「パリ・オペラ通り 日本人街 クレール・オブスキュール」
序章 オペラ通り 営業時間外の悲喜劇
♣ シャンペンの泡
「お疲れ様でした。」
友人がドンペリニヨンを注いでくれる。琥珀色の液体がグラスを満たすと、細かい泡がゆっくりと立ち上がる。東京の高層マンション、友人の帰国祝いの席。窓の外には夜景が広がっている。
泡を見つめていると、不意に数十年前のことを思い出した。
「どうかしました?」
友人の声で現実に戻る。
「いえ、ちょっと昔のことを。」
あの頃、私はパリにいた。オペラ通りの近くで小さな通訳・翻訳会社を営んでいた。ソルボンヌを出て、数年間ある老舗の事務所で修業を積んだ後の独立。バブルの終わりの頃で、仕事はそれなりにあった。
離婚して一人になってからは、夜になると決まって街に出た。まず日本人女性がやっているスナックで軽く一杯。それから小さな居酒屋で何かつまんで、最後は地下のカラオケラウンジ。
オペラ通りは二重構造になっていた。表通りには観光客向けの免税店が並び、ヴィトンやシャネルを買い求める日本人ツアー客で賑わっている。しかし一本路地に入ると、観光客の姿は消える。代わりにあるのは、パリに住む日本人たちだけが知る店々だった。
カラオケラウンジのオーナーは元ヤクザだという噂があった。ミッテラン大統領が来店したことを自慢にしていたが、本当かどうかは分からない。ただ、そこには毎夜、パリに散らばった日本人たちが集まってきた。
建築事務所の男。免税店で働く女性たち。観光バス会社のオーナー。不動産ブローカー。そして彼らの妻や愛人。
誰もが何かを隠し、誰もが何かを求めていた。
今、私はあの時代の話をしようと思う。まだ誰にも語ったことのない、あの街の物語を。
第1話 - 見栄とため息の街角
オペラ通りから数本の路地を入った薄暗いビルの3階。私の通訳・翻訳会社はそこにあった。従業員5人の小さな会社だ。
ある午後、免税店で働くミユキさんが事務所を訪ねてきた。元妻の知人で、以前何度か顔を合わせたことがある。いつもきちんとした身なりの彼女だったが、その日は違った。制服のブラウスにしわが寄り、化粧も薄い。
「お忙しいところ、すみません。」
声が小さく、こちらを見ようとしない。何かを頼みたいが言い出せない、そんな様子だった。
やがて、夫の話が始まった。日本人で40代、元大学研究員。パリに来てから仕事に就いていない。珍しくもない話だった。
「あの、何か翻訳の仕事はありませんでしょうか。」
まあ、よくある相談だ。しかし、彼女は少し気になることをいった。
「夫は日本では8万枚ほど翻訳をしたと言っています。」
8万枚!なかなかすごい数字だ。第一線級のプロは1日に10枚訳すと言われている。翻訳だけやっていても、20年以上かかる計算だ。ミユキさんのご主人は研究もしていたはずだが。
ミユキさんは私の表情の変化に気づいていない。必死だった。
「お願いします。何でもします。免税店の給料だけでは…」
声が震えている。彼女の肩が小刻みに揺れているのが見えた。
断る理由はいくらでもあった。しかし、彼女の様子を見ていると、そうはできなかった。
「100枚ほど、お試しでお願いしてみましょうか。」
観光ガイドブックのわりと簡単な原稿を渡した。2週間の期限付きで。
ミユキさんの顔に、ほんの一瞬だけ安堵の色が浮かんだ。
2週間後、彼女は再び現れた。今度は顔色がさらに悪い。
原稿の束を机に戻すとき、彼女の手がひどく震えていた。
「一枚も…できませんでした」
頭を深く下げる。声が途切れ途切れになる。
「夫が、その…気分が乗らないと言いまして。すみません、すみません。」
彼女は何度も謝った。顔を上げられずにいる。
「分かりました。仕方ありませんね。」
彼女はちょっと意外そうな顔して、私を見つめた。
実は、私にとっては半ば予想通りのことだった。こうした事態への対応も考えてある。仕事に穴を開けるわけにはいかない。
「なんとかしますので…」
彼女は少しだけほっとしたような顔をして、さらに謝罪の言葉を口にしながら、出ていった。もちろん、彼女の抱える問題がまったく解決していないことには気づいていたのだろうが。
それ以来、ミユキさんを見かけることはなくなった。街で偶然会うこともない。おそらく、私を避けているのだろう。
オペラ通りは今日も観光客で賑わっている。免税店にも人が絶えない。しかし、その賑やかさの裏側で、誰かが肩を震わせて謝り続けているのかもしれない。
翻訳という仕事は、時として言葉にできない現実を突きつけてくる。
第2話 -ミツヨの青い空
オペラ通りに面した老舗の日本レストラン、いつも変わらぬ賑わいを見せている。湯気の立つ味噌汁、威勢のいい板前の声、そして、日本の味を求めてやってくる客たちの笑顔。その喧騒の中で、ミツヨさんは今日も健気に働いていた。彼女は30代後半。いつも明るい笑顔を絶やさず、客からの無理な注文にも嫌な顔一つせず応える。いつも曇りのない笑顔を浮かべ、どこか危ういまでの純粋さを持つ女性だった。
私が彼女と個人的に言葉を交わすようになったのは、私の会社の取引先である旅行代理店の社員が、そのレストランをよく利用していた縁からだった。彼女は屈託のない笑顔で、時折、夫の話をした。
「うちの旦那、サミラっていうんですけど、働かないんですよ。困っちゃいますよね。」
そう言って笑う彼女の表情には、諦めと、どこか自慢げな響きが混じっていた。
「でも、浮気だけはしないんですよ。」
その言葉を聞くたびに、私の中で何かが引っかかるのを感じた。アルジェリア人の夫が働かないという話は、パリでは珍しいことではない。しかし、彼女の夫、サミラという男の噂は、時折、私の耳にも届いていた。彼は、オペラ通りからルーブル、エッフェル塔へと続くパリの観光地を、まるで縄張りを巡回するかのように歩き回っているという。狙うのは、日本からやってくる若い女性の観光客。顔立ちが整っているためか、多くの女性が彼の甘言に乗せられているという話だった。
もちろん、そんなことは、天真爛漫なミツヨさんが知る由もない。彼女は夫を信じ、夫の怠惰を、まるで「浮気をしない」という美点と引き換えにしたかのように、懸命に働いていた。
ある日のことだった。レストランのオーナーから、ミツヨさんがしばらく休むと聞かされた。詳しい事情はわからなかったが、なんとなく嫌な予感がした。数日後、旅行代理店の社員が話しかけてきた。
「ミツヨさんの旦那さん、逮捕されたそうですよ。」
話はこうだ。サミラはカフェでフランス人の男とくだらないことで口論になった。些細な喧嘩だったはずが、警察が介入すると、サミラだけが連行されたという。そして、まともな裁判も行われず、刑務所に投獄されたのだ。彼はアルジェリア人。パリでは、人種差別的な扱いを受ける外国人、特にアラブ系の人間は少なくない。弁護士を雇う金もない彼は、為す術もなく刑務所の壁の中に消えた。
ミツヨさんは、夫の逮捕後も、変わらず働き続けた。彼女の笑顔は、以前よりもどこかやつれて見えたが、それでも客の前に立てば、いつもの屈託のない笑顔を見せた。子どもを一人で育て、家計を支える彼女には、夫を嘆き悲しむ時間などなかったのかもしれない。
ある夜、レストランのカウンターで一人食事をしていると、珍しくミツヨさんが私の隣に座った。彼女は、疲れたようにため息をついた。
「うちの夫、まだ刑務所にいるんです。」
私は黙って続く言葉を待った。
「でも、きっとすぐに戻ってきます。夫は何も悪いことしてないんですから。」
結局、サミラは数年間、刑務所で過ごすことになった。何か罪状をでっち上げられたらしい。理不尽だと思うだろうが、私達にはどうしようもない。
そして、本当にサミラは帰ってきた。しかし、当然ながら、何も変わっていない。働かず、女の子漁りも止めない。
「夫が帰ってきてくれただけでいいんです。それに浮気はしませんから。」
その言葉を聞いたとき、私の目の前で、私の目の前で、彼女の青い空が少しずつ色褪せていくような感覚に襲われた。彼女の純粋さは、まるで脆いガラス細工のようで、その言葉の裏に隠された真実を、私は告げるべきか迷った。しかし、言葉を発することはできなかった。彼女の信じる青い空を、私のような部外者が壊す権利はない。
ミツヨさんは、今日もオペラ通りの日本レストランで、健気に働いているだろう。彼女の信じる空は、まだ青く、そして、きっとこれからも青いままであり続けるのだろう。その空の下で、彼女は一人で、子どもを育てていく。パリの街の光と影の中で、彼女の強さだけが、私には、唯一の真実のように思えた。
第3話 - エクトールの消えた丘、そしてカオリの新たな地図
パリの石畳は、いつだって観光客の足音で賑やかだ。特にモンマルトルの丘の上は、絵描きや大道芸人がひしめき合い、人々の好奇の目に晒されている。私の事務所があったオペラ通りからは少し離れているが、観光ガイドとしてパリ中を駆け回る日本人女性たちとは、仕事を通じて縁があった。その一人、カオリさんもまた、そういう女性だった。
カオリさんは、若くしてツアーガイドとして独立し、その知識と明るい人柄で、多くの日本人観光客から絶大な信頼を得ていた。収入もかなりのものだと聞いていたし、一人息子も健やかに育っていた。彼女の人生は順風満帆に見えた。だが、その完璧な絵画の中に、異質な色彩を放つ存在がいた。イタリア人の夫、エクトールだ。モンマルトルで似顔絵描きをしているという彼。まさに陽気なイタリア人といった感じだったが、彼の周りにはいつも、どこか澱んだ空気が漂っていた。
エクトールは、カオリさんに嘘ばかりついて金をせびっていた。それは、私から見ても、あまりにお粗末な嘘ばかりだった。
「親が死んだんだ。遺産を受け取るために、今すぐ金がいる。」
遺産相続に金がかかることはある。だが、それをなぜ妻に無心するのか。カオリさんは、貯金を切り崩して彼に渡した。しばらくして、エクトールは平然と戻ってきた。
「イタリアから車で戻る途中、警察に捕まってな。金を全部取り上げられたんだ。無一文だ。」
なぜ、そんな話が通用すると思っているだろう。警察が金を取り上げるなど、まずありえない。しかし、カオリさんはそれを信じているようだった。いや、信じざるを得ない状況に追い込まれていたのかもしれない。
ある時は、さらに荒唐無稽な話を持ち出してきた。
「日本の生産システム、ジャストインタイムを勉強するための講習を受ける。その費用が必要なんだ。」
いったいどこからそんな情報を仕入れてきたのか。ジャストインタイムが、当時の日本の先端を行く生産システムであることは知っていたが、なぜ似顔絵描きのイタリア人がそれを学ぶ必要があるのか。
しかし、彼女はいつものように浮かび上がってきた疑念に蓋をしてしまった。今更、夫に問いただして、何になるのだろう。築き上げてきた砂の城が崩れるだけだ。やはり、金を渡してしまった。
実は、そこには、もう一つ大きな理由があった。一人息子マルコの存在だ。幼いマルコは、父親であるエクトールが大好きだった。無邪気な瞳で、「パパにお金をあげてよ、ママン」とねだるのだという。そのマルコの言葉に、カオリさんは弱かった。愛する息子の願いを叶えるため、彼女は自ら借金までして、エクトールに金を工面し続けた。
仕事で顔を合わせるたび、カオリさんの顔色は悪くなっていった。目の下のクマは消えず、その笑顔もどこか引きつっている。それでも彼女は、夫への不満を口にすることはなかった。ただ、息子の話をする時だけ、その表情に微かな明るさが戻った。
そして、突然、エクトールが姿を消した。彼は、別の女性とパリから逃げたらしい。荷物もほとんど残さず、カオリさんの金だけを持ち去って。
その後、エクトールからの音沙汰はまったくない。
カオリさんは、夫が消えた後も、懸命に働き続けた。借金を返すため、そして、マルコのために。彼女のガイドの声は、以前と同じように明るく、パリの街の歴史や魅力を淀みなく語る。
それから10年余り経った。私の事務所もオペラ通りから少し離れた場所に移転し、私自身もまた、離婚という個人的な節目を越え、新しい道を歩んでいた。そんなある日、思いがけない知らせを耳にした。
カオリさんが、ある日本の大手企業のパリ支社に採用されたというのだ。聞けば、彼女の長年のツアーガイドとしての経験と、パリの地理や文化、そして日本とフランス双方のビジネス慣習への深い理解が評価されたのだという。
後に、私はたまたま、その企業のパーティーでカオリさんと再会する機会を得た。彼女は以前にも増して輝いていた。知性と自信に満ちたその笑顔は、エクトールによって曇らされていた笑顔とは、まったく異なっていた。彼女の隣には、成長したマルコが、誇らしげな顔で立っていた。
ほんのわずかな時間だったが、言葉を交わした。彼女の口からエクトールの名前が出ることは一度もなかった。ただ、彼女は言った。
「あの頃、本当に苦しかったです。でも、あの経験があったからこそ、今の私があるって思えるんです。息子のためにも、もっと強くならなきゃって」
モンマルトルの丘に今日も陽が沈む。似顔絵描きたちは、観光客の笑顔を捉えようと筆を走らせている。だが、その中に、エクトールの姿はない。彼の残した空白は、カオリさんの人生に深く、そして消えない傷跡を残したが、彼女はその傷跡の上を、新たな地図を描くように歩み、成功を掴み取った。
エクトールはどうしようもない男だったが、彼はカオリさんに生きがいを与えてくれた。それだけが救いだろう。
第4話「冷蔵庫の中の影」
私が良く顔を出していたカラオケラウンジの常連客に、建築事務所を経営する大西という男がいた。50代前半、がっしりとした体格で、いつも紺のスーツを着ていた。業界では強引な仕事のやりで知られていた。 私とは挨拶程度の仲だったが、彼がフランス語と日本語を器用に使い分けて商談の電話をしている姿をよく見かけた。
その夜、大西はいつもと様子が違った。コップの日本酒を飲みながら、時計を何度も確認している。「大きな案件があってね。」と隣の客に話しかけながら、手が微かに震えていた。
それからひと月ほど過ぎた朝のことだった。朝刊の三面記事に小さな見出しがあった。「パリ16区で日本人男性変死」。記事は短く、淡々としていたが、「冷蔵庫内で発見」という一行と、そこに書かれた「大西○○氏(52)」という名前が目に飛び込んできた。
コーヒーカップを持つ手が止まった。
詳細が報じられるにつれて、事件の背景が見えてきた。大西は不動産仲介業を営む夫婦から金を騙し取っていたという。夫はフランス人、妻は大阪出身の日本人で、二人とも40代だった。
私はその夫婦のことを間接的に知っていた。直接会ったことはなかったが、日本の大手消費者金融がパリ近郊でゴルフ場建設を計画した際、私が翻訳を担当した契約書に彼らの会社名があったのだ。
ところが、そこに大西が割り込んできた。彼は依頼者に「もっと良い条件を提示できる」と持ちかけ、夫婦から仲介権を奪おうとした。当然、話はこじれた。日本側は混乱し、最終的にプロジェクト自体が白紙になってしまった。
夫婦にとって、それは人生をかけた大きな商談だった。妻は知人に「もうこの仕事しかない」と話していたという。しかし、大西の介入ですべてが台無しになった。
そして、ある日、大西は姿を消した。
警察が家族の届け出に基づき、捜査したところ、すぐに日仏夫妻とのトラブルが浮かび上がった。そして、夫妻の家が捜索され、冷蔵庫の中から遺体が発見された。死因は頭部への強打だった。
事件から一週間後、拘置所で妻が首を吊った。遺書はなかった。
パリの日本人社会は震え上がった。加害者も被害者も日本人。しかも、皆が知っている人間同士の殺し合いだった。
カラオケラウンジでは、しばらくは大西を知っている人間は、彼が好んで座っていた席に腰を下ろそうとはしなかった。それもそれほど長くは続かなかったが。
私は時々、あの夜の大西を思い出す。震える手で酒を飲んでいたが、何かを予感していたのだろうか。まあ、しても自業自得と言うしかないだろう。私は大西よりも、拘置所で自死した日本女性を哀れに思った。
・Pause café:パリコレでカラオケ
少し息抜き。
事務所の電話が鳴った。仕事の依頼かと思って受話器を取ると、日本人男性の声だった。
「ジャン=ポール・ゴルチエの会社の者です」
私はファッション業界の翻訳もよく手がけていたので、またブランドの仕事かと思っていた。彼の話は私の予想を遥かに超えるものだった。
「パリコレで、カラオケを歌っていただけませんか?」
何かの聞き間違いだろうか。
「今度のショーのテーマが『カラオケパーティ』なんです。日本人の方に歌っていただきたくて。」
どうやら、パリのカラオケラウンジで私が歌っているのを誰かが見ていたらしい。酔っ払いの歌声が、まさかパリコレに繋がるとは。
面白そうだった。私は承諾した。
数日後、ゴルチエのスタッフから連絡があった。ルイという名前のフランス人で、甲高い声で話す。
「ギャラは出せませんけど、スーツを一着差し上げますわ」
ショー当日、会場の入り口で警備員に止められた。「歌いに来ました」という説明が通じない。ルイが迎えに来てくれて、ようやく中に入れた。
会場は慌ただしかった。照明スタッフが走り回り、モデルが着替えている。その騒然とした空間に呆然と立っている。完全に浮いていた。
私はランウェイのすぐ下に立たされた。曲は「Love Me Tender」。エルヴィスの名曲だが、特に得意な歌ではない。
ショーが始まった。ゴルチエの奇抜な衣装をまとったモデルたちが、光の中をゆっくりと歩いてくる。その横で、私は一人、マイクを握りしめていた。
カラオケ機材などない。世界のファッションショーの現場で、私は素の声で歌った。
ショーが終わると、ルイの姿はどこにもなかった。挨拶もできないまま、私は会場を後にした。
その夜、ホテルでテレビを見ていると、ゴルチエのショーがニュースで取り上げられていた。私の姿は映っていなかったが、BGMに私の歌声が流れている。
私は確かに歌った。ジャン=ポール・ゴルチエのパリコレで。
パリの夜は今も歌に満ちている。その中のどこかに、私の声も混じっているのかもしれない。
第5話 - サン・ターヌ通りの影:安部兄弟の没落
安部兄弟は、パリの日本人社会では有名な成功者だった。
兄の要一は映画制作協力会社「アブクリエーション」の社長。NHKの大河ドラマのパリロケを手がけたこともある。背は低いが、エネルギッシュで口が達者な男だった。
弟の直也は大手旅行代理店「銀ツリ(銀河ツーリスト)」のパリ支社長。兄とは対照的に控えめな性格で、眼鏡をかけた知的な印象だった。しかし、その冷静な外見の裏には、兄に負けない計算高さが潜んでいた。
二人は共同で通訳派遣会社を経営していた。表向きは独立した会社だが、実質的には直也の勤める「銀ツリ」の下請けとして利益を分け合う仕組みだ。本社の目が届かないパリならではの、グレーな商売。
兄弟の関係は良好で、週末は家族ぐるみで食事し、休暇には一緒に旅行に出かけていた。
しかし、この幸せな風景に日々が入った。ある秋の夜。
サン・ターヌ通りのカラオケラウンジに、新しいフランス人の女の子が入った。ミシェルという名前で、20代半ば、華奢で愛らしく、片言の日本語を話した。日本の文化に興味があると言っていた。
兄も弟も、一目で彼女に夢中になった。
最初は「日本語を教えてあげる」という口実で近づいた。しかし、それが口実に過ぎないことは誰の目にも明らかだった。
ミシェルは賢かった。二人の視線を敏感に察知し、それを巧みに利用した。兄が花束を贈れば、弟が高価なアクセサリーを持参する。弟が彼女と時間を過ごせば、兄がブランドバッグで気を引こうとする。
二人の間に嫉妬の炎が燃え上がった。それまでの親密さは消え、いがみ合うようになった。
ラウンジの常連客たちは、この光景を半ば呆れ、半ば面白がって眺めていた。
「あの堅実な兄弟がねえ!」
日本人社会のゴシップになった。しかし、当の二人は目の前の女性に夢中で、自分たちがどれほど滑稽に見えているかなど気にしていなかった。
月日が経つにつれ、争いは激化した。ビジネスパートナーとしての信頼関係も崩れ始め、通訳派遣会社の経営にも支障をきたした。二人が私的な感情を持ち込み、業務の連携が取れなくなったのだ。
そして、ある日、突然、ミシェルは店を辞めた。
連絡も取れなくなり、間もなく別のフランス人男性と結婚したという噂が日本人街を駆け巡った。
その後、安部兄弟の関係は完全に破綻した。お互いを激しく非難し合い、同じ空間にいることすら耐えられなくなった。
通訳派遣会社は「銀ツリ」からの信頼を失い、潰れた。重要な商談で通訳の手配ミスが発生したのが決定打だった。
兄の「アブクリエーション」も勢いを失った。あっという間に転げ落ちていった。
最も悲劇的だったのは、二人とも妻に愛想を尽かされ、離婚したことだ。子どもたちは母親に引き取られ、二人は異国の地で一人きりになった。
それでも、兄弟の仲が元に戻ることはなかった。
あの頃のことを覚えている者も、もう少ない。サン・ターヌ通りでは、今夜も歌が流れている。
第6話 - シャトー・アルノーの復讐
今から50年ほど前、「恋するシャンゼリゼ」の甘いメロディーが日本列島を席巻していた頃、エマ・アルノーは間違いなくフランスが生んだ最も美しい歌姫だった。ブロンドの髪が夕陽に揺れ、碧い瞳に秘められた情熱が観衆を魅了する。彼女の歌声は、パリの石畳に響く恋人たちの囁きのように、聴く者の心の奥深くに染み入った。
その年の秋、待望の日本公演が実現した。東京、大阪、名古屋と続くツアーは連日満員御礼。会場は熱狂的なファンで埋め尽くされ、アンコールの嵐が止むことはなかった。そんな中、エマの視線は一人の日本人男性に釘付けになった。バックバンドのキーボーディスト、早川敬である。
敬は二十八歳、繊細な指先から紡ぎ出されるシンセサイザーの音色は、まるで雨上がりの庭園に響く鳥たちの歌声のように透明感に満ちていた。彼の演奏中の表情—わずかに眉をひそめ、完全に音楽の世界に没入する様子—がエマの心を激しく揺さぶった。リハーサルの合間、二人は言葉を交わすようになった。エマの片言の日本語と、敬のたどたどしい英語。それでも音楽という共通言語が、言葉の壁を軽々と越えていく。
「あなたの演奏、とても美しい」
エマが微笑みかけると、敬の頬が薄紅色に染まった。
「エマさんの歌声こそ、僕の心に直接語りかけてくる」
そんな彼の言葉に、エマの胸は高鳴った。ツアー最終日の夜、二人は渋谷の小さなジャズバーで朝まで語り明かした。音楽への情熱、夢、そして互いへの想い。言葉にならない感情が、二人の間に静かに芽生えていた。
エマがフランスに帰国してからも、二人の文通は続いた。国際電話は高額で、月に一度が精一杯だったが、その声を聞く度に想いは募っていく。半年後、敬は意を決してフランスを訪れた。パリのシャルル・ド・ゴール空港で再会した瞬間、二人は迷うことなく抱き合った。
「僕と結婚してください」
敬の突然のプロポーズに、エマは涙を流しながら頷いた。
結婚式は小さな教会で行われた。エマの家族や友人たちは、言葉の通じない東洋人との結婚に当初困惑したが、二人の愛の深さを見て次第に理解を示すようになった。敬は正式にグループを脱退し、フランスでの新生活を始めた。やがてエマは妊娠し、翌年の春、美しい女の子が生まれた。ソフィーと名付けられたその子は、母の碧い瞳と父の繊細な面立ちを受け継いでいた。
しかし、現実は甘くなかった。敬はフランスの音楽業界で活路を見出そうと必死に努力したが、言語の壁と文化の違いは想像以上に高く厚かった。彼の演奏技術は優れてはいたが、所詮は日本の一地方バンドのキーボーディスト。ヨーロッパの洗練された音楽シーンでは、際立った個性を発揮することができなかった。数年間、小さなクラブやカフェでの演奏を続けたが、収入は微々たるものだった。
一方、エマ自身もキャリアの転換期に差し掛かっていた。「恋するシャンゼリゼ」の世界的ヒットも遠い過去のこととなり、新しい楽曲はなかなかヒットに恵まれなかった。音楽業界の流行は移ろいやすく、昨日のスターが今日は忘れ去られることも珍しくない。レコード会社からの扱いも徐々に冷淡になり、大きなコンサートホールでの公演から、地方の小さな会場での公演へとダウングレードされていった。
経済的な困窮が二人の関係に暗い影を落とし始めた。敬は次第に酒に頼るようになり、家庭での会話も減っていった。エマが地方公演で家を空けることが多くなると、敬の素行はさらに悪化した。近所のカフェで若い女性と親しげに話している姿を何度も目撃されるようになった。エマがそれを問い詰めても、敬は「ただの友達だ」と言い張るばかりだった。
ついに敬は音楽を諦め、パリの旅行代理店でトランスファー(送迎員)として働き始めた。日本人観光客を空港からホテルまで送迎する単調な仕事だった。かつて音楽に情熱を燃やした男の姿はもうそこにはなく、ただ生活のために働く一人の中年男性がいるだけだった。エマは夫のそんな変貌ぶりに深い失望を覚えた。愛情は急速に冷めていき、もはや修復不可能なほどに関係は悪化していた。
そんな折、エマの祖父が亡くなった。祖父は南フランスのローヌ近郊でシャトー(ワイナリー)を経営しており、エマは唯一の相続人としてそのシャトーを受け継ぐことになった。古い石造りの建物と広大なブドウ畑、そして伝統ある醸造施設。これは新たな人生を始める絶好の機会だった。エマは迷うことなく音楽界からの完全な引退を決意した。同時に、もう一つの重要な決断も下していた。敬との離婚である。
よくあることだが、早川はまさか自分が捨てられるとは思っていなかった。突然の弁護士からの呼び出し。「不貞行為による婚姻関係の破綻」が主張され、離婚手続きはあっというまに進められた。早川には高額な慰謝料と養育費の支払いが命じられた。
彼には必死で働く以外の方法はなかった。朝4時には空港へ向かい、夜10時に客をホテルに送り届ける。かつて酒と女に消えていた金は、今は容赦なく養育費として彼の首を絞めつけた。時間も、金も、女も、そして何よりも彼の虚栄心も、すべてが彼の手から音もなく滑り落ちていった。
一方、エマはシャトーで心から解放を味わっていた。朝は鳥たちの歌声で目を覚まし、昼間は娘のソフィーと共にブドウ畑を歩く。夕方には夕陽に染まる丘陵を眺めながら、自家製のワインを味わう。かつての栄光も、愛の裏切りも、すべてが遠い過去の物語となった。音楽への情熱は新たな形で昇華され、今度はワイン造りという芸術に注がれている。
家に戻ると、ソフィーがピアノの前にいた。
「恋するシャンゼリゼ」
「ママン、これ、パパに教えてもらった曲だよ。」
エマは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに優しく微笑んだ。
「そうね。ママンもこの曲大好きよ。」
そして、小さく呟いた。
「あの人は忘れてしまいたいかも知れないけど。」
ソフィーは屈託なく笑って鍵盤に向き直った。その音色は、シャトーに満ちる午後の光のように、穏やかで希望に満ちていた。
第7話 – 友情とビジネスの狭間
私が小さな通訳・翻訳会社を立ち上げたばかりで経営に四苦八苦していた頃の話。
大学時代からの友人にエリックというフランス人がいた。彼もまた自営業で通訳・翻訳の仕事をしていた。彼は、日本の文学や文化にも深い愛情を抱いていたし、語学力も申し分なかったので、時折、私の会社から和仏の翻訳を依頼することもあった。
エリックは私とは正反対の性格だった。陽気で社交的、人懐っこく、どこか楽天的な面があった。彼は言葉を愛し、その美しさに心を奪われるタイプで、一方の私は言葉を道具として捉え、それをビジネスに昇華させることに長けていた。
一度だけ、エリックと一緒に現場に立ったことがある。フランスの地方都市と、日本のある有名私立高校との間で、フランス分校を設立するという話が浮上し、我々がその通訳を担当した。クライアント同士の文化的な齟齬を調整する役目もあり、通訳というよりは仲介に近い役回りだった。そのときの息の合った仕事ぶりは、今でも記憶に残っている。
日本側の厳格で几帳面なアプローチと、フランス側の自由で創造的な発想の間で、私たちはまるで通訳のデュオのように機能した。エリックが相手の心を開かせ、私がそれを具体的な提案に落とし込む。良い連携プレーだった。
ある日、アルジェリアでの長期通訳派遣の案件が私の会社に舞い込んできた。三ヶ月間の駐在で、クライアントは日本の大手建設会社。現地の政府機関との交渉や技術説明の通訳が主な業務内容だった。報酬は高額だったが、長期出張となると、私の会社のスタッフでは家庭や他案件との兼ね合いで対応が難しかった。
そこで私は、エリックに声をかけることにした。
ある日の午後、事務所近くのカフェで彼と向かい合った。コーヒーの湯気が揺れるテーブルの上で、私は淡々と話を切り出した。いつものカフェだった。私たちは何度もここで仕事の話をし、プライベートな悩みを打ち明け合ってきた。
「エリック、長期の通訳案件がある。アルジェリア。三ヶ月。条件は悪くない。」
「三ヶ月?どんな案件だ?」
「日本の建設会社が現地の政府と交渉するための通訳。正式な文書の翻訳も含まれるけど、主に現場での交渉通訳がメイン。君を見込んで頼むんだ。」
私はエリックの表情を注意深く観察していた。興味を示すように少し身を乗り出す仕草、目の奥に宿る好奇心。
エリックは少し考えてから言った。
「うん、興味はある。報酬は?」
私は事前に計算していた金額を告げた。彼は一瞬、眉をひそめた。
「それって、君の会社の取り分込みの額だよね?」
「もちろん。私の会社が間に入ってるわけだから、クライアントからは報酬の全額を受け取る。そして、そこから君に支払う。」
「で、君の取り分はいくら?」
「20%。標準的な仲介料だと思うけど?」
エリックはカップをテーブルに置き、少しきつい目で私を見た。その瞬間、空気が変わったのを感じた。
「20%?高すぎないか?君と俺の関係で、20%も取るのか?」
私は少し戸惑いながらも冷静に答えた。
「これはビジネスだよ、エリック。友達だからこそ信頼して頼んでいる。でも会社としては経費もあるし、他のスタッフも動いている。20%は決して不当な額じゃない。」
私の心の中で、小さな亀裂が生まれ始めていた。なぜ彼は理解してくれないのか。これは正当なビジネス取引だ。友情とビジネスを混同するべきではない。
「君の口から"ビジネス"って言葉が出てくるのが悲しいよ。君は俺の友達だったろ?それなのに20%も抜いて、俺に仕事させるわけ?」
私は一瞬、言葉に詰まった。
「友達だからって、無料で仲介しろって言うのか?だったら最初から別のフリーランスに頼むべきだったのか?」
「いや、でも……それはちがうだろう。君は俺のこと、金づるとして見てるんじゃないのか?」
「そうじゃない。これは対等なプロ同士の話だ。君にとっても悪い話じゃないはずだ。」
沈黙が落ちた。カフェの雑音が妙に耳に響いた。隣のテーブルの老夫婦の笑い声、エスプレッソマシンの音、パリの街の喧騒。すべてが遠くに聞こえた。
数秒ののち、エリックは立ち上がった。
「そんなふうに考えてるなら、俺は降りるよ。」
「エリック……今から新しい人を探すのは無理なんだよ……」
「関係ない。君が友達から金を盗むような真似をするなんて…」
そのまま出ていった。
私は心底がっかりした。
《エリック、それはビジネスでは絶対にやってはいけないことなんだよ。》
私は、しばらく考えた後、案件を丸ごとエリックに引き渡すことにした。クライアントには、通訳と直接連絡する形に変更してもらった。もちろん、会社の取り分も何もない。すべて手を引いた。
三ヶ月後、エリックが帰国した。突然、私の事務所に現れた彼は、報酬の5%にあたる金額の小切手を差し出してきた。
「これ、君の分。正当な対価だと思う。」
私はそれを受け取らなかった。馬鹿らしい、話にならない。
「いらない。持って帰ってくれ。」
彼は何か言いたそうにしたが、黙って去っていった。
さらに数ヶ月後、エリックが日本人女性と結婚することになったという知らせが届いた。私は出席を断った。
私はそういう人間なのだ。…極めて心が狭い。
彼はその後、奥さんとともに日本に渡った。奥さんはそれなりの名家の出身らしく、エリックは安定した生活を送っているらしい。私には何の関係もないし、興味もない。
第8話 – シャーク、サンマルタン運河に沈む
サン・ターヌ通りの居酒屋で、今でも時々名前が上がる男がいる。
「シャーク川内」。
元プロレスラー、観光バス会社のオーナー、そして、パリ日本人街でも指折りの嫌われ者だった。
私は通訳の仕事で、何度か彼のバスを利用したことがある。
会社名は「川内観光」。バスの車体には剥げた鶴のマーク。運転席には古いプロレス雑誌が積まれ、ハンドルを握るのは川内本人だった。
60を過ぎてもがっしりとした体格で、サングラスをかけ、観光客相手でも容赦なく怒鳴った。
「てめえら、道にほうり出すぞ!」
通訳ガイドが言い間違えると、本当に拳を振り上げる。
「お前はまともにガイドもできねえのか。」
誰も文句を言えなかった。黙ってうつむくしかない。
川内の会社では数人の東欧系ドライバーを雇っていた。その中にミロシュ・Sというユーゴスラビア人がいた。
ミロシュは寡黙で酒好き、かつては軍のトラック運転手だったという。しかし、川内にとってそんな経歴は関係なかった。
ミロシュは毎日のように怒鳴られ、時には殴られた。
「ワシのバスやぞ!」
「そのうち殺したる!」
ガレージにはそんな怒声が響いていた。
そして、あの朝が来た。
パリ北部のサンマルタン運河沿いで、川内の観光バスが水に沈んでいるのが発見された。
濃い霧の中、わずかに路肩を逸れて運河に突っ込んでいた。晴れていれば防げたはずの事故だった。
車内には川内の遺体だけが残されていた。
知らせはすぐにオペラ通りに広がった。
「事故だって?」
「いつも酒飲んで運転してたからなあ。」
「運転手がやったって噂もある。」
誰もが憶測を語ったが、真相を知る者はいなかった。
警察発表は「飲酒による運転ミス」。しかし、直前に姿を消したミロシュの存在が、人々の想像をかき立てた。事故の前夜も川内と揉めていたらしい。
ただ、こんな意見もあった。
「うーん、観光バスの運転手はすぐに飛ぶから、なんともいえんな。トンネルの天井にぶち当たってバスを壊して、そのまま国に逃げ帰った奴もいたっていうし。」
いずれにせよ、川内が死んで、オペラ通りは少し静かになった。
川内に恨みを持ってた奴は数えきれないほどいたらしい。地元のギャングとの金の話、女を巡るトラブル、ガイドへの暴力—しかし、すべては憶測でしかない。
今もサンマルタン運河には観光客が訪れる。しかし地元の人間は、あのカーブには近づかない。
暗くて、滑りやすいからだ。
そして何より——あそこで死んだ男のことを、皆が覚えているからだ。
第9話「砂漠の逃亡者」
その夜、サン・ターヌ通りのカラオケラウンジに見慣れない集団が現れた。全員が短髪で、日焼けした精悍な顔つき。姿勢が良く、歩き方が違う。
「フランス外人部隊の日本人隊員です。」
代表格らしき男が店のママに名刺を差し出した。田村という名前で、40代前半、元自衛官だという。
「人を探しています。」
田村は一枚の写真を取り出した。20代後半の日本人男性。短髪で真面目そうな顔をしていた。
「佐藤という男です。一週間前に部隊から姿を消しました。脱走です。」
アフリカでの任務を前に、恐くなったのだという。
「佐藤の気持ち、わからないこともありません。しかし、軍隊には軍隊のルールがあります。いずれにしても、逃げとおすのは難しいでしょう。そのうち日本人街に現れると考えています。」
田村たちは『カスバの女』をカラオケで歌った。本物の外人部隊員が歌う「外人部隊の白い服」の歌詞は、妙にリアルだった。
数日後、ラウンジで働くマリーが私に小声で話しかけてきた。
「あの日本人の兵隊さんのこと、知ってるよ。私のアパルトマンに隠れてる。もう三日になる。」
「どうして匿っているんだい?」
「彼、すごく怖がってる。戦争に行きたくないって、泣きながら言うの。可哀想で。」
私は田村の連絡先を思い出した。しかし、それを教えることは佐藤を部隊に引き戻すことを意味する。
結局、私は何もしなかった。
しかし、一週間後、田村が一人でラウンジに現れた。表情は暗く、肩を落としていた。
「佐藤が北駅で捕まりました。脱走の件はなかったことにされ、急遽最前線へ送られました。アフリカです。そして昨日、戦死の報告が届きました。」
「仲間は弾は後ろから飛んできたように感じたといっています。詳細は不明ですが…」
田村はマリーに向き直った。
「佐藤は、あなたのアパルトマンに隠れてたんですね。」
「そのことをどうこう言うつもりはありません。でも、彼は最期まであなたのことを話していたそうです。『パリの天使』と呼んでいたと。」
マリーは少し考えてから答えた。
「そう。可哀想ね。」
それだけだった。
「我々は明日、部隊に戻ります。今夜が最後になるかもしれません。」
田村は再び『カスバの女』をデンモクに入れた。今度は一人で歌った。その歌声は、前回よりもはるかに重かった。
「佐藤の分も、我々が背負っていきます。」
田村達は去った。
佐藤という男が存在したことを知るのは、今やマリーと私だけになった。
戦争は遠い砂漠で起きている。しかし、その影はパリの片隅にも届いていた。
☆
第10話「サン・ターヌ通りの王様、田中の転落」
パリのオペラ通りでは、ときどき「日本人街の三悪人」という言葉が囁かれる。その一人だったシャーク川内の不可解な死についてはすでに語ったが、次は田中の話をしよう。
田中は免税店を数軒経営していた。パリの中心、日系旅行代理店から徒歩5分の好立地。日本人ツアー客が絶えない。そこで働くのは、若い日本人女性たちだった。
そして、彼の採用面接の話は有名だった。
「面接は個別に。必ず下着姿になってもらう。」
もちろん、今ではとても信じられないし、当時でも異常だった。しかし、誰も公にはしなかった。彼の店で働くことは、当時のパリでは良い条件だった。日本語しか話せなくても時給が良く、住居が手配されることもあった。
だから黙っていた。泣き寝入りする者もいれば、諦めて媚を売る者もいた。
田中は、そんな構造を熟知していた。
彼の支配は閉店後に最も顕著になる。
終業時刻、ロッカーの前で待っている。
「忘れ物ないか? バッグとポケットの中身を出せ。はい、スカートめくって。」
それが日常だった。
しかし、彼の支配は永遠には続かなかった。
ある日、一人の女性店員がとうとう労働基準局に匿名で通報した。
内容は、不適切な身体検査、セクシャルハラスメント(当時こんな言葉はなかったが)、恫喝的な労務管理。
内部調査が入り、やがて正式な捜査に発展すると、連鎖反応のように別の問題も浮上した。
店の在庫に、税関を通っていない高級ブランド品が混じっていた。組織的な並行輸入が疑われた。
警察が本格介入したのは、それからだ。
田中はすぐには逮捕されなかった。彼は警察に金を流していた。パリの警察官にも、税関職員にも、彼の名前を知っている者は多かった。
しかし、事態は田中の手の届かないところまで広がり始めていた。
テレビが報じ始めたのは、捜査開始から1か月後だった。
「日系免税店、従業員への不当な扱い。」
「並行輸入による脱税容疑で家宅捜索。」
田中は、ついに逃げようとした。フランス国外—日本だった。
しかし、シャルル・ド・ゴール空港の保安検査場で、田中の手荷物から大量の現金が発見された。
「Monsieur TANAKA, vous êtes en état d'arrestation.(田中さん、あなたを逮捕します)」
空港詰めの警察官が静かに告げた。
さらに、現金以外にも、一部の商品の梱包材の中から、麻薬まで発見された。
完全に終わった。田中は『知らない』と主張したが、裁判所は『組織的犯罪への関与』と認定した。」
裁判は迅速に進められた。起訴状は数十ページに及び、検察は「特に悪質」と断じた。
判決は——
罰金120万ユーロ、禁錮20年。
傍聴席には、かつて彼の下で働いていた女性たちがいた。
誰も泣かなかった。誰も叫ばなかった。ただ、静かにその判決を見届けていた。
今、サン・ターヌ通りの彼の店は、別の会社が経営している。内装は変わり、接客も変わった。
ところで、「日本人街の三悪人」の最後の一人についてだが、これは話さないほうがいいだろう。
第11話「バカラ煉獄篇」
今から語ることはよくある転落話の一つだと思われるかも知れない。しかし、実際に目にすると身に沁みることは間違いない。
彼女は、サン・ターヌ通りで"勝った女"として知られていた。
免税店3軒、ホテル2軒、従業員は60人以上。独身、金持ち、堂々たる物腰。まさに「女社長」という肩書きがぴたりと張り付いた人物だった。
だが今は—
彼女は、焼き鳥屋で雇われとして立ち働いている。パリの片隅で、カウンター越しに皿を出し、火に向かって黙々と串を返している。
最初に"勝った"のは、モンテカルロのカジノだった。バカラ。
彼女は、わずか30分で10万ユーロ余りを勝ち取った。
その夜から、彼女はカジノのVIPリストに名を刻まれた。専属のコンシェルジュがつき、スイートルームが無料で用意され、リムジンでの送迎、シャンパン、エスコート—"上客"としての地位が彼女に用意された。
「社長、またバカラですか?今日は特にツキそうですね。」
「いいですよ、お貸しします。サインひとつでOKですよ。」
—そう。カジノは貸すのだ。資産があると見込んだ者には。
彼女は、勝った記憶が強すぎた。自分は読み切れる。流れがわかる。運がついている。そう信じていた。
最初は2000ユーロ、次は5000ユーロ、そして1万ユーロ。次は一晩で10万ユーロ。大したことない。すぐに取り返せる。
負けては取り返し、負けては借り—気づけば、ローリングチップの残高は7桁になっていた。
免税店の1軒を閉めた。「改装のため」と言ったが、実際はカジノへの返済資金だった。
ホテルの1軒を売った。「リストラクチャリングの一環よ」と笑ったが、手元には支払い明細しか残らなかった。
最後に彼女がVIPルームに座った夜、貸付残高は200万ユーロを超えていた。
その夜のバカラは、不思議なほど静かだった。
彼女がカードをめくるたび、1、2、3——また1。何度やっても、9には届かない。
「社長、今日はちょっと運が……」
「運がなきゃ、人間じゃないのよ。もう一回。」
彼女は最後の一枚を引いた。"3"。
それが彼女の人生最後のカードだった。
焼き鳥屋で、私は彼女に再会した。
夜のサン・ターヌ通り。細い路地に漂う炭火の煙の中、彼女はカウンターの奥にいた。前掛けに手ぬぐい。かつての女帝の面影は、声だけに残っていた。
「あらっ…懐かしい顔ね。」
私は何と声をかけていいかわからなかった。
「今はこの店を?」
「雇われよ。雀の涙の時給で、昼も夜も立ちっぱなし。何もかも売り払って、やっと借金を返し終えた。今は、串の焼き加減だけ気にしていればいいの。そういう人生も、案外悪くないわよ。」
だが私は、彼女の言葉の奥に、まだ消えていない意志を感じ取った。カジノには戻らないとしても、人生の勝負を、彼女は投げてなどいない。
バカラではないが、大金を失ったことのある私には、それがわかるのだ。
第12話-「同時通訳ブースの孤独」
パリの国際会議場。ガラス張りの同時通訳ブースから見下ろすと、各国の外交官たちがスーツ姿で着席している。
会議通訳にもランクがあって、トップが重要な仕事を取る。私は同時通訳はやっていたが、このレベルの仕事は少なかった。しかし、知人の麻子が病気になってからは、時折、彼女の代理で会議通訳を務めることがあった。
「日仏会議通訳の世界は狭いのよ。」
ある日、麻子は薄いコーヒーをすすりながら言った。彼女の顔は、以前よりもさらに痩せて見えた。
「トップは8人くらい。ポール赤西、城田、パスカル、加川ベルナール、ガルシア、レオナール山本、みんな個性的で、そして...みんな何か問題を抱えてる。その頂点に立つのがクロエ吉沢よ。」
クロエ吉沢は日仏文学の研究者で、通訳の仕事はめったに引き受けないことで有名だった。
私は日仏文学者交流会でクロエ吉沢の仕事を見たことがあるが、確かに彼女の通訳は素晴らしかった。講演者の複雑な文学理論を、完璧なフランス語で、しかも原文以上に美しく訳していく。
「ブラボー!」
講演終了後、会場から起こった拍手は、明らかに通訳者に向けられたものだった。日本側の講演者の顔が、一瞬、曇ったのを私は見逃さなかった。
麻子は手鏡を見ながら、ふっと笑った。自分がそこには届かないという諦念があったのだろうか。
それでも麻子は技術と誠実さだけでこの世界に居場所を築いてきた。
そして彼女には、通訳の仕事と同じくらい-いや、それ以上の生きがいがあった。
「ミシェルが、キヨスクを経営したいって言うの。」
ミシェルは麻子の恋人だった。30代前半のフランス人女性で、麻子より10歳近く年下だった。そして、麻子とは対照的に、華やかで美しい女性だった。
私が初めてミシェルに会った時、内心で驚いた。
「店を買ってあげるの。彼女の夢だから。」
麻子は、貯金を切り崩してミシェルにキヨスクを買い与えた。
しかし、ミシェルは真面目に働かなかった。店を友人に任せて遊びに出かけることが多く、特に週末は必ず姿を消した。
店は、3ヶ月で潰れた。
その年の秋、重要な日仏経済会議で、麻子が同時通訳ブースで倒れた。
私は急遽、代理としてブースに入った。
その時、同僚のパスカルが私に近づいてきた。
「麻子は、もう長くないよ。」
彼の声は、事実を淡々と述べるだけだった。
「彼女の恋人、知ってるか?あの女、最初から男と付き合ってた。麻子が入院してる間じゃない。もっと前からだ。」
パスカルは肩をすくめた。
「でも麻子は知ってる。薄々、な。それでも愛し続けてる。自分の容貌じゃ、他に愛してくれる人なんていないと思ってるから。愛って、時々、人を盲目にするどころか、見えていても止められないものなんだな。」
麻子の病状は急速に悪化した。しかし、入院してからも、彼女はミシェルの洋服店の資金を心配していた。
「彼女の夢を叶えてあげたいの。私にできる最後のことだから。」
病室で、麻子は震える手で銀行の書類にサインをしていた。病気でますます痩せこけた顔は、鏡を見ることさえ辛そうだった。
ミシェルは時々見舞いに来たが、滞在時間は短かった。いつも「用事がある」と言って、早々に立ち去った。麻子は、そんな彼女の後ろ姿を、愛おしそうに見つめていた。
「ミシェルは忙しいの。新しい店の準備があるから。私なんかのお見舞いより、大切なことがあるのよ。」
麻子は、最期まで彼女を庇い続けた。
麻子は、3ヶ月後に亡くなった。
葬儀には、会議通訳仲間が数人来ていた。クロエ吉沢は花を手向け、静かに祈りを捧げた。その美しい横顔を見て、私は麻子が生前、クロエ吉沢を見つめていた時の複雑な表情を思い出した。城田は「優秀な同僚だった」と短くコメントした。
ミシェルの姿はなかった。
「彼女、モナコの実業家と結婚したそうよ。麻子の遺産で洋服店を開いて、それが縁で知り合ったんですって。」
加川ベルナールが、小声で教えてくれた。
「では、彼女はバイセクシュアルだったということですか、あるいはビジネスレズ…」
「そうでしょうね。結局、麻子の金で人生を変えたのね。ある意味、麻子の夢は叶ったのかもしれないけど。でも、麻子がもう少し自分を大切にしていれば...」
麻子の遺品を整理していると、彼女の手帳が出てきた。最後のページに、震える字でこう書かれていた。
「ミシェルが幸せでありますように。私の愛が、彼女の重荷になりませんように。彼女の新しい人生が、私の贈り物になりますように。私のような女を愛してくれた彼女に、せめて美しい未来を。」
私は、その文字を見つめながら思った。麻子は、最期まで真実を知っていたのだ。ミシェルの本性も、自分が利用されていることも。それでも、愛し続けることを選んだのだ。劣等感が、その愛をより一層、献身的で盲目的なものにしていた。
パリの国際会議場では、今日も各国の外交官たちが熱い議論を交わしている。同時通訳ブースでは、誰かが麻子の代わりに座り、二カ国の言葉を橋渡ししている。
だが、あの静かで厳格な声は、もうそこにはない。
計算された愛に騙されながら、それでも愛し続けた女の物語は、言葉の向こう側に消えていった。麻子は、生涯コンプレックスを抱き続け、そのコンプレックスが彼女の愛を歪ませ、最後は彼女自身を破滅に導いた。
通訳という仕事は、他人の言葉を正確に伝えるものだ。だが、麻子は最期まで、自分の本当の気持ちを誰かに訳すことはなかった。愛の翻訳だけは、彼女の心の中にしまったまま。
そして、その愛だけが、この物語で唯一、純粋で偽りのないものだった。たとえそれが、自分への侮蔑から生まれた、歪んだ愛であったとしても。
【番外編:私は彼を知らなかった】
1981年、パリ。
私は16区の高級住宅街に住んでいた。広い並木と石造りの建物。家賃は高かったが、当時の妻のアパルトマンに転がり込んでいたのだ。
彼も、その街にいた。
佐川一政。
同じ通り、同じ大学、同じ時期。
だというのに、私は彼と一度も会っていない。
彼は体が弱くて、いつもタクシーで通学していたらしい。学内でも話題になるようなタイプではなかった。
事件が起きたのはその年の6月。
彼が、オランダ人留学生を殺し、解体し、食べた。
詳しくは言えないが、かなり経った後のことだ。事務所の電話が鳴った。
「佐川一政の事件の捜査資料を翻訳していただけませんか。一人でお願いしたいんです。信頼できる方にしか頼めないので。」
捜査に随分、時間がかかったらしい。日本に送るのだろうか。
資料は山のように届いた。彼が何語で供述したのかは知らないが、少なくとも書類はすべてフランス語だった。
すべて一人で翻訳した。誰の助けも借りずに。
資料には、白黒の写真が添えられていた。
遺体の部位ごとの画像。冷蔵庫に収められた肉。ナイフの角度まで写っていた。
そして、佐川の供述。
「太ももは冷やすと切りやすい。」
「肩はナイフが滑る。内臓は柔らかくてすぐ出る。」
「焼くと硬くなる。冷たいまま、薄く切るのがいい。」
まるでレシピだった。
気分が悪くならなかったは言わないが、私は手を止めなかった。仕事だから。
訳しているうちに、ふと気づいた。
この"彼"は、私と同じ石畳を歩いていた人間なのだと。
けれど私は彼を知らなかった。一度も見たことがなかった。
それなのに——
今、私は彼の言葉を、一語一語、日本語に置き換えている。
あの通りを歩くたびに、私は自分に問いかける。
「なぜ私はあの時、彼を知らなかったのか。」
「なぜ私は、彼を訳すことになったのか。」
・・・・・・
ここまで語ったことは、今となっては、すべて遥か昔の思い出だ。
人生の閉幕時を迎えて、私は、二度とパリの日本人街の石畳を踏むことはないだろう。