空色のクジラ
小さなフェリーに乗り込んだのは、業者の他には陽介さんと私と友香梨の三人だけだった。私はミヨの両親が来ていないことにほっとした。
陽介さんは髪が伸びていて、無造作に後ろで結んでいた。また少し痩せたようだ。
船内にはモーター音が鳴り響いているのに、陽介さんが泣く声がずっと聞こえていた。
長い手足を折りたたんで、遺骨を胸に抱きよせて膝を抱えている。子どもっぽい仕草に、私はミヨが彼を甘やかす様子が目に浮かぶようだった。
「いやだ」
嗚咽に混じって聞こえてきた言葉に私は俯いた。やっぱりやめましょう。そう言ってあげたかった。
こんなの、むしろ忘れられなくなるよ。
そうしているうちにもフェリーは岸から遠ざかってゆく。
友香梨が泣きじゃくる陽介さんに近づいてポケットティッシュを差し出した。
「……すみません」
「私は陽介さんが、ミヨの好きなタイプそのままで嬉しいです」
「そう、なんですか?」
目元を拭って陽介さんが破顔した。
一人にしてあげよう、と友香梨に耳打ちされ二人で甲板に出る。
強風に煽られながら見上げた空はミヨの好きな色をしていた。
「ミヨの好きなタイプって?」
私は前髪を押さえる友香梨に訊ねた。好きなタイプなんて話してたっけ。
「自分を求めてくれる人、だって」
「……そうなんだ」
「昔聞いたときは、求めてくれるだけの人なら簡単に見つかるじゃん、としか思わなかった。あの頃は彼氏に困ることもなかったし、若い女ならみんなそうだって思ってた。だけど今になってみたら、難しいことだなあって。羨ましいよ、ミヨが」
私は振り返ってガラスの向こうの丸まった背中をみやった。
めちゃくちゃ求めてくれる人じゃない。やるね、ミヨ。陽介さんの腕に抱かれているミヨに心の中で呟く。
フェリーが止まり、散骨のセレモニーが始まった。
献花をして、花弁が海に浮かぶ。潮の匂いに花の芳香が混ざって鼻孔に届く。
「海はミヨに似合うね」
友香梨が揺れる花弁を見ながら呟いた。
私は鞄から折り紙を取り出した。来る前に折っておいた、空色のクジラ。
「折り紙ですか?」
陽介さんが私の手元を覗き込んだ。
「水溶性の折り紙なら、散骨と一緒に海に入れてもいいって聞いて」
「可愛いですね。……クジラ?」
「クジラって、海で一番強いんですよ。サメにも勝てるんです」
「じゃあ、クジラと一緒ならミヨさんも安心ですね」
瞬きが多くなった陽介さんの手から、ミヨが飛び立つ。折り紙のクジラも風に運ばれて、ずいぶん遠くへ飛んで行った。
「きれい」
言葉は波に吸い込まれていった。
陽介さんはミヨが溶けた海も愛しく想うだろう。
少しずつ新しい日常が訪れても、消えることはない。歳を重ねてもきっと思い出す。
それはミヨが選んだ幸せの形なのかもしれない。
水面がきらきらと美しくて、私たちはフェリーが着くまでずっと海を眺めていた。
ミヨが陽介さんと二人きりで逃げることを選んだ世界線があったらいいのに。異国だって、なんなら別の星だっていい。遠くで暮らす二人に私と友香梨で会いに行って、お酒でも飲んで。もうこの世界では、ありえないけれど。
フェリーから降りると、泣きはらして鼻の赤い陽介さんは私と友香梨に頭を下げた。
「今日は来てくださってありがとうございます。ミヨさんいつもお二人の話ばっかりしてました。唯一の友達だって。何も聞かずに、普通の友達でいてくれるのが嬉しいんだってしょっちゅう言ってました。……妬けるくらい」
目を細める陽介さんの顔が滲んでゆく。友香梨は頽れて、しゃがみ込んでしまった。
最後までミヨは私たちを救ってくれるのに、私はもう、ミヨにしてあげられること何もない。もどかしくて、くやしくて、しかたない。
次に会う時まで、話したい事準備しておいてね。私はもうすでに、話したい事で胸の中が洪水みたいだよ。
本当は全然完璧なんかじゃなくて、欠点だらけだってこと。渋くなってしまった紅茶に牛乳をいっぱい入れて飲むのが好きなこと。最近ようやく、初恋を終わらせた話。
これからも増えてゆくから、覚悟した方がいいよ。
出港の汽笛が鳴り響く。潮風が私の涙を拭うみたいに通り過ぎて行った。




