手紙
小学生の頃、雅弥と二人で蝉を捕まえに裏山に入ったことがある。
夢中になって、蝉を追いかけているうちに、雅弥とはぐれて大泣きした。どんどん暗くなる山で、ひとりぼっちで、本当に不安だった。じっと一人で座り込んでいると、茂みで音がした。大きな獣が近づいてくる姿を想像して、私は悲鳴をあげた。
「泣くな、ちんちくりん」
現れたのは、泥だらけになった雅弥だった。
はぐれた私を探して、山を駆け回って、傷だらけになっていた。泣きじゃくる私の手を引いて、山を降りる雅弥の背中は、すごく頼りになるような気がしていた。
それからだ。私は、いつでも絆創膏を持ち歩いている。
雅弥が、私のために怪我をするのが、怖かったから。
「おい、ちんちくりん」
雅弥が、私の髪を引っ張る。
これは、昔の話ではなくて、今現在の話。
高校生になっても、小学高学年くらいの身長しかない私のコンプレックスを、雅弥はピンポイントに突いてくる。この古い民家の梁に頭をぶつけそうな程、雅弥は背が高く成長しているのに、私は小さいままだ。
「痛い、やめて……」
「……雅弥、離してやれよ」
悠一さんに言われて、雅弥の手が緩む。
距離を取るように後ずさって見ると、雅弥は自分の手のひらを見つめていた。
「……なんでいつも、そんななのよ」
「なんで、って」
「だから嫌いなの。わたし、淑子ちゃん手伝ってくる」
雅弥は何かを言おうとしていたけど、私は気にせず駆け出した。
雅弥は意地悪だ。それに比べて、悠一さんは優しい。
雅弥は嫌い。悠一さんは素敵だから好き。
「……嫌い」
気がついたら、私はそう呟いていた。
*
淑子ちゃんは、家の一番奥の部屋に掃除機をかけていた。
「淑子ちゃん……」
「何、また雅弥にいじめられた?」
「意地悪なのよ、あいつ」
私の顔を見て、淑子ちゃんは声をあげて笑った。
「出た、いつもの拗ね顔」
「笑い事じゃないよ」
淑子ちゃんが、掃除機のスイッチを切る。
「遊びに行かないなら、手伝ってね」
「うん、そのつもり」
掃除機を渡されて、私は微笑んだ。
それから、寝室を使う分だけ掃除して、私は淑子ちゃんと出掛けることになった。淑子ちゃんが車で来ていたので、食料品を買いに行くのだ。家の中に雅弥達がいなかったので、淑子ちゃんが置き手紙をしていた。
クーラーの効いた車内には、お洒落な音楽が流れている。
「クーラーボックスがあるから、アイス買ってもいいわよ」
「あ、だから持ってきた飲み物が冷たかったんだね」
「そういうこと。格好良い男の子が来てくれたし、今日は肉焼こうか」
淑子ちゃんの言葉に、私は思わず赤くなる。
「やっぱり、格好良い? 淑子ちゃんが見ても?」
「雅弥よりは大人よね、悠一くん。稀世は面食いだ」
「そんなんじゃないよ」
私は窓の外を見るように、淑子ちゃんから目を逸らした。
丁度、いつも遊ぶ川が見える。そこに、雅弥がいる。悠一さんと二人で、川縁に立って何かをしている。よく見えないけど、水切りでもしているんだろう。
「雅弥がいるよ」
「本当だ。あー、あいつに西瓜頼めば良かったわ」
「川で冷やすと美味しいもんね」
淑子ちゃんは大人だけれど、私と同じ目線に立って話してくれる。昔からそうだ。
きっと雅弥には、雅弥の目線に立って接しているんだろう。
「雅弥と悠一くん、正反対っぽいのにね。大学のサークルで知り合ったって言ってたけど」
「そうなの?」
「うん、友達連れて行くって電話してきた時に言ってたわ」
雅弥が何のサークルに入ってるかなんて興味はないけど、悠一さんのことが気になるので、後で聞こう。きっと、スポーツとかなんだろうな。
車は、どんどん川から離れていく。山を抜けて、街に入る。
夏の夜は、まだ遠い。
買い物を終えて帰っても、空は明るく、気温も下がらなかった。
買い込んだ食料品を冷蔵庫に詰めていると、雅弥と悠一さんが台所に入ってきた。
「暑ー。淑子ちゃん麦茶ある?」
「冷蔵庫にあるわよ。雅弥、火の準備しといて」
冷蔵庫を開けながら、雅弥が笑顔になる。
「もしかして、晩飯……肉?」
「そう、肉」
「よっしゃ、任せろ。悠一、水分補給したら蔵行くぞ」
雅弥は、グラスに麦茶を注いで、悠一さんに差し出す。自分はペットボトルに直接口を付けて、喉を鳴らしながら麦茶を飲んでいる。
「この暑い中、お前は元気だよな」
「お前がひ弱なんだよ。ほらほら、行くぞ」
疲れた顔をする悠一さんの背中を、雅弥が押す。その様子を、私ははらはらと見ていたが、なんだかんだ言って楽しそうな悠一さんを見て、ほっとする。
「あ、そういえば。雅弥、さっきの封筒は」
「おう、忘れてた。淑子ちゃん、これ、ポストに入ってた」
雅弥が取り出したのは、黄ばんだ封筒だった。
「え、お母さん宛?」
受け取った淑子ちゃんが、険しい顔をする。
封筒には、宛名の他には何も書いていない。古そうな切手が貼ってあるだけだ。なんだか、違和感を感じる。
「庵野……喜代美様……?」
「お母さんの旧姓ね」
私が読み上げた宛名のことを、淑子ちゃんは訝しんでいたらしい。
「……開けちゃっていいのかしら。うーん、いいわよね」
淑子ちゃんが、手紙の口を千切る。
中に入っていた便箋も、黄ばんでいた。
手紙を読む淑子ちゃんの顔が、みるみる蒼白になる。
「何、この手紙……」
「淑子ちゃん?」
はっとしたように顔をあげた淑子ちゃんは、取り繕ったように笑った。
「悪戯みたい。気にしないで。ほら、早く晩御飯の準備をしましょ」
その後は、みんな手紙のことを忘れて、バーベキューを楽しんだ。
相変わらず、雅弥は火を焚くのが上手くて、肉奉行だった。
「ほらほら、悠一、その肉いけるぞ!」
「俺はよく焼き派なんだって」
「うるせー! 肉は半生がいいんだよ!」
悠一さんが迷惑そうにしているのを、雅弥は楽しんでいるようだった。
淑子ちゃんも、ビールを片手に幸せそうだ。バーベキューにしたのは、お酒のためだったんじゃないかと思うくらいに。
結局、雅弥は肉を焼くのに燃え尽きて、淑子ちゃんも酔いが回って寝てしまって、後片付けは私と悠一さんでやった。ちょっと役得かも、と思ったのは、また明日淑子ちゃんに言おう。
「ごめんね、雅弥が意地悪で」
「え? ああ、まあ、慣れたよ」
私が洗ったお皿を、布巾で拭きながら、悠一さんが微笑む。
「……なんで、雅弥と仲良いんですか?」
「んー、なんか、サークルで知り合って。やけに絡んでくるから、相手してたらそのまま?」
「サークル……」
「うん、心霊サークル」
「え?!」
さらっと言われて、私はお皿を取り落としそうになる。
心霊サークルって、怖い話とかするサークルなのかな。悠一さんに、あんまり似合わない。ついでに雅弥にも。
「正式には、ちょっと違うんだけど」
そう言って、悠一さんは笑っていたけど、やっぱり似合わないと思う。
後片付けが終わって、復活した雅弥と三人で、トランプをしたりして夜更かしをして、私たちが眠ったのは真夜中だった。三人で、子供部屋で雑魚寝をした。
私たちが眠ったのを見計らって、淑子ちゃんが真剣な表情で誰かに電話を掛けているのを、私たちは知っていた。知っていたけれど、誰も何も言わなかった。
その顔が、泣き出しそうにも見えて、私は不安になっていた。




