九話
「は?......キス!?」
「う、うん...えっとね、き、き、キスすることで霊的なパスが繋がって、それで人外化が始まるの」
驚いた俺が反射的に聞き返すと、氷桜は顔を真っ赤にしたまま説明してくれる。
「ふむ...つまり、今の状況だと氷桜の血を飲むか、氷桜とその...キスをすることで人外化できるのか」
平静を装ってこともなげに言おうとしたが、やはりキスと口にするのは気恥ずかしく、顔がにわかに熱を帯びてくるのを感じた。
「うん、でも緋桜くんはいきなりその、き、キスするとか嫌...だよね?やっぱり血の方が...」
氷桜はそう言って、再びカバンに手を伸ばす。
「だから、氷桜が傷つく方法は却下だっての」
俺はそう言って氷桜の手を掴んで止め、空いた方の手で鞄を氷桜から遠ざけた。
「それにな、俺も氷桜のことが嫌いじゃないから告白を受けたんたんだし、まあ恥ずかしさがないとは言わないが、嫌だとかそういうのはないぞ?」
「わ、私も...嫌とかそういうのは全くないし、むしろ...ごにょごにょ...」
今ひとつ最後の方が聞き取れなかったが、氷桜の方も嫌とかそういうのはないようだ。
「まあ付き合ったばっかだし、抵抗感とか心の準備とかあるのも分かるけど、少なくとも氷桜に傷をつける血の利用は却下だ」
しかし、とはいっても現状今人外化をするのなら血かキスかの二択しかないわけである。
どうしたもんかと悩んでいると、氷桜がおずおずと口を開いた。
「あ、あの、緋桜くんは、き、き、キスするのは嫌じゃないんだよ...ね?」
「ん?ああ、嫌とかそういうのは全くないぞ、氷桜だしな」
氷桜の問いに正直に答えると、氷桜は照れたように顔をうつむかせる。
「わ、私も!緋桜くんとき、キスするのい、嫌とか全くないし、ひ、緋桜くんさえよければその、キス、したいなぁって」
氷桜は躊躇いがちにそういうと、期待するような、お願いするような、そんな瞳で上目遣いに見上げてきた。
そんな氷桜に、顔に帯びた熱が上がり、鼓動が強く、早くなるのを感じながら、氷桜に言葉を返す。
「お、おう、構わないというか、むしろ喜んでとか思うくらいだ」
俺の言葉に、氷桜の表情に喜びの色が混ざる。
そして、
「じゃ、じゃあ、厚かましいお願いなんだけど、ひ、緋桜くんの方から、その、キス...して欲しいんだけど、ダメ...かな?」
そんなことを聞いてきた。
人外化するためとはいえキスはキスだし、やはり男の方からしてほしいとかそういうのがあるのだろうか。
だがまあ断る理由はどこにもない。
だから、
「いや、全然ダメとかそういうのはないぞ」
俺は肯定の言葉を返した。
氷桜はその言葉に瞳を輝かせると、
「じゃ、じゃあ...よろしくお願いします...」
そう言って目を閉じると、顔を上げて唇をこちらに向けてくる。
「お、おう、任せろ」
俺は、そんな氷桜に緊張感が一気に高まってきた。
ほとんど迷いなく氷桜のお願いを了承した俺だったが、氷桜の方はわからないが、俺はキスなど初めての経験で、否応なしに緊張が高まっていく。
だが、既に氷桜は期待して待っており、あまり長々と迷ったり躊躇っているわけにもいかない。
男は度胸!と覚悟を決め、俺は出来るだけ優しく氷桜と唇を重ねる。
「っ!?」
氷桜と唇を重ねた直後、氷桜が言っていたパスが繋がるというやつだろう、口を通じて体の中、心臓へとなんらかの力が氷桜から流れ込んでくるのを感じた。
それに合わせて、心臓のあたりが強く熱を帯びたような感覚が生じ、脳内にいくつかの情報が浮かび上がってくる。
そして、どれだけキスをしていたのだろうか、まあ実際には数秒程度のことなのだろうが、感覚的には永遠とも思えるような時間が過ぎ、氷桜から流れてくる力が止まったことでキスを終えた。
「なるほど...俺は紅狐だから紅で、氷桜は白狐で白なのか」
脳内に浮かんできた情報を頭の中で整理しつつそう呟くと、氷桜は驚いた顔をした。
「記憶が...戻ったの?」
「んー...これは多少記憶が戻ったって言っていいのか?知識として分かるけど、記憶ってほどは実感がわかない感じだ」
「なるほどね」
記憶が戻ったわけではないということで多少はガッカリするかとも思ったのだが、そんなことは無いようだ。
既に氷桜の中では前世までの紅と今の紅、俺とでは別として割り切っているのかもしれない。
「あとは...こんな感じか?」
人外化の影響だろう、体の中に流れる力を感じることができるようになった。
その力を、頭にあつめて球体状に圧縮する。
そして、球体にした力を頭の中で弾けさせて頭全体に張り巡らせた。
すると、多分成功したのだろう。
頭に何かが生える感覚がして、周りの音が先程までよりよく聞こえるようになった。
「うっそ...変化!?」
氷桜は、俺の頭の上──恐らく生えているであろう狐耳──を見ながら驚いたようにそう言う。
「ああ、人外化の影響?で得た?戻った?知識で変化のやり方が分かったから試してみたんだけど...っと」
氷桜に説明している途中で、体に違和感が生じ、変化が解ける感覚がした。
「ん?あれ?なんか今度はうまくいかないな」
再度変化しようとするのだが、今度は力がどこかおぼろげで、さっきみたいにうまく力を捉えることが出来ない。
理由が分からず首をひねっていると、理由が分かっているのだろう、氷桜が説明をしてくれた。
「えっとね、人外化ってすぐに完了するようなものじゃなくて、人外の力が安定するまでにはちょっと時間がかかるの」
「なるほど、さっき上手くいったのはたまたまで、今は人外の力が不安定で人外化が完了してないから力が使えないって感じか」
「うん、だいたい一ヶ月もすれば安定して人外化が完了すると思うよ」
つまり、一ヶ月は人間と人外の狭間のどっちつかずな状態なようだ。
ただまあ人外の力が使えるかどうかは置いておいて、それよりもまだ人外化が完了していないというのは不安だ。
「それって、人外化が完了するまでは呪いは続くってことか?」
なぜなら、人外になった一番の理由は氷桜の呪いの解消のためなのだから。
だが、そんな心配はいらなかったようだ。
「ううん、人外化が始まった時点で呪いは止まるはずだよ。始まった時点で安定してないだけで人外の力はあるからだと思うけど」
「それなら安心だ。一番の心配ごとがこれで消えたことになる」
「うん、本当にありがとね」
「気にすることはないぞ、氷桜のためではあるが、俺のためでもあるしな」
そう、氷桜が呪いで死ぬというのは俺自身とてもではないが許容できることではなかった。
その点では、氷桜の呪いを解消するのは自分のためだったと言える。
そう考えながら、そういえばまだここは学校の保健室であることを思い出した。
時計を確認すると、既にHRが終わってから一時間は経過している。
「そういえば、既に放課後になってから一時間くらい経ってるが、時間の方は大丈夫なのか?」
「んー、特に遅くなって困ることはないけど、もう体調も治ってるし、このまはま保健室にいる必要は無いかもね」
「そうか、なら今日はもう帰るか?」
「うん、そうしよっか」
互いに一緒に帰る約束などはしてなかったのだが、当然のように一緒に帰る流れになった。
氷桜はベットから降りると、上履きを履き始める。
俺はその間に、氷桜の鞄と自分の鞄を手に持ち、上履きを履き終えた氷桜に鞄を渡す。
それから、俺と氷桜は保健室を、そして学校も出て帰路へとついた。
「わざわざ送ってもらっちゃってごめんね?」
「気にすんな、治ったとはいっても心配ではあっただけだからな」
帰路についた俺と氷桜は、氷桜の家の前まで来ていた。
やはり、呪いの影響は消えたと言っても倒れるほどの苦しみがあった後だし、一人で返すのは心配だった。
まあその心配は杞憂だったようで、何事もなく氷桜の家までついている。
「それじゃ、また明日な」
「あ!ちょっと待って!」
無事に氷桜を送ったことだし、そのまま帰ろうとすると、氷桜に呼び止められた。
「ん?どうかしたのか?」
「ちょっと...ね!」
氷桜はそう言うと、俺の腕をぐいっと引っ張ってきた。
「うおっ」
唐突に腕を引かれたことで、俺の体は氷桜の方へと傾くこととなる。
そこへ、
「今日は本当にありがとね」
氷桜はそう言って、俺の頬にキスをしてきた。
突然のことでびっくりしている俺に、氷桜は少し赤くなった顔で恥ずかしそうに笑顔を浮かべている。
「じゃあ緋桜くん、また明日ね!」
氷桜はそう言って手を振ると、恥ずかしさからか、逃げ出すように家の中へと入っていった。