第一話 ソラを越えると見える世界
希望もなければ未来もない。荒んだ世界だと思う。生きていたい、生き延びたい、そんな感情が一切芽生えない私は最早人形のようだった。
「EARTH」の地下に位置するここは、「地下街」。
地上は「Mars」で溢れ返っている。
寒い。もうこんな季節かと人形のような私は思って、わざわざ暖を取ろうとはせずに瞳を閉じた。刹那、小さな衝撃が立ったまま眠っていた私に走った。
「お前、何突っ立ってるんだ?」
幼さを含ませた青年の声。振り返る気もない私は無視して、再び立ったまま眠ろうと――
「邪魔だ」
――すると肩を押された。
迫る地面に顔をぶつけて、立ち上がる意味さえ見出だせなかった私は眠ろうと――
「うわっ、死んだのか?!」
――すると頬を抓られた。
痛い。自分でも驚くほどに痛い。
「……生きてふ」
目を開けてその人を視認すると、菖蒲色の髪が目を引く優男風な青年だった。
返事をした私は今度こそ本当に眠ろうと――
「待てよ。今この状況で寝る奴がどこにいるんだ」
――すると叩き起こされた。
ここにいます、なんて言う気力はなかった。無視を決め込むと年齢不詳の青年は私の頬を抓る。
「おい。今ここでお前に死なれたら目覚めが悪くなる。おーきーろー」
なんとも自分勝手な理由で私を叩き起こそうとして。ついには無視し続けた方が面倒くさいと判断させる。
「何」
目を開けると
「なんだ、生きてたのか」
青年はそう言って立ち上がった。そしてそのままどこかへ行きそうで、私は残った体力を振り絞って青年を後ろから殴ろうと――
「なんの真似だよ」
――すると私の手首を握り締めて静かに尋ねた。
「それは、こっちの台詞。起こしといて立ち去るなん、て……」
声が、宙に消えた。
空腹を刺激されていることに驚き、目を覚ます。空間に充満するいい匂いが原因だろうと思って、刹那に見知らぬ場所だと気づいた。
「ッ!」
人攫いに連れていかれたのだろうか。それにしては待遇がいいような。さらに観察してみると、自由に動けることにも気づく。
「目ぇ覚ましたか」
振り向くと、いい匂い――と言っても表面にカビが生えているパンを持ったさっきの失礼な青年がいた。
「あんた」
「お前、ぶっ倒れた割りには元気そうだな」
「ぶっ倒れた……?」
そう言えばそうだったような。よく覚えてないけど。
首を捻っていると、青年はパンを半分千切って私にくれた。生きようとは思わなかったのに、空腹に耐えられずにかぶりつく。
生きる意味なんてなかったのに、私は死ぬ勇気もなかった。それを知って少し失望して。見た目以上のパンの美味しさに涙を流した。
「美味いか?」
こくこくと頷く。青年はそんな私に飲み物も出してくれた。
「茶だ」
水とは少し違うみたいで、私は恐る恐るそれを飲み込んだ。中途半端に口内に残っていたパンと絡み合って、その味に感激さえする。
「……美味しい」
どうしてこんなに親切にしてくれるのだろう。失礼なのか親切なのか、どちらかにしてほしい。瞬間、手後れだが毒が入っているのではと疑った。
けれど、次の瞬間にはそれでもいいと思った。だからあえて何も言わずに、黙々とパンを食べ続ける。青年は少し意外そうに私の食べっぷりを眺めていた。
食べ終わった私は、どうだ、とでも言うように青年を見上げる。青年は静かに息を吐いて私を見下ろしている。
「バカかお前。毒が入ってるとか思わなかったのかよ」
「思ったけれど、それでも構わなかったから」
食べたおかげか少しは喋れるようになった。なんて別のことを考えて立ち上がる。家の中っぽいこの場所に、これ以上いる意味はないと思ったのだ。
青年が止めるならいるつもりでもあった。私の命は、半ば青年の手に委ねられているからだ。
「とんだ死に急ぎ女だな」
青年はため息をついて、私が飲んだ茶のカップを回収する。
「毒なんて入ってねぇよ」
「証明できないじゃない」
即答した私に、青年は「正論だな」と返した。私はその返答に驚き、青年をよく知る為に家を観察した。
家と言っても地上にあるような立派なものではなく、木と石でできた素人に毛が生えた程度の家だ。
「何故、私をここに連れてきたの?」
青年は私を無言で眺める。そして、「さぁ」と呟いた。
「……一応、礼を言う。じゃ」
帰ろう。どこにも行く場所はないけれど、ここは私の帰る場所じゃない。
「はいよ」
止めないんだ。まぁ、普通は止めないか。いつか読んだ本ではこういう時止めたりしたんだけれど。
「さよなら」
地下街は案外広い。だからもう二度と会わないだろう。
外に出ると吐息が白い。多分、今夜は雪だ。
予想通りに雪が降った。凍えるほどに寒く長時間降った雪だったが、「地下街」に影響が出たのは極一部だった。
「はぁー……」
わざと吐息を出してその白さを見る。白い吐息はすぐに儚く消えてしまった。
ぼうっとしていると、最近はあの青年を思い浮かべる。あの青年のせいで私は〝死ぬ勇気〟がないのだと思い知らされた。
だから、無一文だったけれどそれなりに稼いで。それに相応しい食べ物を買って生きている。こうしていると、今まで生きて来れたのが奇跡のようだった。
「はぁー……」
本日二回目の吐息。これで寒さを凌いでいると、目の前に誰かが立った。あの日と違い座っていた私は、さらに顔を上げて顔を見る。
「よお。食ってるみたいだな」
そう言ったのは、あの時の青年だった。
「……あんた」
「また会ったな」
視線を落とし、この偶然の再会が現実だと理解する為に頬を抓る。
「……また、会いまひたね」
「こら。頬を抓ったまま喋んな」
私はそっと手を離す。そして立ち上がって青年を見据えた。
「私はあんたのせいで、生きる意味はなくても生きようと思いました。再会してしまったのなら、聞かせてください。あんたは一体なんの為に生きてますか?」
「なんの為なんて別にねぇよ。ただ死ぬ気がねぇだけだ」
即答した青年の台詞は、そこに〝勇〟を入れたら私と同じになる台詞だった。〝気〟と〝勇気〟じゃ、全然違うかもしれないけれど。
「そうなんですか」
期待外れだった。さっきよりもさらにこれからどうすればいいのかわからなくなって、私は意を決して相談してみる。
「なら、軍人にでもなればいいだろ」
青年は再び即答した。
「……軍人?」
「上にいる……《Leo小隊》だったか? そこに行けば少しは楽になるはずだ」
確かにその通りかもしれない。軍人になって「Mars」と戦うことに死ぬ勇気もどうもないような気がした。
「……考えてみます」
青年は軽く頷いて、ふと、「寒くねぇの」と尋ねる。
「寒いですよ。家なんてないんですから」
「なら来いよ」
自嘲気味に笑った私に、青年は笑って顎をしゃくった。
「一応責任はとってやる」
青年はそう言って、私を家の中に入れた。その家は前に来た家ではなくて、ちゃんとしっかりした造りの家だ。
「責任?」
「お前を助けちまったからな。死なれたら目覚めが悪い」
前もそんな理由で助けていたな。そんなことを思い出した。なんだかんだこの人はお人好しなのかもしれない。
「ここに住んでもいいんですか?」
「あぁ」
「好きな時に出て行ってもいいんですか?」
「冬以外ならな」
「わかりました。……ありがとうございます」
唐突に家を提供されて、その恩恵を受けることになった。けれど、これは自分の為じゃない。青年の良心の為だった。
「そういえば、名前……」
「俺はレム・アレクサンドロヴィチ・ヴァロフ。お前は?」
「……アナスタシア・ヴコーロヴナ・ボーリナ」
「じゃあナースチカだな」
なんだそれ。馴れ馴れしい。私は無言で寝床のベッドに潜る。ベッドは寝るのは、初めてだった。
今から三十五年前、一部の人類は宇宙船に乗って「EARTH」を捨てた。身近に宇宙船がなかった人類は、「Mars」に隠れて地下で鼠のように暮らす生活を余儀なくされた。
生まれた時から生活は地下で、地上で《Leo小隊》がこの地区の領土をどんどん奪還しているのは知っている。でも、「Mars」に見つかって殺された両親は――もう二度と、帰ってくることはない。
「寝たのか?」
「起きてます」
「その敬語止めろ。苛々する」
私はヴァロフに背を向けたままの体勢で、「わかった」と呟いた。
温かい。少なくとも、今までの路上生活と比べたら格段にぬくもりを感じる。毛布を首筋まで上げて瞳を閉じ、ヴァロフの元で世話になるのは冬までだと誓った。
白い吐息で暖をとりながら、窓の外を見る。相変わらず見えない太陽だが、今日は何故か温かく感じた。
「おい」
振り向くと、ヴァロフが一人で茶を飲んでいた。
「食え」
差し出されたのはパンで、今回はカビが生えていない。冷えていたがちゃんとしたパンだった。
「……ありがとう」
一口齧る。初めてカビが生えていないパンを食べた気がした。
「お前、今日は何か予定でもあんの?」
「ない」
「ふぅん。なら来いよ」
ヴァロフはマントを羽織って、さらには私の分のマントを差し出す。片手で受け取ると、それは意外と重く感じる。
「ぁ」
つい漏らしてしまった口を閉ざす。ヴァロフを見ると、口角を上げて私を見ていた。
「な、わ、笑った?!」
「さぁ?」
ヴァロフはさっさと外に出ていく。私は残りのパンを口に詰め、慣れないマントを慌てて羽織った。
「待って!」
何故笑ったんだろう。私を馬鹿にしたのだろうか。それとも何か面白かったのだろうか。
冷えた空気が身体を刺す。ヴァロフを探すと、ヴァロフは家と家の隙間に入っていくところだった。
「だから待って!」
ヴァロフの後を追って路地裏に入る。すぐに追いついて、だけどヴァロフは足を止めなかった。
「ねぇ、どこ行くの?」
「上だ」
「上……? って、まさか!」
見上げて私はすぐに悟った。変わらない黒いソラがそこにはあって、そのソラを越えると見える世界。
「まだ「Mars」がいるのに!」
ヴァロフは振り向いて、フードの下の緑青色の瞳を私に見せる。
「昨日、《Leo小隊》が奪還した」
菖蒲色の髪がヴァロフの目を隠した。私は何を聞いても無駄だと悟り、押し黙る。初めての地上に少し――いや、かなり胸が弾んでいた。
降り注ぐ太陽はとても熱く、そして強く輝いていた。冬のこの季節にはありがたい恵みだと本気で思う。
「はぐれるなよ」
「わかってる」
二人で地上の世界を歩いた。どれもが新鮮に見えて仕方がない。ソラは、青く高く広がっていた。
「ヴァロフ、水が凍ってる!」
「そうだな」
「この木、葉っぱが一枚もついてない!」
「そうだな」
この返答の仕方は、明らかに話を聞いていないそれではないだろうか。
「私たち、デートしてるみたいね」
「そうだな」
「あ、れ? ヴァロフ、私の話聞いてた?!」
ヴァロフの背中に声を投げると、ヴァロフは振り向きもせずに「デートしてるみたいだろー?」と答えた。
「そうそれ! それで……」
「それで『そうだな』と答えたはずだけど?」
特に変わった感情を込めずに言葉を繋げる。
「えぇっ?!」
「うーるーさーい」
「……ごめんなさい」
嘘。信じられない。今までの会話、聞き流してたんじゃなくてちゃんと答えてたんだ……。驚きと喜びを綯い交ぜにさせて、私はそれ以降口を閉ざした。
そうしてヴァロフに連れて来られた場所は、原っぱだった。何もない草の上に腰かけ、「ナースチカも座れよ」とソラを見上げる。隣にゆっくりと腰をかけると、凍てつく風が吹いた。
「さみぃなー、ナースチカ」
「わかってるならなんで」
ヴァロフの方を向いて尋ねると、ヴァロフは目を閉じて睫毛を見せた。
「地上は初めてか?」
「そうだけど……もしかして、これを私に見せに?」
「ついでだついで」
「ついで? じゃあ別に目的地があるの?」
「あぁ」
「どこ?」
「それはナースチカでも教えられねぇ」
「何それ」
出逢ってからこの日まで、私たちは二日程度しか時間を共有していない。それでも素の自分を曝け出せている事実に驚いて、私もソラを見た。
「さみぃな、ナースチカ」
「それさっきも聞いた」
太陽のおかげか少し心が温かくなる。しばらくして立ち上がったヴァロフに、私は再びついていった。




