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第1話 


 『北の隔離塔には悪魔が住んでいる』フランベルクの王城に勤めている人間であれば一度は聞いた事のある噂だった。そして必ずその後に『不用意に立ち入れば生きては出られぬ』と続くのもお約束である。

 城の北に聳えるその建物は鬱蒼とした森に囲まれておりいつでも薄暗く、建物の中からは時折何の声とも知らない叫び声が聞こえてくる。全面灰褐色の煉瓦造りの外観と魔女の尖り帽のような屋根が余計に陰鬱な印象を加速させていた。

 噂をする者の中にはやれ魔法による人体実験を行なっているだの、やれ囚われの姫が閉じ込められてるだの言う者もおり、根拠もない噂話に尾鰭が付いて面白おかしく囁かれていたのだった。


 「どう思います?酷くないですか?私だって好きでこんなところにいる訳じゃないのに、そんな風に言われたらまた親に言い出し難くなるじゃないですか」

 「まあ大体合ってるから仕方ないね。アンちゃんは要領が良いからすぐ慣れるよ、大丈夫」

 「慣れるってクリスさんみたいに身体壊して毎日室長のご機嫌取りしろって事ですか?私は嫌ですよそんなの。絶対こんなところすぐに出てってやりますから」

 「そ、そんな事言わずにさー」


 高度な魔法開発技術を用し大陸の覇権を確立したフランベルク王国の中でも精鋭中の精鋭のみが集められたこの魔法局で、異端児の集まりとされているのがここ隔離塔改め王立魔法生物研究所である。

 活動内容は主に魔物の生態や成り立ちを日夜研究し解明する事であり、魔力と物質の結合の仕組みを武器や防具に応用し魔物に対抗する手段の発展に寄与する事を目的とする研究機関だ。

 二十年前の大陸統治以前より存在しその偉業にも大きく貢献した歴史ある組織ではあるが、終戦条約によりその技術が他国に渡って以降は鳴りを潜め、今やその存在すらも多くの人の記憶から忘れられつつあった。


 アン・モルトバーンは二年前に王立魔法技工士大学校を卒業し晴れて魔法局への従事が認められたエリートであったが、素行の悪さにより一月程前に隔離塔に左遷されてきた新人である。その良くも悪くも歯に衣着せぬ物言いが災いしたのは不運であり彼女に一切の悪気はなかった。

 所々跳ねた長い黒髪とカラフルな髪留め、その大きな切れ長の目元には薄赤色のラインやチークなどとオシャレに抜かりはない。今年で二十四歳になるとは思えない程幼い印象で「化粧しても見せたい相手がいない」といつもぼやいているうら若き乙女である。


 彼女の愚痴に困惑しながらも丁寧に返事をするのはクリス・バラドゥール。細毛で小麦色の短髪に主張の控えめな眼鏡、穏やかで内向的な性格の高身長好男子であるが日頃の心労からか深く根付いた目元の隈と、胃痛のせいで痩せこけた頬がなんとも不憫な男だった。

 正式な役職は室長補佐にあたり彼もまたアンと同じエリート中のエリートである。職務内容は多岐に渡り主に研究素材の買い付けや管理、事務全般など際限が無い。というのも単純に人員不足から来る業務過多であり、少数精鋭と言っては聞こえはいいが内情は中々に悲惨なものだった。


 「アンちゃんがいなくなったら俺過労で死んじゃうよ…気持ちはわかるけどさ、その内居心地よくなると思うから一緒に頑張ろうよ」

 「今更そんな泣き脅し通用しませんよ。仮にもしそうだったとしても毎日毎日雑務雑務雑務雑務で同じ事の繰り返し、こんな雑用ばっかりじゃなくて私は結果を出すために魔法局に入ったんですから」

 「いや、それは新人なんだから当たり前だと思うけど…」

 「は?何か言いました?」

 「…何でもないです…」

 「そもそも室長が本来やる必要のない研究まで勝手にするのがいけないんですよ。そのせいで予算は食い潰すし局長には睨まれるし、なのに自分は我関せずみたいな顔で始末書を押し付けてきてこっちには何の研究もさせてくれない。何で好き勝手にやらせてるんですか」

 「まあ間違ってはいないんだけどね」


 窓際の隅にひっそりと佇む簡素な机にクリスは横目でちらりと目を向けた。雑多と積まれた書物と紙の束に外から差し込んだ日差しに反射した埃がきらきらと舞い、室長ディエロス・エルシットと書かれた年季の入った名札が物置きと化した机から見え隠れしていた。

 ふっとクリスは小さく微笑み同時に呆れたような溜め息を吐く。確かにアンの言うように彼が傍若無人で無神経な人間な事に違いないのだが、クリスはどうも彼の事を嫌いになれなかった。


 「彼は伸び伸びとやらせた方が頑張れるタイプだから」

 「何ですかそれ子供じゃないですか。過保護な母親じゃないんだから甘やかすのやめてくださいよいい歳して。ああどこかに私をこの悪魔たちから救い出してくれる王子様的な良い男いないかな」

 「そろそろ手を動かそうね、報告書溜まってるから」


 納得いかないといった表情で渋々と自分の机に向き直るアンにほっと胸を撫で下ろし、クリスも黙々と書類に目を通していく。中でも一際目を引くのはやはり『カルシュトル山における侵食種の異常個体の調査依頼及び各種申請内容について』という一枚の確認書類だった。

 王都フランベルクから遥か北に聳え二つの隣国を跨ぐ国境の役割を担っているその山は、過酷な環境と激しい気候変動であまり調査の進んでいない未開の地だ。終戦以来度々調査が行われてきたが他国との連携に時間を用し、連続して調査するにも難しい状況にあまり成果が出ていない地域でもある。


 そして今まさにその調査が行われている最中であった。調査隊には王城の騎士二名と魔法局からは魔物研の代表として室長のディエロスともう一名、それに地質学者や商人なんかも参加するらしい。道中は険しい山道であるため少数精鋭での慣行となっているようだ。

 普段の行いから何か粗相をしないかクリスは酷く心配だったが、アンを一人にするのはそれ以上に心配だったので選択として間違ってはいないのだろうと必死に自分を納得させていた。無くならない心配事と書類の山にきりきりと痛む腹を抑えながら、何事もなく彼が帰ってくる事を祈らずにはいられなかった。

 

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