たずねびと
とし君が尋ねて来たのは、淑子ちゃんが入院した翌日の夕方だった。
「きよちゃん、久しぶり」
初めは、誰だろうと思った。
淑子ちゃんの荷物を病院に持って行こうと用意をしていると、玄関から風鈴の音が聞こえた。誰か来たのかと玄関に向かうと、そこには背の高い男の人が立っていた。
「ええと……」
「あれ、わからない?」
そう言って、首を傾げた姿に、ぴんとくる。
「あ、とし君?」
「ああ、よかった。忘れられたのかと思ったよ」
とし君はそう言って笑った。
昔から、よく遊んでくれた近所のお兄ちゃんだ。それに、私の初恋の人でもある。そんな人を忘れるはずがない。
ただ、ちょっと会わないうちに、大人の男の人になっていて驚いただけ。
「……忙しい?」
「うん、ちょっと……淑子ちゃんが」
そこまで言って、私は言葉を切った。
淑子ちゃんのことを、とし君に言っても仕方がないような気がしたのだ。
「淑子ちゃん……?」
「ううん、なんでもないの。とし君、上がってく?」
「いや、いいよ。また改めて遊びに来るよ」
とし君は私の頭を一つ撫でると、微笑んで帰っていった。
「誰か来てたのか?」
淑子ちゃんの部屋に戻ると、雅弥が尋ねてきた。淑子ちゃんの荷物には、仕事用のパソコンもあるので、それを雅弥がまとめてくれている。
「うん、とし君が」
「……誰?」
「雅弥は知らない? 近所のお兄さん」
「知らないなぁ」
そういえば、とし君が遊んでくれる時って、いつも雅弥はいなかった気がする。きっと、雅弥において行かれた時に遊んでもらってたんだろう。うん、そんな気がする。
「荷物まとめ終わった?」
悠一さんが、廊下から部屋の中を覗いて、溜息をついた。荷物を鞄に詰められずにいる私と雅弥を見て、呆れたような顔をする。
「明日になっても、持ってけないんじゃないの。これじゃあ」
「ごめんなさい。なんか、進まなくて」
祖母の荷物を片付けている時と同じ感じがして、私も雅弥も淑子ちゃんの荷物を纏められずにいる。
まるで、淑子ちゃんが死んでしまったように錯覚してしまうのだ。
「……手伝うよ。淑子さんが目を覚ました時に、着替えもないんじゃ困るだろ」
「悠一ぃ……」
「うわ、雅弥キモい声出すなよ」
「お前……」
私たちを元気付けようと笑ってくれる悠一さん。私たちは、本当に参っていたから、悠一さんの一言一言に救われる。
やっと淑子ちゃんの荷物を纏め終わったころに、悠一さんが声を上げた。
「あれ、これ……」
それは、ここに来た初日に届いた手紙だった。
古めかしい封筒。
「これが来てから、淑子ちゃん、変になったんだよな」
そう言って、雅弥が手紙を開いた。
私と悠一さんも、覗き込んで手紙を読む。
『庵野喜代美様
今年は雨も少なく、過ごし難い暑さが続いておりますが、お加減は如何ですか。以前頂いたお手紙では、寒さから体調を崩されたとありました。
私の筆不精から、お返事が大変遅くなってしまって、本当に申し訳ない。
喜代美さんは、子供の自分から暑いのが苦手で、どうにか涼しくならないものかと、試行錯誤されていたけれど、今年はどうでしょう。何か面白い案は浮かびましたか。
私としては、かき氷を道に撒くのはどうかと思いますので、それは避けてください。もったいない。食べた方が、幾分涼しくなるはずです。
此方も大変暑い時期に入ってはいますが、時折嵐のような雨が降ったりと、忙しい空模様です。雨の後は一気に涼しく、というよりは寒いくらいの気温になるので、体調を崩さないようにと気にかけています。
仲間うちでは、雨の降り始めを当てる博打が流行っているのですが、私ときたら、とんと勘が良くないもので、何時も負けてばかりです。喜代美さんの勘の良さを分けて頂きたいくらいですよ。
今日、筆を取ったのは、嬉しい知らせがあったからです。
後少しの辛抱で、其方に帰れるのだと、上長から聞きました。
帰ったら、喜代美さんと稲荷祭りに行きたいですね。私の分まで、浴衣を縫って待っていてくれたら嬉しいです。
それでは、また。
後藤田慶彦』
手紙の内容に、私は言い様のない哀しみに襲われる。涙が零れないようにするのに必死になりながら、手紙を読み切る。
「なんだ、これ」
そう言ったのは、雅弥だった。
「……なんで、こんなものが今更……」
どういう事だろう。雅弥が、怯えたような顔をしている。悠一さんも、奇妙な顔をしていた。
「ねえ、どういうこと? おばあちゃんの恋人からの手紙なんでしょ?」
「そうだと思う。けど、この内容は……まるで……」
「ありえねぇだろ?! まさか、こんな、戦時中に書いたみたいな手紙が、今届くなんて」
二人の言葉に、私は衝撃を受ける。
雅弥から手紙を奪って、もう一度よく読む。
確かにそれは、戦場からの手紙だった。
「この、後藤だって人は、スコールのある地域で兵士になってるってことじゃないか?」
「それならベトナム戦争とか……ばあちゃん、その頃いくつだよ」
「おばあさん、いくつで亡くなったわけ?」
「ええと、確か八十になる前くらい?」
悠一さんの顔が曇る。
「おかしいな。それなら、まだ小さな子供だったんじゃないか?」
「え?」
それなら、この手紙はなんなんだろう。
祖母宛に届いた、祖母宛ではない手紙。
それが意味することは、一体。