ある公爵令嬢の独白
「……婚約破棄ですか?」
「そうですか」
「では、お聞かせくださいませ」
「殿下は私のことを、『冷たい人間だ』とおっしゃいましたね?」
「……『私のことを何も知らない』と」
「それならば、あなたは私のことを知っているのですか?」
「私の好きな食べ物は?」
「好きな色は?」
「好きな花は?」
「下を向いてどうしたのですか?」
「答えられませんか?」
「ふふっ、そうでしょうね」
「あなたは、知ってほしい、愛してほしいとそればかり」
「自分からは何もしない」
「与えられてばかりの哀れな方――」
「――黙りなさい」
「貴女に発言を許した覚えはありません」
「また泣くのですね」
「ほんとに演技がお上手ですね」
「いえ、虐めてはおりませんよ?」
「事実です」
「それで、殿下」
「貴方は私のことを知ろうとしたのですか?」
「そうやってまた、人のせいになさるのですね」
「ええ、確かに冷たい人間かもしれません。殿下のことなど、少しも愛しておりませんでしたから」
「なぜ傷ついたような顔をなさるのですか?」
「当然でしょう?」
「見下され」
「馬鹿にされ」
「蔑まれたのですから」
「それでも、私は婚約者として貴方を知ろうとしました」
「好きな紅茶も」
「苦手な食べ物も」
「疲れると指で机を叩く癖も」
「嘘を吐く時、少しだけ目を逸らすことも」
「誰に認められたかったのかも」
「全部、覚えておりました」
「……そう、全部」
「なのに……!」
「…………」
「……はぁ、本当に馬鹿馬鹿しい」
「おや?」
「何を他人事のように見ておられるのですか?」
「ここにいる皆様もそうですよ?」
「王子の愚行をなぜ誰も止めないのですか?」
「教師にはお願いしました」
「ご学友の方々にも注意しました」
「お父様お母様にも報告しました」
「国王陛下にも進言しました」
「ですが、皆様は口を揃えて」
「『殿下を支えるのは婚約者の役目だ』と」
「そう言いましたね?」
「全て私に押し付けて、責任から目をそらしてきた」
「父も母も、教師も側近も、国王も」
「ここにいる誰も彼も、愚か者ばかり」
「おっと。ご自身への批判には敏感なのですね、国王様」
「しかし、乱暴はやめてくださいまし」
「私はお話がしたいだけなのですから」
「兵士の皆様、申し訳ありませんが、少しだけおとなしくしていてくださいね」
「最後の機会ですもの」
「存分に喋らせてくださいな」
「――何を立ち去ろうとしているのですか、伯爵閣下」
「逃げるのは認めませんよ」
「……もう、これ以上逃げるのは許しません」
「動けない?」
「声が出ない?」
「ええ、当然でしょう?」
「私は寝る間も惜しんで努力したのですから」
「政治を学びました。国を治めるために」
「作法を覚えました。王妃になるために」
「魔法を修めました。殿下を守るために」
「だから、この場にいる皆様の首を、一瞬でねじ切ることもできるのですよ」
「フフッ、そんなことはしませんけれど」
「私は愚かではないので……」
「やっと静かになってくださいましたね」
「さあ、それではお聞かせくださいませ」
「なぜ誰も自らの責務を果たさないのですか?」
「知らなかった?」
「いいえ、見ようとしなかっただけでしょう!」
「申し訳ない?」
「その言葉で自分だけ楽になろうとしているのでしょう!」
「どれだけ頑張ってもどれだけ尽くしても、あなた方は変わらなかった……!」
「私は一度だって褒められたことはなかった!」
「少しでも……」
「誰か一人でも……!」
「よくできたと、言ってほしかった」
「……ん?」
「ふふ」
「何を言っているのでしょうね、私は」
「もう、終わったことです」
「私が馬鹿でしたわ」
「こんな方々に認められたいなどと」
「なんて、愚かだったのでしょう!!」
「ふふ……」
「ふふふ……」
「あは」
「あはは……」
「あはははははっ……!」
「……ああ、本当に」
「私が一番愚かでしたわ」
「……どうか、お幸せに」
「お前たちの人生が、不幸で満たされますように」
公爵令嬢は、最後に淑女として完璧な一礼をした。その姿は、黒い影に溶けるように薄れていく。誰も動けなかった。誰も声を上げられなかった。
やがて彼女は、闇の中へ消えた。その後、彼女の姿を見た者はいない。
王国は、それから静かに、音もなく崩れ始めた。




