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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

顔に大火傷を負ったので婚約を解消しようと提案しました

「開けてくれ! ロミナ! 話がしたいんだ!」


 伯爵令嬢、ロミナ・フルランはドアを叩く音から逃げるように部屋の隅にうずくまった。ロミナは婚約者のシルビオに婚約の解消を申し出る手紙を送ったのだ。突然こんなことを告げられた彼が屋敷に押しかけて来るのも仕方のないことだと思う。しかしロミナは彼と一度も顔を合わさずに別れたかった。美しい時の自分を彼の記憶にとどめてもらいたかったのだ。


 数日前、ロミナは男に薬品をかけられた。気の触れた男で、ロミナと婚約しているのは自分であり、シルビオと婚約しているのは不貞であると怒り狂っていた。男はただのレストランのウェイターであり、ロミナとは自分のミスを見逃して貰ったという関係性しかなかった。しかし男は妄想を膨らませ、凶行に走った。


 ロミナは顔に大やけどを負った。皮膚は焼け爛れ、使用人の中にはロミナの顔を見ただけで卒倒するものまで現れるほどの惨状だった。ロミナ自身でも鏡を見ることができなくなるほどだった。そんな姿を愛する婚約者に見せることなど、できるはずもなかった。


「君に何が起こったのかは知っている! 君がどんな姿になっても僕は君を愛する! だから結婚しよう!」


 ロミナには彼が本気でそう言っているのが分かった。しかし、それは実際に見ていないから言えることだ。実際に()の当たりにすればいくらでも考えは翻る。ロミナにはそれが痛いほどわかっていた。ほかならぬ自分がそうだったからだ。


 包帯をとるまでは、仮面でもつければ何とかなると思っていた。しかし実際にみたそれは想像以上に悲惨なものだった。ぐちゃぐちゃの水ぶくれに、赤や白のまだら模様に変色した皮膚。何より恐ろしいのがひきつれを起こした状態での表情の変化だった。傷跡が硬化し盛り上がった部分が皮膚を引っ張り、異様な表情を形成する。完全な怪物のようならまだしもほんの少し人間の面影があるのが一層おぞましく見えた。


 しかし僅かな、ほんの僅かな希望が出来た。自分では無理でも、もしかしたら彼ならば受け入れられるかもしれない。


「…………ごめんなさい」

「ロミナ! そこにいるんだな!? 頼む、考え直してくれ! 俺は君がどんな姿になっても受け入れるから!」


 ロミナは鍵を開けた。シルビオがつんのめるように部屋になだれ込んでくる。彼がロミナの顔を見上げた。シルビオは言葉を失った。その時の彼の目がロミナの心に焼き付いた。



「…………帰ってください」

「……あ、ああ。ロミナ。大丈夫だ。別に顔に怪我があったって君の魅力は──」

「帰ってください。慰めはたくさんです」

「待ってくれ! 大丈夫だ。結婚式とか、外に出るときは仮面をつければいい。そうすれば──」

「──仮面を被って真実の愛を誓いあう夫婦がどこにいるのですか」


 シルビオはそれ以上何も言えなかった。執事がシルビオに帰りを促し、彼は去っていった。



   ※※※※※



 シルビオはかつて人間のクズだった。有力伯爵家の四男として生を受けた彼には一生遊んで暮らせるだけの資金と自由があった。幼少期、おもちゃの楽器で遊んでいた彼は、偶然居合わせた兄の家庭教師に音楽の才能があるとほめられた。実際のところ、それは家庭教師として仕事を増やすための商売文句でしかなかったのだが、調子に乗った彼は音楽で生きていくことを決めた。


 当然すぐに壁にぶつかり、すぐに投げ出した彼は創作音楽だと言って騒音を垂れ流すだけのクズになった。そしてそんな彼を変えたのがロミナだった。


 シルビオは父に言われて参加した社交パーティーでロミナに出会った。凄まじい美貌の持ち主である彼女は常に男に囲まれていた。しかしシルビオが惹かれたのは彼女の声だった。


 彼女が声を発するたびに、男に媚びた女の嬌声とくだらない男どもの自慢話でひしめく屋敷が一瞬冴えわたるような気がした。手にするのに屋敷が何軒も立つような高級な楽器を一流の音楽家たちに演奏させるオーケストラでも彼女が歌いだせば雑音になる。それほどの美しい声だった。


 シルビオは彼女の声を聴くことに集中してしまい、彼女に声をかけることが出来なかった。しかし、パーティーを去る時に偶然彼女と出くわし、いつかあなたの歌声に負けない曲を作ると宣言した。彼女は上品に口に手を当てて笑い、「私は歌手ではなくバレエダンサーをしていて、歌うことはないですよ」といった。シルビオは顔を赤くして逃げだしたのだった。



 それからシルビオは真剣に音楽に取り組んだ。彼女の声の美しさを再現し、そして彼女の声に調和する曲を目指し楽器を奏で続けた。音楽には流れがあり、そのリズムのなかで一節でも彼女の声を再現できればいいと大量に曲を作り続けた。そしてようやく一瞬だけでも再現できたという曲ができあがった時、彼は国内で他に並ぶものがいないほどの音楽家となっていた。



 そして国王の宮廷に招待されたとき、踊り手として宮廷に招待されたロミナと再会を果たしたのだった。



   ※※※※※



 あの事件のあと、シルビオはたくさんの手紙を送ってきた。あの時自分勝手な行動をしてロミナを傷つけてしまったこと。まだ結婚を諦めていないこと。。そして今も変わらずロミナのことを本心から愛していること。



 しかし、どれだけ文を積み重ねられても、ロミナの顔を見た時のシルビオの表情が焼き付いて心に響かなかった。


 ロミナはシルビオの目が好きだった。強い意志を感じさせる鋭い瞳。これまでたくさんの男に言い寄られて来たが、どれも信念のない、ただ顔と体目当ての軽薄な目で、陰から見られるのも嫌だった。


 しかしシルビオの瞳は決意に満ちていた。瞳にはありありと感情が(たぎ)っていて、彼が口でなんと言っていても目を見るだけで何を考えているか分かった。


 だからこそシルビオが自分の顔をみた時の目が心に焼き付いた。恐怖や同情、哀れみといったものが次々に流れていって、あとには空虚な言葉のみが残った。自分に言い聞かせているだけで、相手には届かない言葉だけが。



 今の彼がどれだけ自分を愛していてもそれは一過性のものだ。時が経つにつれ愛は薄れていき、次第になぜ自分は怪物を娶ってしまったのかと考え出すだろう。彼は屋敷に帰らなくなり、余所に女性を囲うようになるだろう。それは仕方のないことなのだ。


 いっそあの時死ねばよかったのかもしれない。このまま生きていても何もいいことがないのは明らかだ。実際のところ、シルビオも世間体のために別れることを拒否しているだけかもしれない。国王に招待された宮廷で告白し結ばれるという、大々的な婚約の仕方をしておいて、相手が顔に傷を負ったからといって別れるのは世間が許さないだろう。



「…………そういえば」



 ロミナはふと、カバンの中に大事に詰め込んでいたビンを取り出した。宮廷で舞を披露した褒美として国王から受け取った、妖精の入ったビンだ。ビンの中の妖精は、願いに見合った大切なものと引き換えに願いを叶えるという。それを使えば自分の顔も元に戻すことができる。


 しかし一度試そうとしたとき、妖精はその代償にシルビオの命を求めた。ロミナはこれは妖精ではなく悪魔を封じたビンなのだと理解し、すぐにビンを閉じた。


 だが、今の自分の命は使い道がない。自分以外を願いの対象にすれば何を代償に求められても差し出すことが出来る。それならばシルビオのために何かを願おうか。


 ロミナがそんなことを考えていると、勢いよく扉が叩かれ、返事も待たずにメイドが扉を開けた。


「お嬢様! 大変です! シルビオ様が梯子(はしご)から落ちて、頭から血を……」


 ロミナはビンを握りしめた。




  ※※※※※




 シルビオを診ていた医者は首を振った。


鼓膜(こまく)が破れていますね。これだけならまだ自然に治癒しますが、小さな破片が耳の中に入り込んでズタズタに切り裂いてしまったようで、これでは聞こえるようになったとしても元と同じようには聞こえないでしょうね」


 話を聞いていた人間は当代一の音楽家の耳が失われたことにこぞって肩を落とした。シルビオは何も聞こえていなかったが、周囲の反応で何が起こったのかは理解した。


 どうやら自分は終わったらしい。しかし、目標は達することが出来た。シルビオの手の中にはしっかりと妖精の入ったビンが握られていた。かつて国王から譲り受け、その妖精の邪悪さに(おのの)き、屋根裏に封印したビンだ。


 シルビオはロミナを傷つけてしまった。シルビオは本心から彼女の容姿がどんなものであれ、彼女を愛していた。しかし、己の美しさで生きてきた彼女にとってその事件は尊厳を奪われるようなものであり、軽はずみに自分は気にしないなどというべきではなかった。そして、そういうのなら、絶対に彼女の顔をみて驚くなどといった反応を示すべきではなかった。


 おそらく耳を失ったことは天罰なのだろう。しかし、罰を受けたからと言って罪が許される訳ではない。償いが必要なのだ。


 シルビオは彼らの元を去り、一人になったときに妖精のビンを開けた。妖精の声は聴覚を失った彼にも聞くことが出来た。彼は彼女の顔を元通りにしてくれと願い、その代償を聞いて、そんなことでいいのかと受け入れた。




   ※※※※※




 ロミナは自分の顔が元通りになったとき、何が起きたのかを全て悟った。シルビオが妖精のビンを使ったのだ。ロミナはすぐにシルビオの病室に向かった。


「……ああ、来てくれたんだね」


 ドアを開ける音を聞いて、シルビオがそう言った。そこにいたのは目に光を失ったシルビオの姿だった。彼はロミナの顔を戻すために自らが何も見ることが出来なくなることを代償に選んだのだ。彼はロミナの容姿を求めていたわけでなく、本心から愛していたから出来た選択だった。


 しかし、ロミナは彼に謝ることも礼を言うこともできない。



 彼女はシルビオの耳を治すために自らの声を捧げたからだ。



 言葉を発しないロミナをみて、シルビオも何が起きたか悟った。


 二人は人目もはばからず抱き合った。二人は言葉を交わすことも視線を交わすこともできなくなったが、心だけは強く通じ合っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 金時計と髪飾りの話を思い出した。
[気になる点] 言葉を発しないロミナをみて、シルビオも何が起きたか悟った。 君は視力を捧げたはずじゃ・・・
[一言] これは賢者の贈り物~!! しみじみとしたよいお話でした。 悪魔はやっぱり悪魔やなぁ…。
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