第1話 うどん屋 梅田
降魔戦争短編
西暦2015年。
降魔戦争十六年目。
大阪防衛線。
市街地から十数キロ離れた後方地区。
小さな商店街の片隅に、五坪ほどのうどん屋があった。
暖簾には、かすれた字で書かれている。
「うどん うめだ」
店主は六十八歳。
梅田あきこ。
近所の主婦仲間五人と店を切り盛りしている。
戦争が始まる前は天ぷらうどんが人気だった。
だが今は違う。
油は何年も手に入らない。
揚げ物など夢のまた夢だった。
鍋にあるのは、昆布と節を大切に使った関西風の透き通った出汁。
うどん。
刻みネギ。
刻み揚げ。
少しだけ残ったワカメ。
それだけだった。
それでも大阪中の知り合いから材料を少しずつ集め、店だけは開け続けていた。
⸻
昼前。
店の前へ大型トラックが止まる。
高校生くらいの少年少女たちが次々と降りてきた。
全員、国民防衛隊の腕章を付けている。
制服も装備もバラバラだった。
肩に担いでいる銃を見て、梅田は胸が締め付けられる。
三八式歩兵銃。
木製の銃床。
ボルトアクション。
七十年以上前の旧日本軍の小銃だった。
(そんな……。)
(二〇一五年やで……。)
(この国、自動小銃も造れんようになったんか……。)
大阪市役所の担当職員が店へ入ってきた。
七十歳近い老人だった。
「梅田さん。」
「この子ら、東京の日野市から来た義勇兵や。」
「三十人。」
「食券六十枚分、頼む。」
「あの子ら、若いさかい二杯は食べる。」
梅田は何も言えず、静かにうなずいた。
⸻
「いらっしゃい!」
「いっぱい食べや!」
少年たちは嬉しそうに席へ着く。
「うわぁ……。」
「うどんだ!」
「出汁の匂い、すげぇ!」
大鍋から湯気が立つ。
黄金色の出汁。
白いうどん。
刻みネギ。
刻み揚げ。
ただそれだけ。
それでも少年たちは目を輝かせていた。
「いただきます!」
ズズズッ――。
一口すすった瞬間。
「うめぇ!」
「これが大阪のうどんか!」
「ああ……。」
「生き返る……。」
店中が笑顔になる。
一人の少年が笑いながら言った。
「東京なんてさ。」
「ずっと配給のジャガイモばっか。」
「塩もないから、そのまま茹でて食うだけ。」
別の少年も笑う。
「前線優先だから仕方ないよな!」
「でも腹いっぱい、うどん食えるなんて最高だ!」
「大阪って優しいなぁ!」
「おばちゃん!」
「おかわり!」
「はいはい!」
「まだまだあるで!」
梅田たちは夢中でうどんを茹でる。
気が付けば二杯、三杯。
少年たちは競うように食べていた。
⸻
食べ終えた一人が立ち上がる。
「ごちそうさまでした!」
「俺ら、大阪守ってきます!」
「敵なんかここまで来させません!」
別の少年が三八式歩兵銃を肩へ担ぐ。
「前線のトーチカで弾がなくなるまで戦います!」
「全部ぶっ倒してきます!」
みんな笑っていた。
その笑顔は、まだ高校生のままだった。
⸻
梅田は知っていた。
この店へ来た兵士は。
誰一人として帰ってこないことを。
常連だった自衛官も。
警察官も。
消防士も。
みんな笑って出て行き、帰らなかった。
だから笑えない。
うどんをよそう手が震える。
⸻
店を出る少年たちへ、梅田は精一杯笑顔を作った。
「また来ぃな!」
「今度、油が手に入ったらな。」
「かき揚げうどん、食べさせたる!」
少年たちは一斉に振り返る。
「約束ですよ!」
「絶対また来ます!」
「ありがとうございました!」
荷台へ飛び乗る。
トラックのエンジンが唸る。
手を振る少年たち。
梅田たちも、力いっぱい手を振り返した。
トラックはゆっくりと大阪防衛線へ向かって走り去る。
姿が見えなくなるまで、誰もその場を動かなかった。
やがて、主婦の一人がぽつりとつぶやく。
「……帰ってきてほしいなぁ。」
梅田は空になったうどん鉢を洗いながら、小さくうなずいた。
「うん……。」
「今度こそ、かき揚げ食べさせたいなぁ。」
しかし、その約束が果たされることはなかった。
数日後、大阪防衛線第三トーチカは邪神の眷属とディープワンの大群に包囲され、日野市から派遣された三十名の義勇兵は、最後の一発まで撃ち尽くし、大阪市民を守って全員が戦死した。
それからも「うどん うめだ」は暖簾を下ろさなかった。
梅田あきこは毎朝、三十人分の箸を棚に並べる。
「いつか、約束のかき揚げうどんを食べに帰ってくる。」
そう信じながら。




