宇宙人の特別なひと
営業部による私の送別会は思いもよらないほど大人数で開催され、そのまま二次会になだれこんだ。
「送別っていっても、三階上のフロアにいるんだけどなあ」
大袈裟なくらいの花束を一瞥して呟く。
二次会の会場となっている居酒屋の座敷は、もはや元々の目的を忘れ始めているのだろうと推察されるひどい有様だった。華やかな花束だけが別の次元から送り込まれたかのように浮いている。
「三階上のフロアなんて滅茶苦茶遠いですよお。ハーフマラソンくらいありますよお」
向かいに座っている部下の一人である新入社員の女の子がそう言って、テーブルに頭を預ける。ゴン、と鈍い音がして動かなくなってしまった。
私の後任で別の支社から来る予定の係長が、新入社員の間で怖すぎると有名らしい。私も怖くないことはなかったと思うけど、惜しまれるのは悪い気はしない。
「あーもう吉川さん、新人潰さないでくださいよ」
このバカ騒ぎの中心人物である花岡くんが私達の様子を見つけて声を上げた。
彼は近くにいる別の女性社員を捕まえて、夢の中に行ってしまった新入社員の介抱を頼んでから私の横に座る。
それから私の耳朶に顔を寄せて小声になった。
「そろそろお開きにしましょうか。お会計は部長たちに相談してもう集めてあります」
酔っぱらっているように見えたのに、しっかりした様子の花岡くんに目を丸くしてしまう。初めて行った住宅展示場でブラインドを破壊したあの頃の彼とは違うんだな。
感慨深くなって私は口元を緩めた。
「私の後任が、君の良さをもっと引き出せたらいいと思うよ」
しみじみ言うと花岡くんはどこか拗ねたみたいに口をへの字にした。
「店、出ますよ」
階段を下りて外に出る。アルコールに浸かった頭に夜の冷たい風が心地よかった。もうようやく、夏も終わりだ。
次々と酔った同僚達がタクシーに詰め込まれてゆくのを見ていたら、いつの間にか少し離れたところにいる花岡くんに手招きされた。
「酔い覚ましに、コーヒー飲みません?」
彼の手にはこれまたいつの間に買ったのか、コンビニの袋がぶら下がっていた。
はい、どーぞ。
思わず受け取ると、私が冬になるとよく買うペットボトルのホットコーヒーだった。彼の手にはロイヤルミルクティー。
「コーヒー飲むんじゃないの」
「僕はティー派なんです。少しだけ歩いてからタクシー拾いませんか?」
笑みを浮かべる花岡くんの提案を飲むことにしたのは、私も彼を憎からず思っているからだろう。
ふと振り返ると、すっかり私たち以外誰もいなくなっていた。いつの間に。
「みんないなくなってる」
「僕の社内営業の賜物です」
「どういうこと?」
花岡くんは笑みを深くして歩き出してしまったので、とりあえず着いてゆく。
並んで歩くと、ヒールの分私の方が視線が高い。手の中のコーヒーが温かかった。
「もう少し、営業やりたかったな」
「もう少しやってほしかったです」
「至らない上司でごめんね」
「吉川さんは、完璧でしたよ」
「完璧ではないでしょ」
喉の奥で笑って私はペットボトルの蓋を捻った。コーヒーがゆっくり下りて胃を温める。
「完璧ですよ。僕にとっては。何をもって完璧とするのかは、全部その人の価値観です。――吉川さんは宇宙人はいると思います?」
「唐突だね。いるんじゃない? どこかには。それこそ擬態してたりね」
ティー派の花岡くんはペットボトルを手の中で弄ぶばかりだった。飲まないの。聞こうかと思ったけど、やめておく。
「地球の環境は宇宙でも他にないいい環境だっていうじゃないですか。酸素があって、水があって太陽があって。でもそれって、地球に住んでる生物の価値観で、宇宙人からしたらものすごく住みにくい環境なのかもしれないですよね」
だから、吉川さんは完璧なんです。
私は眉根を寄せて首を捻った。
「つまり花岡くんは宇宙人なの?」
「吉川さんは僕にとって特別だってことですよ」
とくべつ。やっぱり彼は良い表現をする。
なんだかくらくらした。
「でも私、花岡くんとはうまくいかないと思うなあ」
「なんでです?」
「だって私、海も山も川も行きたくないし。キャンプも野球観戦も興味ない」
「……僕の趣味、ちゃんと覚えてるじゃないですか」
「人の趣味を覚えるのは営業の基本だよ」
「僕と行けば楽しいかもしれませんよ」
不貞腐れた声を出す花岡くんに私は笑ってコーヒーを嚥下する。
都会の夜は明るくて眩しい。もう少しだけ、歩いたらタクシーを拾おう。だけどなんだか、もったいない気がした。
「楽しいかなあ」
「キャンプに行っても、吉川さんは好きな事しとけばいいんですよ。僕が右往左往するのを眺めながら本でも読んどけばいいんです」
花岡くんも私の趣味、ちゃんと覚えてるじゃない。
「それはちょっと魅力的だけど、もっと重要な問題がある」
「……なんですか?」
「私、自分の事絶対好きにならない人じゃないと色気を感じられないみたいなの」
見たことない苦い表情で花岡くんは私を見た。
「とんでもない悪癖じゃないですか」
宇宙人だったらいいのに、花岡くん。
空には星なんて見えなくてきっと私は地球人で、地球人のくせにたまに住みにくいなんて思ったりする。それでも私が生きた場所はここだけだから、ここだけが特別だ。
八月三十一日。
『意外と広がりやすいあの子の髪には湿度が反映される。ボサボサの髪を何度も撫でつける仕草が好きだから、雨の日は好きだ。
八月十一日。
『結婚してくれてありがとうとあの子は言う。結婚してごめんねって、心の中で返事をした』
七月七日。
『あの子は私の、最初で最後の人だ』




