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狂獣士  作者: 猫耳アキラ
地下編
13/16

赤く燃える暁よ

 橋が崩れ落ちると、兵たちは侵入者を追うことができずに立ち往生していた。小太りな士官がイラついて喚く。


「ええい! よくもノコノコと逃げやったわい! おい、お前!」

「ハッ」


士官に指差され、若い隊員がパッと敬礼をした。


「ちょっと下って、犯罪者が屍になっているかを確かめに行け! 数十メートル先で、水路の格子にあれが引っかかっているのが見えるはずだ。あ奴にはさそりの入れ墨があった。あの入れ墨には見覚えがある。凶悪な盗人で、警察を何年も悩ましてきた奴だ。もし、あ奴が生きていたりしたら――」

「――ククッ。殺す前に、拷問をお忘れず……」


突然、しゃがれた声が士官の話を中断させた。奥から腰の曲がった小さな人影が現れる。そしてその人影はゆっくりと近づいてきて、ツンと鼻を刺す消毒のにおいを辺りに漂わせた。若い隊員があまりの異臭に咳込む。


「お、お前は!」

「もう知っておるだろう、ワシのことは。ここ周囲の研究所を取り仕切る解剖専門の学者だよ」

「……飢えた解剖博士……か。貴様、何しに来た?」


士官は博士のあだ名を呟くと、忌まわしいものを見るかのように眉をひそめた。面倒臭そうに、手を振って早々と要件を促す。博士は、その反応に半ば呆れながらもその細い唇を上下に動かした。


「彼はあの裏組織とたいへん関わり深い。そこは拷問して情報を吐かせるに限るだろう」

「フン、なぜ貴様が我らに口出す? 貴様には関係のないことだ」

「うむ、確かにワシは無関係だが、それはお前さんがただ単に口出されるのが嫌なだけであろう」

「なんだと?」

「いやいや、そう怒らさんな。ちょっと、深い訳があってのう。実は……とても重要な研究のサンプルに、強靭な肉体の持ち主を探していてなー。これは国家機密の話なのだが……」


博士が何かを隠すような言い草で囁く。


「譲ってもらえんかの? もちろん、彼を拷問して十分使った後の話なんだがー……」

「……うむ」


士官は国家機密という言葉に翻弄された。それにより、さらに上の地位に就いたかのような思いに走ったのだ。同時に、拷問という赤黒いものを浮かばせる。


「いいだろう。それは……とても愉快な話だ。奴の悲痛な叫びを見たいものよ。おい、二等兵!」

「ハイ!」

「奴を優しく連れてこい。運ぶ際には細心の注意を払って、丁寧に扱え。いいか、これでもし死んだらお前のせいだ。代わりのサンプルなるのが嫌だったら、奴が死ぬ前に持ってくるんだな!」

「……ハッ」


二等兵はそう士官に脅されると、顔を死人のように真っ青にしながら駆けて行った。生気を感じさせない解剖博士といい勝負といったところか。


「生き地獄。それはまさに犯罪者に一番効く治療薬だな」

「そうですな。ぜひ、私の研究所で彼の治療をしてから、拷問をしてほしいのですが?」

「いいだろう。許可する」


士官が、いい気になって笑いだす。しかし、一方で博士はそれを冷めた目で見ていた。腹の奥底で傲慢な士官を罵倒する。博士は士官の態度に大変憤慨した。というのも、彼の立場は士官より非常に上なのだ。それなのに、頼む物腰で話せねばならないなんて。


「だが――」


 博士は知っていた。国家機密の存在を知った軍人は、後で必ず暗殺されることを。士官の虚しい最期を想像して、おぞましい笑みを浮かばせる。今日もまた、新たな細かい皺ができたことを彼自身が知るよしはないだろう。


――――――――


 俺たちは口数こそは少ないが、確かな足取りで進んで行った。洞窟に初めて足を踏み込んだ時からは、もう四時間近く経つ。


「ねえ」


麗が俺の腕を肘でつついてきた。


「腕の痛みはどうなったの?」

「あ、ああ。あれね。別にもう問題ないんだけど、それより今は矢傷のほうが痛いかな。なるべく腕は動かさないようにしているんだけど」


多少まだ痛む傷に気遣いながら答える。


「そっか。止血をしないとね」

「うん。けど、今はいいよ。そんな深くもなかったし……」


俺はそれから健太に尋ねた。


「包帯とか、持っているんだよね? 手当はしてくれる?」

「うん。父さんの見様見真似でしかないけど、止血ぐらいならできると思うよ」

「おお。親父さんが医者でマジ、良かった」


俺はホッとして言った。実は、健太の父親はここらで珍しい医者なのだ。実際、俺は今まで何度も診てもらっているし、小さいときに病気をしたときは健太の家にしばらく世話になった。まぁ、それがきっかけで健太と仲良くなった訳だが、俺自身はその時をよくあまり覚えていない。気づけば、健太といつも遊んでいて、そこに麗が加わっていたって感じだ。


「タクッ。いつになったら出れるんだよぉ」


亮介が短い髪を掻きむしる。


「うーん。でも、川があれほど広くなったんだもの。近いのは確か」


オリビアがそう言って、亮介の相手になった。会話が続く。


「でもよ? もし、大岩の地が迷路みたいなものだったら、俺たち出れなくね?」

「迷路って……どこまでメルヘンな世界でいじめられる訳なの……」

「んじゃ、出て行ったら即、狂獣に襲われるとかよ?」

「いきなりシュール……。でも、ありえないとは言えないものね。気を付けないと」


そう言うとオリビアは気を引き締めた表情になった。そう。まだ危険は過ぎ去ったわけではないのだ。俺も、目力を込めて眠気を追いやる。


「ねぇねぇ!」


いきなり麗が短いポニーテイルをピョンピョンさせながら、話し掛けてきた。


「ねぇ、変わってきてない?」

「えっ? あ、ああ、オリビアがよく喋るようになったよね」

「ううん。そうじゃなくて、道」

「道?」

「平らなだし、縦に長くて廊下みたい。気づかなかった?」


俺はそう言われて初めて、その変化に気がついた。確かに洞窟とは違う、人の手が加わったものを感じる。


「本当だ。疲れていて、何も見ていなかったよ」

「でしょ?」


麗がそう言って笑った。小さなエクボが頬にできる。


「ハー。外までもう、ちょっとだけなんだよねー。信じれない」

「うん。でも、この日をずっと待っていたんだ……今までありがとうな。俺たちのためにバイトまでしてくれて」

「ううん。バイトはもともとする予定だったし。気にしないで」


麗が手を振って答える。


「いや、俺は本当に感謝しているよ……これからも、よろしくな」

「うん……なんか、改まりすぎてユウらしくないよー。もっと弾けなきゃ。私はねー、地上に出たら思いっきり叫ぶんだぁ。なんたって、ご近所さんはもういないんだから!」

「ハハッ。そりゃいいな。俺も周りを気にしないで、屁ができる」

「うわっ! 遂にユウが親父化?」


麗がそう言って、わざとらしく鼻を手で抑えた。顔はにやにやしている。


「冗談だって、冗談」


俺はそう言って笑った。麗も笑いだす。下品なことでも麗なら笑ってくれるのだ。そんな軽い麗だから、俺は今まで一緒に遊べたのだろう。麗以外の女の子とはあまり関わったことがない。オリビアだって、本当に最近だ。けど、それも麗を通して知り合っただけだしな。それにしても麗がなぜ俺たちとばかりつるむのか不思議だ。女子といても別に嫌われることはないと思うけど……。


「おお! ユウト、階段だぜ!」


突然、亮介がそう言って大きな声をあげた。手をブンブン振っている。


「階段?」


どうやら話に夢中になりすぎていたようだ。目の前の、土の階段に気が付かなかった。


「階段があるってことは、いよいよ、大岩の地に突入するんだよな」

「おう」


俺は上を見上げた。天井は空の色を反射させているのか青く沈んでいる。


「よし、行こう」


俺たちは、狭い階段を一列になって上った。一歩踏み出す度に、乾いた細かい塵が下に落ちて行く。幾らか目に塵が入ったりしたけど、そこは何とか堪えて上へ上がった。



「スゲー!」


上に立った俺は、思わず感嘆の声をあげた。目の前の光景は、今までに見たどんなものより異様で力強いものだった。一言で表現するとしたら、巨石が重なりあって、人間用の大きな鳥籠を作っている、とでも言えばよいのだろうか。上から左右に掛けて巨石が積まれ、細い道を覆っている。


「なんか崖の隣に巨石を置いて、崖と岩の間に道を作った感じだよね。上は別の岩で覆っていてさ」


健太が冷静に現状を述べる。


「けど、これは単純に作れるような物じゃないな。ざっと見で、高さは50メートル弱ある。四、五メートルの巨石をこんなに積み上げるなんて、人間ができたとは思えないぜ」

「うーん。崖の上から岩がずれ落ちたって考えるのが妥当そうだね。それにしても、すごいよ。これ」


健太が丸みを帯びた巨石を触る。


「石と石の間に大きな隙間がボコボコあって、何かから身を隠すには最適だね。避難所にする理由がわかるよ」

「そうだな」


俺は目が回るほどに辺りを見回した。天井の岩の隙間からは、深い藍色の空が見える。


「でも、ここはまだ完璧な外じゃないんだよね」

「おう、そうだった。先に進もう」


 俺たちはまた歩き出した。様々な形状の岩が次々に横で過ぎ去っていく。俺たちは、面白い岩を見つける度に冗談を言いあった。疲れも忘れて、笑って歩く。そして――


「あれ、出口じゃない!」


オリビアが前を指さし、外の光にグリーンの目を輝かせた。前方には三角の穴があり、そこから外の世界が見える。


「出口! やった! やった!」


亮介が目をウルウルさせて喜ぶ。思わず、俺も涙が出てきそうになった。急いで目尻を抑える。


「やったな、俺たち。さぁ、誰から行く?」

「やだな、ユウト。全員に決まっているだろう。行こう、上の世界に!」

「おう!」


俺たちは出口へ走った。お互い笑いあって、肩を叩く。俺は幼い時に戻ったようだった。未知なことで溢れていて、すべてを信頼していたあの時に。


「いっせいのせ!」


俺たちは息を合わせて地上に踏み込んだ。柔らかい土の上に立つ。


「!!!」


俺はありとあらゆる刺激に、胸がいっぱいになった。鼻の中で転がる草木の匂い。深く青く沈んだ空に赤く燃える地平線。優しく体を包み込む暖かい風。俺にとってすべてが真新しい経験だった。


「……コワイ」


 俺は黄色い喜びと同時に、地下住民ならではの恐怖を覚えた。いつも当たり前に見ていた壁は、もうここにはない。世界はどんなに見回しても、限りなく向こうへ広がっていた。あれほど願っていたことなのに自分がとても小さく感じて、まるで宙に浮いているかのように感じる。


「俺ら、何も知らなかったんだな。小さな世界に満足していて……」

「うぅん。うぅん。もっだいないよぉぉ」


麗がそう言って、おいおい泣いてくる。


「叫ぶんじゃなかったのか?」

「ムリィィ。ぞんなのぉぉ」


俺は麗の背中を擦った。ひくひく背中が震えている。


「……見せてあげたかった」

「ん?」


麗が泣き止む。


「この空、黒さそりさんに見せてあげたかった。なんか、ずるいよ。一番頑張ってくれたのに、死んじゃうなんて……」

「そうだな……でもさ、俺は、あの人も同じ空を見たんだと思うよ」

「?」

「きっと、同じ感動をして貰いたかったんだよ……ほら、そう思えば、楽になるだろ?」

「……うん」


俺はそれから優しく麗を撫でた。地平線からは、真っ赤な太陽が生まれようとしている。まるで、俺たちを祝福するかのように。


――六月 十日。地下脱出を見事遂げ、地上に出ることに成功した。地上での冒険が幕を上げる――


いよいよ、長かった地下生活が終わりました。

これからが地上での冒険の幕上げです。第一章、完結!

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