【第六話】 終戦
ハロルドの葬儀は二日後ひっそりととり行われた。
太陽はやはり顔を出すことは無かった。
切れ間なく雲の敷き詰められた空に見下ろされながら、遺体の収められた黒い棺は深い溝の中にゆっくりと沈んでいった。
葬儀は流れるように滞りなく進んだ。ハロルドの母親と姉のすすり泣く声以外、誰も涙に咽んだり取り乱したりする者はなかった。誰もが超然と、土に埋もれていく棺を見下ろしていた。その眼差しには悲しみより、幾分かの憐れみの方が濃く表れているようだった。
――ハロルドは五番街の路地裏の一つで倒れているところを発見された。
発見された時はもうすでに、息はなかったという。
体中内出血の後がおびただしく、顔は判別が出来ないくらいに殴り潰され血まみれだったそうだ。辺りには割れたブランデーの瓶が転がり、手には煙草を握りしめていたらしい。
やるせない気持ちで、クリフは墓穴を見つめていた。
あの時、引き止めておけば――そう後悔する気持ちは否めない。
墓穴を挟んで向かいに立っているベイカーにクリフは視線を送った。それに気付いてベイカーは顔を上げたが、クリフと目が合うとすぐにまた下を向いてしまった。
犯行に及んだのは、アヴァロンの組織員だった。ハロルドと同じように暴行を受け、だが命からがら逃げ帰ったジャスティンの証言で5人の男が検挙された。そのうちの一人は、あの時「脱兎」にいたハンチング帽の男だったと人づてに聞いた。
いつかこんな日が来るのでは、と予想はしていた。破天荒なハロルドは臆することを知らない。いつかそれが命取りになると――。だが現実に起こってしまうと、信じられない気持ちでいっぱいになるのだった。
「――ひどいわね」
黒いベールを被ったエレインが小さく呟いた。手に持っていたハンカチを口元に当てる。その頼りなげな肩を抱いてやりたい衝動にクリフは駆られた。だが迷っているうちに埋葬も神父の祈りも済み、葬儀は終わってしまった。皆ばらばらと、迎えの車や自家用車に乗り込んでいく。あっという間に墓の前の人垣は幻のように消えた。ベイカーの姿も、いつの間にかなかった。
「行きましょう、クリフ」
エレインの呼びかけで、クリフはまだその手に白百合を持っていることに気付いた。棺に土をかける前に一同に墓の中に入れるのが慣わしであるのに、忘れてしまっていたのだ。
「ちょっと待って」
エレインに告げ、まだ土の盛られた跡も新しい白い十字架の前で、クリフは膝を折った。小さな丘のてっぺんにそっと、大きな白い百合を横たえる。
さよなら、ハロルド。
もう二度と動かぬ、かつての友の顔を思い浮かべながら――
終戦の報せがラジオから流れたのは、それから三日後のことだった。
街に再び活気が戻った。
どこまでも澄んだ冬の青い空に歓喜の声が響く。毎日毎日帰還した兵士達の凱旋パレードが続き、昼夜問わず歓声や音楽はやむことはなかった。
和議をもって戦争は終結した。長引く戦争で両国は兵力も物資も困窮の途にあった。これ以上続けても無益な争いになると悟ったのか、きっかけを待っていたかのように同時降伏に至った。タリランドとの和平条約が締結されて、兵士達は故郷への帰還を許されたのであった。
「お帰りなさい」
「無事で本当によかった」
惜しみなく降り注ぐ色とりどりの紙吹雪の中、戦車から揚々と戦士たちが降りてくる。そして迎えた人々と固く抱擁を交わす。
無事に帰還した友人たちを、エレインと一緒にクリフは迎えた。だが心からの笑顔を向けることは出来なかった。凛として誇らしげな彼らの姿は、今のクリフには眩しすぎた。
エレインはなんだかそわそわしているようだった。おろしたての白いドレスや花飾りのついた白い帽子の具合をしきりに気にしている。
このところエレインはすこぶる顔色がよくなった。外にもよく出るようになった。郵便を待ったり、庭の花の水遣りをしている姿をよく見かける。近頃毎日のように一緒にお茶を飲む習慣がついていたのだが、おかしければ声をたてて笑うようになった。このパレードに誘ったのもエレインの方からだ。それは以前に比べたら一目瞭然な変化であった。
紅茶のリーフはもうない。でもそれを飲んでいる間にエレインは徐々に元気になったように思えた。その効果だと、思う気持ちはクリフの中で一層強くなっていた。
やがて首をめぐらしていたエレインが、何かを見つけてふと動きを止めた。宝石のような緑の瞳は、少し離れたところに群がる兵士達のほうへ向けられている。やがて表情が和らぎ、その顔に満面の笑みがこぼれた。
「ジェレミー!!」
エレインが走り出す。
日よけの帽子が髪からふわりと浮き上がった。
思わずあ、とクリフは口を開きかけた。帽子は彼女の頭から離れ、後ろへ飛んだ。
咄嗟にクリフの手が伸びる。だが掴めず、帽子は宙で回転をつけながら石畳の上に舞い落ちた。
「エレイン……」
拾い上げ、クリフはエレインを呼び戻そうとした。だが彼女はわき目も振らず兵士達の方へ走っていく。
まるで婚礼衣装のような、純白の白いドレスが軽やかに翻る。
陽射しに反射してその白さは一層際立って見えた。
兵士達の中に紺色の軍服を着た若い青年がいた。エレインに気付き、歩み出てくると大きく腕を広げる。その中に、彼女は人目も気にせず飛び込んだ。
すぐ横をパレードが通り過ぎる。太鼓やラッパの音が耳元で鳴り響く。
それはまるで、映画のワンシーンを見ているようにスローモーションで流れた。
クリフの手の中から、拾い上げた帽子が零れ落ちた。