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東方旧暦短編集

東方旧死神

作者: 真暇 日間

 

 こちらに投稿するのは久し振りです。真暇です。

 この作品は東方projectの二次創作です。読者さん方の好きなキャラが出てくるかどうかも保証できませんし、キャラがおかしくなっている可能性もあります。

 それが嫌な方はブラウザバック、あるいはホームに戻るなりタブを消すなりウィンドウを消すなりしてください。

 この作品は全ての方に受けると言うものではありません。

 それでも良いと言う方は、本文へどうぞ。


あ、ちょっと開けときますね。





 






 






 

 青い空。白い雲。夏の代名詞とも言えるこの二つだが、今現在にそれは当てはまらない。暖かい春風が咲き始めたばかりの桜の花弁を揺らし、芽から若葉へとあっという間に育っていった若草が擦れる音が静かな周囲に広がった。

 春一番が過ぎてから数日。今日も賽の河原から少し離れた木陰で、一人の死神がごろりと横になって居眠りをしていた。

 人の血を比較対照として引っ張り出すには黒の弱い鮮やかな赤い髪。魂を運ぶ死神達の中でも豊かだと言われることの多い体型。女性としてはそれなりの高身長を、フリルのついた着物で隠しているその死神は、格好をつけるためだけとはいえ仕事道具として持つことになっている大鎌の柄を枕にしていた。

 場所だけ見れば近いとはいえ、この場所ならば賽の河原で石を積む子供達の悲鳴も、石を積んで作ろうとされた塔を蹴り壊す鬼の罵声も聞こえない。彼女の能力を使えば、そういった音と自分の距離を引き離せば済むだけの話。文字通りに『眠っていてもできる』事だ。


 すやすやと眠り続ける死神だったが、不意にその顔に影が差す。それに気付くことなく眠り続ける彼女の耳には音はけして届かない。

 現れた小さな影は数度声をかけるが、それを察して小さくため息をつく。そして手に持つ『悔悟棒』に筆で『サボり』と一言だけ書き込むと、問答無用で死神の額をひっぱたいた。


「きゃん!」

「……目は覚めましたか、小町?」

「あいたたた……あれ、四季様? あたいは今日は非番のはず……」

「昨日です」

「……はい?」

「貴方が非番だったのは、昨日です」

「…………ぅぇ?」


『小町』と呼ばれた赤い髪の死神は、自分が休んでいる間に仕事場を任されている筈の同僚の姿を探すが、彼岸にも此岸にも川の上にも見当たらないことを確認して肩を落とした。


「あ~……すみません四季様。寝過ごしたようで……」

「でしょうね。朝から新しく来る魂が少ないと思っていたのです。小町。貴方はもう少し真面目に仕事に取り組みなさい」

「へいへーい、努力しますよ」

「……」


 四季、と呼ばれた少女は再び悔梧棒を振りかぶるが、それを察した小町はまるで前方の空間を縮めているかのような速度で走り抜けていった。


「待ちなさい!ええい貴方と言う人はいつもいつも!」

「あたい人じゃないっすもーん死神っすもーん!それじゃあ四季様また後でー!」

「小町ぃぃいいいっ!」


 追い掛けて叩こうとする四季と言う少女との距離をみるみる引き離し、小町は魂を渡す舟に乗る。少し寝坊をしただけでも渡れない魂は溜まってしまうが、そこは『やる気さえ出せば地獄一の渡し守』と名高い小町。暫く仕事を続けていれば少しずつ渡し待ちの魂は減っていく。

 そして、その状態を見てしまえば四季と呼ばれた少女も溜め息をつく以上の事はできずに仕事場へと戻らざるを得なかった。


 ……小町の趣味は、昼寝とお喋りだ。仕事の最中に昼寝は流石にできないので、暇があれば小町は適当に話をすることにしている。

 その相手が運んでいる魂で、魂となった人間は意識はあれど声を出すこともできないと言うこともあって小町が一方的に話しているようにしか見えないが……死神である小町には魂の声とでも言うべき波長がなんとなくわかるので会話自体は成立している。今日も魂を運びながら小町はお喋りを続けていた。


「───それであたいは言ってやったんだよ。『そいつはダメだ。煮るより焼くより刺身が美味い』ってね」

「───」

「お? あんたはノリがいいねぇ。最近の魂は生き急いでる若いのが多くてさ……あたいの話なんかちぃとも聞いちゃくれなくて寂しかったんだよ」

「───」

「そうかい? それじゃあ短い間になるだろうけど、仲良くやっていこうじゃないか」


 ふるりと震える魂と、快活に笑う船頭。これはこの近辺の三途の川では昔から見られていた光景だった。


「───」


 ふと、その魂は気になったことを聞いてみた。自分の生前の生活について話し、娘や息子、そして孫達の将来を想い、自分にできる最後の仕事を終わらせてきたその魂は、何でもないことだとそれを聞いた。きっと今までの話と同じように、からっとした笑いと共に返答が来ると思っていた。


「……あー、うん、まあ、色々あるんだよ。色々ね……」


 何かをごまかすように小町は呟く。そして、それについて言及する暇も謝る暇もなく、舟は対岸に到着してしまった。


「お、やっぱり善人だ(金払いがいい)と到着も早いねぇ……ほら、到着したよお客さん」

「───」

「別に構いやしないよ。……そんなに気にするんなら、来世でも沢山善行を積んでまたあたいの舟を使っとくれよ。きっとあんたならすぐに転生できるだろうからさ」


 ふわり、と鎌の腹に乗せられて岸に上げられた魂を置いて、小町を乗せた小さな舟は対岸へと渡っていった。


 ぎぃ……ぎぃ……と軋むような音をさせながら舟を漕ぐ小町は、ぽつりと一人呟いた。


「───『この仕事を始めた切っ掛けは』……か」


 舟を漕ぐ手を止めてしまった小町は、燦々と降り注ぐ陽光を見上げた。視界を焼く光に手を翳し、自分が生きていると確認しながら───小町は昔々の事を思い出し始めていた。






───────────────






 小町の覚えている最初の光景は、河原で訳もわからず石の塔を作り上げようと、何度も入る鬼の邪魔に耐えながらも石を運んでいるところだった。

 いったい自分がいつからこんなことを繰り返しているのか。いったい自分はどうしてこんなことをしなければならないのか。これでもしも石の塔ができたとして、それがいったい何になるのか。

 何もわからず、誰にも教えてもらえず、ただひたすらに石を運んで積み上げては崩され、運んで積み上げては崩されるのを延々と延々と延々と延々と延々と繰り返し続けていた。


 それがどれだけ続いたのか。そしてそれがどのようにして終わりを迎えたのかは覚えていない。ただ、それが終わった時にはそこに見知らぬ男がいたことだけは覚えていた。


 当時、小町は人の言葉を使えなかった。それは賽の河原で石を積む子供の来歴を思えば仕方のないことで、当時の小町には『小町』と言う名前すらも無かったし、持っている物など何一つ無かったのだ。


 まるで人形のようだった小町を……正確には当時は『名も無き少女』を、その男は懸命に世話をした。初めに『小町』と言う名を与え、言葉を教え、人としてあるべき姿を説き、そしてそれを小町の前で実行し続けた。

 僅かに残る当時の事を思い出すと、小町は今でも恥ずかしさと懐かしさの入り交じった訳のわからない感情に襲われて頬を染めて俯くことしかできなくなってしまう。

 だが、その甲斐あって小町はすぐに言葉を覚え、自らの意思を持ち、そしてその意思に従って行動するようになったのだった。

 なお、初めに覚えた言葉は自分の名前である『こまち』。次に覚えた言葉は『ねむい』であったことは、当時から現在まで閻魔大王として地獄の裁判長として君臨している九人の閻魔と、小町と同じように拾われて小町よりも先に自意識に従う行動をすることができるようになっていた数人しか知ることはない。そして彼等との宴会では、毎度毎度それをネタにされてからかわれる小町の姿があると言うのもどうでもいいことである。


 名を与えられ、知を与えられ、意思を作り上げた小町は、普通の子供として成長を始めていた。賽の河原で石を積んでいた間は一切年を取ることも成長することもできなかったが、彼に拾われてからは少しずつ成長するようになっていた。

 地獄では、何かを食べなければ成長することはない。だが、食べなければ飢餓で苦しむだけで死ぬことはないし、死んだとしても風が吹けば甦る。地獄とはそういう場所なのだ。

 そのため、地獄で働く獄卒や閻魔大王、そして閻魔大王一人につき九人就くことになっている十王やその補佐官等は食事を毎日三食とっているし、丸一日働いた後は完全休業日として一日が用意されている。

 そして、そうして獄卒や十王達が食べる食材の殆ど全ては地獄で責め苦を与える必要がある程に悪に染まってはいないが天国には行けそうにない程度の罪を犯した亡者が、田畑を世話して作り上げている。

 この亡者達は食事をすることも許されているし、休憩をとることも許されている。しかし、しっかりと働けば割とすぐに罪の浄化が行われるので黙々と働き続けてセルフ拷問になっている者も時々いるのだが、それについての管轄は閻魔自身ではなく獄卒のもの。倒れたとしても暫く放置しておけば雨なりなんなりで勝手に復活するので基本的に作業さえしっかりしていれば自由に過ごしていける。

 時に罪を償い終えてもここで農業を続けたいと言う亡者も現れるが、当人にとっては残念なことにこの作業に延滞などと言うものはない。駄々をこねる亡者が獄卒に首根っこをつままれて輪廻の輪に放り込まれるのは、当時の名物扱いとなってすらいた。


 そうして作られた食材を食べ、同じように拾われてきた少年少女と遊び、小町は少しずつ成長していく。そして、ある程度まで大きくなった小町は───当たり前のように彼の部下として死神となったのだった。






───────────────






 小舟が揺れ、また新たに魂が岸から舟に乗り移る。その際、魂から何かが分離して小町の掌に飛んでいく。その数を数え、小町はにこりと笑んだ。


「ちょっと時間はかかりそうだけど、ちゃんと向こうの岸まで届けてあげられそうだよ」


 ぎぃ……と舟を漕ぎ出す小町は、上機嫌に話し始める。おしゃべり好きな死神としては最低限の渡し賃である六文さえ払ってもらえればそれでよく、安い賃金は逆に話をする時間が増えると喜ぶような……死神としては失格とも言えそうな死神であった。

 この事は上司である四季にも怒られているのだが、だからと言って直ぐに直るような物でもない。そもそも、本人に直す気が欠片もないと言う状態のため、恐らくずっと直ることはないだろう。


「あたいは小野塚小町。ここで三途の川の渡し守をやっている死神さ。あんたが地獄から逃げ出すようなことさえなけりゃ、きっと来世まで会う機会もないだろうね」

「───」

「あん? それ以外に会う方法? そうさねぇ……多分うちのボス辺りには怒られるだろうけど、仙人になるか妖怪になるかすればまた会えるんじゃない? 失敗しても責任はとれないけどね」

「───」

「知らないよ。あたいは死神であって仙人でもなけりゃ妖怪でもないからね。仙人の成り方なんて聞かれても困る。聞くなら来世で仙人に聞きな。会えるかどうかはあんた次第だけどね」

「───」

「いいよ、礼なんて。結局『わからない』って事しか言ってないんだし。……それでも気にするんだったら、あんたの生きてた頃の話を聞かせとくれよ」


 若くして死んだ者の魂。老いて死んだ魂。長く魂を見てきた小町は、魂の種類を見分けることができる。老いた魂は話し好きが多く、自分が死んだことを知っても『やっぱりか』と納得することが多いため、小町は聞き役をすることが多い。若い魂の場合は自分が死んだことを知るとパニックとなることが多く、それを宥めすかし、大人しく裁判を受けてもらうために話し役をすることが多い。

 このところ小町の話し役が多くなってきているのは、それはつまり若い人間が死ぬことが多くなってきていると言うことであり、地獄にとってはあまり嬉しいことではなかったりするのだ。

 今回乗せた魂は年齢としては小町よりも遥かに下ではあるが、酸いも甘いも知り尽くした老爺であった。大きな戦を体験し、そしてその後の激動の時代を生き抜いてきた男の話。小町はそれに似たような話を幾つも聞いて来たが、どれもこれも一人の人間らしく輝きに満ちた話であったことを覚えている。


「───」

「ん? ん~……あ、そう言えば居たねぇ。七十年くらい前にそんな奴を運んだよ。『私は家族を守れただろうか』って何回も聞かれたから印象に残ってるよ」

「───」

「……いや、どうだろうね? あの魂は親より先に死んでたから……会うのはちょっと難しいかもしれないよ?」

「───」

「……お薦めはしないよ? 地獄はどこも文字通りの意味で死ぬほどの苦難に満ちる場所だ。深奥(おく)に行けば行くほどどんどん辛くなる」

「───」

「……そうかい。まあこれもあんたの人生だ。好きにしな」


 ぎぃ……ぎぃ……と単調な音が辺りに満ちる。小町は口を開かず、ただ舟を漕ぎ続けている。

 沈黙に耐えかねたのか、今度は魂の方から話を振った。


「───」

「……これでもあんたの千倍は生きてる自信はあるんだけどね……まあいいか。あたいがこうして働いてる理由だったね」


 んー、と軽く悩んでいるような数秒の空白の後、小町は笑顔でその老爺の魂に向けて言った。


「───命を貰い、私を貰い、夢を貰い、未来を貰った恩返し……かね?」

「───」

「あっはっは!まあわかんないよねぇ……そうさね、到着にはまだ少しかかりそうだし……簡単に話してあげるよ。できれば誰にも言わないどくれよ?」


 舟を漕ぎながら小町は思い返す。自分が親より早く死んでしまった孤児の霊から、一人の死神として生まれ変わった当時のことを。






───────────────






 当時、地獄は少しずつ増えていく世界全土の人口により、少しずつ一人一人にかかる負担が増えていっていた。人口が増えれば当然のことながら死んでいく人間の数も増えていく。死人が増えれば回収する為の人手も、それを裁く裁判所も回転を上げていかねばならず、暇な時間などどんどんと無くなっていってしまう。

 特に足りなくなっていたのは、現世の死人の魂を地獄にまで運ぶ死神の手。現世に魂が長くあれば妖怪に食われたり霊体同士で食いあって怨霊となってしまうため、殆どの死神が何時でも世界中を飛び回っていた。

 そのため、小町を拾った彼……当時の十王の中でも最古参であった閻魔大王も休みの殆どを返上して仕事に励み、たまの休みは身体を休めるために眠り続けることが増えていた。


 疲れきった閻魔大王の姿を見て、当時の子供達は考えた。


『私達はあの人に恩がある』

『数えきれないほどに多くの恩が』

『受け止めきれないほどに大きな恩が』

『返しきれないほどに重い恩が、ある』

『そんなあの人が困っている』

『あの人に恩がある私達はどうしよう?』


『『『……そんなもの、初めから決まっている』』』


 小町を筆頭に、能力を持った子供達は動き始めた。

 まずは自分達の父親代わりである彼を通じ、十王に『人手不足の解消案』として自分達の存在を売り込んだ。かつて亡者と成りかけていた小町達であったが、長年彼に育てられていたこともあって雇われ死神として地獄の働き手となった。

 失敗や失態が無かったわけではない。だが、それでもいないよりは幾分ましだと首にされることはなかったし、何人かはその能力もあって大きくその地位を上げることにも成功していた。特に成功を重ねていたのが、何を隠そう小町であった。


『距離を操る程度の能力』。当時は単純に『自在距離』とだけ呼ばれていたが、その能力を使うことで死者の魂を見つけ出すことが簡単にできるようになっていた。

 こうして一応の成功を納めた小町達は、改めて地獄の従業員として受け入れられた。それを切っ掛けに地獄の従業員を増やすと言う政策が取られ、人手不足は少しずつではあるが解消されていく運びとなった。






───────────────






「……とまあ、大体こんな感じだね。細かい所はともかくとして、大雑把な話しはわかったんじゃないかい?」

「───」


 老爺の魂はふるりと震える。話が終わったのを名残惜しく思っているのか、それともただ礼を言っているのかは小町と老爺にしかわからないが、小町の笑顔を見れば何を言ったのかはおよそ予想できるだろう。


「……思えば、あの頃が一番楽しかったような気がするよ」


 小町はぽつりと呟いて、空を見上げる。地獄に近付くにつれて雲が増え、どんよりと澱んで見える空には太陽など見えもしない。

 だが、小町には昔々の自分達の姿が見えていた。


「……忙しくて、悩む暇も遊ぶ暇も、サボって昼寝をするような暇もなかったけど……あたいがいて、みんながいて、そして夜魔様が居て……みんなで仕事をして、失敗したら助けてもらって、失敗した奴を助けてやって……」

「───」

「……ああ、すまないねお爺さん。到着してたのに気付かなかったよ」


 三途の川を渡り終え、老爺の魂は彼岸に降りた。

 そして振り向き、一言だけ残して……老爺の魂は獄卒に連れられて行った。


「……」


 小町は無言で舟を漕ぎ出す。思い出してしまった輝かしい過去を想いながら、賽の河原にて自分を待つ魂の元へ。


「……結局、生きてる時には呼べなかったんだよねぇ……」


 寂しげに、誰に言うでもなく呟いた言葉は、小町以外に聞く者もなく風に溶けて消え去った。






───────────────






 地獄で生きる者達は、誰もが輪廻の輪を外れている存在であるためにある程度まで成長した後は老いることがない。だから、それに気付いたのは完全に手遅れになってしまってからだった。

 死なないと思っていたから気付けなかったこと。死ぬわけがないと思っていたからこそ目を向けてこなかったこと。それが小町の精神を襲っていた。


「夜魔様っ!?」


 開き慣れた扉を開くと、そこには見慣れぬ光景が広がっていた。

 幼い頃には時々ではあるが部屋に入り、やや朝の弱い彼を起こすことがあった。しかし当時と明らかに違うのは、この部屋の主である彼の姿であった。

 昔からけして肉付きの良い方ではなかったが、必要な分の肉はしっかりと付いていたはずの彼の体はげっそりと痩せ果て、骨と筋と皮ばかりとなってしまっていた。

 この状態を誤魔化すために、相当の無理を重ねてきた彼の体は既に取り返しのつかないところまで来てしまっているのが小町には理解できてしまう。

 だが、普通ならばこのような状態になるはずがないし、例え本当にこうなってしまったとしても甦ってしまうのが地獄の住人と言う存在である筈なのだが、なぜこんなことになってしまっているのか。

 ……それは、皮肉なことに彼の行動に原因があった。


 そもそも、彼も元は生物であった。それも、この世界が始まり、宇宙が生まれ、星が育ち、一番始めに偶発的に産まれた、初めて何かの意思を受けずに自らの能力のみで進化し、増えることに成功していた生き物であった。

 そしてまた、それは同時に彼こそがこの世界で最も早くに『死』と言う物の概念を理解した存在だったとも言える。だからこそ、彼が初めての地獄の管理者として君臨し、その直後に現れた彼を含めた合計10人の亡者達が、行ける者達から得た『死』に対する信仰を元に力を増し、その力を無視できなくなった一部の神によって死後の生物の魂を管理すると言う役割を与えられたのが、現在の地獄の始まりであった。


 そうして作られた地獄で最も力の強かった彼らは、魂の多くなかった当時は10人で10度の裁判を行っていた。しかし、暫くして人間の数が増えていくに従って手が回らなくなり始め、やがて10人がそれぞれ自分達が裁いた亡者達の中から見所のある者達を引き上げて裁判の補佐や自分以外の十王の座につけていった。

 ……このことが、彼がこうして弱っている原因の根本である。


 亡者達は輪廻の輪に囚われている存在である。そこから誰かを選んで輪廻の輪から引き上げるのは、例え死に対する信仰のかなりの割合を得ている彼らでも難しい。その中でも、罪を犯して地獄に落ちた魂や、地獄にたどり着くことすらもできなかった魂を拾い上げるのにはとてつもなく多くの力を使う必要があった。

 そのため、夜魔以外の十王達は多くを人道や天道、修羅道を歩んで行くはずの者達を旗下に加えていったが、夜魔だけは小町達のような『救われない存在』を必要数以上に引き上げ続けていた。

 何かを上に挙げようとすると、それに使った分と同じだけの力が逆向きに働く。移動に使う分が大きくなれば、当然上げようとした者にかかる下向きの力もより大きくなる。その上、生者から得られる『死』への信仰は、そうして輪廻の輪を外れたものが多くなれば多くなるほどに分散され、一人一人が得る量は少なくなっていってしまう。

 名前らしい名前を持つものが10人だけだった頃に比べて、現在夜魔が得ることができる信仰の力は遥かに少ない。夜魔の拾い子達が夜魔への信仰を増やそうと、臨死体験した魂に『地獄』と『地獄の十王』、特に『閻魔大王』についての知識を与えることで曖昧な『死』と言う物への信仰の一部を直接夜魔へと送られるように手を回したり、本来その時に死ぬ筈ではなかった高名な画家から魂を一時的に引き剥がして地獄の見物をさせてその時の様子を広めさせる事でその信仰の流れを固定させて延命を図ろうとしたものの、既に一度輪廻の輪から外れてしまった者は二度と輪廻の輪には戻れないし、その状態で復活できない形で死んでしまえばそれは世界から完全に消滅したも同然となる。

 そして、輪廻の輪を外れた者が力を失ってしまえば、その後は急速に存在を薄れさせて消えてしまう。それは死神であろうが閻魔であろうがそれ以外の神であろうが関係無く起こりうる一つの終焉の形である。


 小町は輪郭が薄れ、消えかけている夜魔の身体にすがり付く。普段は怒られようが馬鹿にされようが零れることのなかった涙が次から次に溢れ、綺麗な顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまっている。

 夜魔の回りには小町以外にも多くの夜魔の拾い子達が居たが、小町の視界には誰一人として入っていなかった。


「夜魔様!夜魔様ぁ!嫌だよ!なんで夜魔様が……やだよぉ……」


 小町は夜魔に拾われた中では古参に入るが、ある意味では最も夜魔に甘える機会の少ないメンバーでもあった。優秀であったがゆえに一度教えられてしまえば簡単に内容を覚えることができてしまった小町は、その分だけ夜魔と触れ合う回数が少なくなっていた。

 勿論、小町が夜魔からの愛情を受けていなかったわけではないし、その触れ合いの頻度に不満があったわけでもない。夜魔は小町をよく誉め、頭を撫でていた。それだけで小町は十分だったのだ。

 ……そんな小町を見て、彼女の弟妹は色々と噂をしていたのだが……小町自身はあまりそれを気にしてはいなかった。小町は確かに夜魔の事が大好きであったし、実の父親よりも信頼を寄せていたのだから。


 ぐじゅぐじゅとみっともなく泣き続ける小町の頭を、半分透けた手が優しく撫でた。小町が視線を上げれば、そこにはどんどんと存在感を薄くしながらも笑みを浮かべる夜魔の顔。


「……小町や。笑ってくれ……とは言わん。だが……頼みを……一つ、聞いてほしい」

「やるよ!あたい、なんだってやる!だから……まだ……!」


 夜魔は困ったような笑みを浮かべ、それでもゆっくりと言葉を続ける。


「……月と柳が描かれた文箱に……お前たちへの手紙が入っておる。……私が消え、仕事の方が一段落ついたら……皆に届けて回っておくれ……?」

「っ……!」


 涙が止まらない。夜魔自身が死ぬことを……否。『消える』事を受け入れてしまっている。その事実と、それを受け入れている証としての最後の手紙の存在に、小町は涙を止めることができなくなってしまった。


「……うん……わかった…………あたい、頑張るよ」

「……辛い仕事を押し付けて……すまんなぁ……」

「……いいよ。……あたいは、夜魔様の自慢の娘だからね」


 未だに涙は止まらない。

 だが。それでも。

 小町は最後に笑顔を浮かべて見せた。


 夜魔はその綺麗な笑みに僅かに驚愕したように目を見開き───そして、満面の笑みを浮かべながらあの世を去った。


 後に残るは小町の頭に僅かに残る温もりと、主人を永遠に失った一組の布団。そしてこの場に残された、多くの夜魔の子供達の涙ばかりであった。


 ……そこから暫くの事を、小町はよく覚えていない。夜魔の最後の頼み事にあった文箱は空っぽになっていたし、給与明細にはいつも通りの額が記されていたから少なくともその時に仕事があって外せなかった他の夜魔の子供達に夜魔からの手紙を届けた筈だし、仕事だってしっかりやっていた筈なのだ。

 それでも、夜魔がいなくなってからの小町はめっきりと笑顔が減っていたし、空をぼんやりと眺めている時間が増えていたことは間違いない。本人に自覚はなかったが、これまで小町の働きっぷりは地獄の上層・下層を問わず知れ渡っており、小町の笑顔に救われた獄卒や亡者もけして少なくはない。

 その上、救われた彼らのほぼ全員が小町はファザコン(意訳)だという理解があったため、今回の件によって小町がどれだけショックを受けていたのかを汲むことができた。だからこそ小町にぼんやりする時間もできたし、仕事をしたい時にはどんな場所の仕事でも手伝うことができていたのだ。


 時の流れが悲しみを癒すには、まだまだ流れた時の量が足りていなかった。

 ……時の流れだけで小町の悲しみを癒すならば、恐らく数百年の時が必要だったろう。脱け殻のように仕事をし、惰性で自らを生かし、しかし常に自らを傷つけ続けるような生き方を、それだけの時をかけてずっと続けていただろう。

 実際に、小町もある時まではそのような生活を続けていた。




───文箱の底が二重になっていることに気付き、密封されたその中から自分宛の二つ目の手紙を見つけるまでは。




『我が娘、小町へ』


 そんなありきたりな言葉から始まる手紙には、これからの地獄の未来に関わる重大な仕事を頼む(書いた時期は『最後の頼み』より前だからノーカン、と言うことも書かれていた)と言った上司である夜魔から部下である小野塚小町への言葉と、父親としての夜魔から娘としての小町の言葉の両方が綴られていた。


『この手紙を見付けたと言うことは、私が死んでから少しの時間が過ぎて多少マシになったと言うことだろう。恐らく最も苦労を掛けた事だろうが、もう二つほど仕事を頼みたい。


 同封しておいた地図の場所にいる地蔵を、私の後継として地獄に迎え入れたい。既に先方には話を通してあり、千年以上も待たせることになるかもしれないと言う話にも同意してもらっている。他の閻魔達も、彼女の資質や能力から新たな閻魔として受け入れる事を受け入れてもらっている。

 そこで頼みたい事とは、小町にはその新たな閻魔についてもらいたい、と言うことだ。

 彼女は地蔵として、あるいは閻魔としては非常に優秀だが、性質も能力も非常に堅苦しい。一言で言えば、頭が固いのだ。常の裁判ならば全く問題はないが、私事でもそれが続くようでは間違いなく敵を増やし、また新たな領域を開拓しなければならないような時にはその頭の固さが彼女の邪魔をすることだろう。

 それを防ぐためにも、彼女と正反対の存在としてその近くにいてやってほしい。

 彼女が右と言えば左と言うような存在でなくて構わない。ただ、一つの方向しか見ようとしない愚直で真面目なお嬢さんに、無理矢理にでも他の選択肢や別の視点からの話をしてやるだけで構わない。

 どうか、彼女の事を頼みたい。

 彼女の地獄に着いてからの仕事の事は、暫く秦広や初江、五道転輪達の仕事を見てから本人に決めさせて欲しい。彼女が人をどう裁くのか。何を基準として設定するのか。全てを彼女に任せたい。


 ……仕事の話はこれで終わりにしよう。


 私が消えてから、食事はちゃんと取っているか? 眠っているか? 消え行く私が言うのもなんだが、今から小町のことが心配でならない。

 小町は昔から自分の事を後回しにして仕事や弟妹達の世話をしていたし、甘えたがりなのに妙なところで頑固で色々なところで我慢をしていたろう? 私のことも内側に溜め込んだままにしているんじゃないかと思う。泣いたとしても、きっと私が消えた時に少し泣いただけでその後は泣く余裕もないままずっと今まで来ているんじゃないか?

 そんな小町だからこそ、今のうちに全部出しきってしまってほしい。小町が色々なものの溜め込みすぎで暴発してしまう前に。

 吐き出すものはなんでも構わない。仕事を押し付けた私への文句や恨み言でもいいし、日頃の不満でもいい。自分自身理不尽だと思うような事でも、何でも構わない。

 この手紙にはちょっとした術が仕込んである。これの近くでならば、どんな音であろうとも畳一畳分よりも外に漏れることはない。周囲にそのことを知られはしないし、直接に見られるようなところで小町がこの手紙を読もうとすることはないだろうと思い、このような形にさせてもらった。


 私は消えた。もういない。

 だが、どうか、小町。お前はいつまでも健やかに居てくれることを願う。


                             夜魔


 追伸。最後の頼みごとについてだが、私が消える前に直接させてもらうことにするよ。    』



 ―――くしゃり、と小町の手の中で手紙が潰れる。ぽとり、と大粒の涙が零れて皺だらけになった手紙の文字を滲ませる。

 けれど小町はその手紙をしっかりと握りしめ、額を押し当てるようにして顔を埋めた。


「夜魔様ぁ……あんた、ズルいや……こんなもん、残され……た……らぁ……っ」


 そこから先は言葉にならない。ただ、ずっと我慢していた物が溢れてしまい、どうにも止まらなくなってしまった。

 小町は夜魔が消えてから、久し振りに大声で泣いた。これほど泣くのは初めてじゃないかと思うほど、沢山泣いた。

 みっともないだとか、かっこわるいだとか、そんなことは頭の片隅にも存在しない。ただ、小町は本気で泣き続けた。

 泣きながら、色々な感情と言葉が混じり合う。

『今まで育ててくれてありがとう』という感謝の言葉。

『なんであたいを残して消えちまったんだよ』という怒りの言葉。

『もっと話をしたかった。もっと一緒に居たかった』という悲哀の言葉。


 無数の言葉が零れ、意味のありすぎる音となり、それらは最後にはたった一つの想いとなってそこに現れた。


『……さようなら……おとっつぁん』






───────────────






 ……現状を見ればわかるだろうけど、夜魔様の手紙に書いてあった場所にいたお地蔵さん。それが今のあたいの上司である四季様だ。

 夜魔様の手紙を読んで沢山沢山泣いた後、あたいは四季様を迎えに行った。その時だけはしっかりとした応対をしたけど、四季様の行動とかを見ていて『確かに固すぎる』と感じたのであたいは緩衝材みたいなものになることにした。

 仕事は最低限を即座に終わらせたら後は適当にサボりながら、四季様がまず触れるようなことのない場所に行ってまず触れることのない相手と話し、そしてそれが仕事に役立ちそうならあたいの名前じゃなくって弟達に頼んで別の閻魔様に意見を回してもらうこともした。

 頭の固すぎる四季様じゃちょっと判断が難しかったり、有用性に気が付いて貰うまでにちょっと回りくどい説明をする必要があったりするけれど、ちゃんと『益があって、それが不利益より遥かに大きい』となればすぐに受け入れようとしてくれる素直で真っ直ぐなのが四季様のいいところ。

 ただ、真っ直ぐすぎて失敗しちゃったりもするし、周りとぶつかり合って傷付いてしまうこともあるんだけど、その辺りの完璧すぎないところが四季様の可愛いところでもある。

 初めは夜魔様の最期の頼みから始まったこの関係だけど、あたいはそれなりに気に入っていた。


 夜も遅くなり、大きな三日月が頭上に昇る。地上よりもだいぶ天に近いこの場所では、地上から見るのに比べて月がとても大きく見える。

 まるで大きな鎌の刃のような月を見上げ、あたいは───


「……夜魔様。あたいはちゃんとやれてるかい?」


 ───返事が来る筈もない事を理解しながら、それでも月に問いかけた。


 三日月は何も語らず夜空に浮かぶ。三途の川を渡る幽霊のように、東から西への空の道を何度も渡って沈み行く。

 鎌の刃のような細長い月を掴むように、小町は天に手を翳す。


「……いつか、もしかしたらあたいが我慢できなくなっておとっつぁんのいるそっちに行っちゃったらさ───あたいをたくさん叱っておくれよ?」


 ぎぃ……と木が擦れ合う音が静かな三途の川の中腹に響く。小町を乗せた小さな船は、ゆっくりと此岸へね進んでいった。










※※※※※※※※※※※



ここから設定資料集。矛盾とかはどこか見えないところにポイしといてください。






 旧地獄


 地霊殿の地下にある旧灼熱地獄が現役だった頃のお話。設備等の老朽化と一部からの「裁判所からの移動が面倒だし金がかかって仕方ない」という言葉によって移転された。

 なお、引っ越し等は小町が“距離を操る程度の能力”の応用で一晩でやってくれました。凄いね、死神。



 夜魔


 一番初めに地球に生まれた知的生命体だった。突然変異的な物を受けているためにその知性が子孫に向かうことはない……筈だった。

 そこで現れたのが地球ではないどこかで産まれた神。それによって死後の世界で裁判長をやることになった。

 本来の役職は五番目の裁判を行う『閻魔王』で、当時の十王がそれぞれ独立して閻魔王となり裁判を行うようになってからは特に『閻魔大王』と呼称されている。

小町をはじめとした多くの子供を拾って育ててきた。だが、そのせいで力を失い、消滅した。

 なお、その家は現在も小町の固有の別荘として存在しているが、小町は仕事|(サボり含む)のためあまり帰ってはいない。




 小町


 心優しく甘えたさんで、妙なところで頑なで、いまだに夜魔のことが大好きなファザコン死神さん。

 実は死神として相当に優秀であり、サボるのも夜魔から与えられた仕事の一環だと思っていたりする。サボりながらも現在の上司である四季映姫を影で支え、こっそりフォローしつつ可愛がっている。

 一人称は私用の時は『あたい』で仕事の時は『私』。その辺りは割としっかりしているようだ。




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