰ると思う?』


 フェデリカが恐る恐るといったように顔を上げる。その顔に怯えがないのが幸いだろうか。


『……お、思いません、かもです』


『ねぇ。なんで僕がこの場所に来たか、わかる?』


 フェデリカはしばらく考え込むように視線を逸らすが、結局首を横に振った。



『僕も君が好きになったからだよ』



 ここまで来て気づかないフェデリカの鈍感さが愛おしい。この想いは、僕が気づかなかっただけで最初からここにあったんだ。

 今だからわかる。フェデリカに告白された日には既に、僕もフェデリカのことが好きだったと。


 フェデリカは無言で号泣して、老人を困らせていた。


『だから、こっちに来て』


 二人がいる場所に家屋はなく、ただただ自然が広がっている。二人が家に帰る為には、僕の側の橋を渡るしかないのだ。


『……嬉しいです』


 声が震えていた。

 老人がフェデリカを連れて橋を渡り、ようやく間近でフェデリカを見ることができる。フェデリカは僕を見て


『今までありがとうございました。さようなら』


 悲しさに満ちた瞳で笑った。

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