蝉の生涯
あの夏、不思議な出来事を経験した僕は
今も、自分自身に問いかける
「悔いはないか、と」
29歳の夏、会社の社畜と化して働いていた僕は、社会の歯車一部となって6年間の月日が流れていた。思いだそうにも、仕事以外の記憶がなく、思い出と呼べるような事は何も無かった
自暴自棄
気が付くと会社を辞めて、生まれ故郷に足が向いていた。
母「帰ってらっしゃい」
母からはそう言われたが、父に会うのは怖かった。
と言うのは、両親の反対を押しきって、半ば飛び出すように都会に出て、就職した。父は町役場で働いており、絵に描いた様な真面目男だ。そんな風になりたくない、と考えていたあの頃は、とにかく都会に出たくて仕方なくて
生まれ故郷が嫌いで
父が大嫌いだった。
いまの僕を見たら『ほらみろ』の一言で一蹴だろうな…はぁ
バスを待っている間そんなことを考えていた。
二時間に一本しかこないバスは都会にカブれた僕の体内時計からすると異次元の乗り物だ。
思えばあの頃は、時間は常に分単位で動いていた。朝は通勤ラッシュを避けるために始発に乗り、大半を会社という檻の中で生活をしていた。
「あの頃にこのバスを使う事があったらキレてたろーなぁ、ハハハ…」
独り言に笑いが入るほど静かなところが、妙な安心感を与えてくれた 。
笑った拍子に目を落とすと、一匹の蝉の幼虫を見つけた。
「もう出てきたんですか?、ずいぶん早い出社ですね」
なぜか会社時代の言葉使いで話しかけていた。5月の中旬、確かに暖かいがまだ蝉の声は全く聞こえない。
「この付近にいては車に轢かれるぞぉ」
何を蝉の幼虫を脅しているのかと可笑しな気分になり、時間もまだあるので木まで運んでやることにした。
「いいか、俺の名前は松木大助だ。大いなる助けと書いてダイスケだ、恩返し期待しているぞ」
下らないやりとりを蝉の幼虫にしていると、向こうの道路から排ガスの漏れる音が聴こえてきた。
バスにのり小一時間、町役場の前で降り、少し小さくなりながらコソコソと門を通りすぎ、家路を急ぐ
「あーら大ちゃん!ひっさしぶりやねー、仕事休みで戻ってきたんね?」
家の隣のオバサンは相変わらず五月蝿いが、そんな煩わしさも懐かしく
「えぇ、まぁ」
と軽く会釈をした。
その声に気が付き母が出てきた。
「あ、っと…その…母さん、ただいま、、、」
何となく気まずく、声が震えるが、母さんの顔は優しい笑顔だった、その顔をみて泣きそうになったけど、我慢した。
「麦茶あるから、まぁ上がって飲みんね、あんたの部屋、そのままにしてあるから」
我慢する筈だったが言葉と涙がこぼれ落ちた。
「母さん、ごめん…」
母の顔はやさしい笑顔のままだった。
夕方になり父が帰ると、予測通りの説教が始まったがあの頃と違って何だか素直に聞くことができた。
「解ればいい、まだ若いしやり直せばいいだけだ」
最後に父は肩を叩いてそう言った。
次の日
朝の5時20分、いつもなら始発に乗るために目覚ましが鳴る、、、いや鳴く!?
「ミーーンミンミンミン!!!」
「…蝉?部屋に?」
寝ぼけ眼で周りを見るとそこに一人の青年がいた。年の頃は同じくらいの少し色黒な男はスーツ姿の良く似合う凛々しい顔つきだ
??「お早うございます大助様、朝5時半、定刻にございます。」
大「…え?誰?」
??「お忘れですか?昨日助けて頂きました蝉にございます。」
大「はぁ、そうですか…って、えぇ!?」
思わず声が裏返る。そりゃそーだ今の話からすると
こいつは蝉だということになる
大「恩返し期待してるぞ」
とは言ったものの、まさかホントにこんなことが起きるなんて…
蝉「さて、自己紹介も終わりましたことですし、まずは朝ごはんですね!」
いやいやいや、、こっちはそんな簡単には切り替えできないぞ。なんたってセミが?人型で?恩返し?
鶴もびっくりだ。
大「あの、朝ごはんは…なに?」
全力で振り絞った言葉がこれとは…頭のなかをミキサーでかき回されたような気分だ
蝉「朝はフレンチトーストとミルクでございます。」
笑顔で答える蝉。
樹液じゃなくてよかったと真面目に考える自分が少し恥ずかしくなる。
よくみるとスーツではなく黒の燕尾服の蝉は羽をばたつかせるように颯爽と台所へと向かう。それにつられて僕も台所へと向かう。
母「あら、早いのね」
大「あぁ、おはよう。あれ?燕尾服のセ…男は?」
母「まだ夢の中?こんな田舎の平屋に燕尾服の男なんかいやしないよ」
大「えっ?あれ??」
確かに何処を見ても燕尾服の蝉は居なかった。ただ机の上にはフレンチトーストとミルクが用意されていた。おもむろに席につき食べようとすると母が少し不思議そうな顔でこっちを見ていた。
大「なに?なんかついてる?」
母「いんや、都会の子はなんや朝から洒落たもん食べるんやぁね、と思って」
どうやら母が用意したものではないらしい。
やはりあの蝉が…?
母が見てない以上これ以上追及すると頭がおかしくなって帰ってきたと思われるかもしれない。
大「あぁ!卵とじパンだよ!はははっ朝早く起きて作っただけはある!うんうん!」
どことなく話口調がぎこちない。寝ぼけ眼で台所に来たのに苦しいでっち上げだったと今にして思う。
ちなみにこのフレンチトースト、マジでうまい。
早々に食べ終わると出勤するわけでもないので、実家で飼っている犬を連れて散歩にでた。
正直戻ったばかりとはいえ、家に居づらいのは仕事を辞めた後ろめたさか、いつ起きてくるであろう父に会いたくないからか、どちらにしても少し外の空気を吸いたい気分だった。
大「んー…。空気がうまいなぁ…」
月並みのセリフだが、排気ガスが混じった都会の空気に比べると心底うまいと思う程に澄んだ空気だった。
蝉「お味は如何でしたでしょうか?」
大「うわっ!!ど、どこにいるんだよ!」
突如木の上から話しかける蝉、なんとなく人型なことに安心した。
大「なんで外に?」
蝉「お母様にお会いしないようにと思いまして」
大「まぁ、確かにびっくりするだろうな…話しにくいし降りてこないか?いろいろ聞きたい事があるんだ」
蝉「かしこまりました。」
そう言うと高さ4mはあろう所からジャンプした。
大「あ、あぶなっ…」
つぎの瞬間、音もなく降り立つ蝉、そうだ蝉は空を飛ぶんだった
都会じゃ蝉を見ることも無かったな…と、ふと考えてまだ数日前の事がひどく懐かしく思えた。
蝉「では、どういったご質問でしょうか?」
大「あ、え?あぁ、、その君って、そのぉ…せ、蝉なんだよな?」
蝉「はい、いかにも蝉にございます」
大「その、恩返しってどんな恩返しを考えてるのかなっと」
蝉「はい、生涯を賭けてお仕えしたいと思っております」
なんとこの蝉、自分の生涯を俺の為に使うと言っている。見たところ20代そこそこ、俺に使えても何の見返りも、それこそ金だって…
そこまで考えて、はっ、とする。
大「蝉の一生…」
蝉「はい、一生です」
大「いや、だって!蝉の一生って、たったの一週間しか無いんだぞ!!」
蝉「左様でございますね」
大「そんな大事な期間を俺の為にって、、そんな大それたことは俺はやってないよ!」
蝉はその生涯のおよそ98%を土の中で生活する。そして残されたわずか2%を子孫を残すために、飲まず食わずで全力で鳴き続けるのだ。
云わば究極のロマンチスト。
その姿形から女性や数多くの人は苦手だろうが、男の子には人気の昆虫で、夏になると蝉とりに出かける親子も少なくないだろう。
蝉「命を…救って頂きました。」
その、眼差しは真剣そのものだった。
蝉「私どもは羽化の際にある程度の高さが無くては羽化することができません。また羽が硬貨するまでは体が脆く、地面では到底生きていられません。」
どこか儚い笑顔を浮かべてそう言うと蝉はペコリとお辞儀をした。
大「…ありがた迷惑だよ、恩返しならさっきのフレンチトーストでもう十分だから、帰ってくれ」
冷たいようだが、これでいい。先の表情から、おそらく彼の決心は本気だろう。残り2%の生涯すべてを僕の為に費やす決断は簡単な気持ちではないはず。
僕には、誰かの一生を受け止めるだけの覚悟がない。たとえそれが蝉の一生であったとしてもだ。
蝉「、、ご迷惑だったでしょうか、非常に困惑されたお顔をされております。」
蝉の顔は泣きそうな(鳴きそうな?)顔だった。
大「まぁ、その、迷惑っていうか、、その、俺は仕事が嫌で、逃げ帰ってきて、、ダメダメだし、今だって家から逃げてきてて、だから!!その…」
言葉が上手くまとまらない。
これ程の覚悟を決めた生き物に返す言葉がなかった。
自分と比較してしまうからか、自分がひどく粗悪品に見えてきて悲しくなり、恥ずかしくなった。
彼は人生をかけて今を生きている。
僕には出来なかったことだ。
それを考えると言葉がつまって出てこない。
蝉「私におまかせください。逃げたと仰る大助様の人生を、取り戻しに参りましょう。」
大「はっ?ヘぁ?」
突然だった後ろから抱きつかれ、気がつくと景色が一瞬で変わっていく
それは形容し難い光景
言うなれば、すべての景色が光の筋となり、光の森を駆け抜けている。
そんな感じだ
気がつくと僕の目の前に見慣れた光景が広がる
それは、まだ未確認の書類の山に、飲みかけの缶コーヒー
そして1通の封筒
大「っ、、、これ…は」
蝉「御主人様の『あの日』でございます。」
信じられない事が起きてるという事は理解できた
『あの日』の意味も。
大「…蝉が人になって喋ってんだ、驚いてないとは言わないけど冷静だ、だから聞くけど、なんで『ここ』に連れてきた?」
少しの間をおいて、蝉は真剣な顔で語った。
蝉「ここが区切りだからです。そして全てが変わる日だからです。」
そこは3/16の16:34分だった、俺はこの日16:45分に課長のいる会議に殴り込み、辞表の入った封筒を叩きつけ
「俺はこの会社で人生を無駄にしました。させられた、のほーが正しいかな」
と、告げて大笑いして出ていったのだった。
大「何だってここなんだ!俺が戻りたいと思ってるってか?
バカにするなよ!こんなとこ、死んでも戻らないからな!!
お前なんかに解るわけないだろーけどな!」
蝉「…私がここに、この瞬間に大助様をお連れしたのは
会社に戻って頂く為ではございません。」
大「はぁっ!?じゃあ何だってここなんだよ!」
蝉「私は、大助様に『逃げた過去』を変えて頂く為に
ここに連れて来たのです。」
蝉の言葉が重くのし掛かってきた
何を言わんとしているか、頭では理解しつつも
感情が上手くコントロール出来なくなっており
この言葉の後も何度も暴言を吐いていた。
蝉は何も言わず、何も答えず、ただそこになんの曇りも無い
眼差しをこちらに向けて立っていた。
大「はぁ、はぁ…悪かった、つい感情的になってしまった。
お前の言ってる事は、解ってる。解ってはいるけど…」
蝉「…参りましょう」
大「いや、1人でいくよ 1人で行かせてくれ」
総務部を経由して会社に正式な退職願を提出した。
課長はなにやら小言を言っていたが、気にならなかった。
同期たちは冷たい視線を送ってきたが
それも気にならなかった。
心は驚くほどスッキリしていた。
大「今日はこんなに晴れていたのか、、」
太陽を見上げた瞬間
眩い光で視界がホワイトアウトした。
次の瞬間
僕の目の前には田舎の風景が広がっていた
大「帰って、、きたのか。」
辺りを見渡す
燕尾服を着た男の姿がない
必死に叫んだ 蝉を探していた。
大「蝉!どこだ!? 蝉!」
何度呼んでも蝉は姿を現すことはなかった
ふと視線を落とすと、そこにら一匹の蝉が地面に落ちていた
蝉は力無く手足を少しだけ震わしている
大「そんな、、ダメだ、俺はまだ、、」
その蝉を手に僕は走った
どこに?
解らなかった、どうすればいいのか
とにかく走った、気付けば自室に戻ってたいた。
蝉をティッシュでつくったベッドに寝かせ
台所に走る
大「かーさん!!蜂蜜!いや砂糖は!?」
母「へ?そこの台の下にあるけど、どーしたの?」
母の言葉を背に受けながら部屋に駆け込む
どーしていいか解らず、とにかく何か食べさせないと
そう思った。
部屋に入るとそこには燕尾服の男がいた。
大「蝉!?大丈夫なのか!?」
蝉「…大助様、本当にありがとうございます。こんなに親切にして頂いて、、ですが、私にはもう時間が無いようです。今から一つだけ約束してほしいことがあります。」
大「時間が無い!?なんでだ?まだ2日しか、、ほら蜂蜜と砂糖もあるし…」
蝉「大助様!!!」
急に大きな声を出した蝉
瞬間部屋に風が吹き荒れた
蝉の燕尾服が物凄いスピードで震えている。
蝉「大助様、約束を…目の前の事実をしっかりと見つめてください。
誰の言葉も、気持ちも、すべてしっかりと見つめてください。
そして、逃げないでください。逃げた先には悔いが残ります。
行動をしないと悔いが残ります。何もしないと悔いが残るんです。だから、しっかりと見つめて決めてください。あなたの未来
を決めることが出来るのは、あなただけなのですから」
蝉の言葉を聞いていた。
目には涙が溢れ、鼻水が止まらなかった
それでも蝉の話を聞いていた
最後の言葉を放つと
部屋の風は更に勢いを増し
突如窓が開くと同時に風が窓から出ていった。
もう部屋には僕しか居なかった
まだ涙は止まらなかった。
4年後
今僕は田舎で小さな喫茶店を経営している
店の名前は田舎に似合わず横文字で「Cicada」
英語で蝉という意味だ
こんな田舎で「ハイカラだ」と言われるが
農家の皆様のお陰で何とか経営していけるといったところだ
今の自分を僕はとても気に入っている。
自慢の珈琲も旨いと評判だ
1年前に出会った女性と結婚を前提にお付き合いもしている
毎日考える
大「ふぅ、今日も悔いは無いな…」
看板を見上げる
もう涙は流さない
彼の一生に、涙を流したことを悔いてしまいそうだから
毎日思い返す
「悔いは無いか、と」