俺の夢
古い言い伝えだ――
――石主。それは忌まわしき呪いの力を封じ込め、かの狂獣を一触れで倒す者。されど、石主もまた人。青き血の狂獣にかなうことなし。人肉を喰われ、赤き血を流す。また青き血の人は、狂獣を従わせる大いなる力を持つ。されど、この者は石主にはかなわぬ。ああ、石主と青き血の人、両方の力を兼ね備えた者が現れるのなら…
――ご老人は笑った。――世界はどう転がるのだろうね――それもまた、そなた次第だ――
――――――――
「ねえ、ユウ兄」
「ん」
ユウ兄と呼ばれた俺は、少々苛立ちながら弟を見た。お決まりの質問タイムが始まりそうだ。今、弟は学校に上がってまだ一年になる低学年だ。弟が通っているのはアゼル帝国、東第八地区の国民学校。六歳から十二歳までの義務とされている普通の学校だ。名前からしても特にこだわりがないことは言うまでもないだろう。
「うーん」
弟が首を斜め45度に傾げて唸りだす。いいから早く話せよ。そこで質問を考えるとかやめてほしい。俺は呆れて洗面所に向かった。弟が後ろでパジャマを引きずりながらついてくる。
「あ!」
思いついたようだ。俺は歯ブラシを片手に弟のほうへ向いた。弟の透き通った青い目に直視される。
「どうして、僕たちは地下にいるの?」
「――ウッフ」
驚きで歯ブラシが飛び出そうになる。白い歯ブラシ粉が丸く、宙に噴出された。
「ヒッ!」
弟が小さな体で飛び跳ね、顔を顰めた。いや、お前が変なことを言うからだよ。栗毛のクルクルした髪の毛に白い点々がついているが、あえて見なかったことにする。認めたらアウト。兄の威厳は絶対に手放さないからな……!
「……ゴッホン。誰に聞いたんだ?」
「さっちゃん。昔はみんな地上に住んでいたんだって」
「……ああ、なるほど」
俺は落ちかけた歯ブラシを再び口に入れ、歯ブラシを開始した。思ってみれば当たり前か。学校にいれば、今まで教えられなかった情報が次々に手に入る。そして弟はたまたま、人は昔、地上で住んでいたという情報を手に入れたのだ。
――人は昔、地上にいた。それは今から150年前に遡る話だ。ちょうどその頃、俺たちアゼル帝国の人間は黄金時代まっさかさかの時代で、五つの植民地を奴隷として、産業という面でも明るい日が差していたと聞く。しかし、そんな時に日の影が帝国を覆ったのだ。狂獣という恐ろしい獣によって……。
「ねえ! 教えてよ~」
弟が駄々をこねて俺の足を掴んだ。こりゃ、面倒臭いことになりそうだ。
「分かったから、ズボンを引っ張るな」
弟を黙らせてから、口をゆすぎ再び弟と向き合う。
「それはな。狂獣のせいだよ」
「狂獣?」
弟が首を傾げた。初耳の単語らしい。俺は話が長くなりそうなので、白い壁に凭れ掛かった。頭上にある空気孔からの風が後ろを強く吹いてくる。
「地上で人間から住む場所を奪ったやつらだ」
「どうして?」
「さあな。けど、奴らは突然現れて突然人間を襲った。いわゆる新生物な」
「動物じゃないの?」
「シュン、羊の毛皮をした狼は動物か?」
「……?」
シュン、つまり弟は不思議そうに俺を見た。
「動物じゃないの?」
「羊は狼に食われる生き物だ。それなのにその二つの性質を掛け持っているのはおかしいんだよ」
俺はそう言って腕を組んだ。狂獣は基本、三種類以上の動物が斑にくっついたかのような容姿をしている。だから当時の人はすぐにそれが動物でないことに気がついた。しかし、動物を知らない人間は見分けることができない。この弟のように。
「動物か狂獣かを見分ける方法を教えてやろう」
「うん!」
「そいつを切り裂きゃいんだよ。ナイフでな」
俺はそう言って、親指で首を切る素振を見せた。シュンが目を顰める。
「どうして?」
「なぜって、狂獣は血が青いからだよ」
「ええっ!」
シュンが驚いて飛び跳ねた。うん、うん。予想通りの反応だ。
「俺たちや動物とは違う、青い血をしているからな。狂獣は俺たちと居住することはできない。狂獣にとって赤い血は食い物だ。俺たちは餌。殺される」
「……なんで?」
俺はシュンの頭に手を置いた。
「それは分からない。けど、俺が解いてやるよ。狂獣の謎を解いてやる」
「できるの?」
俺は肩をすぼめた。俺は学者でもなんでもない。頭が良い訳でもない。しかし――
「誰かが何とかしなきゃこのままだ。ずっと停滞状態。俺はいつか地上に出て、世界を変える。あ、これは誰にも言うなよ」
「うん」
「二人だけの秘密だ。いいな?」
「うん!」
シュンが笑顔で答える。どこまで信用できるのやら。俺は苦笑いした。
「もう時間だ。学校に行けよ」
「うん」
シュンが駆けていなくなる。
「ふう」
俺は軽く息を吐き出すと、蛇口を強く捻った。水がヒコヒコと嫌な音を立てながら放出される。
「地上か」
俺は昔から地上が憧れだった。誰よりも熱心に上の世界の話を聞きまわり、狂獣を嫌悪してきた。人を食う雑食の化け物。俺は実際に狂獣を見たことはないが、それはとても大きく巨大な群れを成していると聞いたことがある。一つの群れだけでも一つの都市が破壊されるとか。
俺は流れる水に手を入れた。手のひらから水が一杯に溢れ落ちる。叔父によると、本当の水を地下の人は知らないらしい。叔父は地上で農作業の仕事をしていた。よく地上の話を聞かせてくれたが、まぁそれも過去の話だ。
「クウゥ」
ああ、目が覚めた。冷水を浴び、パッチリと目を開いた自分が前の鏡に映る。俺は生まれながらの自分の顔をチェックした。若干つり目で、深い青の瞳、端正な鼻筋、乾いてひび割れが起きている唇。そして最後に、外見では一番目立つ白髪に目をやる。この頃、髪を切っていないせいで、前髪は目に掛かり気味だ。しかしそれ以外は良しとしよう。
俺は軽やかにターンして玄関に向かった。古ぼけた木のドアノブに手を掛けて、思いっ切り戸を開ける。すると、そこには朝の光が――とはいかず、土壁の廊下にポツリポツリと寂しい明かりが浮かんでいた。まぁ、地下にいるのだから仕方がないんだけど。
「行ってくんからぁ」
俺はそう言うと、逃げるようにそこからソサクサと離れた。すると、お決まりの――
「ユウトォ!!朝ご飯は!」
という母の怒鳴り声が狭い廊下に響く。が、そんなの無視。
「知るかっつうの」
ボソッと言って歩き出す。親の言うことなんて、かったるくて呆れる。五時までに家に帰ろとか、髪が目立ちすぎるから髪を茶色に染めろとか。ギャーギャーとうるさいんだよ。まったく。
あ、それでこの際に言っておくが、俺の髪はけして染めた為に白くなっている訳ではないからな。これは地毛。あと、俺はプライド的に自分の髪を「しらが」とは言わず、「しろかみ」と呼んでいる。だから、白髪と書いてあっても「しらが」とは読まないでほしい。たまに髪のことで馬鹿にしてくる奴もいるけど、そういうのは二倍で返すに尽きるな。うん。
ご近所さんのドアを数個通り越すと、段自体はさしてないちょっとした階段に差し掛かった。ここを降りると、幅5メートルほどの広い廊下に出る。居住地区から本道に出るのだ。俺はそこで偶然そこを通り掛かった少年を見つけた。
「おう!健太」
俺が声を掛けると、少し小柄で銀鼠色の髪をした少年が振り返った。その少年は、ウルフ族特有の民族衣装である、袖が広がりゆったりとした上着を細い帯で縛り、身に着けていた。一族は髪が灰色であることから、狼と例えられることも多々あり、昔からウルフ族と呼ばれている。彼は透き通った蒼い目で俺をとらえると顔をほころばせた。
「おはよう、ユウト」
「一緒に行こうぜ」
健太と肩を並べ、再び歩き出す。すると、健太が俺の髪に目を留めた。
「後ろ、跳ねてるよ」
言われた通り後ろに手をやると、妙に上に跳ねた一束が手に絡みついた。
「ヤベ。後ろまで見てなかった」
「だろうね」
「なんだよ、そのまるでいつもの事みたいな口調は」
「平日はいつも寝坊してきて、休日は遅寝早起き。いつもの事だよ」
健太が得意そうに言った。そしてそれは当たっている。図星だ。
「そう言う健太は何時に起きたんだよ」
「――ん。五時」
「あー、なるほどな」
俺は健太の整った髪に納得をした。健太の割と短いその髪は、俺のツンツンした髪型とは違い、整然と切りそろえられている。こいつはいたって真面目。うん、面白くない。
「ムム! 健太くーん。そんな朝早くに何をしていたのかなぁ?」
「そんな、怪しいことはしてないよ」
「ホントかなぁ」
「本当。けど、良い知らせがあるよ」
健太がニンマリと笑う。
「えっ、何々?」
「……今は教えない」
「なんでだよー、付き合いわりぃじゃねえか」
「変に突っ込んできたのはユウトでしょ。仕返しさ」
健太が笑いながら小走りする。仕事場は目前だ。
「お、おい、置いてくなよー」
慌てて追いかける俺。完全にやられた。結局、この後午前中はどんなにせがんでも良い知らせとやらを教えてくれなかった。
乾いた土地に、赤土を掘る音があちらこちらにしている。そして俺自身も同じように土を掘っていた。ザクリと、すくっては向こうに投げるを繰り返す。
「にしても、暑ッ」
俺はこめかみから流れ落ちる汗を拭った。暑いし疲れるし……なんでお国はこんな重労働を子供にさせるんだか。「労働こそ長道の秘訣!」と喚く帝国を一度ボコボコにしてみたい。
重労働こそ嫌な話だが、それと同じぐらい泣きたくなるのはこの作業場の悪環境だ。作業場は天井まで2メートルほどしかなく、熱気が籠ってサウナのように蒸し暑い。それに小さな炎も点々としかない為、薄暗さに目が慣れずに物に引っかかって転んでしまったこともある。まぁ、それを良いことに暗がりに紛れてうまくサボることもできるのだが――
俺は今、そんな悪環境でわざわざ汗水流し懸命に土壁を掘り続けていた。
――ガツリ
休憩後の作業開始から小一時間は経っただろうか。もう腰も腕も痛みで動かなくなってきた。汗も止め処もなく流れ、下着からすべて汗びっちょりだ。痒いし引っ付くし、気持ち悪い。
「あーもう、やってらんねー」
とうとう俺は鍬を投げ出し、地面に突っ伏した。熱を冷やすように、ひんやりとした地面に額を付ける。もう、動けない。そうしていると、どこからか声が掛かった。
「ユウ、お疲れー」
顔を上げると、一人の少女がこちらに向かってきているのが見えた。少女が一歩踏み出す度に、後ろに束ねた黒髪がピョコピョコと揺れている。それから少女は近づき、あどけない顔に満面の笑みを浮かばせながら、手にあるコップを差し出してきた。
「はい」
俺はさかさずそのコップを奪うかのようにその手から取った。そしてそれを一気に飲み干す。ゴクリゴクリと冷たいものが喉を流れる。勢いで、一部は口から溢れ、首を伝った。手でそれを拭う。
「ああ、生き返った」
「でしょ? 褒めて褒めて」
「ああ、センキュ。それとあと、もう一杯」
「えぇ、また?」
「頼む」
「うー、まぁ、分かった。けど、うちの時はその倍でかえしてね」
「分かった分かった」
俺がそう答えると、少女は休憩所へまた走り出した。彼女は俺の幼馴染で、鳥慰 麗という。麗はここ東地区に多い、アジア系の顔をしている。黒目黒髪。ほんと、俺の真逆だ。
「ただいまー、はい、水」
麗が戻ってきた。俺は水を少しずつ飲んで、息を整えながら麗に尋ねた。
「タイムは?」
実は最近、どれほど土を掘り続けられるのかを麗と競うのが習慣になっていたりする。まあ、麗が先に言い始めたことなんだけど。男が負けるわけにはいかないよね。
「ジャジャン! 32分!」
「はぁ? たったの32? 一時間は経っているだろ?」
「いいじゃん。一分記録更新だよー」
俺は一気にやる気を無くして、再び地面に伸びた。上から誰かが鼻で笑う音がする。誰が笑ったのかはすぐ分かった。こちらも幼馴染だからな。
「なんだよ、健太~」
下からじろりと健太を睨みつける。勿論、朝の事も含めてだ。結局、あれから何も教えてくれやしない。健太が笑って俺の睨みを躱した。
「そんなことで競わなくてもいいのに」
そう言う健太はもう20分も前から休憩に入っている。こいつは頭脳派なのだ。まあ、だからといってサボり過ぎるのは問題だと思うが。すると健太が、何か意味ありげの顔をして俺の隣に座ってきた。
「なんだよ」
「朝の事、教えてあげるよ」
「おお!」
「そうだ。麗も聞いていいよ」
健太がそう言うと、麗が嬉しそうにまん丸の目を輝かせた。ぴょんと跳んで、俺たちの前に座ってくる。
「なになに、秘密話? もしかしてー、あれの事?」
麗が人差し指をピンと上に立てる。
「そう。実はまた新しく、不可解な地図が見つかったんだ」
「マジィッ?」
「オー」
俺は興奮で健太の肩を鷲掴みした。なぜ、地図もどきに興奮するかと言うと、――
「それって、空白の地が載っている、ということだよな?」
「そう。今度のは前のよりはっきりと載っていて、しかも本自体すごく奇麗なんだ」
空白の地とは何か。それは、存在を隠された地の事だ。白塗りや、黒塗り、あるいはそこだけ丸く切り取られていたりする。また、ここ150年の地図なんかは、何もないただの森になっているのがほとんどで、その存在を知っているものは極一部だろう。
そして俺たちは、そこには何かバカでかいものが埋まっていると見ている。勿論、何もない可能性だってあるのだが。
「帰ったら見せてくれよ」
「もちろん、僕の秘密の部屋に招待する」
「いいや、そこは“俺たちの秘密の部屋に”だろ?」
それから俺はまだその地図を見てもいないのに、健太にハイタッチをした。俺たちにとって、世界の謎を考えるのはゲームのようなもの。そしていつか、そのまだ見ぬ世界を冒険したい。
「待ってろよ、狂獣。俺が強くなってお前らから住処を奪ってやる――」
俺は拳を固めた。素手で勝てるようなものじゃないが、意志だけははっきりしている。狂獣は死すべき生き物だと――
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