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夜ふかしするひと  作者: 雨咲まどか
2.閉店セール
10/14

あつい緑茶

 十二月二十五日。

『どっちもやりたいとあの子が言うから、昨日は外でディナーを食べて今日は家でチキンを焼いた。家にツリーがあるなんて、また夢が叶った。もうしばらく片付けたくないと言ったら一年中飾ろうかと言われた。それは違う』

 十一月十日。

『あの子の大きな手が好き。私のボロボロの手を包んで見えなくしてくれる』

 十月三日。

『どんどん夢が叶っていく。私のみていた夢が、どれほど大したものではなかったのかがわかる』

 九月二十日。

『あの子は何かを耐える時、瞬きが多くなる癖がある。ずっと気が付かなければいい。そうしてあの子に優しくしてくれる人だけが、その癖を知っていたらいい』



 雨が降るのを堪えているような空が窓の外に広がっている。降りだす前に帰りたいな。口の中で独り言ちて、私はアルバムのページを捲った。

「急に帰ってきたと思ったら昔の写真なんか引っ張り出して、どうしたの?」

 急須を手にした母が首を傾げる。

 母は年中、急須で熱い緑茶を淹れる。故郷が茶畑のある町だったからこれが当たり前らしい。飽きもせず同じメーカーの茶葉を使い続ける理由を「いつもの味が安心する」と言うあたり、私は母似だ。

「たまには自身の半生を振り返ろうかと思っただけ」

 これは本当だった。夜ふかしをして自分の『辛さ』や『悲しさ』を思いやろうとした私は、一体いつからこれらを蔑ろにしてきたのか思い出したくなった。

「ふうん。あ、美味しい」

 母は私の買ってきたスイートポテトを齧りながら、テーブルに積み上げられたアルバムを一つ手に取った。

 私もスイートポテトを咀嚼して熱いお茶で流し込む。いつもながら完璧に淹れてある緑茶からは柔らかな香りがした。

 アルバムは赤ん坊の頃から始まって私の成長をきちんと記録していた。少しずつ大きくなってゆく自分の姿を追っていると、途中から写真に変化が起きたことに気が付いた。

「あ、そうか」

 ブレたり見切れていたり、明らかにカメラの腕が落ちたのに加えて大きく変わっていたのは被写体だった。

 小学生の頃までは母と私が二人で写っている写真が多かったのに、中学生になったあたりから私が一人で写っている写真ばかりになっている。当たり前だ。母がカメラを持つ側になったから。

「なにが?」

 声を上げた私に母が訊ねた。

 写真、ずっとお父さんが撮ってたんだね。言いかけてやっぱりやめておく。

「なんでもない」

 撮影者が変わったのは、ちょうど父が出て行った頃だった。気が付くと居ない夜が増えていって、ある時全く帰ってこなくなった。何度も何度も母を問い詰めて、父には別の家族が出来たのだと知った。

 別の家族が出来るなんてことが、簡単に起こりうるということに愕然とした。当たり前に維持されるものではなかったことを、中学生になったばかりの私はその時知った。

 母はローンが二十年も残っていたこの家に住み続ける事を選んだ。

父だけが欠けた家で私たちは生活を続けた。忙しく働いて、それでもこの家を守り続けた母のために、誰にも何も言わせないために、私も私自身を守ることを選んだ。

 建築学科を選んだのも、住宅メーカーを選んだのも、思えば母が必死で守った家というものに興味があったからだった。

 私はテーブルの焦げ跡を撫でた。

 日常を大切に思う気持ち、水をやった薔薇を特別に思う気持ち。私にもあるものだ。ちゃんと持っているものだったのだ。

「お母さんは、再婚しないの?」

 さりげなさを装って訊ねてみると、母が笑う気配がした。

「するよ」

「ふうん。――え?」

「再婚、する」

 この家のローンも無事終わったしね。

 スイートポテトを美味しいと言ったのと同じ口調でもって言いのけて、母は頬杖をついた。

「ほんとに?」

「ほんとほんと。お正月帰ってきたとき紹介しようと思ってるから、ちゃんと来てね」

 もうこの話は終わりとでもいうのか、母はまたアルバムに目を落とした。

 私は何か言いたいのに適切な言葉が思い浮かばずに、ページを捲る音だけがまるで木霊するみたいにリビングを埋め尽くした。

「あ、この子覚えてる? 三浦さんちの」

「は、え? 三浦さん?」

手にしているアルバムをこちらに向けた母が一枚の写真を指さしている。

 目の前がチカッと光った気がした。記憶が雪崩れ込んでくる。ご近所のみうらさん。母が仲良しで、家を行き来することもあった、二人兄弟の子どもがいる家。

「りょうちゃん」

 写真には歯を見せて笑う日に焼けた男の子と、恥ずかしそうに俯く小学生の私の姿があった。

「そうそう、りょうちゃん。なんかお店始めたんだって。間借り営業? っていうのをしてるらしいのよ。三浦さんが言ってたんだけど、最近はそういうのがあるのねえ。ほら、お店のカード貰っちゃった」

 母は立ち上がって引き出しから名刺サイズのカードを取り出した。私はそれを手に取り何度も心の中で読み上げる。

「夜に営業するカフェなんだって。宣伝してもらったんだけどお母さんはあんまりその辺り行かないし、真紀行ってみたら?」

「……うん」

「あ、でも真紀はずっと会ってないんだっけ。りょうちゃん、変わったから会ってもわかんないかもねえ」

「変わったって?」

「お母さんも最後に会ったのは結構前なんだけど、ずいぶん綺麗になってたよ。今は女の人なのかな? いや、手術してないから戸籍上は違うって言ってたっけ」

 私は母から次々と出てくる情報に目が回りそうだった。どういうことだ。もう少し落ち着かせてほしい。お茶が美味しい。


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