未熟な企て
――五月初旬。地上で言えば新緑がいよいよ眩しくなる季節なのだが、その光が地下に届かない為、人々はいつも通りの生活を送っていた。
その中の一人でもある、とある少年が真昼に一人物思いにふけていた。彼は岩の広場に腰掛け、前を通り過ぎる人々を無言で眺めている。地下を吹き通る風が彼の深緑の髪をなびかせた。
「ああ、暇だぁ」
彼はそう言うと人間観察をやめ、頭上に広がる岩肌を観察しだした。
「あれは……獅子か。それに虎や馬。動物の、GRFRの王者をモチーフにしてるのかなぁ」
天井から壁、腰掛けにかけて、獣の勇ましい姿が彫られている。怒る目に強靭な牙、砕ける大地に裂ける木々。この岩盤への彫刻は、地下特有の芸術作品の一部だ。人は基本、美を求めるものだ。だから芸術家は岩を美で飾ることで欲を満たした。そしてそれを市民が楽しむ。またここは気軽に休憩できる憩いの場でもある。岩の広場は、ランチを食べに学生が来たり、老人が本を読みに来たりと使い方がまちまちだ。
少年は腕に巻かれた包帯をいじり顔をしかめた。
「あの狐のバカぁ。八つ当たりに俺を引っ掻くなんてぇ!」
「……狐? あいつにやられたの?」
いつの間にか黒髪の少女が、顔を乗り出した状態で目の前に立っていた。
「うわぁっ!!」
顔の近さに、ひっくり返りそうになる。
「って、そんな驚かないでよ。それより久しぶりね、マーティ。元気でやってる?」
マーティと呼ばれた爬虫類GRFRは、コクっと頷いた。
「あ、うん。麗、久しぶりぃ」
マーティが気の抜けた返事をする。
「ちょいちょい、なに魂が抜けた返事なの?」
「あ、いやぁ、ただいきなりすぎてぇ、驚いちゃっただけだよぉ。ハハ、ハハハハハ」
「フーン。あー、それよりその傷は先輩と縁を切った時の?」
「そう。八つ当たりで切り傷を数か所くらった。けど、ちゃんとした学校生活が送れるようになったんだしぃ、悔いはない」
「……なら、良かった」
麗がホッとした表情になる。
「あ、それよりぃ――」
マーティが麗の赤い制服を指差す。
「あ、これ? 実は私、郵便の仕事をしているんだ。どう、似合う?」
麗はそう言いとクルリと回った。深紅のボレロがその動きに合わせてパサッとひるがえる。中には黒のワイシャツを着ていて、革のベルトできちっと締めている。袖は両方とも七部にたくしあげられていた。
「あ、うん、似合うよ。……郵便かぁ。アルバイトだよね?」
「そう。ちょっとお金が必要でね」
「フーン。じゃ、バイトでここを通ったんだぁ」
「そう、んじゃ元気な顔が見れたし、バイバイ! 今はちょっと忙しいからぁ、またゆっくりできるときにみんなで遊びに行くね!」
麗が手を振って駆けて行く。
「うん、楽しみにしているよ!」
マーティも手を振る。麗がいなくなるを見送ると、彼はのびをしてからゆっくりと立ち上がった。もうすぐ授業が始まる。
「重労働に郵便のバイトかぁ。俺も寝てばかりいないで、体を動かそうかなぁ」
一分後、走って学校へ向かう少年の姿があった。
――――
俺はちょうどその時、健太の家で振り子時計を睨みつけていた。
「ウグウゥゥゥ! 約束の時間に二人も遅刻だとぉ! こっちは昼飯削って、一時間も前に来たと言うのにぃ!!」
「はい、うるさいよー、ユウト。こっちは頭使って暗号を解いているんだから」
健太からの非難が飛んでくる。
「ンガァァ! ギルバートの奴、暗号とはふざけやがって!」
「だ・か・ら」
健太がそう言い大きなため息を吐く。すると、隣にいた子がクスッと笑った。健太がそれを制する。
「もう、笑っちゃダメだよー、オリビア! ユウトが調子に乗るだけなんだから!」
「そりゃどういうことだ、健太ぁ!」
俺が健太の発言に激しく突っ込むと、隣の少女がまた笑った。
「ムフッ。二人とも仲がいいのね」
彼女はそう言うと、微笑んで立ち上がった。彼女からシャンプーの匂いがフワリと漂ってくる。
「すこし疲れたからお茶にしようよ? 麗はたぶんお菓子の匂いでやってくる」
彼女は面白そうにそう言うと、コップにお茶を注ぎだした。彼女は麗の親友で、俺たちの元クラスメート。ひょんなことをきっかけに、俺たちと行動を共にしている。
「暗号、どれくらい解けた?」
「んー、三分の二くらいかな?」
「ちょっと見せて」
紙きれを見せて貰うと、そこにはズラズラと異国語が並んでいた。上のほうに二人が書いた翻訳がある。ここに書かれている異国語は全部で六か国語だ。しかし実際に暗号となっているのは、オリビアが読める四か国語だけで、他の二か国語はダミーだ。だから例え、全ての言語が理解できる人間がいたとしてもこの暗号は解けない。彼女と同じ条件のクオーターでなければ、解読ができないということだ。
ちなみに彼女の髪は銀色で、健太の銀鼠色よりも絹のように輝いている。また彼女はその髪を内側に軽くカールさせていていた。肌も透き通ったように白く、潤ったグリーンの瞳をしている。また、ちょこっとした鼻や口は人形のようで、彼女のシャイなところが強調されていると思う。
「あ」
どうやら観察をしすぎてしまったようだ。目が合うと彼女がパッと顔を伏せてしまった。そして何もなかったかのようにお茶を置き、解読作業に入ってしまう。本当にシャイなんだな。これで麗と釣り合うのが不思議でならない。彼女は時折、翻訳をしては何か暗号について健太に相談しているようだった。俺はまた暇になってしまったんで、そこらへんに転がった。すると、
「ゴメーン! 配達で遅れたー」
「うっす。お邪魔するぜ」
部屋の静寂を破って、遅刻組が登場してきた。
「おせぇーぞ二人! もう少しで俺が、死の睡魔に陥るところだったじゃねえかぁ」
「知るかボケ。二キロ歩いてきた俺のほうが寝たいわっ」
スポーツ刈りの奴が、そう言って俺の隣にドカッと座ってきた。
「一か月ぶりか? ユウト」
「そうだな亮介。久しぶり。一人暮らしは順調か?」
亮介は現在一人暮らしをしているのだ。
「ああ。けど、風邪を引いたときは死ぬかと思った。あぁー、こんな時に可愛い彼女がいたらなー」
亮介が髪を掻きむしる。
「ハハ! お気の毒に、プフッ」
俺は、赤い顔の亮介が大人しく看病されている姿を想像すると我慢できずに吹いた。
「な、なに馬鹿にしてぇ!」
亮介が俺の頭をグリグリする。
「わりぃ、わりぃ。プフッ」
「許さん、許さん!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
健太が止めに入る。
「ほらみんな集まったことだし、話を進めようよ」
「んだんだ」
「つか麗、なんでそこだけ田舎っぺなんだ!」
亮介が軽く麗に突っ込む。俺はやっと亮介の手から自由になった。
「健太、解読は終わった?」
「なんとか」
「んじゃ、始めようか。健太、ギルバートからの紙にはなんてあった?」
俺が再度質問すると、健太が紙を手に説明を始めた。
「主に、当日の話だね。まず、出発は一か月後を予定しているようで、案内人を設けるつもりらしいんだ」
「案内人?」
亮介が首をかしげる。
「そう。計画としては大岩の地から抜け出すつもりらしいんだ。けど、あそこは複雑な洞窟だから、素人が迷い込んだりすればまず出てくる見込みはない。おまけに途中で閉鎖地区を通らなきゃいけないから、僕らの力だけじゃ達成できない」
「なるほどな」
閉鎖地区とは、特定の役人しか入れない、一般人に公開されない地のことだ。例えば、国が絡む研究所や資料館などがその類に入る。
「閉鎖地区を通るとは、なかなか大胆な計画だな。案内人は誰と?」
「黒サソリ。この人が途中まで案内をしてくれるようなんだ」
「……黒サソリ。外見とかは書かれてないの?」
健太は目を忙しくスライドさせ速読しているようだが、顔を上げると残念そうに答えた。
「うん。黒サソリが入り口付近で待っている、としか書かれていないんだ」
「入り口付近か。行けば分かるってことなんだろうなぁ」
俺はため息を吐いた。ギルバートに聞かなきゃいけない質問がたくさんある。
「俺、前日にでもギルバートのアジトに顔出すから。そこでもっと詳しい話を貰う」
「頼むね~」
麗がビスケットを頬張りながら言う。
「つかっ、何食ってんの! 話聞けぇ」
「ゴメン、ゴメン。お腹がすいちゃってさー。ユウもいる?」
麗がそう言って舌をペロッと出す。
「舌出してもダメ。ビスケットは没収」
「え~」
ビスケットの皿を麗から引き離す。すると麗が不満そうに頬をフグのように膨らませた。健太が苦笑いをして話を続ける。
「えっと、とりあえずその紙の情報はこれで終わりなんだ」
「そっか。なら、この一か月間にできることを絞ってみようぜ。そんなしょっちゅうみんなで集まることはないからさ」
「そうだね。忙しいひと月になりそうだよ」
それから俺達は荷物について小一時間話し合った。身動きがしにくいほどの荷物は命取りだが、必要な物がたくさんあるため、話はかなり難しいものとなった。しかしオリビアと健太のおかげでそれなりに意見もまとまり、話し合いとしては成功した。よい出発が迎えそうだ。
「んじゃ、解散!」
――話し合いは終了した。次に全員が集まるのは地下を去る当日だ。
「なぁ、健太」
俺は帰り際にふとあることが気になって健太に尋ねた。
「なに?」
「美奈はいいのか? 連れて行かなくて」
俺が聞くと健太は一瞬、凍ったかのように固まった。
「俺は別にいても平気だと思うぜ。それは多分みんなも同じだ。それに俺たちの計画を知っているのに、誰に聞かれても知らないふりをするなんて、かなりシンドイと思うんだ」
「……。いいや、平気さ。美奈は絶対に僕たちを言い渡したりしない。信じてくれ」
「そういう問題じゃ――」
「そういう問題だよ、ユウト。でなければ秘密さえ美奈には教えない。信じているからこそ、教えたんだ」
「……分かった。地上には五人だけが行く。これでいいんだな?」
俺の再度の質問に健太が無言でうなずいた。もうすでに心に決めていたことのようだ。
「変に心配して悪かったな。んじゃ、俺帰るから」
コートを片手に背を向ける。
「うん、またね」
「ああ」
戸を開けると、廊下から冷え冷えとした空気が流れ込んできた。俺は今夜の冷え込みを考え、一人静かにその場を去った――
新キャラ
オリビア――麗の親友。シャイな女の子。
亮介 ――元クラスメート。五人の中で一番学生らしい男子。