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ナツイロ  作者: 砂代ぼたん
本編
10/11

入道雲

 後藤田慶彦を見つけたのは、裏山の崖だった。彼の足元には、雅哉が倒れている。


「雅哉……」

「大丈夫、気を失ってるだけみたいだ」


 私の心配を、悠一さんが否定してくれる。

 万が一を考えてしまっていた私は、それでいくらか冷静さを取り戻した。


「どうして、こんな事するんですか?」


 私の問いかけに、後藤田慶彦は悲しげに微笑んだ。


「きよちゃんが、他の人と結ばれるからいけないんだよ」


 それは、まるで子供のような理屈だった。

 若くして亡くなった庵野清美と違って、後藤田慶彦は他の女性と結婚して、孫までいたのだ。それなのに、庵野清美を責めるのは違う。私は怒りに震えた。


「……っ、私は庵野清美じゃないけど、でも……貴方がやってる事は矛盾してるよ!」


 出兵した恋人を待って、亡くなってしまった彼女が裏切り者だというのなら、裏切り者は彼の方ではないか。


「ダメだよ、稀世ちゃん。ちゃんと説明してあげなきゃ」


 悠一さんが、私の前に出る。

 後藤田慶彦は、不思議そうに悠一さんを見つめた。


「庵野清美は、貴方が戦場にいる時に、空襲で亡くなっています。ここにいる稀世ちゃんのおばあさんは、清美さんの妹です。この意味がわかりますか?」


 後藤田慶彦が、僅かにたじろいだ。


「貴方が恨むべき人は、最初からいないんです」

「……そんな」


 悠一さんが、後藤田慶彦に頭を下げた。


「誓って嘘は言っていません。だから、雅哉を返してください。そんなんでも、俺の数少ない友人なんです」


 死者に頭を下げるなんて、どうかしていると思う。けど、私も悠一さんに倣って深く頭を下げる。


「意地悪で、怖くて、嫌いだけど……私の大好きな従兄弟なんです。返してください」

「稀世ちゃん、矛盾してるよ」

「いいんです。嘘じゃないんですから」


 悠一さんが笑う。

 こうして悠一さんが隣に居てくれるだけで、後藤田慶彦への恐怖心はなくなっていく。


「……僕は、でも……今更……」


 後藤田慶彦が、迷うような顔をする。

 そして、悲しげに首を振った。


「やっぱり、信じられないよ」


 それは、私たちことをか。

 それとも、庵野清美が亡くなったことを知らずにいた事を受け入れたくないのか。

 とにかく、後藤田慶彦は、私たちを拒否した。

 雅哉の身体が、崖に近づいていく。


「やめて!」


 駆け出す私の腕を掴んで、悠一さんがにやりと笑った。


「……大丈夫。稀世ちゃん。間に合った」


 何が間に合ったのか。それは、聞かなくてもすぐにわかった。

 気がつくと、後藤田慶彦の前に、一人の女性の姿が現れていた。いつだったか、祖母の部屋でみた若い頃の祖母によく似た女性。

 気の強そうで、賢そうな女性。

 その人を見て、後藤田慶彦は驚いたように目を見張った。


「きよちゃん?」

「とし君、おかえり」


 そう言って、庵野清美は後藤田慶彦を抱きしめる。そして……


「行こう」


 崖から踊るように落ちていったのは、雅哉ではなく、抱きしめ合う恋人だった。


「どういう、こと?」

「うーん、説明めんどいかも。また雅哉にでも聞いて」


 そう言って、悠一さんは雅哉を抱えるようにして山を降りていった。


 *


 淑子ちゃんは、その日の昼過ぎに目を覚ました。

 取り乱した様子はなく、落ち着いていると母から電話があったので、私たちは連れ立って淑子ちゃんのお見舞いに向かった。

 その車中のことだ。


「どうして、庵野清美さんが来たんだろう」


 私の呟きに、雅哉が気まずそうな顔をして、悠一さんを見つめた。だが、運転席に座る悠一さんは、何も言わなかった。諦めたように、雅哉が溜息をついた。


「悠一には、ずっと庵野清美が見えていたんだ」

「え?!」

「稀世が淑子ちゃんを見つけた時も、庵野清美が大丈夫だって、まだ大丈夫だって言ってたから、悠一は取り乱さずに応急手当てができたらしい」


 淑子ちゃんが入院してからも、庵野清美は淑子ちゃんの傍を離れずに、悠一さんに必ず目を覚ますと伝えたらしい。

 それで、すぐに庵野清美の正体に気がついて、親族を周って話を聞けたのだろう。


「後藤田慶彦の手紙の事を伝えたら、何かあったら呼べって言われてた。だから、俺が連れ去られた時に、庵野清美を呼んでくれたみたいだ」

「全然、気づかなかった」


 だが、それなら、と私の中で疑問が生まれる。


「どうして、最初から教えてくれなかったんですか?」


 運転席で、悠一さんが困ったように笑ったのが、ミラー越しに見えた。


「雅哉はともかく、初めて会った人に、幽霊が見えましたなんて言えると思う? それも、叔母さんが入院してる人に」

「う、それは……」

「俺が本当に見えてるって知ってる人にしか、咄嗟には伝えられない」


 だから、雅哉には伝えていたのだろう。

 雅哉は悠一さんを微塵も疑っていないのだから。


「稀世、見てみろよ。あの入道雲! でっけーぞー」


 あんなことがあったのに、雅哉は相変わらず明るく笑っている。いつでも、夏に私が怖い思いをした時、雅哉は笑っていてくれた。

 晴れた空には、入道雲が浮かんでいる。

 この夏、私が経験したのは、少し不思議で悲しい出来事。それでも。

 雅哉がいれば、思い出になるんだろう。


 この先、決して訪れない夏。


 私が、恋心を自覚した夏。


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