二話
さて、とりあえず一度状況を整理してみよう。
俺は今日の入学式とその後のHRが全部終了したから帰ろうとしていた。
その途中、隣のクラスから女子が出てくるが、知り合いでもなんでもないので普通にその横を通り抜けようとする。
だけど、その途中でその女子と目が合い、その女子は俺のことを「紅」と呼んで嬉しそうに駆け寄ってきた。
うん、まっっったく意味が分からん。
俺の名前は緋桜 刀夜であって紅ではない。
名字に『緋』と入っており、紅の要素がないとはいえないが、少なくとも今までそんなあだ名をつけられたことは一度としてない。
そもそも、俺はこの女子のことをどこの誰かも知らないのだ。
状況を再確認したところで結局何もわからない、わかるわけがない。
「えーっと、その『紅』ってのはなんだ?俺は『紅』なんて呼び名に心当たりはないし、あんたとも初対面だと思うんだが」
とりあえず、俺は目の前のその女子に気になったことを聞いてみることにした。
多分他人の空似とか人違いだろう、この女子はきっと人間違いだった的なことを言って立ち去るだろう。
俺はそんなふうに考えていた。
だけど、目の前の女子の反応は、そんな俺の予想とはかけ離れたものだった。
目の前の女子は、何かを思い出したかのようにハッとした表情をすると、わずかに瞳をうるませて顔をうつむかせる。
直後、不意に周りから得体の知れないプレッシャーを感じた。
何事かと思いこっそりと周りを見ると、帰る途中だったのだろう、廊下には何人もの生徒がいる。
その中でこのやりとりを見ていたものがいたのだろう。
まあ廊下で普通に話してる?んだから人目を引く。
そして今のやりとりで俺が冷たいやつか何かに思えたのだろう。
男子は殺気の、女子は冷気の籠った視線を俺に向けてきている。
いや、お前ら待て、ちょっと待ってくれ。
これで俺が本当は知り合いなのに忘れてるとか、知らないフリをしているならそんな目をされても文句は言えない。
だが、この女子とは今日が初対面なのだ、多分、きっと。
しかしそんなことを周りに弁明して回るわけにも行かず、俺はそのプレッシャーに耐えるしかなかった。
「そっか、そうだよね。今の紅は紅だけど紅じゃなくなっちゃってるんだもんね」
不意に、顔をうつむかせていた目の前の女子がそんなことを呟くのが耳に入る。
紅だけど紅じゃないとはどういうことなのだろうか。
また意味の分からないことが増えたが、その女子はそう呟いたあとにがばっと顔をあげた。
顔をあげたその女子は、今にも泣き出しそうなのを堪えているかのような歪な笑顔で俺を見る。
そして、今さらながら自分たちが注目を浴びていること、それと俺が周りから殺気や冷気の籠った目線を向けられていることに気づいたようだ。
慌てたように周りを見ると、勢いよく俺に向かって頭を下げる。
「あ、ご、ごめんね、会えたのが嬉しくて、それで他のこと全部頭から飛んじゃって、とにかくごめんね」
そして、その女子はそれだけ言うと逃げるようにその場から走り去ってしまう。
後には、変わらず...いや、先ほどよりも数とプレッシャーを増した視線を向けられる俺が一人残される。
「泣いてた、よな...はぁ...今日は厄日か?」
誰にも聞こえないような小さな声で呟き、俺は周りの視線を全て無視して下駄箱へと向かう。
去り際に一瞬見えたあの女子の涙が、やけに心に引っかかるのを感じながら。