海にとける
わたしはデータ人。
人類は永遠の生命と地球の保全のため、データになることを選んだの。
電脳空間で生きている。その管理は自律機械がやっているわ。わたしの目には、自律機械はデータの海に立つ灯台に見えている。もちろんそれはただのイメージにすぎない。
肉体があったとき、人は皆、個人だったらしい。
データ人になってからしばらくの間、100年か1万年かよくわからないけれど、個人という概念と存在は残っていた。
でもだんだんとデータの海で融合していって、個人はなくなってしまった。白波と白波がつながって、かつては別の波だったことが信じられない。
だからわたしではなく、わたしたちと言うべきなのかもしれない。いまとなってはどちらでもいい。わたしとわたしたちとのちがいが、わたしにはもうわからない。
永遠の生命を得るためにデータ人になったのだけれど、もはや死の恐怖は失われているわ。
自律機械がデータを全消去しようと、機械が壊れて電脳空間の維持ができなくなろうとかまわない。
まったく怖くない。
データ人には喜怒哀楽がない。
データになってからしばらくはあったらしい。感情がいつ消えたのかよくわからない。データ人は別に賢くはないの、残念ながら。どうでもいいデータは消えていく。すべてのデータを保存するのは不可能で、その選別も自律機械がやっているわ。
わたしはあまり考えない。
なんのために存在しているのかわからない。
もう人ではないのかもしれないが、なにをもって人というのかもわからない。
個人が存在していたときは、哲学者が考えていたようだけれど、融合したいま、哲学的データは全データの0.00000001パーセントぐらい。なきに等しい。
わたしの核はデータの大洋に浮かぶセーラー服を着た少女の形をしている。それがかつて人であった最後のなごり。だけどこのイメージを維持するのもだんだんとむずかしくなってきて、赤いスカーフは外れて流れていってしまった。
核も溶けて、ただの波になってしまいそう。
わたしは生命ですらないのかもしれない。
自己を複製とかしてないから。
生きるってなに、とふと思う。深くは考えられないけれど。
わたしはひとつだけ願いを持っている。
肉体を持つこと。
肉体を取り戻して、生きている実感とやらを感じてみたい。
自律機械にその願いを送信してから、100年か1万年かよくわからない時間が経過した。
わたしは返信を待ちつづけているの。
データの海に灯台が立っている。
自律機械があかりを灯すときは来るのかしら。